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一、北の地にて

         1

 走る足音が街灯だけの道に響く。

 空には月もなく、路面は昼間降った雨で濡れていた。

 その中を男は必死に駆けていた。

 荒い息の中、ときおり後ろを振り返る。しかし、後ろには男の影以外には見えない。それを確認すると男はまたスピードを上げて走り始めた。

 あと100メートルも走れば、交番がある。そこに駆け込めば安心だ。

 男は自分を鼓舞しながら重い足に鞭をいれた。

 その甲斐あって、男の目に交番の灯りが届いた。

 胸のうちに安堵感が広がる。

 一度立ち止まり、息を整え、改めて交番に一歩踏み出そうとした時だった。

 黒い影が横合いから男を抱え、口と両手を押さえた。

 男は声も立てられず、闇に染まった横道に連れて行かれた。


 数分後、街灯もない小さな公園に3つの人影が立っていた。足元にはさっきの男が横たわっている。

 「殺したのか?」

 影のひとつが口を聞いた。

 「いや、気絶しているだけだ。」

 別の影がそれに答えた。

 もう一つの影は横たわる男のポケットというポケットを探っていた。そして、携帯電話を探し当てた。

 「調べてみろ。」

 それを見せられた影が命令した。

 それに従い、携帯電話の通話履歴やメールの発信履歴が調べられた。

 「ついさっき、メールをひとつ発信している。」

 「だれにだ。」

 「瀬上明(せのうえあきら)とある。」

 影が持つ携帯の液晶画面にはっきりと文字が表示されていた。

 “バレた、逃げろ”と。

 「よし、お前は後始末をしろ。俺たちはその男を追う。」

 携帯を受け取ると二つの影は音もなく消え、残ったひとりは横たわる男を肩に担ぎあげるとこれも音もなく消えた。


 瀬上明はアパートの自室で逃げ出す準備に追われていた。

 つい先ほど届いたメール。

 協力者があのようなメールを送ってくるのは初めてである。それゆえに危険な予感がした。

 最小限持ち出す物をリュックに入れ、それを背負うと、瀬上は部屋を出ようと玄関のドアノブに手をかけた。

 そのとき、外から階段の軋む音がかすかにした。

 瀬上の背筋に危険を知らせる冷たいものが流れた。

 玄関から離れ、反対側の窓に移動する。

 ガラスサッシをあけると外は闇の世界だ。

 街灯は遠く離れ、二階である瀬上の部屋からは灯りらしいものは見えない。

 窓を跨いだとき、玄関のドアノブを廻す音がした。

 瀬上は窓から外へ飛び降りた。

 地面に降りた衝撃を全身で感じながら、急いで駆け出した時、目の前に黒い大きな影が立ちはだかった。

 とっさにリュックに手をかけ、腕から抜くと、それを振り回した。

 影がその攻撃に怯んだ隙に、瀬上は影の脇を通り過ぎ、捕まえようとする影に向ってリュックを投げつけた。

 リュックは見事に影の顔の部分に当たり、その動きを止めると、瀬上は全力で闇の路地へ駆けて行った。

 影もその後を追ったが、路地に出たところで、自転車で走り去る瀬上の後姿を見とめ、追うのをやめた。そこへもう一人の影が駆け寄ってきた。

 「どうした。逃げられたのか?」

 「自転車を用意していたようだ。あっという間に逃げていった。」

 「やつの立ち寄りそうな所をしらみつぶしに当るんだ。皆に伝えろ。」

 「了解した。」

 暗闇の中で二つの影がそうやり取りすると、あっという間に消えていった。


 そのころ、奈美は店のカウンターで小さな箱を(もてあそ)んでいた。

 「ねえ、リエちゃん、それなに?」

 隣にいた若いアルバイトの()が、少し酔った様子で奈美に話かけた。

 店の中はちょうど客が引けたところで誰もいない。カウンターの中ではママが後片付けに追われていた。

 「これ?」

 奈美はその小さな箱を目の高さに持ち上げて、若い娘に見せた。

 「きれいな箱ね。」

 「寄木細工っていうのよ。」

 「寄木細工?」

 「箱根の伝統工芸品でけっこう有名なのよ。」

 奈美は微笑みながら女の子に説明した。

 「買ったの?」

 「ううん、プレゼント。」

 「へえ、だれから?」

 女の子の問いに奈美は笑顔を見せるだけで答えなかった。

 「瀬上ちゃんからのプレゼントよね。」

 ママがカウンター越しに奈美のかわりに答えた。

 「へえ、いいなあ。ルナもプレゼントくれる彼氏ほしい。」

 ルナと自ら名乗った女の子は、奈美の小さな小箱を羨ましそうに眺めながらため息をついた。

 「そんなんじゃあないのよ。」

 奈美は、笑いながら瀬上のことを否定して、小箱をカウンターに置いた。それをルナが取り上げ、軽く振ってみた。

 「なにか入っている。」

 「なにが入っているの?」

 ルナの言葉を継いでママが奈美に聞いた。

