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二、奈美ふたたび

         1

 霊園にいつもの朝がやってきた。

 もやがかかり、多少肌寒いのは季節のせいかと思いながら霧子は、BMWから霊園への入り口を見つめていた。

 霊園の入り口はここだけではないが、目指す墓から一番近い出入り口がここなので日が出る前からここで待機していた。

 たとえ、別の出入り口から奈美が来たとしても墓の近くに設置した監視カメラが彼女を捉えてくれる。それをノートパソコンのモニターで監視すれば見逃す恐れはなかった。

 助手席に置いたノートパソコンを見ながら霧子は、缶コーヒーに口をつけた。

 

 霧子とは別の入り口に麻里江と美樹が到着した。

 「さすがに北海道だね。まだ肌寒いや。」

 美樹はそうぼやきながら二の腕をさすった。

 「けっこうな広さね。」

 麻里江はもやに煙る霊園を遠目で見ながら少し気落ちした。

 伊達霧子と巡り合うのは難しいかもしれない。

 「で、どうする。麻里江。」

 美樹の明るい声に麻里江はハッとした。

 気落ちしても仕方がない。いまはやるだけのことをやるだけだ。

 「美樹はユキを離して。私は式を放つ。」

 「了解。ユキ、出ておいで。」

 美樹は背中に背負った竹筒を下すと、その口を地面に向けた。中から管狐のユキが滑り出た。

 「ユキ、この霊園を探って。この女の人がいたら教えて。」

 美樹は霧子の写真を見せながらそう囁くと、ユキはすばやく駆け出した。

 「だいじょうぶかな。」

 ユキが駆け去った後を見つめながら美樹がポツンと言った。

 「大丈夫よ。ユキは美樹より優秀だから。」

 「え、それどういう意味?」

 麻里江は笑みを浮かべながらポシェットから札を数枚取り出し、それを地面に置いた。そして、両手で印を結ぶと呪文を唱え始めた。

 「天と地の間より生ぜし風の精霊よ。我が式に乗りて我が求めしもの見つけたまえ。」

 すると札は少しずつ震えはじめ、やがて風に吹かれたように舞い上がり、四方に飛んでいった。

 「じゃあ、私たちも探しましょう。」

 「え、ここで待つんじゃあないの?」

 「怠けないの。」

 「はぁい。」

 先に歩く麻里江の後を美樹はしぶしぶついていった。

 その様子を木の陰からじっと見つめている男がいた。

 男はおもむろにポケットから携帯電話を取り出し、ある番号を押した。

 「支部長、例の女たちの居場所がわかりました。」

 『どこだ?』

 「郊外の市民霊園です。」

 『霊園?』

 「だれかを探しているようですが?」

 『わかった。お前は監視を続けろ。おれは牙堂様に知らせる。』

 「了解しました。」

 そう言って携帯を切ると、男はそっと麻里江たちの後をつけ始めた。


 もやが晴れ始めた頃、奈美が霊園に姿を現した。

 手に花束を抱え、まっすぐ亘の墓へ向う。

 その姿は霧子のモニターにも映し出されていた。

 急いでパソコンの蓋を閉めると、霧子はBMWを降り、奈美のもとへ足早に歩いて行った。

 その姿を管狐のユキが目にした。

 美樹に見せられた写真の女だと察知したユキは、身を翻して美樹の元へ駆けていった。


 奈美は亘の墓の前に立つと、持っていた花を花活けに活けた。隣には亘の恋人でもあった陽子の墓がある。奈美は陽子の墓にも花を活けた。

 花を活け終わると、奈美はしゃがみ込み、手を合わせて黙祷(もくとう)した。

 その様子を霧子は少し離れたところから見つめている。

 しばらくの間、じっと祈りを捧げていた奈美は、ゆっくりと顔を上げると墓に向って語りかけた。

 「もう3年が過ぎたのね。兄さん。」

 奈美の脳裏に亘の姿が浮かんできた。それと同時に奈美の顔が哀しみに彩られていった。

 「陽子さん、天国で兄さんと仲良くしてる?」

 陽子の墓の方に目を向けて、少し笑みを見せながら語りかけた。

 奈美の中で亘と陽子との楽しい思い出と悲しい思い出が交錯する。そのたびに奈美の胸につらい痛みが走った。

 「来年になったらまた来るね。」

 痛みを胸の奥底にしまうように無理に笑顔を作ると、奈美はゆっくりと立ち上がった。そして、元来た道を戻ろうとしたとき、目の前に見知らぬ女性がいることに気がついた。

 黒髪にサングラス、紺のスーツを着たキャリア風の女性だ。

 奈美が拝んでいる間に背中に感じた視線の主だと直感した。それゆえ、警戒しなければならない相手であると本能的に思った。

 奈美は無視するように足早に歩いた。

 その女性、霧子はあいかわらず黙って立っている。

 奈美と霧子の距離が1メートルを切るくらいに近づいた時、霧子が奈美の行く手を遮るように前に出た。

 立ち止まった奈美に霧子は笑顔を見せた。

 改めてその横を通り過ぎようとしたとき、霧子の口が開いた。

 「はじめまして、一条奈美さん。」

 名を呼ばれて驚いた奈美は、足を止め、霧子の方に顔を向けた。

 「あなた、誰?」

 奈美の目に疑惑と警戒の入り混じった色が浮かんだ。

 「私の名は伊達霧子。よろしくね。」

 そう言って霧子はサングラスを外すと右手を差し出した。しかし、奈美はその手を握ろうとはせず、無視するようにまた歩き出した。

 その背中にかけられた霧子の言葉に奈美の足がまた止まった。

 「アーマノイドA7」

 振り返った奈美の目に怒気が滲んでいる。

 「私になんの用!?」

 奈美の全身に警戒心が満ちてくるとともに、周辺の気配を探り始めた。

 どうやら他に人はいないらしい。

 「だいじょうぶ。私一人だから。」

 相変わらず霧子の表情は人を食ったような笑顔だ。

 「用があるならさっさと言って。」

 「せっかちね。あなたと友達になりたいのよ。」

 意外な申し出だが、奈美の疑惑と警戒心は解けない。

 「あいにく、友達なら間に合っているわ。」

 「でも、あなたを助けてくれる友達はいないでしょ。」

 「その助けてくれる友達があなただと?」

 「YES(ええ)

