第十一話 僕と俺 side - 早瀬
三杉さんに写真を全て自分のスマホに転送してもらうと僕はそのまま自宅に戻り、日舞の教室にいるはずの母親に今回のことを話をすべく真っ直ぐにそこへと向かった。
「母さん、少し話があるんだけど良いかな?」
「あら、おかえり。今日は遅かったのね。なあに? 進路のことでまた先生ともめたの?」
教室の横にある和室で次の発表会の原稿作りをしていた母親が顔を上げた。
「進路の話じゃないけど学校でちょっとした問題が起きてね」
「あら、そうなの? じゃあもしかしてとうとう山崎君が先生に生活指導の先生に捕まっちゃったとか?」
うちの母親からすると山崎は小学生の頃から「いい子だけど自由奔放すぎる」らしい。だから中学校に上がってからは生活指導の先生に捕まりやしないかとよく心配していた。
本人の方はそんなこと気にせずに楽しく学校生活を送っているけど、まあ抜け目のないあいつのことだから何も考えていないような顔をしつつも実は裏では色々と考えているんだと思う。
「山崎は相変わらず要領よく生きてるよ。今回の問題は山崎じゃなくて僕が係わっている話なんだ」
「あら、そうなの? でも進路の話じゃないのよね?」
「うん。今から話から先ずは最後まで聞いてくれる?」
そこで僕は三杉さんから転送してもらった写真を見せながらこれまでの経緯を母親に話すことにする。母親は最初は呑気な顔をしていたが話が進むにつれて顔を強張らせていった。
「まさか晴香ちゃんがそんなことを? とても信じられないわ……」
「僕も最初はそう思ってたよ、まさか杉野がそこまでするなんてって。だけど状況証拠からして杉野が黒なのはほぼ間違いない」
「黒、だなんて……貴方、お父さんと同じような話し方をするのね」
ちなみに父親は警察官だが今は関係ないので横に置いておく。
「もちろん杉野が他の部員に直接指示してやらせたって証拠は今のところどこにも無いんだ。だけど少なくとも三年生女子がやったというのは間違いない」
「でも、そこで一年生の子が嘘を言ってるんだってその子達に言い張られたらそれまでよね? 合唱部の子達、杉野さんをはじめ皆、いい評判しか聞かないお嬢さん達よ?」
「うん。だからあいつの口からそれを引っ張り出さなきゃいけないんだ。今のままだと小田さんの髪を切ったことをそいつらが認めても、杉野はお咎め無しで結局はトカゲの尻尾切りになってしまうから」
そんな状態のままだと小田さんは安心して学校に出てこれない。きちんと杉野のことを含めて問題を解決しなくちゃいけないのだ。
「ほんとにその喋り方、お父さんにそっくりね、達央。……分かったわ、お母さんは何をすればいいの?」
「杉野はことあるごとに母さんが自分のことを俺のお嫁さんにするって言っていたと話していた。だからそこの真意をまず聞きたいんだ」
そう言いながらスマホを机の上に置いた。
「もちろん僕の口から伝えてもあいつが信用するとは思えない。また自分の都合の良いように解釈して話がうやむやのままになってしまう。だからきちんとした証拠として残したい」
つまりこれからの会話を録音するということだ。そのことを察した母親は少しだけ呆れた顔をしてみせた。
「わざわざ私に知らせずに録音したら良いじゃない。録音してると思ったら緊張して変な口調になっちゃうわよ」
「父さんが言ってたよ。相手に黙って録音したものに関してはいくら真実を言っていたとしても証拠としては使えないって」
「本当に貴方たち親子ときたら。分かった。お母さんだって刑事の妻だもの。ちゃんと話すから遠慮なく質問してちょうだい」
座りなおす必要もないのに母親はその場できちんと正座をして僕の質問に答える準備をする。
「母さん、別に録画するわけじゃないんだから」