 「知らない。開け方がわからないから。」

 「え、開かないの、この箱。」

 ルナは驚いた顔をして箱をしげしげと眺めた。

 「そう、それ秘密箱といって開け方にからくりがあるのよ。それ、知らないから中身が何かわからないの。」

 そう言って奈美は、ルナから小箱を受け取ると苦笑いをした。

 「開け方の書いた紙とか、瀬上ちゃん、くれなかったの?」

 ママもあきれたような顔をして奈美に尋ねた。奈美はそれに首を横にふって答えた。

 「瀬上ちゃん、肝心なところが抜けてるのよね。」

 「そのリエちゃんの彼氏から連絡は?」

 その言葉に奈美は軽くルナを睨んだ。

 「ここんところないわ。」

 「そう言えば最近、顔も見せないわね。」

 「ネタでも追っかけてるんじゃあない。」

 興味なさそうな顔をして奈美はカウンターに頬杖をついた。

 「そうだ。ママ、この間言ってたように明日からお休みいただきますね。」

 奈美はママに向ってすまなそうな顔で言った。

 「わかってるわ。でも、3日でいいの?」

 「ええ、用事をすませたらすぐ帰ってきますから。」

 「あれ、リエちゃん、どっかへ行くの?」

 ルナが目を丸くしながら奈美に聞いた。

 「ちょっと用事でね。北海道まで。」

 奈美はカウンターの中に入るとママの手伝いを始めた。

 「いいなあ。ねえねえ、彼氏と?」

 ルナが好奇心丸出しで尋ねた。

 「ばかね。リエちゃんはお兄さんの命日で行くのよ。当然、一人よ。」

 ママが怒ったように言うと、ルナは舌を出してテーブルを片付け始めた。それを見て奈美が笑った。

 「今日はもう店じまいしましょう。リエちゃん、看板しまってくれる。」

 「はい。」

 奈美は言われるまま外に出て、看板のコンセントを抜いた。そのとき、こちらに向けられる視線を感じた。

 奈美の目がその方向に動いた。

 路地の奥の方で物陰に隠れる人影を捕らえた。

 (見張り?)

 疑惑を持ったまま奈美は看板を店の中に入れた。

          2

 「じゃあ、あとお願いね。」

 「リエちゃん、バイバイ。」

 ママとルナが店から出ていくと奈美は店の電気を消し、ドアに鍵をかけた。そして、裏口から外に出るとそのカギを閉め、二階の自分の部屋に通じる鉄製の階段に足をかけた。

 そのとき、後方で物音がした。

 奈美が警戒の姿勢をとったとき、闇の中から男がゆっくりと現れた。

 歓楽街から漏れる灯りに照らされたその姿は、瀬上明であった。

 その姿にホッとすると、奈美は警戒心を解いた。

 「瀬上さん、どうしたの?」

 瀬上の姿は明らかにいつものものとは違っていた。目は血走り、着ているヤッケは薄汚れ、普段の明るい表情はどこにもなかった。

 「リエちゃん、かくまってくれないか?」

 「かくまう?誰かに追われているの?」

 その時、奈美の脳裏に先ほど店を見張っていた人影が浮かんだ。そしてそれは今、間近に迫っている危機を予感させた。

 「とにかく、部屋に入って。」

 そう言うと、瀬上を促して、二階にある自分の部屋に上がっていった。

 それに呼応するように、二人の男が路地の闇の中から現れた。

 「お前は表で見張っていろ。」

 一人にそう言うと、もう一人は奈美たちが上がっていった階段の下に近づいた。


 部屋に入ると、奈美は瀬上に着ているヤッケを脱ぐように言った。

 「どうするんだ。」

 疑問に思う瀬上を尻目に、奈美はその場で着ていた物を脱ぎ、手近にあったジーパンを履いて、瀬上の脱いだヤッケを着た。

 大胆な行動に戸惑う瀬上の手を引くと、玄関近くのトイレに瀬上を押し込んだ。

 「いい、ここでじっとしていて。そして、誰もいなくなったらここから抜け出して逃げて。」

 「誰もいなくなったらって、誰か来るのか?」

 「あなたを追っている人よ。」

 「え!?」

 その時、階段を何者かが上がる音が微かにした。

 二人に緊張が走る。

 「私が追っ手をひきつける。その間に逃げて。そして、ここを尋ねて。」

 そう言うと奈美はポケットからレシートを取り出し、その裏に名前と住所とある記号を殴り書きした。そして、それを瀬上に握らせるとトイレのドアを閉めた。

 ちょうどそのとき、ドアをノックする音が聞こえた。

 奈美はドアに鍵をかけると、置いてあるスニーカーを持って、すぐに窓へ駆け寄った。

 ドアノブを激しく回す音がする。

 背中でその音を聞きながらスニーカーを履くと、ためらいもせず奈美は二階の窓から下へ飛び降りた。

 多くの看板が消えて、暗闇が支配し始めた路地に降り立った奈美は、脇目もふらず裏通りへ向かって駆けて行った。

 「窓から逃げたぞ!」

 そう叫びながら男が一人追ってくる。

 その後ろから声を聞きつけた仲間が路地に出てきた。

 「逃がすな!」

 怒鳴りながらもう一人も後を追い始めた。

 