 その答えに嘲笑ともとれる笑みを奈美は浮かべた。

 「その代償に私の力をくれとでも言うわけ?」

 嘲笑が消え、怒りが奈美の真一文字に結んだ唇に現れた。それは殺気となって霧子に向けられた。

 その殺気に霧子の笑顔が一瞬消えたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。

 「あなたと争う気はないわ。ねえ、どこかでお茶でもして話さない。」

 「初めて会う人と気軽にお茶するほど私は暇じゃあないの。それにあなたに用がある人が他にもいるようだし。」

 「え?」

 奈美の視線が霧子の肩越しに移ったことに気付いた霧子は、後ろを振り返った。

 背後から二人の女性が近づいてくる。その足元には見たことも無い小さな動物もいた。

 「お話し中、失礼します。」

 麻里江が頭を下げながら霧子に歩み寄った。

 「あなたたちは…?」

 見知らぬ二人の少女に霧子は多少困惑した。

 「あなたが伊達霧子さんですね。」

 「え、ええ…」

 自分の名前を知っていることに霧子は驚きを隠せなかった。奈美も急な成り行きの変化に、多少の好奇心を掻き立てられた。

 しかし、それをかき消す気配が奈美の肌に触れた。

 数人の人間が自分たちを囲んでいる。

 さっきまでいなかった人間たちだ。

 奈美の警戒心がその場から周辺に広がった。

 「あなたたち、誰なの?」

 霧子は、先ほど奈美が自分に向けた疑問を、麻里江と美樹に向けた。

 「はじめまして。私、鷹堂麻里江といいます。」

 「私は朱雀美樹。これは相棒のユキ。」

 そう言って、美樹は管狐のユキを抱き上げた。

 「それで私になんの用なの?」

 これも先ほど奈美が言った言葉だ。霧子は思わず苦笑した。

 「霧子さん、お忙しいようだから、私、これで失礼するわ。」

 そう言って奈美はその場を離れようとした。

 「あ、ちょっと…」

 奈美は霧子の制止のしぐさを無視するように、霊園の出口へ歩き始めた。

 「伊達さん、私たち、あなたに聞きたいことがあるんです。」

 奈美との会談を邪魔された形の霧子は、あからさまに不機嫌な態度を見せて二人を睨み付けた。

 「なに!聞きたいことって。」

 「火鳥翔のことです。」

 「翔の…?」

 その名前に霧子の態度が変わった。

          2

 「一人が離れていきます。」

 木陰から四人を見張っていた男が、手にもったマイクに向かって話した。すぐに耳につけたイヤホンから指令が届く。

 「引き止めろ。このさい、四人とも処分する。」

 「わかりました。」

 男は命令を聞き終わると、そばにいた男に目で合図した。

 それに答えるように男たちが木陰から姿を現し、奈美の元へ急いだ。

 当然、奈美にその行動は察知されていた。

 奈美の歩く速度が速まる。

 それを阻止するかのように、男が前に立った。と同時に後ろにも仲間の男が立った。

 二人に挟まれた奈美は足を止め、臨戦態勢を取りながら男たちを睨みつけた。

 

 異変は霧子たちにも伝わった。

 三人は同時に、自分たちが取り囲まれていることを察知した。

 美樹が抱えていたユキも周囲からの殺気に唸り声を上げた。

 「ユキ、(くだ)に入ってな。」

 そう言うとユキは美樹の手を離れ、その背にある管の中にするりと入っていった。

 「何者なの?」

 「付け狙っているのは私だけではないようね。」

 そう言うと霧子は突然走り出した。

 「あ、まって!」

 麻里江と美樹がその後を追おうとしたとき、その前に男が二人、立ちはだかった。

 思わず身構える。

 「あなたたち、だれ!?」

 男たちはそれに無言で答えた。

 手にはいつのまにか、伸縮式の特殊警棒が握られている。

 「問答無用ってわけ。」

 麻里江は男たちを睨みながら身構え、美樹は麻里江と背中あわせに立って、縄鏢(じょうひょう)を右手に構えた。

 すでに後ろにも男が二人、退路を塞いでいる。

 殺気が前後から二人を挟み込む。

 前の男たちが警棒を振り上げて襲い掛かった。

 後ろの男たちもそれに合わせるように、腰から特殊警棒を取り出しながら襲い掛かってきた。

 前の二人が同時に警棒を振り下ろすと、麻里江はそれを絶妙なタイミングで躱し、片方の男の背後に移動した。

 二人の顔が麻里江を追って振り向いたとき、その背中に麻里江の右足が蹴り込まれた。

 蹴られた衝撃に男はもう一方の男の方に倒れ込み、二人は折り重なるように地面に突っ伏した。

 すぐに起き上がろうとしたところへ、麻里江のつま先が上の男のわき腹に喰い込み、苦悶の表情を残して気絶した。下の男は気絶した男をどけようともがいたが思うようにいかず、その顎に麻里江の蹴りを入れられ、そのまま気絶した。

