第二話 僕とお鍋と彼女のつむじ side - 早瀬
「先生それって先入観からくる誤解ってやつです! 美咲の髪は染めてるんじゃなくて元からこういう色なんですよ。幼稚園から一緒の私が言うんだから間違いありません! なんなら小学校に電話して担任だった藤崎先生に聞いてみてくださいよ!!」
最初に気がついたのは彼女本人を覚えていたからではなく、その横にいる彼女の友達の方の声に聞き覚えがあったからだ。いわゆるにぎやか担当の女子という感じの声に“どこかで聞き覚えのある声だな?”と顔を向けたのがきっかけだった。
そしてそのにぎやかちゃんの横に立っていたのは、茶色い巻き毛の小柄な子。そのクルクルした髪には見覚えがあった。冬休みだったか、高校受験のための参考書を探しにいった本屋で擦れ違った子だ。
隣に立っている彼女の友達は、その子の赤い髪に目をつけた生活指導の先生に不良だなんてとんでもない言いがかりだと抗議していた。
その子の方はというと、皆に注目されているのが恥ずかしいのかシュンとなって小柄な体を更に小さくして立っている。そう言えばあの時も恥ずかしそうに周囲を見回しながらにぎやかな友達を黙らせようと頑張っていたっけな。
今日頑張っているのは彼女ではなく彼女の友達の方みたいだけど。
「どうした?」
俺が自分の話を聞いていないことに気づいた山崎がこちらに声をかけてきた。
「校門に小動物がいるなあって」
「は? 小動物? どこに?」
僕の返事に前の校門へと視線を向けた山崎がアハハと笑った。
「ああ、なるほど。確かに小動物っぽいな、あの子。可愛いなあ、あれって一年生だろ? まだ小学生の雰囲気が抜けてないよな」
男子も女子も制服の袖がちょっと長かったりでまだまだ制服が馴染んでいないその様子がとても微笑ましい。俺達も入学した時はあんなんだったよなあと笑いながら、彼女の髪についてあーだこーだと難癖をつけている生活指導の先生の横を通り抜けた。
彼女が先生から注意を受けているせいで今日は何事もなくスルーでラッキーなんて喜んでいる奴が何人かいたぐらいで、それほど大きな騒ぎにはならず僕もその時はすぐに彼女のことを忘れてしまった。
小田美咲、同じ中学の一年生だ。
彼女の名前を知ったのは母親が稽古中に転んで捻挫したために病院に連れて行った時のことだ。
待合場所の椅子に座っていた彼女が名前を呼ばれて立ったことで初めて彼女がそこに座っていたことに気がつく。診察室に入っていく彼女の後ろ姿を見送りながら、何処が悪いんだろうなどと少しだけ気になった。
「どうしたの? お友達?」
母親の声に我に返る。
「ああ、違うんだ。同じ学校に通ってる子みたいだなあって思っただけだよ」
「あら、そうなの?」
ねほりはほり聞きたげな気配を感じて話の矛先を変えることにした。
「うん。ところで不思議に思ってたんだけどさ」
「なに?」
「どうして日舞の稽古中に捻挫するような転び方をするのか僕には理解できないんだけど」
途端に母親の顔が赤くなる。
「し、仕方ないでしょ?! 転んだらこの通り捻挫しちゃったんだから」
「もしかして人がいないからって何か無精なことをしてたんじゃないよね? たとえば落とした扇子をサッカーボールみたいにして足で拾い上げようとか?」
「そんなお行儀の悪いことをするわけないじゃない。私、これでも師範なのよ?」
うまく話題をそらすことに成功。母親の言い訳を聞き流しながらもう一度、彼女が入っていった診察室の方にそっと視線を向けた。
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そして学校で校庭の隅っこで体育を見学している彼女をよく見かけるようになった。いや、多分、僕が気にするようになったから目に入るようになっただけで、これまでも彼女はああやってベンチに座って体育を見学していたんだと思う。
さらにそんな彼女のことをかなり気になるようになったのは、文化祭の準備で忙しくなる秋口の頃の出来事からだった。
その日、校内で彼女遭遇した。というか最初は前から手足の生えた鍋が歩いてきたと思った。
よく見れば白い割烹着を着た彼女が両手に重そうなお鍋を持ってこちらに歩いてくる。頑張ってるのは分かるけどちょっと足元が危うい感じだな……。
「持とうか?」
気がついたら声をかけていた。彼女の方はきっと見知らぬ先輩にいきなり声をかけられて驚いただろう。ビクッとなって立ち止まるとこちらを見上げた、と思ったらその顔があっという間に赤くなる。
「あ、あのぅ……」
「君が一人で運ぶには重過ぎるよね、その真鍮の鍋」
そう言いながら大きな鍋を指さす。
「でも調理室はすぐそこなので……」
顔を赤らめたまま小さい声で遠慮する彼女から鍋を無理やり引き取った。
「遠慮することないよ。学校内での道草なんてたかが知れてるから。しかし本当に重いな。一人でここまで大変だっただろ? 階段もあるのに」
「えっと、階段はゆっくり上がったので大丈夫でした……」
「それ、僕の質問の答えになってないよ? とにかく僕が鍋を運ぶから。ああ、申し訳ないけど中の小さなお鍋は持ってくれるかな? 少し軽くなって僕も助かるから」
「あ、すみません!」
僕の言葉に慌てて大鍋の中にある小さな鍋たちを取り出して両手に抱える。
「……ありがとうございます」
恥ずかしそうにそう言った彼女を見下ろしながら、そこそこの重さがあるのにこんな小柄な彼女一人で運ばせるなんて、他の子たちは何を考えているんだろうと少し腹が立った。
「このお鍋、なにに使うの?」
しばらく黙ったまま廊下を歩いたところで質問をする。
「……料理研究部の皆でカレーを作るんです」
「ああ、なるほど。そう言えば料理研究部が作るカレーって文化祭の名物になってるよね」
「秘伝のレシピが代々研究部に伝わってるんです。それを毎年作っているんです」
「へえ……。ああ、じゃあ小田さんは料理研究部の部員なのか」
小田さんは僕が自分の名前を知っていたことに驚いたみたいだ。そりゃそうだ、今までこんな風に話したこともないんだから。小田さん、僕が本屋であったことも覚えているよって言ったらどうするだろう?
