第十九話 バレンタインに向けて side - 美咲
新学期が始まると、よくお菓子作りで見ている雑誌にはちょっと気の早いバレンタインのチョコレートの記事が載るようになった。簡単なものから結構手の込んだものままで色々。
「これ、私でも作れるかなあ……」
毎年この時期になるとあれこれ挑戦していたけれど、今年はもう少し難度の高いバレンタインチョコ作りに挑戦してみようかと考え中。
「どうしたの?」
「これなんだけどね、私にも作れるかな~って」
リビングでその雑誌を見ていたらママが横から覗き込んできた。そして私が見ていた特集を見て呆れたように笑う。
「あら、もうバレンタインのチョコレートの特集? 最近はなんでもかんでも気が早いわよね。そのうちお正月のうちに来年のお正月の準備特集とか出るようになるんじゃないかしら」
「でもバレンタインまであと一ヶ月もないよ? 試しに作ったり練習してたらあっという間にその日になっちゃうかも」
「なるほど。それで美咲はどんなのを作りたいんだって?」
「これ」
私は気になっていたチョコレートを指でさす。簡単って書いてあるけど見た目はけっこう凝っている感じで難しそう。
「これ、私に作れると思う?」
「こうやって学生さん向けの雑誌に載ってるぐらいなんだもの、美咲に作れないことはないと思うわよ? でも確かに一度はお試しで作ってみた方が良いかもしれないわね」
ママはこういうことにはけっこう慎重だ。だからお菓子作りで新しいことにチャレンジする時は必ずママと一緒に作ることにしている。そうすれば万が一失敗しても、ママ命令でパパとお兄ちゃんに無理やりにでも食べさせてちゃって捨てることにならないから。
もちろん失敗というのは爆発しちゃったり焦げちゃったりってことであって不味いわけじゃなから、パパとお兄ちゃんがお腹を壊すとかそんなことはないんだけど。
「試作するの手伝ってくれる?」
「良いわよ。それで? 今年はいつにも増して張り切っているみたいだけどパパとお兄ちゃん以外の誰かにあげるつもりなの?」
「……えっと先輩にね、家庭教師をしてもらったお礼に渡そうかなって。あ、もちろんパパとお兄ちゃんの分もちゃんと一緒に作る予定にしてるよ?」
慌てて付け加えたけどママは何でもお見通しよっていう顔をしてみせた。
「ふむ。だったら少しアレンジしてみても良いかもしれないね。たとえば、早瀬君に渡す分にはこっちの飾りを加えてみるとか。そうしたら基本は同じでもその分だけ特別感が出るんじゃないかしら?」
「あ、なるほど。それだったらこっちの飾りも可愛いかも」
「どれどれえ? おっと、これはちょっと難易度高いじゃないかしら?」
「無理かな……」
ママはしばらく考え込む。
「何事も初めてはあるんだし試してみる価値はあるんじゃないかな。美咲にその気があるならってことだけど」
「だったら試してみたい!」
「なら話は簡単ね。それで? 材料はどんな感じ? すぐに手に入るものばかりかな?」
そう言いながら私の隣に座ったママとしばらくチョコレート会議を開くことになった。
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「先輩はチョコレート、平気ですよね?」
次の日、下校の途中で先輩に尋ねた。だって作ったはいいけど実は先輩が甘いものが苦手だったとかアレルギーがあって食べられないものの一つ、なんてことになったらシャレにならないもんね。
「チョコ? うん、平気だよ」
「甘いものが苦手なんてこともないですよね? アレルギーとかは?」
「うん。よほどの甘さじゃなかったら平気。食べ物に関してのアレルギーも今のところないかな。どうして?」
先輩の答えに安心しつつ、よほどの甘さってどれぐらいだろう? ミルクで大丈夫かな? やっぱりここはビターにするべき?と内心で首をかしげていると先輩が質問してきた。