 後ろでは、美樹が二人の男の警棒を、縄鏢で弾き飛ばしているところであった。

 急いで拾おうとしたところへ、美樹の手刀と蹴りが二人を沈黙させた。

 「弱っちぃやつらだな。」

 美樹が鼻息荒く、倒れている男たちを見下ろしている間、麻里江は霧子の行方を捜していた。

 「どこへいったのかしら?」

 そう言いながら麻里江は霧子が駆けだして行った方向へ足を向けた。

 「あ、待って。」

 美樹も急いでその後を追った。


 奈美たちが襲撃を受けた頃、霊園に立ち並ぶ樹木の上に二人の男が立っていた。

 知らせを聞いて駆け付けた牙堂と鳴神である。

 牙堂は奈美たちが襲われるのを遠目で見ながらニヤニヤ笑っている。

 「ついてるぜ。あの女がいる。」

 自分の幸運を喜んでいる牙堂を横目で見ながら、鳴神はため息をついた。

 「おいおい、左京様の命令は陰陽師の女どもを消すことだぜ。」

 「わかっているさ。命令通り女どもは消す。ただ、あの女が不運にも一緒にいたんだ。目撃者は消すしかあるまい。」

 「不運か。自分は幸運だと思っているくせに。」

 鳴神は牙堂の執念深さに辟易とした。

 「鳴神は陰陽師の女どもを()れ。おれはあの女を()る。」

 「目標が変わってるぜ。」

 鳴神はもう一度ため息をついた。牙堂に付け狙われた霧子に同情すら感じている。

 「いくぞ。」

 そう言い残して牙堂の姿が消えた。

 「へいへい。」

 面倒くさそうな返答をしながら鳴神の姿も消えた。

          3

 二人の男に挟まれた奈美は、ゆっくり近づいてくる男たちを睨み付けていた。

 「あなたたちはだれ!?」

 しかし、男たちは奈美の問いに答えようとしないかわりに、50センチほどの鉄パイプを取り出した。

 「私をどうする気?」

 その答えは頭上に振り上げた鉄パイプが表していた。

 その攻撃に奈美の反応は早かった。

 振り下ろされた鉄パイプを半身になって躱すと、その足を思いっきり蹴った。

 突然、足を払われた男はバランスを崩し、前のめりになった。その頭に手をかけた奈美は、そのまま地面に男を打ちつけた。

 間髪を入れず、後ろから襲い掛かってきた男の腹部に肘打ちを食らわすと、男は手にした鉄パイプを落とし、腹をおさえたまま土下座のような格好で倒れた。

 二人を沈黙させた奈美は、霊園の出口へ向かった。

 その背後で倒された男の一人が起き上がり、ポケットからバタフライナイフを取り出し、奈美の背中に向って投げつけようとした。

 「あぶない!」

 その声とともにコインが高速で飛んできた。

 奈美が振り返ると男のナイフが弾き飛ばされ、その後頭部に霧子の膝が入っていた。

 男は再度、地面に顔を打ちつけ、そのまま動かなくなった。

 「あぶなかったわね。」

 「礼は言わないわ。」

 霧子を無視するように奈美は再び出口に足を向けた。

 そのとき、目の前に霧が幕を引いた。

 突然の現象に奈美は戸惑いの色を見せた。

 「なに、これ?」

 「いやな予感…」

 霧子と奈美が辺りを見回すとすでに周囲は霧に包まれていた。

 「一体なにが…?」

 奈美は急いで霊園を出ようとした。

 「動かないで!」

 その奈美の腕を霧子が掴んで引き止めた。

 「何をする 」

 その瞬間、鼻先を黒いものが通り過ぎた。見れば墓石に烏がとまっている。

 「あいつ…か?」

 霧子の脳裏にサディスティックな笑い顔が浮かんだ。

 いつの間にかあちこちから烏が飛来し、墓石という墓石に多数の烏がとまっている。

 「いやな予感があたったみたい。」

 「…?」

 奈美にもこの状況が危機であることは容易に感じられた。

 ゆっくりと落ちている鉄パイプを拾い上げ、正眼に構えた。

 突然、烏がひと鳴きした。

 それを合図に烏が飛び上がり、二人に襲い掛かった。

 鋭いくちばしが奈美に迫る。

 しかし、手にした鉄パイプがそれを正確に払い落としていく。

 「やるわね。」

 感心した顔の霧子にも烏が襲い掛かった。

 霧子の指がコインを弾く。

 猛スピードで飛ぶコインが次々と烏を撃ち落としていった。

 いつのまにか奈美と霧子は背中合わせに立っていた。

 「さすがね。」

 「油断しないで。まだ来るわよ。」

 会話を交えながらもその目は飛来する烏を睨み付けていた。

 烏が二人の周りを飛び回る。

 やがて烏が一か所に集まりだした。

 黒い塊が出来上がり、それが人の形になっていく。

 「!?」

 人の形は牙堂へと姿を変えた。

 右目に眼帯をした黒い革の上下を着た牙堂が、サディスティックな笑いを浮かべて立っていた。

 「やっぱり…」

 「だれ?」

 「変態ストーカーよ。」

 吐き捨てるように言う霧子の口調に、奈美もなんとなく納得した。

 「ひさしぶりだな。霧子。」

 「気安く呼ばないで。」

 「フフフ、この間の礼をたっぷりしてやるぜ。」

 そう言いながら顔の前に右手を持っていくと、その爪がナイフのように伸びた。

 指の間から覗く左目が霧子から奈美に移った。

 「その前にそこのお嬢さんを片付けないとな。」

 「私は関係ないでしょう。」

 奈美は抗議したが、その目が無駄であることを表していた。

 「ここにいたのを不運とあきらめろ。その代り、楽に殺してやる。」

 殺気が言葉とともに奈美の体にまとわりついてくる。

 否が応でも奈美の中で防衛本能が高まる。

 (だめ。力を出しちゃダメ。)