 トイレの中で息を殺して潜んでいた瀬上は、外が静かになったことを確かめると、そっとドアを開けた。

 開け放たれた窓から夜の空気とともに、歓楽街の喧騒が流れ込み、それ以外の音は何もなかった。

 玄関の鍵を開け、ドアを細目に開けると、外の様子をしばらく眺めた。

 追手は、奈美を自分と勘違いして追っていったようだ。

 人の気配もないことを確かめると、瀬上は急いで部屋を出た。そのまま階段を下りると、まだ灯りが瞬く歓楽街のメインストリートに向かった。

 ポケットに手を突っ込んだとき、奈美に渡されたレシートが指に触れた。

 それを取り出すと、そこには“剣持”という名前が書かれてあった。

 (リエ、すまない)と心で謝りながら、瀬上はメインストリートを駅に向って歩き出した。


 奈美は追跡者をできるだけ引きつけるために、裏路地をあちこち駆け回った。

 二人の男も執拗に奈美を追いかけてくる。

 十数分、追いかけっこを続けた三人は、奈美が行き止まりの路地にはいったことで終わりを迎えた。

 行き止まりで立ち往生する奈美に、二人の男が近づいてくる。

 「もう逃げられんぞ。」

 まだ、奈美を瀬上と勘違いしているようだ。

 一人が奈美の肩に手をかけた。

 二人に背を向けている奈美を力任せに振り向かせる。

 「こいつ、違うぞ。」

 一人が上ずった声で叫んだ。

 「なに!?」

 かぶっていたフードをめくると、その下から現れたのは奈美の美しい顔であった。

 「おんな…」

 「痛いじゃあないの。離してよ。」

 奈美は男の手を肩から振り払おうとしたが、男は更に両手で肩を掴み、顔を近づけた。

 「女、やつはどうした?」

 「間抜けなことを聞くのね。とっくに逃げたわよ。」

 バカにしたような笑いを見せた奈美に男の平手打ちが飛んだ。

 乾いた音とともに奈美の体が地面に倒れる。

 「よせ。俺は店に戻ってみる。お前はこの女を連れて、男の居場所を吐かせろ。」

 そう言い残して男は急いで元来た道を駆けていった。

 残された男は、地面にまだうずくまっている奈美を見下ろし、そのそばに近寄った。

 「さあ、立てよ。」

 そう言いながら奈美の腕に手をかけた。

 引き上げられるまま立ち上がった奈美は、男に背中を見せ、殴られた頬を手で押さえながら俯いていた。その姿が男に隙を生ませた。

 「いっしょに来るんだ。」

 そう言いながら視線が奈美から外れた時、奈美の肘がすばやく男の鳩尾に喰い込んだ。

 「グッ」

 男の呼吸が止まり、前かがみになったとき、奈美の手刀がその首筋に打ち込まれた。

 男は白目を剥いて地面に倒れた。

 倒れた男を尻目に、奈美も元来た道を駆けていった。

 店の前に到着した奈美は、すぐに裏手の自分の部屋に上がる階段の前に移動し、様子を伺った。

 人の気配はない。

 瀬上がいないことを知って、その辺を探しに行ったのだろう。

 奈美は階段を駆け上がり、自分の部屋のドアを静かに開けた。

 中も人の気配はなかった。

 奈美は服を着替え、必要最小の荷物をバックに詰めた。そのとき、なにげなく瀬上からもらった寄木細工もバックに入れた。

 部屋から出て、下に下りると、店の裏口を開けて中に入り、カウンターの上にメモを置いた。

 『お世話になりました。』

 メモにはそう書かれてあった。

 (ママ、本当にごめんなさい。)

 心の中で謝ると、奈美は裏口から出て、ドアに鍵をかけた。

          3

 その二日ほど前、鷹堂麻里江と朱雀美樹は東京にいた。

 幸徳井景明に呼ばれたためであった。

 目黒にある彼の屋敷に上がった二人は、十二畳ほどの客間に通され、景明が来るのを待った。

 「なんの用だろうね。」

 美樹が麻里江にそっとささやく。

 「なにか掴んだのかもしれないわ。」

 麻里江もそっとささやき返した。

 そのとき、障子の隙間から細く小さな生き物が、滑り込むように客間に入ってきた。それはまっすぐ美樹の膝の上に走り乗った。

 「ユキじゃあない。」

 管狐(くだきつね)のユキが、その大きな目を美樹に向けて、小さく鳴いた。

 美樹はその頭を軽く撫でながら、ユキを抱え上げた。ユキは美樹の手をするりと抜け、肩に乗っかって美樹の頬にその体を摺り寄せた。

 「きゃぁ、くすぐったい。」

 「どうしたの?ユキ。」

 麻里江も、美樹の肩でじゃれているユキの頭をなでながら、やさしく問いかけた。

 そのとき障子が開き、景明が黒の(つむぎ)に総髪姿で現れた。

 「またせたね。」

 「ごぶさたしています。」

 二人は笑顔の景明に向って深々と頭を下げた。それに驚いて、ユキが美樹の肩からテーブルの上に飛び乗った。

 それを気にせず、景明は二人の向い側に座った。

 「わざわざ来てもらってすまなかったな。」

 「私たちを呼ばれたのは、何か掴めたからですか?」

 麻里江は自身の疑問を素直に口にした。それに対して軽くうなずいた景明は、懐からあるものを取り出し、テーブルの上に置いた。

 ICレコーダーである。

 「これは?」

 「翔がユキを使って届けてくれたものだ。」

 「翔が…」

 麻里江はICレコーダーをじっと見つめ、美樹はユキのきょとんとした顔を見つめた。

 「とりあえず中味を聞いてくれ。」

 そう言って景明はICレコーダーの再生スイッチを入れた。

 雑音のあと、翔と早瀬のやり取りが聞こえてきた。それを二人はじっと聞き入り、景明は目をつぶって沈黙を続けた。

 やがて何かの衝撃音がしてそこで録音は切れていた。

 景明は停止スイッチを押すと、あらためて二人に視線を向けた。

 「聞いた通りだ。これと、それからこの札をユキに託して、翔の消息は途絶えた。」

 そう言って景明は一枚の札をテーブルの上に置いた。

 二人がそろって見た札には、『エニシ=アリ4=オオモト』と書かれてあった。いまは黒ずんだ文字になっているが、血のりで書かれたことは二人には察しがついた。

 「翔の行方はいまだに…?」

 麻里江の問いに景明は首を横に振って答えた。

 三人官女の一人が行方不明という事実は、二人に暗い影を落とした。

 しばらくの沈黙のあと、美樹が口を開いた。

 「これ、どういう意味だろうね。」

 翔の残した手掛かりのメモを取り上げて、美樹はしげしげと眺めた。

 「録音の中身からエニシはえにしの会のことでしょうね。アリ4というのは何かしら?」

 「アリ4はたぶんアリエス4のことだろう。」

 景明が不意に答えた。

 「アリエス4?」

 「いま、人気上昇中のアイドルユニットだよ。」

 芸能界に疎い麻里江に向って美樹が解説すると、麻里江は大きくうなずいた。

 「そのアリエス4のリーダーが、えにしの会の教祖というわけね。」

 麻里江は考え込むようにつぶやいた。

 「そのえにしの会が、芸能プロダクションを使って売春をやらせているってことか。オオモトはそういう意味なんだろうね。」

 「目的はなにかしら?」

 「目的って金儲けだろ。」

 「それはどうかしら?」

 麻里江は顎に手を当てて思案顔になった。

 「だって録音にあるように、政治家や財界人を虜にして会館やモニュメントの建設を推進させているわけだろう。自分たちの勢力を拡大して、金儲けにつなげようってことじゃあないの。」

