無明の剣
いつもどおり歴史要素は添えただけです。
ごゆっくりご覧ください。
――伝書に曰く、「有路地より無路地をたどる狭間より神域に至る一太刀、これを無明剣といふ」――
清左衛門は筑前の街道を歩いていた。特に目的があるわけではないが仕官の口を探して九州から芸備まで渡ろうというのだ。
その道中、ある宿屋に草鞋を脱ぐことにした。懐があまり豊かではない身として相応な安宿だ。
「お客様は他にお一人いらっしゃいます」
大人数のすし詰めにされるのを覚悟していたが、今回は運がよかったらしい。
荷物を置き、飯でも炊こうかと薪をもらいにいくと、ばったりと別の客と鉢合わせした。
「これはどうも」
「いえ、こちらこそ」
ほんの一瞬だが清左衛門はその客に違和感を持った。
年の頃は17,8だろうか。若いにしてもひどく華奢にみえる。歩き方もどこか歩幅が小さい。
(女、か)
体格などから推測する。女の一人旅なら男装もわからなくはない。
それにしても供もなしとは無用心だと思うが、このご時世だ。
余人には察することのできない事情というものがあるのだろう。
翌朝
偶然にも出立は彼女と同時となった。彼女の後ろを清左衛門が追う形だ。
そんな彼らの前に3つの人影が立ちふさがった。
(追い剥ぎか)
これも特段珍しくはない。
どうするのか見守ることにすると、彼女は腰に差した脇差しを構えた。
(それなりにはやるようだが……)
立ち姿からそう推測する。
しかし、三対一はさすがに多勢に無勢だろう。
(袖振り合うも多少の縁か)
清左衛門は「助太刀致す」と言って女に駆けよった。
思わぬ援軍に女は困惑しているようだ。
男たちは同時に清左衛門と女に斬りかかる。
(こやつらも多少は遣うか)
清左衛門は右から斬りかかる相手の胴を薙ぎ、返す刀で左手の相手の背中を袈裟懸けに切り払う。
三人目は女に向かったようだが、どうにかこうにか女は凌いでいるようだった。が、やはり技量に開きがあるのか、彼女に相手を任せる訳にはいかない。急ぎ駆け寄り、心臓に向けひと突きに突き刺した。
あっという間に三人が倒された状況に女は呆気に取られている。
「怪我はないか」
清左衛門が呼び掛けるが女はすぐには反応できないようだ。
(さて、腰のものでも検めるか)
清左衛門は女を他所に男たちの財布や刀を調べ始めた。
財布はただの麻袋で、素性のわかりそうなものは一切入っていなかったが、腰のものは違った。
「豊州住人平長盛」
そう銘が刻んであったのだ
(高田物か、しかも銘ありとは)
清左衛門はこれがただの物取りではないのではないかと感じた
「某は中村清左衛門という。そこもと、名はなんと?」
清左衛門は女に尋ねた。
「……伊織」
女は名前だけを名乗った。
本名かそれとも自分が女だとばれていないと思っているのか、男とも女とも取れる名前だ。
「旅の行き先は?」
「周防へ」
清左衛門が問うと、伊織は短く答えた
「某も芸州へ向かう。周防なら途中だ。どうだろう? 旅は道連れというが」
「………」
清左衛門の提案に、伊織は悩んでいるようだった。
女である以外にもまだ秘密がありそうなのだ。あまり知らない人物と同行したくはないのだろう。
「護衛代わりにもなると思うが」
清左衛門は倒れている男たちに視線を向けながらいった。
「わかりました」
目の前の清左衛門の実績が決め手になったのか、伊織は同行を承諾した。
清左衛門と伊織の二人は道中なにかと互いに気を使いながらも、大きな問題もなく門司へと渡ることができた。
門司からはずっと船の旅だ。
そろそろ周防大島を抜け、いよいよ防府に着こうかというときにそれは起こった。
「か、海賊だ」
水夫の悲鳴があがる。
船が海賊に襲われたのだ。
船の護衛や船員たちは次々と殺されていく。
(一人では無理か)
清左衛門は覚悟を決める。
「清左衛門殿、こちらへ」
そんな清左衛門の手を引き、伊織は船の端へと向かう。
「ここからなら泳げるはず」
二人揃って海に飛び込もうというのだ。
(変なところで思いきりがよい)
清左衛門は飛び込んだ伊織のあとに続いた。
結果として、二人は無事に防府の岸にたどり着いた。
岸に上がった時には衣服は揃って水に浸かり、歩き始める気力も残っていなかったが。
「こっちを向かないでください」
