第十六話 弟のカノジョ side - 栞
今日は光陵学園の学園祭。私、早瀬栞は本校舎前のにあるシャトルバスが停まるエントランスで弟の達央を待っている。
なんでも今日は初めてできたカノジョを連れてくるらしい。あの不肖の弟にカノジョができるとはなんたるミラクル、この世の奇跡!! 明日この地域が天変地異に見舞われなければ良いんだけれど。
『相手の子にはまだ何も言ってないんだから余計なことは言わないでくれるかな』
前日の夜、弟に言われた言葉だ。
なんと、不肖の弟め。相手のことを自分のカノジョと言いつつ告白もなにもしていないと言うではないかっ!!
これまでの事情を聞いて納得したものの、我が弟ながらなんという体たらく、情けない。
そういう曖昧な態度でいるからあの杉野晴香に好き勝手されるのよ。まったく勉強以外の学習が足りてないんだから!! 弟が連れてくるカノジョがまたあのような勘違い女でないことを祈るばかりだわ。
そんなことを考えながら待っているとバスが到着し、弟が降りてくるのが見えた。この辺の時間厳守ぶりは父とそっくりで感心する。様子を見ていると振りかえって自分の後から降りてくる女の子を待っているようだった。
……な、なに、なんなの?
なんなの、あの可愛い小動物!!
あれが達央のカノジョなの?! なんであの万年ぼんやり男にあんな可愛いカノジョが出来るのよ! 可愛すぎるわ反則よ!!
「達央!」
二人に手を振ると弟がこちらに手を振り返し隣の女の子に何やら囁いている。ぎゃー、あいつがあんな顔をするなんてっ!!
まだまだハナタレ小僧だと思っていた弟の男としての一面を見て天地創造なみの衝撃を受けた。私にとっては間違いなく天変地異級の出来事だ。
高校三年生になって大抵のことは驚かなくなったけどこれには衝撃を受けちゃったわ!! もしかしたらここ数年で一番の衝撃ニュースかも。今の顔、あとで弟をからかうネタにするためにも写真を撮っておけば良かった!!
はっ、このままでは私の人格が崩壊しちゃうっ!! これでも『栞お姉さま』って呼ばれて後輩には崇め奉られているのよ、私。とにかく落ち着かなくちゃ!!
女の子がこちらを見てペコリと頭を下げた。れ、礼儀は出来ているようね、安心したわ。
確かに杉野晴香も礼儀正しかったには違いない。だけどその動きのすべてに計算ずくの媚びを感じたものだ。それが今度のあの子にはまったく見られない。少しばかり引っ込みじあんすぎる感じが気になるところではあるけれど、それはきっとあの事件のせいでもあるだろうし、そのへんはもう少し様子を見てみようと思う。
「もう少し早く来ると思ってたのに」
「ああ、ごめん、バスが混んでてて一本見送ったんだ」
「すみません、私が用意するのが遅くて、出るのが遅くなっちゃったんです」
弟を睨んだ私に小動物ちゃんが申し訳なさそうに話しかけてきた。ああ、可愛いわ、この子!! 弟にはもったいないんじゃないかしら?!
「姉ちゃん、なんか怖いからそんな目で美咲ちゃんを見るなよ、怖がるだろ」
「だって可愛いんだもの。美咲ちゃんっていうのね、よろしく、達央の姉の栞です」
そう言って握手をするために手を差し出した。その手を彼女は目を丸くして見詰めていたけれどやがておずおずと握ってきた。
「はじめまして。小田美咲です」
茶色いクルクルした巻き毛のつぶらな瞳。ほんと可愛いわね、まさに小動物系カノジョって感じ。
この子、本当に達央のカノジョなの? なんだか漫画に出てきそうな小動物系なカノジョよね? もしかして無理やり略奪とかしてきたわけじゃないわよね?
「だから姉ちゃん、やめろって、なんでそんな目で見てるんだよ」
あまりにも私があからさまに見ているせいか達央が割り込んできた。
「いやいや、ほんとに可愛いわね。あんたのカノジョしておくのが勿体ないわよ」
「姉ちゃん!」
余計な事を言うなって顔をしてるけど、言ってしまったものは仕方がないわよね。それに本当に可愛いんだもの。
「美咲ちゃん、私のことは『栞お姉さん』って呼んでくれたら良いからね♪」
「え、あの……?」
「うちの姉の言ってることは半分ぐらい聞いておいてあとは無視していいから」
達央は美咲ちゃんを私から守るようにして校門をくぐった。あらま、生意気にもいっちょまえにカノジョを守ろうとしてるわ、この男。
「先輩のお姉さんって綺麗な人ですね」
「見た目はね。けど中身はちょっとぶっ飛んでるから気をつけて」
なにを言ってるの。……まあちょっと人とは違った趣味があることは認めるわよ。でも誰にも迷惑かけてないんだから問題ないじゃない?