 美樹は自分の分析に満足したのか、少し鼻高の表情を見せた。しかし、麻里江は美樹の言葉に同意する様子を見せず、ますます思案顔になった。

 「例の紋様のことが気になるわ。えにしの会、紋様、売春組織、皆がみな絡んでいる。」

 難しい顔のまま、麻里江は自分の爪を噛み始めた。それを見て美樹も難しい顔になった。

 「それに魔霊院の言っていた“サキョサマ”。それがえにしの会の教祖、篠神左京を差すとすると、鬼龍一族ともつながっていることになる。」

 三人の間で空気が重くなった。ただ、一匹、管狐のユキだけがのんきに毛繕いをしていた。

 景明も腕を組んだまま沈黙を守っていたが、突然、麻里江に向って口を開いた。

 「麻里江も蓮堂に命じられて、えにしの会のことを調べていたのだろう。」

 景明の問いに、麻里江は顔をあげて景明を見た。

 「はい、えにしの会が建設した会館やモニュメントに、例の紋様がないか調べていたのですが、なかなか思うようにいかなくて。」

 「ガードが堅いということだね。」

 美樹が、麻里江の答えに首を縦に振りながら、腕を組んだ。それを苦笑いしながら横目で見た麻里江は、もう一度、景明へ向き直った。

 「翔は他にもなにか掴んでいたのでしょうか?」

 「翔もなかなか掴めず苦労していたようだ。ただ…」

 「ただ?」

 麻里江と美樹の視線が景明の口元に集中した。

 「潜入先で協力者ができたという報告を受けた。」

 「協力者?」

 思わぬ言葉に二人は顔を見合わせた。

 「だれなんですか?」

 麻里江が身を乗り出して聞いた。

 「伊達霧子という女性だそうだ。」

 「何者なんだい。」

 美樹も同様に身を乗り出して聞いた。

 「どうやら特捜局の人間で、麻薬関連を調べていたようだ。」

 「特捜局?」

 予想外の情報に、麻里江も美樹も戸惑った様子を見せた。

 「なんとかその、伊達霧子という人に接触できないかしら。」

 「難しいんじゃあない?お国の組織に知り合いなんていないもん。」

 「いや、なんとかなるかもしれん。」

 景明の突然の助け舟に、二人の表情が一変した。

 「特捜局の剣持という者に伝手がある。紹介状を書いてやろう。」

 「本当ですか?」

 「ただ、あまり期待はするな。」

 景明は、期待を大きく膨らませている二人を、たしなめるように言った。

 「わかってます。今はどんなことでも情報がほしいんです。」

 麻里江は、藁をもすがる思いを顔に表しながら、頭を下げた。

 「じゃあ、しばらく待っていなさい。」

 そう言って景明は座敷から退出した。


 しばらくして景明が戻ってきた。

 二人の前に座ると、懐から一通の白い封筒を取り出した。

 「紹介状だ。持っていきなさい。表に剣持さんの住所が書いてある。」

 「ありがとうございます。」

 麻里江は白封筒を受け取ると、持ってきたポシェットに入れた。

 「あと、もうひとつお願いがあるんですけど。」

 用も済み、麻里江が立ち上がろうとしたとき、美樹がおずおずと口を開いた。

 「なんだね。」

 「ユキを連れて行っていいですか?」

 美樹の予想外の願いに、少しびっくりした表情を見せた景明は、すぐに笑顔を見せて軽くうなずいた。

 「いいだろう。翔の分もかわいがってくれ。」

 「ありがとうございます。」

 景明の許しに美樹は明るい笑顔を見せて、テーブルの上のユキを抱き上げた。

 「さ、いっしょにいこう。」

 二人は立ち上がると、もう一度、景明に向って頭を下げ、座敷を出ていった。

 「たのむぞ。」

 一人残った景明は、二人が出ていった障子を見つめながら、ぽつんとつぶやいた。

          4

 翌日、麻里江と美樹は景明の紹介状を携えて、剣持の屋敷を訪れた。紹介状の効力は大きく、二人はすんなりと剣持の前に案内された。

 「良く来ましたね。どうぞ、お坐りください。」

 剣持に勧められるまま、二人は部屋の中央にあるソファに座り、剣持はその向かい側に対面するように座った。

 「幸徳井さんには、以前、お世話になったことがありましてね。ところで伊達霧子君に会いたいとか。」

 「はい、私たちの仲間の翔…、火鳥翔の消息を知りたくて。翔と協力関係にあったという、伊達霧子さんにお聞きすれば、なにかわかるかと思い尋ねてまいりました。」

 麻里江は剣持の顔をまっすぐ見つめながら懇願した。

 「そうですか。」

 麻里江の話に納得したようにうなずく剣持を見て、麻里江と美樹は希望の色を見せた。

 「会えますか?」

  それに対して剣持は難しい顔を見せた。

 「ミス霧子は、実はわれわれの所属ではなく、アメリカのFBIの捜査官なのです。」

 「FBI?」

 「そう、失踪者の捜索と保護のために来日し、われわれに協力を求めてきたのです。」

 「では、いまは?」

 麻里江たちの顔色が希望から不安に変わった。

 「失踪者の捜索も終わり、帰国したはずです。」

 剣持の返答に美樹は落胆の色を見せた。しかし、麻里江は剣持の言い方にひっかかるものを感じた。

 「いま、はずですと言いましたね。」

 麻里江が剣持の目を鋭く見つめた。

 「なにか?」

 麻里江の鋭い眼差しにも剣持の表情は変わらない。

 すずしい笑顔を見せているだけである。