 心の中で叫んだとき、牙堂の身体が素早く移動した。

 5本の爪が奈美の顔に迫る。

 瞬間的に奈美の鉄パイプがそれを受け止めた。

 その刹那、もう一方の手が奈美の胴を切り裂こうとした。

 しかし、奈美の驚異的な反射神経は、それを紙一重で躱して後ろに飛び下がった。

 それを見て牙堂の顔に多少の驚きが浮かび、すぐに戦いを楽しむような笑いに変わった。

 「やるな、女。」

 そう言うが早いか、牙堂の左右の爪がピストンのように猛スピードで突き出された。しかし、奈美はそれをことごとく躱した。

 「これでどうだ。」

 牙堂が右腕を高々と差し上げて、何かの合図のように指を廻すと、それに呼応して次々と烏が飛来してきた。

 「!」

 牙堂の指が奈美を差した。

 それに従うように烏がまっすぐ奈美に突っ込んでくる。

 嘴が猛スピードで迫り、躱すその横で墓石に矢のように突き立った。

 それが次から次へと飛んでくる。

攻撃を躱すために横へと移動した奈美の鼻先に烏の嘴が立樹に突き刺さった。別な方へ逃げようとしたが、反対側にも烏が突き立つ。

 「これでおしまいだな。」

 また牙堂の指が奈美を差した。

 その先の爪が奈美の額めがけて急速に伸びる。

 それが目と鼻の先に迫ったとき、爪が真っ二つに折れた。

 「え!」

 「なに!」

 奈美と牙堂が同時に叫んだ。

 折れた爪といっしょにコインが転がる。

 「死ぬまで力を使わない気!?」

 霧子が叫んだ。

 「私の勝手でしょう。」

 そう言いながら奈美は霧子の背後に隠れた。

 その行動にあきれながらも霧子は牙堂を睨みつけた。

 「しょうがない。二人まとめて片付けてやる。」

 牙堂が指笛を吹くとその周りに烏が集まりだした。

 それが黒い塊となり、やがて一羽の巨大な烏に変貌した。

         4

 奈美たちが襲われた頃、麻里江たちの周りにも異変が起きていた。

 同じ霧が周囲を取り巻いて来たのだ。

 「え、霧…?」

 美樹は突然の現象にびっくりしたような顔をし、麻里江は警戒心をはっきり顔に表した。

 「とにかく、二人を追わなくちゃ。」

 「まって、美樹!」

 美樹が霧に構わず走り出そうとするのを麻里江は引き止めた。

 「どうしたの、麻里江?」

 「妖気を感じる。」

 「えっ」

 麻里江にそう言われて改めて周りの気配を探った。

 たしかに異様な気配を感じる。

 背中のユキもそれを感じて管の中で唸っている。

 「気をつけて。なにかくる。」

 麻里江が言い終わると同時に黒い影が二人に向って飛んできた。

 二人同時にそれを躱すと、影はすぐそばに立つ、木の枝に飛び乗った。

 「なんだ、ありゃ」

 二人の視線の先に不思議な生き物がいた。

 イタチに似ているが全身が金色なのだ。そのうえ尻尾が異様に長い。

 「気をつけて。私たちを狙っている。」

 麻里江の言葉がわかったのか、その生き物が笑ったように見えた。

 鋭い牙を見せながらそれが再び二人に向って飛んだ。

 飛んできた生き物に対して麻里江がカードを投げる。

 放ったカードをその鋭い牙で受け止めると、それは空中で一回転して地面に降り立ち、麻里江を睨んだままカードを吐き捨てた。

 麻里江も別のカードを構えたまま、その視線を跳ね返すように睨んだ。

 「あぶない!」

 突然、美樹がそう叫んで麻里江を押した。

 同時に縄鏢が宙を舞う。

 その縄鏢を躱して別の黒い影が美樹に襲い掛かった。

 肩口が引き裂かれ、感電したような痺れが上半身を駆け抜けた。

 「うっ」

 肩口を押さえて美樹がうずくまったとき、地面の生き物が飛び上がった。

 美樹を案ずる暇もなく、鋭い牙が麻里江の喉に迫る。

 麻里江がそれに向ってカードを投げた。

 長い尻尾がそれを叩き落とす。

 そのまま牙が麻里江の二の腕を切り裂いた。そしてそこから電気が流れたような痺れが麻里江の身体にも駆け抜けた。

 「ぐっ」

 「麻里江!」

 ようやく痺れから回復した美樹は、片膝をついた麻里江に駆け寄った。

 「大丈夫よ。」

 痺れに耐えている麻里江をかばうように前に立った美樹は、例の生き物の行方を目で追った。

 イタチもどきの生き物が二匹、木の上でじっと二人を見ている。

 その上には見知らぬ男が枝に座っていた。

 「イズナの攻撃を良く躱したな。」

 サングラスの男、鳴神が笑顔を湛えながら麻里江と美樹を見下ろしている。

 「お前は誰だ!」

 美樹が縄鏢を構えながら叫んだ。

 「名乗る必要もあるまい。」

 鳴神はからかうような笑いを二人に送った。

 「あなた、どこかで…」

 麻里江の脳裏に鳴神の姿と重なる映像が浮かぶ。しかし、それがはっきりする前にイズナが二人に襲い掛かった。

 二匹の間で電光が走る。

 「美樹!ふせて!」

 麻里江の叫びに美樹は地面に突っ伏した。その上を二匹が電光を伴って駆け抜けていく。

 美樹の鼻腔に焦げた匂いが届いた。

 二匹は左右に分かれて墓の上に降り立った。

 「電気?」

 麻里江の額に汗がにじむ。

 「くそ!」

 美樹が縄鏢を墓の上のイズナに投げつけた。

 それを飛び上がりながら躱した二匹は頭上から美樹を狙った。それに対して美樹が鏢を投げる。

 イズナの尻尾が鏢を払いのけた。

 二匹の尻尾の間に電光が結びつく。

 それが美樹に触れた。

 「きゃー!」

 全身が痺れ、美樹はその場に倒れた。

 「美樹!」

 倒れた美樹に駆け寄る間もなく、二匹のイズナが今度は麻里江に向ってきた。

 同じように電光が二匹の間に瞬く。

 麻里江が先に仕掛けた。

 二枚のカードが二匹に向って同時に放たれる。

 二匹は同じようにカードを躱し、さらに麻里江に迫る。

 そのとき、躱したカードが空中でUターンしてイズナの背中に突き刺さった。

 「ギャ!」

 短い悲鳴とともに二匹は地面に倒れた。しかし、すぐに起き上がり、麻里江の頭上に飛び上がった。

 それでも麻里江はあくまでも冷静であった。

 二匹の牙を前方に素早く移動することで避けると、振り向きざまにカードを放った。

 同じように振り向いたイズナの額に、そのカードが深々と突き刺さった。

 イズナは悲鳴も上げず、その場に倒れ、動かなくなった。

 それを見た鳴神は、驚いた顔をして枝から飛び降りた。

 「よくイズナを倒したな。」

 ゆっくりと麻里江に近づいてくる。

 麻里江もカードを斜めに構えて臨戦態勢にはいる。足元にはまだ体の痺れがとれない美樹が横たわっていた。

 「面倒だが二人まとめて片付けてやる。」

 「面倒だったらやめたら。」

 皮肉交じりに言い放つと鳴神の口元に笑みが浮かんだ。

 「そうもいかなくてね。」

 そう言って鳴神は両手を胸の前で合わせた。そして、ゆっくりと左右に離すと、中心に丸い球が出現した。

 「妖法、雷玉(いかずちだま)