水に濡れた伊織は、身を隠すようにして清左衛門に言った。
清左衛門としても、緊急時に女人を辱しめる趣味はない。幸い路銀を失わなかったので、二人の衣服を購入することができた。
だが、お互いに一度意識してしまうとどうしたものか、しばらくぎこちない応答を避けられなかった。
防府で腰を落ち着けた二人は、伊織の目的だというある屋敷に向かった。
「何用か」
門番に誰何されると、伊織が一歩進み出て
「乃美兵部丞殿にお取り次ぎを、秋山の娘が来たと言えばわかるはずです」
その言伝をもって門番が中に入ると、しばらくしてそれまでと打って変わって丁重な物腰となり「ささ、中へどうぞ」と二人は案内された。
(秋山といえば、筑前の名族ではないか)
清左衛門はいままで同行してきた人物が想像以上の大物だったことに驚きを隠せずにいた。
伊織はなにも言わずにこちらを向き、ニコリと微笑んで見せた。
(敵わないな)
そう思いつつも、清左衛門不思議とそれが嫌ではなかった。
二人が奥に通されると、正面に初老の男性が座っていた。伊織が知っている様子だったので、どうやらこれが乃美という人物なのだろう。
しばらくして、慌ただしく廊下を歩く音が聞こえ「失礼いたす」と挨拶もそこそこに乃美と同年輩の男が入室した。
「秋山様はご存知でしょう、某が乃美兵部丞」
予想に違わず最初から部屋にいた男性が挨拶をした。
乃美は次に今しがたやってきた男に目を向け「こちらは井上又右衛門、小早川家の家宰を取り仕切っております」と紹介した。
(小早川といえば毛利の両川、思った以上に大事だぞ)
一人驚く清左衛門を置き、話は進んでいく。
「乃美様、井上様、もうすぐ秋山は滅びます」
伊織は衝撃的な発言をした。しかし、井上も乃美もその情報に驚く様子はなく、むしろ冷静に聞き返した。
「それは、毛利に大友との和議を破れということかな」
乃美は淡々と事実を告げる。
秋山を攻めるのは豊後の大名大友宗麟。秋山を助けるということは大友と戦うということだ。そして毛利家は大友家と半年前に和議を結んだばかりだった。
乃美と井上の視線が真っ直ぐに伊織を射抜く。
伊織はそのような空気の中、ゆっくりと口を開く。
「いいえ」と。
「秋山が求めるのは、没落後の秋山家家臣の保護です。場合によっては、秋山の親族も頼るかもしれませんが」
要するに秋山を助けるために大友と戦うのではなく、滅亡後の秋山の関係者を助けてほしいというのだ。
「わかり申した」
二人は伊織要請に二つ返事で了承した。
毛利家にしてみれば単純に牢人を雇えばよいのだ。負担にならないといえば嘘になるが、戦よりはよっぽどよい。
こうして乃美と井上と約定を結び、二人は乃美屋敷を後にした。
ちなみに、この約束は無事叶えられ、毛利家に秋山旧臣が多く召し抱えられたという。
清左衛門と伊織が乃美屋敷を辞して、しばらく街の外れへと歩を進めた。
「どうしましたか」
小声で尋ねる伊織に清左衛門は「どうやら尾けられているらしい」と答えた。
二人はそのまま歩き続け、開けた場所に出ると
「このあたりでどうだろうか」
と清左衛門は姿無き影に向けて声をかけた。
声に応じるように、物陰から、旅人のような姿をした男が姿を現した。清左衛門は刀を抜き、伊織を守るようにして、自分の体を伊織と男の間に置いた。庵は清左衛門の意を汲み、その場から少しずつ距離を取る。
「大友家中の者か?」
清左衛門が尋ねるが男は答えない。
清左衛門としても、答えは期待していない。気にした様子もなく言葉を続ける。
「なるほど、秋山の姫が毛利に居るのは不都合ということか」
質問ではなく、むしろ断言するような様子で言い放つと、男は回答の変わりに腰の刀を抜いた。
瞬時に男が清左衛門に駆け寄り、上段から真っ直ぐに刀が振り下ろされた。
もちろん清左衛門はそれを紙一重で躱すが、躱された刀は下からさらに跳ね上がった。
「ちいっ」
清左衛門は慌てて後ろに跳び下がることでなんとかそれを凌ぐ。
男の持つ刀は俗に忍び刀と呼ばれるそれで、定寸より短い代わりに取り回しがよいらしい。
右、左、右と息もつかせぬ斬撃が清左衛門に襲いかかる。
(こやつ、相当の手練れだ)
一人で敵本拠の乃美屋敷を探り、今は清左衛門と伊織を亡きものにしようというのだ。それをやってのける手腕は並大抵のものではない。