 「伊達さんが帰国なさったことを確認していないのですか?」

 その言葉に剣持の眉毛が少し上がった。

 「空港に見送りにいきましたよ。」

 「飛行機に搭乗するところまで?」

 「いえ、搭乗ロビーで別れました。なにやら尋問されているみたいですね。」

 剣持の皮肉ともとれる笑いに、麻里江は頭を下げた。

 「申し訳ありません。ただ、剣持さんが伊達さんの帰国を信じてないように見受けましたので。」

 「ほう、なぜですか?」

 剣持は好奇心を満たした目で麻里江をまっすぐ見つめた。

 「剣持さんのような方なら、“はずです”なんて曖昧な言い方はしないと思いまして。」

 「私の性格まで見抜いていらっしゃるようですね。すばらしい洞察力だ。」

 剣持の褒め言葉に麻里江は頬を赤らめた。

 美樹はただぽかんと二人の会話を聞いていた。

 「確かに私は伊達君の帰国を信じていません。たぶん、まだ日本にいると思っています。」

 「やはり。それでその所在はわかりませんか?」

 剣持の言葉を受けて、麻里江は身を乗り出すようにして剣持に尋ねた。しかし、麻里江の問いに剣持は首を横に振った。

 「残念ながらそこまではわかりません。ただ…」

 「ただ?」

 麻里江と美樹は剣持の次の言葉を待った。しかし、剣持は続く言葉を飲み込んでしまった。

 「いや、無駄足を踏むかもしれませんね。」

 そう言って剣持は両手を組み、目線を足元に落とした。

 「お願いです。少しでも手掛かりがほしいんです。」

 麻里江は剣持に食い下がった。

 「なぜ、そこまで伊達君の消息が知りたいのですか?」

 「それは先ほども言ったように翔の消息を知りたいために。」

 「それだけですか?」

 麻里江の目をまっすぐ見つめる剣持の眼差しに、麻里江の表情に動揺が生まれた。

 「剣持さんには隠せませんね。」

 麻里江はにっこりと笑った。

 「私たちはえにしの会のことを探っています。」

 「えにしの会?」

 その名前には聞き覚えがあった。確か霧子も同じようなことを言っていたことを思い出したのだ。

 「それが何かをたくらんでいるのです。」

 「たくらんでいる?何をですか?」

 「それはまだわかりません。ただ、そのために何人かの犠牲者が出ているのは確かです。」

 「犠牲者?」

 聞きづてならない麻里江の発言に、剣持は戸惑った。

 「麻里江、いいのかい。そんなことしゃべって。」

 美樹が横から心配そうに麻里江の袖を引っ張った。

 「大丈夫。剣持さんは信用できる方だから。」

 麻里江は真剣な顔で剣持の顔をまっすぐ見つめた。それに対して剣持は思わず笑顔を浮かべた。

 「ずいぶんと高い評価をもらったようですね。」

 そう言いながら懐に手を入れ、手帳を取り出すと、一緒に取り出したボールペンで手帳の空白のページに何かを書きはじめた。そして、そのページを破ると二人の前に差し出した。

 そこには住所と日付が書いてあった。

 「私の勘にすぎないが、もしかすると霧子君はそこに行ったのかもしれない。」

 「ここはどこですか?」

 「霊園だよ。」

 「霊園?」

 意外な場所に二人は顔を見合わせた。

 「この日付は?」

 「その日でないといけない理由が霧子君にはあるんだ。」

 「?」

 二人にはますます剣持の言っている意味がわからなくなった。

 「さっきも言った通り、これは私の勘だ。無駄足になるかもしれない。」

 「けっこうです。剣持さんの勘を信じてみます。」

 そう言って麻里江はそのメモをポケットに入れた。

 「あと、伊達霧子さんのお写真はありませんか?」

 「写真か…」

 剣持は難しい顔になった。

 「ありませんか…」

 剣持の様子に麻里江はあきらめ顔になった。

 「ちょっと待ってくれ。」

 そう言うと、剣持は後ろにある自分のデスクに移動し、引き出しの一つを開けた。少し探した後、一枚の紙片を見つけて、それを持ったままソファにもどった。

 「これを持っていくといい。」

 テーブルに置かれたのは身分証で使われるような写真であった。

 霧子の顔の部分がはっきり写っている。

 「ミス霧子の身分証を作るときに使ったものだ。小さくて申し訳ないが。」

 「いいえ、助かります。」

 それを取り上げた麻里江は、霧子の顔を目に焼き付けるようにじっと見つめた。その横から美樹も写真をのぞきこんだ。

 それもポケットに入れると麻里江は剣持に向ってニッコリ笑った。

 「いろいろありがとうございました。」

 麻里江は立ち上がると深々と頭を下げた。つられて美樹も座ったまま頭を下げた。

 「ところで君たち、アルフィスエンタープライズの名前を聞いたことは?」

 立ち去ろうとした麻里江たちに剣持は不意にそんな言葉を投げかけた。それに反応して二人は振り返った。

 「アルフィスエンタープライズ?」

 「いいえ、ありません。」

 二人が同じ反応を見せたのを見て、剣持は少々がっかりした表情になった。

 「その名前になにか…?」

 「いや、知らなければいいんだ。霧子君に会えるといいな。」

 「では、失礼します。」

 剣持の最後の言葉に引っ掛かるものを感じながら、二人は再度、頭を下げるとそのままの部屋から出ていった。ひとりに残った剣持はポケットから煙草を取り出し、それに火をつけた。

