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第七話 しばらくお休みします side - 美咲

 靴を脱ぎ捨てるとそのまま自分の部屋のある二階に駆け上がった。後ろでお母さんが何か言っていたけどとにかく自分の部屋に戻りたかった。部屋に入ってドアをしめる。部屋の外でキナコが鳴いているけど今は遊んであげる気分じゃないの、ごめんね。


 自分の部屋でお気に入りのぬいぐるみたちに囲まれたら急に涙が溢れてきた。先輩たちに囲まれた時も髪の毛を切られた時もなんとか我慢して優奈の前でも泣かないように頑張ったのに。


 しばらくして小さなノックの音がしてママが入ってきた。その手にはカット用のハサミと霧吹きにケープ、それと遠足の時に使うシート。そしてママの足元には締め出されたせいか憤慨した顔をしているキナコが尻尾をフラフラさせながら私のことを見上げていた。


「まずは大変なことになってる髪の毛、ちゃんと整えようか? そこだと切った髪の毛が散って掃除が大変だからこっちに座って」


 優しい顔をしているけど私がイヤダと言って駄々をこねるのを許さない口調。パパいわくこういう時のママは最大限に優しく言ってるんだよ、なんだって。


 もちろん本気で怒った時の口調は私も知ってるから、今のママがすぐにでも事情を聴き出したいのを我慢して先ずは私と自分自身を落ち着かせようとしているのは分かった。


「……ちゃんとなる?」

「もちろん。どんだけ美咲の髪の毛を切ってきたと思ってるの? そりゃあプロには及ばないけど整えるぐらいはママにだって出来るわよ。弁護士をなめないでよね」

「全然違うお仕事じゃん」

「優秀な弁護士は何をさせてもそつがないのよ。テレビのドラマでもやってるじゃない?」

「でも美容師の弁護士さんなんて聞いたことないよ」

「だったら私が初めてかもね」


 ママは私を勉強机の椅子の下にシートを敷くとそこに私を座らせた。そして首にケープをまく。


「せっかくのばしたけどまた最初からやりなおしね。でも髪はのびるから問題なし、だからちょっと短くするわね、かまわない?」

「うん、ママに任せる」


 ママの足元にいたキナコが机に飛び乗って私のことを覗き込むと何やら思案顔で前足をのばしてくる。新学期からこっち毛先を揃えるだけだったから髪はかなりのびていた。最近ではそれを自分専用のオモチャだと思ったみたいで、いつもこうやって宿題をしている時に前足でチョコチョコ触っては邪魔をするようになっていたのだ。


「美咲、ハサミを使ってるから危ない。キナコを膝に乗せて大人しくさせておいて」

「うん。キナコ、こっちに座ってようね」


 ずっしりと重たいキナコを膝の上に乗せる。キナコは私がママのお腹にいた時にお兄ちゃんが拾ってきたチャトラの元野良猫ちゃん。まだ目が開いていなくてゴミ捨て場の隅っこでミーミー鳴いていたのを見つけて放っておけなかったお兄ちゃんが連れて帰ってきて、私と同じ年に我が家の一員になった。


 つまり私とキナコはほぼ同い年。私はまだまだ子供だけど、猫の十三歳はもうとっくにおじいちゃんの年齢だ。


 最近は以前よりソファのお気に入りの場所で寝ていることが多くなってきた。今はこうやって元気に二階に上がってきたり机に飛び乗ったりしているけれど、そのうちそんなことも出来なくなっちゃうんだなって思うと何だか寂しいかな。このまま元気に長生きしてね、キナコ。


 キナコが膝の上で体を起こして私の方に擦り寄ってきた。今日はお天気が良かったから出窓のところでお昼寝三昧だったのかな、お日様の匂いがしてる。やがてキナコは体をのばしてきて冷たく湿った鼻を私のほっぺたにピトッて押しつけると、そのまま体を丸くしてうたた寝を始めた。



+++++



 その日の放課後、三年生の先輩に呼び止められ無理やり屋上に引き摺って行かれて数人の先輩たちに囲まれた。いきなり知らない人に囲まれて怖くて体が固まって動けなくなる。先輩たちは怖い顔をしてなにか言い出したけど耳鳴りがして、その声が急に遠くなって途中から何を言っているのかよく分からなくなっていた。


『ちょっと、黙り込んでいたら分からないでしょ、ちゃんと返事をしなさいよ』

『ほんと、こんなチビにどうして早瀬君が声をかけるのか理解できない』

『もしかしてこの赤毛が珍しいだけなんじゃないの?』

『生活指導の先生にも注意されてたわよね? だったらここで短くしてあげましょうか、少しはマシになるかも』

『そうしたら早瀬君も興味失くすかもしれないわね』


 クスクス笑いながら先輩の一人が何か手にして髪の毛を引っ張った時に日常の音が戻ってきた。髪を引っ張った先輩も、それを見ている先輩も意地悪そうな顔をして笑っている。そして耳元でジャリって音がした。


 そして足元に自分の髪の毛がバサッて落ちたのが見えた。そしてもう一房。


 こんな天パなのイヤだなっていつも思ってた。普通に優奈みたいな真っ黒で真っ直ぐな髪がうらやましいって。でもママもパパも私の髪はパパのお婆ちゃんゆずりですごく可愛いっていつも褒めてくれた。そして髪がもう少しのびたら可愛いリボンで束ねようねって。