「ねえ、みやび松莉って知ってる?」
横を歩きながらこそっと聞いてみる。達央はやめろよと言わんばかりの顔をしたけど美咲ちゃんは驚いた顔をして私のことを見上げた。あら、どうやらその名前を聞いたことがあるみたいね、美咲ちゃん。
「えっと、友達が好きな絵を描いている作家さんです。私はその人が描いた本は持ってないんですけど友達に何度か見せてもらったことが。あ、でも最近は見ちゃいけない本が出てるって友達がヤキモキしてます」
この反応からして持ってはいないけどどんなものかってことも分かっているのよね。
「それ、私のこと」
「え?!」
目が真ん丸になった。ほんとに可愛いわ、この素直な反応。
「読めない本が出ていて気になるのは申し訳ないけど、そこは少しのあいだ我慢してもらうしかないわね」
「友達、松莉さんのような絵描きを目指して絵を描いてるんですよ。えっと、当然まだプロにはなってませんけど……今は同人誌作ってます」
「なんて名前で描いてるの?」
「えっと、藤野なぎさって名前で」
「ああ、知ってるわよ。アマチュアでは結構な売れっ子さんよね、そっか、彼女はまだ中学生だったのかあ、意外だったわ。もしかして美咲ちゃんも描くの?」
彼女はプルプルと頭を横に振る。本当にいちいち可愛いわね、この子。
「私は絵も文章もまったくで、皆が原稿を描いている時にクッキー焼いて差し入れる程度です」
いつのまにか美咲ちゃんの手が達央の服の袖をしっかりと掴んでいるのに気づいた。ちょっと人が多いものね。達央から話は聞いているけど、いきなりこんな人出じゃハードルが高かったかしらね。
「もし人に酔うようなら大学の方にある喫茶室が使えるからそっちに行くと良いわ。ただし医学部の方は病院関係の患者さん達もウロウロしているから行かない方がお互いのためかもしれないわね」
「分かった。ちょっと一休みしてから回ることにするよ」
彼女の様子に気がついた弟が私の提案に頷く。
普段なら「ねーちゃんいちいちうるさい」って文句をたれるのに美咲ちゃんがいるせいかすっかり猫をかぶっているわ、こいつ。ま、多少の猫をかぶっているのは私もだけど。
「色々な出し物とか出てるからゆっくり見ていくと良いわよ。達央、これ渡しておく」
出店している屋台で交換できる商品券。現金でも買えるんだけど、生徒の父兄には前もって屋台や食堂で使える券が事前に予約販売されていた。これの方がいちいちお金を出さなくてもいいから受け入れる側も楽なのよね。
「今年はみたらし団子がおすすめらしいけど、私はどっちかっていうとアメリカンドッグっていうのが美味しかったからおすすめ。じゃあ私は実行委員会でやらなきゃいけないことが色々とあるから行くわね。何かあったら電話して。それか実行委員会の本部の方に来るか」
「ありがとう」
「じゃあね、美咲ちゃん。今日は会えてよかったわ。たまには家に遊びにいらっしゃい」
「はい、わざわざありがとうございます」
立ち去る二人を見送る。
「ほんと、あいつのは勿体ないぐらい可愛い子よね……ちょっと引っ込みじあん気味なのが気になるところだけど」
そういうのはお互いに何度も顔を合わせていくうちに変っていくかしら。ああ、でもあんまり社交的になるのも問題かも。特に独占欲が強い弟にしたら今ぐらいの彼女の方が良いのかもしれない。
「……でも大丈夫かしらね、達央」
あんな子が義理の妹になってくれるなら大歓迎なんだけど、あの万年ぼんやり男にちゃんと美咲ちゃんを捕まえておけるか心配だわ。まあ、あいつもいざとなれば出来る子だってことは今回の件で証明されたわけだし、大丈夫だと思いたい。
「ま、いざとなれば私が動けば良いかしら」
そんなことをしたら弟が余計なお世話だって激怒しそうよね。でもせっかく可愛い未来の義妹が目の前に現われたんですもの、逃がす手はないわよね? もちろん私が動かなきゃいけないような事態にならなければ一番良いんだけれど。
「栞先輩、どうしたんですか? そろそろ校内巡回の時間ですよ」
私のことを見つけた実行委員会の後輩達が走ってきた。
「ああ、ごめんね。弟が来たから売店のチケットを渡してたの」
「え?! 達央君が来てたんですか?!」
「そうなの。それがね、なんと生意気にもあのトウヘンボクにカノジョができたらしいのよね」
おおおー!!とどよめきがあがる。
「とうとう達央君もノーマルな男の子の仲間入りですか。そうなると小生意気なショタジャンルで活躍することももうないってことですよね。あ、失礼しました、先輩の弟さんなのに」
「大丈夫よ、私も弟のことは脳内でオモチャにしていたから。カノジョは意外にも年下の小動物系カノジョだったわ」
さらにおおおー!とどよめきが。
「なかなか美味しいシチュですね。二人が末永く幸せになれるように先輩がしっかりと生温かく見守らなければ!! もちろん私達もご一緒します」
あらら、ごめんね、美咲ちゃん。どうやら貴女も私達の新たな脳内オモチャになっちゃったみたい。