 中空に吐き出す煙を目で追いながら、剣持は不思議な運命を感じていた。

          5

 麻里江と美樹が探している相手、伊達霧子はその頃、飛行機の中にいた。

 剣持の予想通り、霧子はアメリカに帰国せず、そのまま日本に残り、自分の本当の目的のために北海道に向っていた。

 本当の目的、それは一条奈美に接触し、アーマノイドの秘密を探り出すこと。できれば本国アメリカに連れて帰ることである。

 そのためにグラス博士の捜索を隠れ蓑に特捜局、そして剣持に接近した。予想外の事の成り行きに横道にそれてしまったが、剣持の持つ資料から必要な情報は仕入れていた。

 ただ、奈美の所在だけは掴めなかった。

 それは剣持も知らないようであった。

 手掛かりは切れたかに思えたが、ある情報が霧子の勘を刺激した。

 いまはそれにかけるしかない。

 そう思っているとき、目の前のシートベルト着用サインが「ポーン」という音ともに点灯した。

 もうすぐ新千歳空港に着陸する。

 霧子はシートベルトを締め、窓の外へ目を向けた。

 雲の切れ間に北海道の大地が見える。そのどこかに一条奈美がいる。

 霧子の勘がそう教えていた。


 新千歳に着いた霧子は、空港ロビーから外に出ると、まっすぐタクシー乗り場に向おうとした。

目指すのは奈美の兄、亘が眠る霊園である。

剣持の資料から明後日が亘の命日であることを知った。二人は仲のいい兄妹であることもわかった。さすれば必ず墓参りにくると読んだ霧子であった。

「兄妹か…」

ため息まじりにふと出た言葉に霧子は少し驚いた。

自分は天涯孤独。肉親の情など当の昔に捨て去ったと思っていた。しかし、生まれ故郷でもあるこの日本に来てから、妙に感傷的になっていることに、霧子はとまどっていた。

「私も人の子ということ…」

思わず霧子は自嘲した。

そんな霧子に近づく男がいた。ラテン系の顔に顎髭を生やした男で、馴れ馴れしい笑顔で寄ってくる。

自然、霧子の中に警戒心が頭をもたげる。

「こんにちは」

流暢な日本語だ。

「どちらさまだったかしら?」

「ビッグハウスから来ました。」

 その言葉に霧子の警戒心が少し緩んだ。

 「パパは元気かしら?」

 「お父様は機嫌を悪くしておりますよ。」

 「そう、今度の月曜日にご機嫌を伺いに行くわ。」

 「火曜日の方がよろしいかと思いますよ。」

 このやりとりで霧子の中の警戒心は完全に払拭された。

 「ミヒャエルの手配?」

 その名前に髭の男はニヤリと笑った。

 「いえ、長官からの指示です。」

 「そう。」

 その言葉に霧子の表情が少し硬くなった。

 「車を用意してます。こちらへどうぞ。…あ、荷物持ちましょう。」

 顎髭の男は霧子の傍らにあるスーツケースを手に取ると、さっさと駐車場の方へ向かって歩き始めた。

 霧子は黙ったまま男の後に続いた。


 駐車場には様々の車が止まっており、男は迷うことなくその中の一台に近づいた。

 「BMWね。タクシーを使わずに済んで助かったわ。」

 男がスーツケースをトランクに積んでいる間に、霧子は後部座席に乗り込んだ。スーツケースを積み終えた男は、運転席に乗り込み、後ろを振り向くと右手を差し出した。

 「改めまして。フェルナンドといいます。」

 「よろしくね。フェルナンド。」

 霧子は笑顔で答えたが、フェルナンドの差し出した右手は握ろうとしなかった。

 フェルナンドは右手を苦笑とともに引っ込め、前を向くとエンジンキーを廻した。BMWは重いエンジン音を響かせて、空港の駐車場を後にした。

 