 ソフトボール大の光る玉が、宙に浮かんだままゆっくりと前に進み始めた。

 危険を知らせる気配を玉から感じた麻里江は、クラブのカードをそっと地面に落とした。

 「死にな。」

 鳴神の感情のない言葉に押し出されるように、空中の玉が猛スピードで麻里江に向って飛んだ。

 地面に身を伏せてそれを躱すと、雷玉は後ろの墓石に当り、白く発光すると爆発音とともに墓石がバラバラに崩れた。

 「!」

 「さて、いつまで躱せるかな?」

 いつの間にか鳴神の周りに八つほど雷玉が浮かんでいた。

 麻里江は片膝をついて起き上がると印を結んで呪文を唱えた。

 「大地に眠る木の精よ。わが盟約に応えてその息吹を我が前に示せ。」

 途端にクラブのカードが光り出した。

 そこへ鳴神の周りを飛び回っていた雷玉が八方から麻里江に迫った。

 次の瞬間、カードから芽が噴き出し、あっという間に太い蔦となって上に伸び始めた。

 麻里江を囲むように伸びる蔦に次々と雷玉がぶつかり、発光して燃え上がる。しかし、そのそばから蔦は伸び続け、やがて鳴神に向ってその穂先を伸ばしていった。

 「これは…?」

 鳴神の周りを蔦が取り囲んだ。そのまま鳴神に絡みつき、ぐるぐる巻きにして身動きを取れなくした。

 そのころには美樹も回復し、頭を振りながら麻里江の後ろに立った。

 「これであいつも終わりだね。」

 「油断しないで。」

 麻里江は厳しい顔つきで目の前の光景を見つめていた。

 蔦が幾重も絡みつき、鳴神の姿はもはや見えなくなっている。

 「来るわよ。」

 麻里江の預言めいた言葉のとおり、蔦から白い光が漏れ始めた。

 次の瞬間、爆発音とともに蔦が炎に包まれながら飛び散り、その中心に白く発光した巨大な玉が浮かんでいた。

 その中から鳴神が姿を現した。

 「なかなかやるな。娘。」

 余裕の笑みが鳴神の頬に浮かぶ。それに合わせるように巨大な玉が頭の上に浮かび上がった。

 「この雷玉は前のとは違うぞ。これに飲まれれば骨も残らん。」

 巨大な雷玉は時折、雷光を放ち、不気味な迫力を二人に見せていた。

 それを見て美樹が持っていた縄鏢の端と端を結んで円くすると、それを両手に握って身構えた。

 その姿に鳴神が再度、笑った。

 「何をするか知らんが無駄な抵抗だ。」

 そう言って、パチンと指を鳴らした。

 途端に巨大雷玉が二人に向って動き出した。

 ゆっくりとした動きだが、二人を逃さないように左右に揺れながら近づいてくる。

 美樹が呪文を唱える。

 「我、盟約に従いて四象(ししょう)に願い(たてまつ)る。風の力を借りて北の威をこの輪より示したまえ。」

 美樹が持っていた縄鏢を玉に向って放り投げた。

 輪となった縄鏢が空中で回り始めるとその中から風が吹き始め、やがてそれは吹雪となって雷玉に向って吹き付けた。

 吹雪と雷玉が空中で激突し、すさまじい放電と雷鳴を轟かせ、その余波が3人の間にも襲来した。

 その余波を潜り抜けるように麻里江が鳴神に向って駆けた。

 「不動金剛剣!」

 スペードのカードを横に広げると、それは一本の諸刃の(つるぎ)となった。

 それを大上段に構え、鳴神に向って駆けながら振り下ろした。

 「ムッ」

 麻里江の突然の攻撃に鳴神は咄嗟に後ろに飛び下がったが、麻里江の剣先が肩口をかすった。

 肩口から真っ赤な血が滲む。

 それを指でこすり、自分が傷つけられたことを確認すると、鳴神の目が興奮したように燃えた。

 「ふふふ、これは楽しめそうだ。」

 強がりとも余裕とも取れる笑いを口ににじませ、鳴神は麻里江を睨みつけた。

 美樹の方術が効いたのか、鳴神自身が術を解消したのか、いつの間にか巨大な雷玉が消えていた。

 そのかわり異様な殺気を身に纏った鳴神がゆっくりと近づいてくる。

 その動きを警戒していた麻里江の目の前から不意に鳴神が消えた。

 驚く間もなく鼻先に鳴神が現れ、その拳が麻里江の心臓めがけて飛んできた。

 紙一重でそれを躱すと麻里江は身体を回転させながら剣で鳴神の首を切ろうとした。

 しかし、またも鳴神の姿が消え、剣は空を切った。

 「!」

 突然、麻里江の身体のバランスが崩れた。

 身を沈めて剣を躱した鳴神の左足が、地面すれすれを旋回して麻里江の足を払ったのだ。

 背中から地面に倒れた麻里江の手から剣が離れた。

 そこへ鳴神の右足が顔面に迫った。

 地面を転がってそれを躱した麻里江に、プレス機のように鳴神の足が踏みつけてきた。

 転がりながら躱し続けた麻里江だったが、すぐに墓石に退路を断たれた。

 鳴神の顔に殺意のこもった笑いが浮かぶ。

 同時に右足を麻里江に蹴り込もうと、後ろに引いた。

 「麻里江!」

 声と同時に鏢が鳴神に飛ぶ。

 鳴神の身体がわずかに後ろにずれ、鼻先を鏢が通り過ぎた。

 しかし、そのずれが鳴神の右足の軌道を変え、足は麻里江の横をかすめてその後ろにある墓石を粉々に砕いた。

 「チッ」

 その隙に麻里江は起き上がり、落ちている剣を拾い上げるとすぐに正眼に構えた。

 「もうひとりの(じょう)ちゃんを忘れていたよ。」

 右足の汚れも払わず鳴神は二人に向き直ると、初めて構えを見せた。

 「ツァー!」

 裂帛の気合いとともに鳴神の身体が瞬時に麻里江の前に移動した。同時に両腕が麻里江に向って突き出される。

 そのスピードに麻里江は躱すのが精いっぱいだった。しかし、躱した先に鳴神の肘が飛ぶ。

 それを肩で受け止めたが、強烈な力に麻里江は突き倒された。

 そこへ鳴神の右足が蹴り込まれようとした。

 それを見て美樹の縄鏢が飛ぶ。

 うまく右足に絡まるが、鳴神の足は縄鏢ごと美樹を引っ張った。

 そのすさまじい力に美樹はその場に引き倒された。

 その隙に急いで立ち上がった麻里江は持っていた剣を鳴神めがけて突き出した。しかし、その寸前、鳴神の身体が消えた。

 麻里江がその行方を目で追った時、鳴神の身体は宙を舞い、倒れた美樹めがけて急降下していた。

