第五話
僕は暫く立ち尽くしていた。異性がこちらの方に気づき、少しずつ近づいてくる。
階段をゆっくりと上がってきた。恐怖心と安心とでごちゃごちゃ混ぜたような感情が沸き上がり、その場で腰を抜かしてしまった。逃げたくても逃げれない。歩きたくても歩けない。
もし人の姿をしている何かだったら…と言う考えにも至る。しかし、頭の中は混乱もあった。何故、人がいるのか。何故、こんな所にいるのか。必死に頭の中で考えようとしたが、結論するまでには至らなかった。
「大丈夫?」異性から声をかけてきた。
「もしかして…逮捕しにきたのですか?」情けない事に、咄嗟に出た答えがこれだった。罪悪感が一気にあふれ出てきたような感じだ。冷や汗が止まらない。
しかし、相手は「?」と言う表情で、僕の前までに歩いてきたあと、座り込んで僕の目線に合わせてきた。僕は視線をズラす。「どうしたの?」相手が訊いてくる。
「逮捕しに…来たんですか?」僕は相手との視線を合わせないままそう返事をすると、
「なんで君を逮捕しなきゃいけないの?」と答えてきた。
僕は相手の目線に合わせられなかった。暫くの間このままでいたと思う。数分後、相手は口を開いた。
「君が何をしたかは知らないけど、こんな世界、素晴らしいと思わない?」
「そんなわけ!」僕は理由も聞かずに怒鳴った。「―そんなわけがないだろ!」そう、そんなわけがないんだ。僕は普通の学生で、バイトしていて、両親もいて、弟も妹もいて、今まで普通の生活をしてきたんだ。何かの罰を受けたかのように、僕だけが取り残されてしまった。止め処なく僕の怒鳴り声は続く。相手に目線を合わせて「僕の両親がいなくなったんだぞ!両親だけじゃない、人が全て消えてしまったんだ!」と怒鳴り続けた。
怖かったんだ。僕独りだけになるって事が。孤独になると言う辛さが。今まであれほど鬱陶しく感じてもいた人間関係が、いきなり消えたかのようで、それでも何事もなかったかのように世界は動き続けていて、何もなくて、生物がなくて…。僕は怒鳴りながら涙を流していた。
「もう、我慢しなくて良いよ」相手は僕を抱きかかえてそう言ってくれた。変に疲れた。僕は、そのまま眠りに入ってしまった。
ハッとして目覚める。僕はホテルのベッドの上に寝ていた。別の個室の方から音が聞こえる。妙に不安になりながらその個室に入ると、相手はいた。いてくれた、と言うべきか。
「おはよう。まるで死んだように…いや、一日中寝てたみたいだね」と僕の事に気づくなりそう言った。
「お腹は…空いてるの?」と続けざまに発言した。相手は僕が借りて…いや、物色してきたDVDを観ていた。
僕は唖然としてそれを眺めていると、相手は「そんな所に突っ立ってないで、こっちにおいでよ」と言ってくれた。
相手に対して、不信感と安心感が入り混じったような、複雑な気持ちを抱いていた。エイリアンで、僕を食べに来たのではないか…とか、安心の中にある不安と言うか、もしかしたらいなくなってしまうのではないか…とか、相手にどう接して良いのか分からなかった。
「この映画…面白い?」沈黙のまま僕は相手の横に座り込み、二人して映画を観初めてから暫くして最初に尋ねた質問がこれだった。
「いや。そうでもない」相手は即答した。
B級のパニック映画、と言ったところだろうか。ゾンビ達が突然街にあふれ出てきて、主人公達を追いかけまわすと言うものだった。次々と失っていく仲間達。友人も、親友もゾンビに喰われてゾンビ状態となっていく。主人公と恋人は無事に安全な国へと逃げ出す事ができて、ハッピーエンド。実にくだらない映画だった。しかし、そんなくだらない映画でも、僕は恐怖した。もしかしたら僕は、外出していなかったからこそ唯一助かったのではないか…と言う考えにまで至ったからだ。しかし、妹は寝坊をよくする。自分だけが助かるなんて奇跡に近い、偶然なんだと思い聞かせた。
エンドロールが終わって、相手はDVDをケースに戻したあと、「ねえ。せっかくだし、外出しようよ」と言った。
「べ、別に良いけど…」と寡黙でクールなキャラクターみたいになってしまっていた。変に緊張してしまったせいかもしれない。だがあえて言おう。僕はこんなキャラではなかった。自分で言うのもアレだが、頭も悪く、お調子者…。それがどうした事か、まるで別の魂が憑依したみたいだ。変な感覚。どうして良いのか分からない。
相手と僕は近くにあった公園に来た。依然として青空が広がっている。ここ最近、雨を見てない気がする。
「せっかくだし、腹ごしらえしようよ」と、相手は持ってきた缶詰を出した。
「缶切りは…あるの?」と僕は答える。相手はハッとしたらしく、『しまった』的な表情をしたので、僕は思わず笑ってしまった。久々の感情だった。コンビニに寄って缶切りを探し出し、それで開封して昼食を取る事にした。ブルーシートだけは持参していたようだ。