 ママが得意げに買ってきたリボンを私に見せた時のことを思い出したら、急に音が普通に聴こえるようになって釜縛りが解けたみたいに体が動いた。


「やめてください!!」


 私がいきなり抵抗して暴れたせいか先輩の手にあったハサミが吹き飛ぶ。そこで先輩たちも我に返ったのか何となく青ざめた顔をして私から離れると、そのまま階段の方へと足早に向かった。


『先生に話してもあなたが嘘つき呼ばわりされるだけだから言いつけるだけ無駄だからね!』


 そう言い残して。



+++++



「……竹内君には悪いことしゃちゃったかな……」

「なに?」


 ママが顔をあげた。


「学校からここまで送ってもらった子。お礼も言わずに家に入っちゃったから……」

「ああ、さっきの子ね。ママから言っておくから心配しなくてもいいわよ。同じクラスの子なんでしょ? 気になるようなら美咲は学校に行ってあの子と顔を合わせた時にでもお礼を言えば良いんじゃないかしら」

「……うん、そうする」


 だけど学校に行くって考えただけで急にドキドキしてお腹の中がザワザワしてきた。明日、学校、行きたくないな……。行かなくちゃいけないかな……。


「美咲ー?」


 鏡を見ながら左右の長さが一緒になってるかしらって呟いていたママがいきなり私の顔を覗き込んでくる。


「なに?」

「美咲が行きたくないなら無理して学校に行く必要ないからね?」


 ママには私の頭の中の声が聞こえたのかな。


「……ほんとう?」

「勉強とかそういうのより美咲の方が大事だから。ちゃんと学校にはママから言っておくから休みたいなら無理して行くことないよ?」

「でも、勉強、遅れちゃうかも……」

「勉強ならお兄ちゃんがいるじゃない。……あ、お兄ちゃんよりパパに教えてもらった方が間違いないわね、我が家で一番の秀才君はパパだから」


 ママってばお兄ちゃんが聞いたらショックを受けそうなこと言ってる。


「明日、お休していい?」

「もちろん。じゃあ明日の朝に担任の先生に電話するね」


 それからしばらく部屋の中はママがハサミを使う音しか聞こえなくなった。耳元で髪を切る音がした時は学校でのことを思い出してしまって怖くなったからギュッと目をつぶる。いま私の髪を切ってるのはママなんだからって自分に言い聞かせながら。


「よっし、これでオッケー。もうキナコを放してもいいよ。こんな感じでどうかな?」


 ママが手鏡を私の前に出してきた。鏡の中の私の髪の毛は入学式の時と同じぐらいの長さになっている。せっかくのばしたのに……ママが買ってきてくれたリボンで結ぶの楽しみにしてたのにな。


「うん、ありがとう」

「もしかして私、弁護士やめて美容師としてもやっていけそうな気がしてきた」


 ママは得意げに笑うと髪が散らばったシートをたたんだ。


「さてと。じゃあ夕飯の準備を始めようかな。手伝ってくれる?」

「うん」


 そして帰ってきたお兄ちゃんも、その後に遅く帰ってきたパパも私の髪のことについては何も言わなかった。きっと私が気づかなかっただけでママから連絡がいってたのかもしれない。



+++++



「ええ、体調がすぐれないようなのでしばらくお休みさせます。いつになるか分かりませんけど、しばらくということで。はい、お願いします……ええ、それは助かります。無理のかからない程度にお願いします、勉強の方はこちらで何とかしますから」


 次の日の朝、勝手にドアを開けてベッドの中に入ってきたキナコ、そしてもう一匹の我が家のニャンコのアンコに起こされた私の耳にママの声が聞こえてきた。


 担任の先生にお休みの電話をしているみたい。お布団から出ずにもそもそしていると半開きになった部屋のドアをノックする音。そして「キナコったらまた勝手にドアを開けちゃったの?」と言いながらママが顔を出した。


「美咲~? 学校には電話しておいたからね」

「……はーい」


 お布団の中から顔を出して返事をする。ママは既に仕事に出掛けるためのスーツを着ていた。


「公判の間はどうしても事務所を休めないからしばらく一人で留守番することになるけど大丈夫? お兄ちゃんにはできるだけ早く帰ってくるように言っておくけど」

「うん、平気」

「買い物はしなくても大丈夫だからね。ご飯のおかずは冷蔵庫の中ね。チンするだけだからお昼、ちゃんと食べるのよ? それから洗濯もの、夕方になってママが遅くなるようなら取り込んでおいてくれると助かるかな」

「分かった、洗濯物は乾いたら取り込んでおく」

「じゃあ行ってくるね。キナコ、アンコ、美咲のこと頼むわよ」


 ママの声に二匹がニャーンと声をあげた。


 その日から優奈や桜ちゃん達が学校の帰りに授業のノートやプリントを届けてくれるようになった。


 最初はキナコもアンコも知らない子が来て大騒ぎしていたけど一週間もするとすっかり慣れてしまったみたいで、のんびりと出窓から皆が手を振るのをちょっと偉そうな顔で見下ろすようになっていた。

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