十合、二十合と打ち合ううちに、清左衛門に一つ、二つと切り傷が増えていく
どうにか凌いでいるが、どちらが優位かは明白だった。その清左衛門に対して、決め手に欠く状況を焦ったのか、男はやや大振りの一撃を繰り出そうとした。
(ここだっ)
清左衛門は男の斬撃に合わせて、受け流しに徹していた刀を引き、一瞬で斬り上げた。
交錯する剣尖は血飛沫を呼び、男の右腕が刀を掴んだまま遥か後方に飛び去る。
それと同時に、清左衛門が「ぐっ」とうめき声をあげ、膝から崩れ落ちた。
「これは、薬か」
徐々に感覚を失っていく自身の体から、清左衛門はそう判断した。
それを見て、男は血を流しながらも嬉々として肯定する。
「特別製の痺れ薬だ、先ほどはしてやられたが、最後に勝ったのはこちらだったな」
男はそう言いながら、左手で懐から短刀を抜き、清左衛門に近づく。
腕に力が入らない。
指先の感触が抜けていく。
清左衛門はもう終わりだと諦めかけた。
「清左衛門さまっ」
そのとき、戦場に立つ一人の女の声が木霊した。
そうだ、なにを諦めているのか。
こちらには、決して退けない理由があるじゃないか。
すり抜けそうになる刀の柄を、離れそうになる指を、ただ一念をもって刀に縫い付ける。
「っらあっ」
無我夢中で振り抜いた太刀筋は、果たして敵を斬り裂いたのかどうか。
薄れゆく意識のなかで、せめてそれだけは確認せねばと思いつつも、清左衛門の視界は、闇に沈んだ。
清左衛門の視界が再び明かりを捉えたとき、あたりは茜色に染まっていた。最初に目に入ったのは自分の胸元に倒れ込むようにして眠っている伊織の姿だった。どうやらここは宿屋ではないようだ。
「失礼する」
そう言って入ってきたのは乃美兵部丞だった。どこか見覚えがあると思ったが、どうやら自分は乃美屋敷に寝かされていたらしい。
「どうか、そのままで」
なんとか起き上がろうとする清左衛門を乃美は押し留めた。
経緯を確認すると、あの後伊織は駕籠を呼び、宿屋より近い乃美屋敷に自分を運び込んだのだという。
「快復するまでこの屋敷に居るといい」という乃美の言葉に素直に甘えることにした。
しばらくして目を覚ました伊織は清左衛門と乃美にからかわれて顔を真っ赤にしていた。
数日後、快復した清左衛門は乃美屋敷を辞去していた。
「さて、まずは安芸に向かうか」
勝手気ままな一人旅。
どこか物足りなさはあるものの、少し前に戻っただけだと自分に言い聞かせる。
防府を出てしばらくして、道端の茶屋に着物姿の一人の女が佇んでいた。
「出発ですか」
そう言う声には聞き覚えがあった。
「伊織殿か。そうしていると……」
「そうしていると?」
思わず言い淀むが、当の本人に続きを促された。
「いやさ、美人だと思い申してな」
少し照れくさそうに清左衛門は言った。
「見送りは不要だと言伝てを頼んだはずだが、聞かなかったのか?」
清左衛門は尋ねた。
「ええ、聞きましたわ。でも、見送りではありませんもの」
なるほど出発が重なったのかと清左衛門は一人得心する。
「それでは、某はこれで」
そう言いながらその場を去ろうとすると、伊織は後を着いてくる。
「もう、某への所用は終わったのでは?」
そう訝しむ清左衛門に対して
「『旅は道連れ』ではないですか?」
伊織はそう答えた。
「あれは防府までの約束のはず」
清左衛門が続けると、伊織は黙って一歩、また一歩と清左衛門に近づく。
「二回、です」
「うん?」
「二回、貴方は命を救ってくれました」
二回というのは最初の出会いと、先日の件だろう。
伊織は言葉を続ける。
「もう、一生かけてもご恩を返しきれませんよ」
「それとも、そんなに価値はありませんか? 私の一生は」
伊織の物言いに、清左衛門はどう答えたものかと思考が追いつかずにいる。
「まったく」
ようやく、清左衛門は言葉を紡ぐことができた。
「人生丸ごと使って、恩返しの押し売りとは、古今東西聞いたことがない」
はあ、と清左衛門はため息をつく。
「無禄無高の素浪人だが、それでもよければ」
そう言って清左衛門は再び歩み始めた。
自身にぴたりと付き従うもう一人の人影を連れて。
彼らがどこに向かうのか。
それは、空を渡る風だけが知っている。
秋山家自体は架空の家ですが、元ネタになった国衆がいます。
と言っても、あまり隠せていませんね。