食後に「こんな世界に住んでて…どう思った?」と僕は尋ねた。
上手く滑舌が回らない。本当は僕と会う前には…とも附けておきたかったのだが、もう言ってしまった事は仕方がない。
「こんな世界って…今のこの世界?」と相手は缶詰のデザートを食べながらそう答え、「神様って言うのも、こういう世界に住んでたのかなぁって事ぐらいかな」と言い続けた。
考えてもなかった。神様が住んでいる世界…か。旧約聖書によれば、神様も七日で世界を創ったとされている。何もない暗闇の中で光を創りだし、自分に似せた『人』を創り…。何故、自分を似せたのかは分からない。けれども、何となく分かった気がした。神様は孤独だったんだと思う。傲慢な人々に対して『地に満ちよ』と言う言葉も、なんとなく納得できる。途端に悲しくなり、
「神様って感情的すぎない?」と言った。
相手は暫く考え事をして、「そうかもしれないね。人って感情なしでは生きられないようにしたのも、神様のせいかもね」と答えた。
僕は野原に寝転がって、僕は両手を空に掲げて、自分の手を眺めた。こんな僕にもアダムとイブの血が流れ続けているのかと思った。相手は不思議そうにこちらを見た後、同じように自分の両手を見始めた。
「何かの占い?」と相手は訊いてきた。
「いや…」と僕は正直に言いかけたが「ま、そんなところだ」と答えた。地球から見れば月も太陽も掌に収まるサイズ。しかし実物は果てしなく大きいもの。この僕が住んでいる地球も、太陽から見たら掌に収まるサイズに見えるかもしれない。太陽からだと全部の惑星が空から見えたりするのだろうか。僕はまるで独裁者になったような気分になってきた。決して悪い気分ではない。自分しかいない、それは即ち自分だけの世界なんだ。
世界各国に人々は数人いるかもしれないし、もしかしたら火星に移住しているだけかもしれない。それでも、僕はなんだか自分が神様になったような気がして悪い気分にはならなくなってきた。
しかし、僕自身は無力だ。人の創ったものすらロクに扱えない。…かといって作る技術も知らない。分からない。
「ねえ。…そういえば」と僕はふと思い出して、「君の名前は?」と訊いた。
「ボクの名前?ミヤギ。ミヤギってんだ。」
「苗字じゃなくて、名字だよ。下の名前」
「ごめん」ミヤギはそう言って暫く沈黙した後、「憶えてない」と答えた。
「…ごめん」僕も直ぐに謝った。
「ップ」とミヤギが急に噴き出して「変なの。ごめんごめんって、二人してさぁ」と笑い出した。僕もつられて笑ってしまった。ミヤギは子どものような性格だ。僕より年下なのか年上なのか、それは怖くて聞けなかったけれども、年齢は所詮人が考えた数値でしかない。仮に年下だとして、僕に変に気遣われるよりは良いと思った。逆に年上だとして、僕も変に気遣いをしなきゃいけなくなるのは御免だった。二人お互いに年齢は言わない事を条件に、タメとして親友として、人々がいなくなったこの世界になってからの初の友だちができた。
「そういえば」ブルーシードを片づけている時にミヤギは口を開き、「僕と君の家、二人で見せ合いっこしないか?」と言い続けた。
「別に良いけど…」僕は快く了承したと自覚していたが、些か挙動不審になっていたかもしれない。ミヤギの家はここからだと遠いと言う事で、僕の家から案内する事となった。
「車、運転できる?」とミヤギが車のキーをちらつかせながらウインクしてから言った。
「免許持ってるのか?」と僕は尋ねると、「まだ試験受けただけの仮免だけどね」と答えたので、不安になったが、思っていた以上より運転が上手かった。
普通の道路を進んでいく。高速道路に乗らないのはゲートが開かないからだそうだ。仮に開いたままだったとしても、車の衝突する危険性があると言う事で、高速道路には乗らなかった。
やがて、僕は見覚えのある道路を見た。まるで数年ぶりと言う感じだ。僕はいつもの交差点を案内しようとしたその時、突如として頭痛と恐怖感に襲われて、両手で頭を抱え込んでしまった。何かの轟音が聞こえる。吐き気も催してきた。
「大丈夫!?ここは通らない方がよさそうだね」とミヤギは察したのか、遠回りしてくれた。僕の自宅に辿り着く頃には夕方になっていた。僕は自宅に駆け込んでトイレで吐いてしまった。
「大丈夫?」ミヤギが心配そうに僕の背中をさすった。
「あ…ああ、なんとか。」と落ち着きを取り戻した僕はそう答えた。
僕は額にあふれ出た大量の汗を自分の手で拭って、フラフラになりながらもミヤギに支えられながら立ち上がり、
「ようこそ。ミヤギ、ここが僕の家だよ」と伝えた。