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第五話 歌姫 side - 杉野晴香

「杉野さん、こののど飴、美味しいし喉にとても良いってうちの母親が旅行先で買ってきたの。どうかしら?」


 音楽室で次の文化祭で歌う楽譜を確認していたら同じクラスで合唱部に所属している友人が声をかけてきた。


「あら、そうなの?」

「ハチミツがね、国産の契約農家で養蜂されているミツバチが集めたものを使っているんですって。美味しいだけじゃなくて安心だろうって」

「確かにそうね。ありがとう。いま、なめてみても良いかしら?」

「どうぞ。美味しくなかったら遠慮なく言ってね。黙っていたらまた買ってきそうだから」


 渡されたのど飴の袋から一包み摘まむと、包み紙を剥がして口に入れた。ハーブとハチミツの味が絶妙でのど飴特有の薬くささもハチミツのくどさも感じない。渡してくれた友人の顔を見てニッコリと微笑んでみせた。


「とても美味しいわ。ありがとう。お母さんにお礼を言っておいてくれる? でも無理に買ってこようとはしないでね。私は私でいつもののど飴があるから。でもこれ、本当に美味しい」

「分かってるって。でもそののど飴、杉野さんのお口に合って良かった。それだけは報告しておくわね」


 私がいつもポーチに入れているのは近所にある和菓子屋から出ているのど飴だ。別にその飴が特に気に入っているからいつも買っているわけではない。重要なのはその和菓子屋が達央の自宅の近くにあるということなのだから。


 文化祭を前に私の歌の練習時間も増え、達央と一緒にあのお店に立ち寄ることも出来なくなっていた。


 歌を全校生徒の前で披露することは苦ではない。


 だけどただでさえ別々のクラスになって彼と一緒に過ごせる時間が少ないというのに、和菓子屋に行くまでの道のりを一緒に歩くという貴重な時間が無くなってしまったのは寂しかった。達央も同じように寂しいと感じてくれていたら良いのだけれど。


 そんな矢先、同じクラスの男子が最近の達央は一年生の女子にご執心らしいと話しているのを耳にした。



+++



 達央に初めて会ったのはお義母様のところへ日舞を習いに行くようになった幼稚園の頃。彼も行儀作法の一環として母親から勧められ教室に参加していた。


 そこで出会った私達は同い年だったこともあって一緒に舞うようになった。他の同い年の男の子に比べて落ち着いていた達央はとても大人びていて、いつのまにか私は彼を好きになっていた。


 そんな時、お義母さまが晴香ちゃんが達央のお嫁さんになってくれたら嬉しいわというお話をいただいた。その頃には既に私は達央のことが好きだったし喜んで頷いたものだ。達央の方は馬鹿馬鹿しいと一蹴してお義母様の話を真に受けなかったけれど、私は彼の良き妻になるという想いを胸に、着付けや料理などの鍛錬に励んだ。


 最近ではお義母様もその話を口にすることはなくなってはいたものの私の気持ちはちゃんと分かっていてくださるようで、なかなか行けなくなった教室にたまに顔を出すととても喜んで迎えてくださる。


 達央の方は相変わらずその気はないと素っ気なく言い続けているけれど最後にはきっと私の努力を認めて受けて入れくれると信じていた。



+++



「ねえ、杉野先輩。文化祭の大事な演奏会の前にこんなことを耳に入れておくべきかどうか迷ったんですけどやっぱり言っておきますね。れいの一年生の子、先日、早瀬先輩と一緒に廊下を歩いていたそうですよ?」


 そう知らせてくれた二年生部員の子に目を向けた。私の視線を真正面から受けて一瞬だけビクッとなったのが分かったので務めて穏やかな表情を浮かべて先を促す。


「そうなの? でも学校の中だもの、偶然に擦れ違ったということもあるわよね? たまたま廊下で居合わせて同じ方向に歩いていたということではないの?」

「それは確かに。だけど問題なのは楽しそうに話していたってことですよ。早瀬先輩とあの一年生の子に部活や生徒会の接点はないっていうのに。私は見てませんけどそう知らせてくれた子は嘘をつくような子じゃありません」