 「転がって!」

 麻里江の言葉に美樹は何も考えず、地面を転がった。

 その後に鳴神の足が地面に突き刺さる。

 「いい助言(アドバイス)だ。」

 余裕の笑いを浮かべながら鳴神は、足に絡まった縄鏢を外してその場に投げ捨てた。

 「リャー!」

 気合いとともに剣を大上段に構えた麻里江が、鳴神に向って駆けた。

 鳴神の笑みが消える。

 麻里江の連続攻撃が鳴神に襲い掛かる。

 鳴神も紙一重でそれを躱し続ける。

 美樹も援護の鏢を投げつけた。

 剣と鏢の二重の攻撃にさしもの鳴神も躱し切れず、麻里江の剣先が鳴神の胸に届いた。

 鋭い痛みに鳴神も大きく飛び下がった。

 Tシャツの胸の部分がまっすぐ裂け、その下から赤い血が滲み出ている。

 鳴神は胸を押さえたまま片膝をついた。

 それを見てチャンスと思った麻里江と美樹は、剣と鏢を構えたまま鳴神に向って突進した。

 不意に鳴神の顔が上がる。

 「妖法、鳴神渡(なるかみわた)し。」

 地面についた片手から雷光が地面を走った。

 それはそのまま二人の足に絡まり、同時にすさまじい電撃が二人を貫いた。

 「きゃあああ!」

 その衝撃に二人は吹き飛ばれ、地面に背中から落ちた。

 全身が痺れ、指一本も動かすことができない。

 「な、なに?これ…?」

 (かす)む目で見上げた先に優越感に浸っている鳴神の姿があった。

 「これで(しま)いだな。嬢ちゃんたち。」

 憐れむような目で二人を見下ろしている鳴神の右手には、白く発光している巨大な雷玉が浮かんでいた。

 「苦しまずにあの世に送ってやるよ。」

 目に笑いを浮かべて雷玉を二人に投げつけようとしたとき、鳴神の頭の中に言葉が飛んできた。

 「やめよ。鳴神。」

 その言葉に鳴神の全身が凍りついたように固まった。

 「史郎様…?」

          5

 奈美と霧子の前に出現した巨大烏に二人は驚愕した。

 そんな二人を尻目に巨大烏は大音量で一鳴きすると、十メートルはあろうかという翼を広げ、大きく羽ばたいた。

 土ぼこりを巻き上げ、すさまじい風圧であたりの墓石をなぎ倒しながら巨大烏は上空に舞い上がった。

 「なに、この化け物は?」

 「化け物はひどいな。おれのかわいいペットに。」

 いつの間にか牙堂が巨大烏の背に乗っている。

 「こいつの餌食になりな。」

 牙堂の左目が笑った。

 巨大烏が両翼を羽ばたかせると、その翼から大量の羽が二人に降り注いだ。

 「くそ!」

 霧子の目が金色に輝く。

 両手を前に差し出し時、大量の羽が二人を覆った。

 大量の羽は木といわず、地面といわずそこら中に突き立った。奈美と霧子も同じ運命かと思われた。

 しかし、黒羽は二人の前で見えない壁に突き刺さったように空中で静止しており、二人にはなんの被害もなかった。

 「おのれ。」

 牙堂の左目が怒りに燃えた。

 「便利な力ね。」

 霧子の後ろで奈美が皮肉っぽく言った。

 それを無視するように聞き流すと、霧子の目が再び金色に輝いた。

 空中で静止していた黒羽が方向を変え、上空の巨大烏に向って一群となって飛んでいった。

 今度は黒羽の鋭い切っ先が巨大烏に迫った。

 しかし、巨大烏はそれを避けるどころか、かえって飛んでくる黒羽に向って急降下していった。

 飛んできた黒羽が次々と巨大烏に突き刺さっていく。

 それも構わず、巨烏(おおがらす)はまっすぐ二人に向って急降下していった。そして、地面すれすれで身をひるがえすと両足で二人を捕まえようとした。

 奈美と霧子が左右に逃げる。

 二人を捕まえられず、鋭い爪は地面に突き刺さった。

 と同時に牙堂が烏の背中から飛び降り、霧子を頭から切り裂こうと右手を振りかぶった。巨烏は大音声で鳴きながらその嘴を奈美に向けた。

 奈美の鉄パイプが烏の口に向って投げつけられる。

 霧子のコインが牙堂に向って弾かれる。

 鉄パイプは烏の嘴に受け止められ、巨大な羽が奈美を吹き飛ばした。

 飛んでくるコインを爪で弾き返すと、牙堂の左手の爪が霧子に向って飛んだ。

 鋭く反応した霧子は横っ飛びに避ける。

 地面に五本の爪が突き立った。

 巨烏に弾き飛ばされた奈美は、地面を転がり、立樹に背中をしたたか打ちつけた。

 それを見た巨烏は鉄パイプを真っ二つにへし折り、その勢いで嘴を奈美に向けて振り下ろした。

 とっさに躱したすぐ横に嘴が深々と突き刺さる。

 横っ飛びに逃げた霧子を追って、牙堂の五本の爪が襲い掛かる。

 霧子も背中から特殊警棒を取り出し、それを伸ばした。

 目の前で爪と警棒がかち合う。

 巨烏の嘴は奈美を串刺しにしようと次々と襲い掛かってきた。

 かろうじてそれを避ける奈美だったが、いつまでも逃げまわることはできない。巨烏は奈美を仕留めるまで攻撃をやめはしないだろう。

 そう思った時、奈美の中で戦闘モードにスイッチが入った。

 何度目かの巨大烏の攻撃を避けた時、奈美の髪の毛が銀色に変わった。

 手にはいつの間にか折れた鉄パイプが握られている。

 奈美の変化に牙堂も霧子も気がついていない。

 牙堂は霧子を切り刻もうと両手の爪を繰り出す。

 霧子はそれを警棒で弾き返しながら牙堂に反撃を試みた。

 二人とも自分たちの戦いに集中して、奈美と巨大烏に目がいかなかった。

 その巨大烏を前に奈美は静かに立っていた。

 それに向って巨大な嘴が襲い掛かる。

 奈美の両足が地面を蹴った。

 その下の地面に巨大な嘴が突き刺さった。

 宙を飛びながら奈美の髪から銀の光が迸る。

 それは銀の針となって巨大烏の両目に突き刺さった。

 「ギョェ── !」

 激痛に烏が悶えた。

 その変事に牙堂と霧子の目が巨大烏に向いた。

 その目に映ったのは、墓石に飛び移った後、驚異的な跳躍力で巨大烏の頭上に飛び上がった奈美の姿だった。

 その手にした鉄パイプが、急降下する加速力を利用して烏の頭に深々と突き刺さる。と同時に奈美の手から鉄パイプを通して超振動が、巨大烏の頭に放たれた。