「えっとね、勉強をみてもらっているお礼にチョコを作ろうかなって。あ、もちろん市販のチョコが元だからその程度の甘さだし味は間違いないんだけど……」
私の答えを聞いて先輩は嬉しそうな笑みを浮かべる。
「もしかしてそれってバレンタインのチョコのことを言ってるのかな?」
「えっと、そう、かも……あ、でも、お礼ってのは本当だから!」
「家庭教師のお礼はちゃんと美咲ちゃんとこの御両親から渡されてるから気にしなくてもいいのに」
その話はママからちょっとだけ聞いていた。
あの事件が解決した後も先輩が勉強をみにきてくれることになった時にいくらなんでも何も渡さないのは申し訳ないって話になって、報酬がある方がお互いに気兼ねすることがないからって先輩のお母さんとうちのママが話し合って決めたんだとか。
「でもでもそれはうちのパパとママからで、私からじゃないし」
「別に僕は美咲ちゃんにお礼をしてほしくて勉強をみてるわけじゃないのは前に話したよね?」
「そ、それはそうなんだけど! でもやっぱり私としてはちゃんと一度はお礼したいです」
「いつもありがとうって言ってくれてるよね。僕はそれで十分なんだけどな」
「でもでも~!」
「……」
「?」
先輩の顔からさっきの笑顔が消えていくのに気づいた。そして何故か黙り込んでしまう。
「あのぅ……先輩?」
「美咲ちゃん、僕にバレンタインのチョコ、くれるつもりはないんだ」
え? 何でそんな話になるのかな?
「え、そんなことないですよ。さっきも言ったけど作るのはバレンタインのチョコなんだもん」
「でも、今回のチョコは家庭教師のお礼なんだよね?」
なんだか珍しく先輩がむくれている。こんな顔をする先輩を見るのは初めてかも。
「だって、ありがとうございますって言葉だけじゃなくてちゃんとしたお礼もしたいし……」
もちろん作ろうと思った理由はそれだけじゃない。ううん、本当はお礼っていう方が口実になんだってことは自分でも分かっていた。でもそんなこと恥ずかしいからいまさら言えないんだもん。
「僕はお礼のバレンタインチョコより普通のバレンタインのチョコがほしいんだけどなあ……」
先輩は前を向いたまま呟いた。そして横目で私の方をチラリと見下ろす。
「好きな子からもらえる初めてのチョコって何か特別な気がしない? いわゆる本命チョコってやつのことなんだけど」
「……でもお礼」
先輩は私の言葉に困ったねえという顔をした。そして何やら思案顔。しばらくして何か思いついたらしくてウンウンと一人でうなづいている。
「だったらさ、そのお礼に本命チョコをください」
「はい?」
いきなり先輩がそう言った。
「なんかこじつけっぽくなってきて僕がほしいものとはちょっとかけ離れてきたけど今回はまあ良いや。勉強をみたお礼をどうしてもしたいって言うなら、そのお礼に美咲ちゃんの本命チョコを僕にください。これでどう?」
「本命チョコ……」
「うん、本命チョコ。お礼チョコでも家族チョコでもない本命チョコ」
きっとその時の私の顔はポカーンとしていたと思う。
「えっと……?」
「もちろん僕も他の子から義理チョコも本命チョコもうけとらない。ああ、家族からはどうかな。万が一うちの姉が気まぐれで何か作ったら受け取らないと大変なことになるから、その時だけは目をつぶってもらわなきゃいけないかも」
先輩は少しだけ困ったような顔で笑った。
「どうかな? これで美咲ちゃんも恥ずかしがることなく僕にバレンタインの本命チョコ、渡せるでしょ?」
「そうなのかな……」
「そうだよ。というわけで2月14日を楽しみにしてるよ」
先輩は何もかもお見通しのようだった。
そんなわけで我が家はしばらくのあいだチョコレートの甘い匂いが立ち込める日が続くことになった。いつもより熱心に試作を繰り返した結果、家族全員の体重が少しずつ増えちゃったんだけどそれはしかたないよね?