「その子が早瀬君と親しげに歩いているのを見た人間は他にも何人かいるのよ。そんなこと許しておいて良いの?」


 同じクラスの友人が言葉を挟んでくる。


「早瀬君は晴香の許嫁いいなずけなんでしょう? その一年生の子が勘違いしないうちにそろそろちゃんと釘を刺しておいた方が良いと思うんだけれど」

「既に勘違いしているんじゃないかしら。だって一緒にいたんでしょ? 釘を刺すぐらいじゃ生温いんじゃないかしら?」


 同じ合唱部に所属する同級生達が心配そうに言ってくれる。達央はなかなか認めてくれないけれど周囲から私は彼の許嫁だときちんと認められているのだ。だから今になって横からか割り込んでくる泥棒はきちんと追い払わなくてはならない。


「そうね……その子には可哀相だけれど一度きちんと話しておかなくちゃいけないわね、その子のためにも」


 気だるげに呟くだけで充分。私が貴重な歌の練習時間を削ってまで動く必要はない。


 これで私の希望は皆に伝わり、いつものように彼女達が私の代わりに達央に近づく泥棒猫を追い払ってくれるはずだ。そして今回もちゃんとうまく追い払えるだろう。中学に入ってからずっとこうしてきたのだから。


 皆の反応に満足しながら窓から校庭を見下ろすと、クラスメイトと話をしている達央の姿が目に入った。穏やかな笑みを浮かべている彼を見ているとこっちまで穏やかな気持ちに満たされていく。


 だけどそんな穏やかな気持ちも一瞬で消え去った。その笑みを浮かべた彼の視線の先に私ではない別の女がいるのに気づいたから。


「……あれが、そうなのね」


 小さな茶髪の女。隣に座っている女子に何か言われたのか早瀬君の方を見て恥ずかしそうに笑うと、それに気づいたらしい彼が楽しそうに笑ってその女に近づいた。そして身を屈めるようにして女に何か話しかけている。


 チビで特に際立った特徴も無い平凡な顔。そんな女は達央には相応しくないのにどうして彼にはそれが分からないのだろう。


 それに穏やかさとは違ったものを含んだ笑顔。あんな顔、私に見せてくれたこと一度もないのにどうしてそんな顔をしてその女のことを見つめているの? 貴方は私の許婚だというのに。

 

「杉野さん?」


 窓から外をジッと見詰めていた私に他の部員が声をかけてきた。振り返る前に少し気持ちを落ち着けて穏やかな『歌姫杉野晴香』の仮面をかぶる。


「ごめんなさい、ぼうっとしていて」


 にっこり笑って答えれば、部員が外を覗き見てなるほどと言った顔で頷いた。


「人の許嫁に言い寄ろうだなんて呆れた子よね」

「杉野さんと早瀬君のこと知らないわけじゃないでしょうに大した根性よね」

「やっぱりきちんと言い聞かせないといけないわね」


 そこにいた部員達が口々にあの女のことを非難しはじめる。


「昼休みもそろそろ終わるし教室に戻りましょう? あの子のことは私達に任せて。杉野さんの貴重な練習時間を削るほどのことでもないし」


 微笑みを浮かべたままありがとうと言って頷くと音楽室を出た。


 明日の朝には結果が分かるだろう。彼は私の許嫁。私は高校を卒業したら花嫁修業をして達央の花嫁になる。それが既定事項だ。邪魔する者は誰であっても許さない。


 そして放課後、あのおチビさんに声をかけた彼女達が校舎の屋上へと上がっていくのを遠目に見ながら私は音楽室へと向かった。


 文化祭最後の日に歌う予定のサルヴェ・レジーナ。今年の歌を皆は、そして達央はどんな顔をして聴いてくれるだろう。

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