 「グェェ~!」

 鉄パイプが粉々に砕けると同じく、巨大烏の頭も咆哮とともにバラバラに崩れていった。

 崩壊していく巨大烏の身体の中に埋もれていった奈美の姿が、一時見えなくなった。

 土煙とともに地面に黒い山が出来上がる。

 それは多数の烏の死骸の山でもあった。

 その死骸の山から奈美が姿を現した。

 「おのれ、よくも俺のかわいいペットを…」

 牙堂の左目に憎悪の炎が点った。

 そのとき、霧子の特殊警棒が猛スピードで迫ってきた。

 「!」

 とっさに避けようとした牙堂であったが、躱しきれず5本の爪がすべてへし折られた。

 「なに、よそ見しているの。」

 態勢を崩した牙堂に容赦なく霧子の攻撃が続いた。

 かろうじて躱し続ける牙堂の顔に焦りの色が表れた。

 「調子にのるな!」

 怒りにまかせて牙堂が十本の爪を飛ばした。

 しかし、霧子はそれをことごとく叩き落とした。

 それを見た牙堂の口から怪しい呪文が漏れた。

 「妖法、魔爪林(まそうりん)。」

 叩き落とされた爪がすべて地面にめり込んでいく。

 「しまった。」

 霧子の脳裏に以前の光景がフラッシュバックのように浮かんだ。

 すぐにその場を逃げようと駆け出したとき、目の前に丸太のような爪が地面から突き出した。

 「また、こいつか!」

 舌打ちしながら別な方へ逃げようとしたが、その前にも爪が突き出した。

 たちまち、周りを爪の巨木に囲まれてしまった。

 「同じことを何度も。」

 霧子の目がまた金色に輝きだした。

 「今度はこの前と違うぜ。あれを見ろ。」

 牙堂に言われた方向を見てみると、奈美の周りに爪の巨木が乱立し、奈美が閉じ込められていた。

 「あの女を見殺しにして自分だけ逃げるか?」

 いつの間にか牙堂の左人差し指の爪が鋭く伸び、その爪先が奈美の喉元に突き付けられている。

 その光景に霧子の動きが封じられた。

 「くそ!」

 それを見て牙堂の目が笑った。

 牙堂が右手を横に払うと、5本の爪が回転しながら霧子に向って飛んでいった。それは霧子の両手、両足、首を楔のように抑えて、後ろの巨大爪に突き刺さり、身動きをとれなくした。

 「そこで大人しくこの女の死ぬところを見てな。」

 「奈美は関係ないでしょう!」

 「そう言うわけにはいかないな。」

 牙堂の口元に残忍な笑いが浮かんだ。

 奈美も、喉元に突き付けられた牙堂の爪先で、身動きがとれない。それでもこの場から逃げるため、わずかな隙も見逃さないよう集中力を高めた。

 それに合わせるように奈美の銀の髪が波打ってくる。

 牙堂が左手を少し引いた。

 それを見逃さず、奈美の右手がすばやく牙堂の爪を握った。

 超振動が爪を粉々に砕く。

 「バカめ、本命はこっちだ。」

 いつの間にか右手を構えていた牙堂の爪が、まさに奈美の額を狙って伸びようとしたときだった。

 その右手を爪ごと握った者がいた。

 「!」

 三人の視線が爪を握った者に一斉に飛んだ。

 ギリシャ彫刻を思わせるような美青年がそこにいた。

 「ここまでだ。牙堂。」

 いつもの冷たい笑みを湛えた史郎が静かに命じた。

          6

 「史郎様!?」

 「史郎…!」

 「…?」

 史郎の突然の出現に、牙堂は目をみはり、奈美は憎しみを顕わにし、霧子は戸惑いを見せた。

 「史郎様、なぜ…?」

 「牙堂、すまぬがここは引いてくれ。」

 「しかし!」

 牙堂は抗議の様子を見せたが、史郎はそれを無視して別な方向に目を向けた。

 「やめよ。鳴神。」

 史郎は誰もいない虚空に向って言葉を発した。

 それは離れた場所で麻里江と美樹に対峙していた鳴神の頭に直接届いた。

 「史郎様…?」

 鳴神も牙堂と同じような反応をした。

 「史郎様、いらしてたのですか?」

 鳴神も誰もいない虚空に向って語りかけた。

 「楽しんでいるところをすまぬが、ここまでにしてくれ。」

 史郎の言葉を受けて、鳴神の手から雷玉が消えた。

 「助かったな。嬢ちゃんたち。」

 目の前で倒れている麻里江たちを見下ろして、鳴神は余裕の笑みを見せた。

 「また会えるのを楽しみにしているよ。ハハハ」

 そう言いながら鳴神の身体が空間に吸い込まれるように消えていった。

 「どういうこと?」

 「なぜ、とどめを刺さないんだ。」

 鳴神の謎の退却に麻里江と美樹は戸惑いと同時に見くびられた思いがした。

 「美樹、大丈夫?」

 「まだ、体中がちくちくする。」

 麻里江は痺れる体をゆっくりと起き上らせると、片側でうずくまる美樹に手を差し伸べた。美樹はその手をとってようやく立ち上がった。

 「とにかく、霧子さんが気になるわ。いってみましょう。」

 痺れる体に鞭うち打って、麻里江は霧子のいる方向に駆け出した。

 「待って…」

 美樹も足を引きずりながらその後を追った。


 鳴神が去ったことを確認すると史郎は牙堂に目を戻した。

 「さ、牙堂も引き上げるんだ。」

 握っていた手を離すと、史郎は冷徹なまなざしで牙堂を見据えた。

 「しかし、左京様の命令が…」

 「左京には私から言っておく。ここはひとまず下がれ。」

 牙堂に反論の余地を与えぬ厳しい口調が史郎の口から発せられると、牙堂はしぶしぶ史郎の命令に従った。

 霧子に憎悪と殺意のこもった視線を送りながら、牙堂の体は空間に溶け込むように消えていった。

 その場に史郎と奈美、そして霧子だけが残った。

 「ひさしぶりだな。奈美。」

 牙堂が去ったことで乱立していた爪の巨木は消え失せ、周りを覆っていた霧も晴れてきた。

 雲の間から照らす太陽の光で明るくなった墓地で、史郎はゆっくりと奈美に近づいた。しかし、奈美の目から憎悪の色は消えず、思わず握った拳に力が入る。

 その様子を見ていた霧子の頭にある人物の名前が浮かんだ。

 (―史郎(しろう) (おもて)―)