「なんで名前を知っているんだろうって不思議に思ってる? 実は一度ね、うちの母親を連れて行った病院で見かけたんだ、小田さんのこと」
「そうなんですか? ビックリしました、早瀬先輩が私の名前を知っているんで」
ん?と今度は僕は首を傾げた。
「小田さんはなんで僕の名前を知ってるの?」
その問いに小田さんの顔が更に赤くなった。
「えっと、あの……友達から、聞きました」
「ふーん……」
どうして僕の名前を小田さんの友達が彼女にわざわざ教えたんだろうと興味がわく。
そのへんも質問してみたいんだけど、赤くなった彼女をこれ以上困らせるのは可哀相な気がして今日の質問はそこで打ち切ることにした。そのうち分かる日が来るかもしれない、その時まで気長に待つとしようと決める。
「ところでこんだけ大きな鍋を運ぶってことは今からカレーを作るの?」
「今日は部員の皆だけで手順とレシピの確認を兼ねて少量だけ作るんです。当日は皆で朝早く出てきて、大鍋二つ使ってがっつり作るんですよ」
「へえ……僕、部員じゃないけど見物しても良いかな、今日」
「え……あ、先輩達に聞いてみないと分からないですけど、大丈夫だと思いますよ?」
そう言うと僕は恥ずかしそうにしている小田さんと一緒に調理室へと向かう。その途中で何度かチラリと小田さんを見下ろしたけど彼女はずっとうつむいて黙ったままだった。
「あれ、早瀬君、どうしたの?」
家庭科室に行くとそこには同じクラスの女子もいた。確か同じクラスの女子がここの部長をしていたんだよな。
「どうしたもこうしたも。いくらなんでもこんなに大きな鍋を小田さん一人に持たせるのは酷いんじゃないか? 前から歩いてくる小田さん、まるで鍋に手足がはえて歩いて来たのかと思ったんだぞ?」
「鍋に手足! そこまで美咲ちゃんは小さくないでしょ」
「そんなことないだろ」
「あの、早瀬先輩、お鍋をこっちに……」
彼女は小さな鍋を調理台に置いて僕から大鍋を受け取ろうと手をのばしてきた。
「美咲ちゃん、台車はなかったの? それにお鍋を乗せて用務員のおじさんが使ってる作業用のエレベーターであげてもらって押しておいでって言ったのに」
「二つとも園芸部さんの方で肥料と土を運ぶとかで持っていっちゃってて……それとエレベーターは定期点検中で使えなくて」
「それで抱えてきちゃったの? わー、ごめーん、呼んでくれれば援軍送ったのにー……」
「すみません、このぐらいなら運べるかなって……思ったものですから……」
申し訳なさそうな声で答える小田さん。小さい身体がますます小さくなっている。
「ま、僕が通りがかって良かったよ。それで鍋を運んだ報酬なんだけどさ」
「ちょっと! まさかの鍋運びの手数料を要求するつもり?!」
「当り前だろ? 今からカレーを作るって聞いたんだけど一人分ぐらいあるよな? あ、もしかしたら山崎が僕のことを探し回ってここにやってくるかもしれないから二人分になるかもしれないけど」
「ぐぬぬぬぬ、なんてやつ!! 単なる後輩の手助けで終わらすつもりはないの?!」
「そりゃあ小田さんを手伝ったことに関しては報酬を要求するつもりはないけどさ、料理研究部に対する貸しはそれなりに要求しても問題ないかなって思ったんだけどな」
僕と部長である彼女が言い合いを始めたものだから小田さんが更に申し訳なさそうな顔をして僕達二人を交互に見つめた。
「部長、すみません……あの……」
「いいのよ、小田さん。小田さんが悪いわけじゃないから。悪いのはね、手助けをしておいてそれに対して何故か報酬を要求するそこの悪徳な早瀬君なんだから!!」
ますます申し訳なさそうにしている彼女を見下ろせば、そこに見えたのはつむじと茶色くて柔らかそうなカールした髪の毛だけだった。