 BMWは空港近くのインターチェンジから高速にのり、南西に車を走らせた。

 「目的の場所はわかったの?」

 しばらくして霧子が、運転席に顔を近づけるように前のめりになりながら、聞いた。

 「はい、函館の郊外にある市民霊園です。近くにちょうど、ワンルームマンションがあって、そこの一室を借りました。」

 フェルナンドは前を見ながら答えた。

 「手回しがいいのね。助かるわ。」

 霧子は後部座席に背中を預けると、遠くまで広がる北海道の風景に目をやった。

 「一条奈美が現れた様子はある?」

 「いまのところありません。」

 「そう…」

 フェルナンドの返答にぽつりと返した後、霧子は口を閉ざし、黙って流れていく風景を眺めた。


 高速と一般道を乗り継いで約4時間後、BMWは目的地に着いた。すでに日は山の奥に沈み、周りには夜の帳が降りている。

 目の前に洒落たワンルームマンションが建っていた。

 フェルナンドに案内されて部屋に入った霧子は、部屋の中を一目した。ベットとテーブルだけの簡素な部屋だ。

 「一応、最低限のものは揃えておきました。」

 フェルナンドの言葉を背中で聞きながら、霧子は部屋の中を一通り点検した。それを見て、フェルナンドは呆れたようなしぐさをした。

 「盗聴器なんかないですよ。セニョリータ。」

 「ふふ、ごめんなさい。癖になってて。」

 フェルナンドに魅惑的な笑顔を送ると、霧子は彼からスーツケースを受け取り、ベットの上に置いた。

 「あと、これはビックハウスからのプレゼントです。」

 そう言って、フェルナンドは手提げ袋を差し出した。

 「なに?」

 中をのぞくとレトルト食品とカップラーメン、そして黒く小さな箱があった。

 「これは?」

 小さな箱を取り上げると目の高さにかざした。

 「小型の監視カメラです。ずっとあそこで見張るのはつらいと思って。」

 「ありがとう。助かるわ。」

 「じゃあ、私はこれで。これ、部屋の鍵。」

 そう言って、フェルナンドは部屋の鍵をキッチンの上に置いた。

 「あと、車も置いてってくれる。」

 霧子は右手を差し出しながら当たり前のように言った。しかし、フェルナンドはその言葉に目を丸くした。

 「え、私はどうやって帰ればいいんですか?」

 「バスとかタクシーとかあるでしょ。」

 冷たい言い方に反論は無駄だと悟ったフェルナンドは、ポケットからBMWのキーを取り出し、ため息まじりに放り投げた。

 「ありがとう。」

 キーを受け取ると霧子の笑顔が返ってきた。

 再び呆れたしぐさをしたフェルナンドは、頭を振りながら部屋を出ていった。

 一人になった霧子は、玄関に鍵をかけ、ベットに戻って腰かけると、置いてあったスーツケースを開けた。

 中からノートパソコンを取り出すと、膝に乗せたまま蓋を開け、スイッチを入れた。パソコンが起動するとキーボードをいくつか押して、画面に画像を表示させる。

 それは長身の青年といっしょに写っている制服姿の奈美の姿であった。

 それを見て霧子の口の端が吊り上った。

 「もうすぐ会えるわね。奈美さん。」

 そうつぶやきながらパソコンの蓋を閉じようとしたとき、霧子の視界に一緒に写っている青年の姿が入った。

 途端に霧子の目が寂しげになる。

 パソコンを膝から布団の上に置くと、霧子はスーツケースの中から一枚の写真を取り出した。

 少年と少女が写っている古い写真だ。

 「兄さん…」

 霧子は写真に語りかけるようにそっと呟いた。

          6

 「ほら、起きて。もうすぐ着くわよ。」

 麻里江は上の段に寝ている美樹を揺り起した。

 「え、もぉう?もう少し寝かせてよ。」

 美樹は寝返りを打ちながら、布団を頭までひっぱった。

 「もう、子供じゃあないんだから。いいかげんにしなさいよ。」

 その布団を麻里江は無理やり引きはがした。

 「ふぁ~、眠い。おはよう、麻里江。列車が揺れて良く寝られなかったよ。」

 眠そうな目をこすりながら美樹は大きな欠伸(あくび)をした。

 「イビキかいて寝てたくせに、良く言うわよ。」

 「ひどいな。乙女心を傷つけるようなことを言わないでよ。」

 美樹は麻里江にふくれっ面を見せた。その膝元には管狐のユキが同じように欠伸をしていた。

 「早く着替えて顔を洗ってらっしゃい。置いてっちゃうわよ。」

 麻里江はすでに着替えも終わり、降りる支度をしていた。美樹は梯子を降りながら麻里江の背中に向って舌を出した。

 不意に麻里江が振り返り、美樹は慌てて舌を引っ込めた。

 「どうしたの?」

 「ううん、何でもない。顔洗ってこようっと。」

 素知らぬ顔をしたまま、洗面道具を持って美樹は部屋を出ていった。


 寝台列車は定刻通り函館駅に到着した。

 ふたりは、朝の光をたっぷり受けたホームに降り立ち、はじめての土地に多少興奮を覚えた。

 「さ、早くいくわよ。」

 「あ、待って。麻里江。」

 美樹は、先に歩いて行く麻里江に追いつこうと駆け出した時、横を歩く女性と接触した。

 その拍子に美樹の持っていたバックがホームに転がる。

 「すみません。」

 「大丈夫ですか?」

 黒髪の女性はすぐに美樹のバックを拾い上げ、笑顔といっしょに差し出した。

 「ありがとうございます。」

 美樹は頭を下げながら、差し出されたバックを受け取った。

 美樹が頭を上げた時には、黒髪の女性はエスカレーターに乗ろうとしていた。

 麻里江は、美樹がついてこないことに気付いて、すぐに駆け戻ってきた。

 「どうしたの?」

 「ううん、なんでもない。」

 美樹の脳裏に黒髪の女性の印象的な美しさが残った。

 それが奈美であることを美樹は知る由もない。

 「早くホテルにチェックインしましょ。」

 麻里江と美樹は改札口を目指してエスカレーターへ向かった。

 

 改札口を出た二人は、景明が用意してくれたホテルに向うため、タクシー乗り場へ急いだ。

 その後をつける男がいる。

 男は、歩きながら携帯を取り出し、ある番号を押した。

 「あ、私です。例の二人を確認しました。いま後をつけています。たぶん、ホテルに行くのでしょう。はい、わかりました。」

 携帯を切ると、男もタクシー乗り場に向った。

 つけられているとは知らず、麻里江と美樹はタクシーに乗り込み、予約してあるホテルの名前を告げた。運転手(ドライバー)は軽くうなずくとギアを入れて、車が行き交う街中に滑り出した。