 「やっぱり生きていたのね。史郎。」

 史郎が手の届く位置に近づいたとき、奈美が口を開いた。

 「あの時言ったはずだ。再びおまえの前に現れると。」

 「それでなに?また、私を連れに来たの?」

 殺気とともに奈美の銀の髪がまた波打ち始めた。

 「いや、今日は単なる挨拶だ。長らくほっておいたからな。」

 「挨拶…?」

 奈美の殺気をまともに受けながら、史郎はそれを気にするそぶりも見せず、逆に暖かい笑みを奈美に送った。

 それを見た奈美の方がかえって困惑した。

 奈美の中の戦闘意識が急速にしぼみ、銀の髪は元の黒髪へ変色していった。

 「失礼ですが、あなた、面 史郎さんですね。」

 いつの間にか史郎の後ろに立った霧子が、得物を見つけた狩人のような喜びを見せて史郎に話しかけた。

 「君は…?」

 語りかけてきた主を見ようと史郎は後ろを振り返った。奈美も史郎の肩越しに霧子を見た。

 「はじめまして。私は伊達霧子といいます。」

 その名前に史郎は聞き覚えがあった。

 「ああ、君か。牙堂の右目をつぶした女性は。」

 「お目にかかれて光栄です。ミスター面。」

 霧子は軽く頭を下げた。

 それを見た奈美は、霧子に対して更に不信感を抱いた。

 「牙堂をあしらったのが君のような美しい女性だとは。驚いたな。」

 思ってもみない史郎の言葉に奈美は驚いた。そして、胸に微かな痛みを感じた。

 「ミスター面。少しお話しませんか?」

 「なんのだね。私と奈美をアメリカに連れて行く話かね。CIAのお嬢さん。」

 その言葉に今度は霧子が驚いた。

 「なぜそれを…?」

 「それくらいちょっと調べればわかることだよ。」

 史郎は霧子を見ながら軽く微笑んだ。

 「それなら話が早い。当局はお二人を国賓級でお迎えする用意があります。」

 「ほう、それは大層なことだな。しかし、遠慮しておこう。」

 そう言って史郎は奈美の方に顔を戻した。

 奈美もつられて史郎に顔を向けた。

 「ミスター面…」

 霧子が史郎の腕に手をやろうとしとき、史郎が突然振り返った。

 その冷徹な視線に霧子の体が硬直した。

 「君もおとなしく本国(アメリカ)に帰りたまえ。それが身のためだ。」

 静かだが霧子の体が凍りつきそうな冷たく、威圧感のある言葉だった。それに圧倒され、霧子は何も言い返せなかった。

 そのとき、遠くから霧子の名を呼ぶ声が聞こえた。

 「霧子さん!」

 「また、邪魔が入ったな。」

 向こうから駆けてくる麻里江と美樹の姿を見て、史郎はため息をついた。


 麻里江と美樹も霧子を見つけるとその歩調を速めた。

 「霧子さん。」

 霧子のそばに近寄ったとき、見知らぬ男に麻里江は目を引き付けられた。

 端正で堀の深い顔立ちだが、その全身から立ち上る気配は氷のように冷たい。麻里江は只者ではないと直感した。

 美樹の管に入っていたユキも、史郎の異様さを感じたのか、管の中で唸っている。

 そんな二人を見て、史郎は軽く笑った。

 「君たちか。魔霊院を倒したという陰陽師は。」

 唐突にそう言われて、麻里江と美樹は驚いた。

 魔霊院のことを知っている。

 (―仲間―)

 二人は同じ言葉を心の中でつぶやいた。

 「意外とかわいいお嬢さんたちだな。」

 感心とも嘲りともつかぬ言葉を発した後、再度史郎は奈美の方に体を向けた。

 「あなたも鬼龍一族なの?」

 麻里江のストレートな質問に史郎は苦笑した。

 「ま、そのようなものだ。」

 史郎は二人に背を向けたまま答えた。

 「あなたたちは、一体何をしようとしているの?」

 「ちょっと待って。彼と話があるのは私よ。」

 麻里江が史郎に尋ねようとしたところを、霧子が横から割って入った。二人は史郎を取り合う愛人同士のようににらみ合った。

 その状況に史郎は辟易した。

 「せっかく君に会いに来たというのに、これではゆっくり話もできないな。」

 「私はあなたと話すことはないわ。」

 奈美はそっぽを向いた。

 「長いことほっておいたからへそを曲げているのか?奈美。」

 「だれが!」

 奈美は史郎に顔を向けて睨み付けた。しかし、史郎は深い色の瞳で奈美をじっと見つめ返した。

 奈美の心が史郎の瞳に飲まれそうになる。

 奈美はまたそっぽを向いて視線を外した。

 それを見て、史郎の頬に笑みが浮かんだ。

 暖かい笑みだ。

 「ま、いいだろう。」

 そう言うと、史郎は3人の方へ体を向けた。

 「お嬢さんたち。」

 史郎の言葉に3人の視線が一斉に史郎へ注がれた。

 「これ以上、私たちに関わるな。」

 「それは脅し?」

 麻里江が睨み付けた。

 「いや、忠告だよ。この場にいたよしみで忠告している。アメリカのお嬢さんも奈美への関心は捨てて、帰りたまえ。」

 「いやだと言ったら?」

 霧子が史郎の視線を跳ね返すように言った。

 史郎の視線が霧子、麻里江、美樹の順に移っていった。

 みな、史郎の忠告をおとなしく聞こうという表情ではない。

 史郎の口の端に笑みが浮かんだ。

 「忠告はした。これから先はお嬢さんたち次第だ。」

 そう言い残すと史郎は再び、奈美の方に体を向きなおした。

 「近いうち、また会おう。奈美。」

 そう言うと史郎はゆっくりと歩きだした。

 「忘れるな。お前は私のものだということを。」

 奈美にだけ聞こえるような小声でそうつぶやくと、史郎の体は空間の中に溶け込むように消えていった。

 「史郎…」

 奈美は史郎の消えた後をしばらく見つめていた。


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