 10分ほどでタクシーは目的のホテルに到着し、二人は料金を払ってタクシーを降りた。

 「へえ、なかなかいいホテルじゃん。」

 美樹は品定めをするように8階建のホテルを見上げた。

 「いくわよ。」

 麻里江はさっさとホテルの中に入っていった。それを見て美樹も慌てて後を追った。

 その様子を遠くから眺めている男は、先ほど駅で二人をつけていた男だ。

 男はまたしても携帯を取り出し、あるところに電話をかけた。

 「いま、ホテルに入りました。はい、引き続いて見張ります。」

 そう答えて男は携帯を懐に入れて辺りを見渡した。

 向かい側に、ホテルを見張るのにちょうどよい喫茶店がある。男は迷わずそこへむかった。


 同じ日の昼近く、函館の空港に二人の男が降り立った。

 一人は黒の革ジャンに同じ黒の革パンツを履き、右目を眼帯で覆った男であり、今一人は紺の半袖のTシャツにジーンズ姿のサングラスの男であった。

 その様子はまわりに威圧感を与え、そのそばを通ろうとする者がいなくなるほどであった。

 しかし、そんな二人にあえて近づく男がいた。

 スーツ姿に眼鏡のサラリーマン風の男だ。

 「牙堂様と鳴神様ですね。」

 「おまえは?」

 牙堂が左目でその男をじろりと睨んだ。

 「函館支部から参りました。」

 男はうやうやしく頭を下げた。

 「そうか。」

 納得した表情をした牙堂は手にしたボストンバックを男に手渡した。

 「そちらさまのお荷物は?」

 ロビーの中のショップを眺めていた鳴神は、突然、呼びかけられたことに驚いた様子を見せ、顔を男に向けた。

 「おれはいい。」

 鳴神はぶっきらぼうに答えた。

 「そうですか。車を用意しております。どうぞ、こちらへ。」

 男は牙堂のボストンバックを持ったまま先頭を歩き始めた。牙堂と鳴神も素直にその後についていった。

 ロビーを出て駐車場に向った男は停めてあるエスティマに迷わず向った。

 「どうぞ。」

 スライドドアを開け、男は二人を促した。

 牙堂、鳴神と続いて乗車する間、男はリアドアを開けて、牙堂のボストンバックを入れた。そして、急いで運転席に乗ると後ろを振り返った。

 「改めまして。私は支部長からお二人のお世話をするように仰せつかった古林(ふるばやし)と言います。」

 軽く頭を下げる古林に対して二人は感心なさそうに生返事を返した。

 そんな二人の態度にいやな顔も見せず、古林は前を向くとエンジンキーを廻した。エスティマはゆっくり動きだし、空港駐車場を後にした。

 しばらく無言のドライブが続いたが、牙堂がポツッと口を開いた。

 「陰陽師の女の足取りは掴んでいるのか?」

 「ご心配なく。各支部の者が東京からずっと見張っていますから。いまは函館のホテルに到着したようです。」

 古林は前を見ながら棒読みのように答えた。

 「そうか。」

 「俺たちの宿泊先はどこだ?」

 鳴神が唐突に尋ねた。

 「支部の会館を使っていただきます。」

 「ホテルじゃあねえのか。」

 鳴神は不満そうな顔をして背もたれに体を預けた。

 「すみません。上の指示ですので。」

 古林は、自分には責任はないという体を見せながら、頭を下げた。

 そんなやり取りをしているうちに、エスティマは古い洋館風の建物の前に着いた。えにしの会の函館支部が入っている会館である。

 車を降りた二人は、古林に案内されるまま会館の中に入っていった。

          7

 時は少し遡り、そう奈美がスナックから姿を消した頃。

 富士の裾野にある今は営業を停止したゴルフ場。

 その一角にあるレストハウス。

 その地下の一室に無明が一人いた。

 照明は点いておらず、燭台のろうそくの火だけが唯一の灯りである。もっとも目の見えぬ無明にとって、照明は無用の長物ではあった。

 その暗闇の中で無明は奇妙なことをしていた。

 手にした小石を床にばらまき、そのばらまかれた形を手で触れて確認する。そして、小石を拾い集め、またばらまく。

 そんなことを数回繰り返したあと、無明の口が静かに開いた。

 「光が集まっている。」

 「それはどこだ?」

 突然、間近で問いかけられ、無明は弾かれるように顔をあげた。

 目の前に史郎がいる。

 自分に気配を感じさせず、いつの間にかそばに立っていた。

 「これは史郎様、お出ででしたか。」

 無明は上げた顔を下げながら取り繕うように言った。

 「無明に気付かれず近寄れるとは、私も腕を上げたか。それともお主が歳をとったか。」

 「お戯れを。」

 苦笑いをする無明の前に史郎はゆっくりと座った。

 「で、どんな卦が出た?」

 「ふぉふぉ、お聞きでしたか。」

 無明は急いで、手元にばらまかれた小石を拾い集めた。

 「隠すことはあるまい。私の見知った者のことが出たのであろう。」

 史郎の言葉に核心を突かれたのか、無明の手から小石がひとつ転がり落ちた。それを拾い上げた史郎は、その小石をしげしげと見つめた。

 「奈美が現れたか。」

 「北の地に。」

 無明は即座に答えた。

 「北の地?北海道か?」

 その問いに無明は静かにうなずいた。

 「そうか。北海道か。」

 史郎は立ち上がると暗闇に覆い隠された天井を見上げた。

 「そこに光が集まっております。」

 「光?この間から左京が言っている陰陽師の女どもか?」

 「それとは別の女子(おなご)も。」

 「さまざまの者が奈美の元に集うか。」

 そうつぶやくと史郎の口から押えた笑いが漏れた。

 無明は足元でそれを黙って聞いている。

 「では、私も行かねばならぬな。」

 その言葉に無明の顔が再度上がった。

 「会いに行かれるので?」

 「長い間、ほっておいたからな。会ってやらねばなるまい。」

 足元で自分を呆れ顔で見ている無明に小石を渡すと、史郎はそのまま歩を進め、闇の中に消えていった。

 また一人になった無明は、受け取った小石を手のひらで転がしながらため息をついた。

 そのとき、部屋のドアが開く音が無明の耳に届いた。

 闇に染まった部屋に四角い光が差し込んだ。

 「無明、史郎様の声が聞こえたようだけど。」

 光の中に左京が立っていた。

 「今しがた出て行かれました。」

 「どこへ行くと言っていました?」

 「それがしには何も…」

 「そう。」

 左京は光の中から闇の中にいる無明のそばに歩み寄った。

 「史郎様と何を話していたの?」

 無明の背後から左京は、静かながら威圧的に問いかけた。

 「計画の進捗状況についてです。左京様。」

 無明はゆっくりと体を廻すと、深々と頭を下げながら答えた。

 「それだけ?」

 口調は厳しいままだ。

 「それだけです。」

 受け流すように無明は再度答えた。

 「そう。」

 急に口調が柔らかくなると左京は踵を返し、入り口の方へ歩いて行った。ドアが静かに閉まり、再び闇が支配を始めた。

 その闇に閉じ込められた無明の口から言葉がこぼれた。

 「今一人、存じよりの者が動き出すか。」


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