「そこは気持ちの問題なのよ。気にしないで。さあ、どうぞ、はじめてちょうだい」
やれやれ。なんとなく父さんが母さんと話していると飽きないねと笑っていた理由が分かった気がした。とまあうちの両親のことはさておき先ずは証拠集めからだ。
「じゃあ録音を始める。……先ずは確認なんだけど、杉野を俺の嫁にしたいってのは本気じゃないんだよね?」
「当然よ。あれは一つの世間話とかあいさつ代わりのようなものよ。いい子ね、うちの息子のお嫁さんにほしいぐらいだわ~って。だからあちらの御両親ともその程度に言葉を交わしただけでどちらも本気でないのは分かっていたわ。その証拠に貴方達がお年頃になってからはまったくそんな話、出てないでしょ? つまりそういうことよ」
だけど杉野は違ったんだな。その言葉を本気で受け止めてしまっていたんだ。
「じゃあ母さん達にその気はないんだね? 僕と杉野は許婚じゃないってことで間違いない?」
「もちろん私達も杉野さんの御両親にもそんな気は無いわよ。だいたい親同士が結婚相手を決めるなんていつの時代の話? うちはそんな御大層な家柄じゃないわよ。結婚相手は自分で見つけてきなさいっていうのが私達夫婦の総意だから」
「そう。だったら良いんだ。俺、ちゃんと自分で見つけたから」
「え?」
母親が驚いた顔をしてこっちを見たがその話も今は横に置いておく。
「皆の前で杉野に言うのは可哀想かなって気を遣っていたのが悪かったんだ。だから今回は学校でハッキリさせようと思うんだけど、そのことで学校から何か言ってきたら」
「分かったわよ。ちゃんと全力で貴方をかばってあげるから好きになさい。ただし暴力は駄目よ?」
「別にかばってほしいわけじゃないんだ。ただ、今の話をもう一度先生に話してほしいってだけだから」
だけど彼女達は小田さんに対して暴力をふるったんじゃないのか? それと同じぐらいの目に遭わせたっていいんじゃないのか?というハンムラビ法典の『目には目を』が頭をよぎったのは言うまでもない。
「達央?」
僕の顔で何かを察したのか母親は念押しをしてきた。
「分かってる、いくらなんでも女子相手に暴力なんてふるわないから安心して。そういう点では母さん達に迷惑をかけるつもりはないから」
+++++
そして次の日。
「どういうつもりだ、杉野」
杉野のクラスの教室まで行って問いただした。杉野は僕の質問に戸惑った顔をする。
「何のことかしら、達央」
「昨日の放課後、合唱部の三年生女子が下級生に暴力をふるった件だ。あれはお前がやらせたのか?」
それまでざわついていた教室が一瞬で静まりかえる。同じ合唱部の女子がお互いに顔を見合わせたのが視界の隅で見えた。
「やだ、なんのことを言ってるの? 暴力だなんて穏やかじゃないわね、一体どういうこと?」
「一年生の小田美咲さんが昨日、合唱部の三年生女子に暴力をふるわれた。はっきり言うと髪の毛を切られて顔を殴られてる。それに関しては目撃情報と証拠もある。相手が訴えれば傷害事件になるぞ?」
実際は髪を切られたところや殴られているところを直接見たわけじゃない。カマをかけてみただけだったが、案の定それを聞いた女子部員の顔に動揺の色が浮かんだ。
「ちょっと待って。どうして私が一年生の子に暴力をふるうように他の子に言わなくちゃならないの? 私がそういうの好きじゃないのは知ってるでしょ?」
「……そうか、だったら彼女達が勝手にしたことなんだな」
そう言って後ろにいた女子に目を向けた。
「証拠はきちんと揃っている。それらは僕から先生にではなく小田さんの御両親に渡す。きちんとした形で学校にも申し出てくると思うから覚悟しとけよ」
「待ってよ、なんで傷害事件なのよ、たかが髪を切ったぐらい……っ」
もう一人が慌てて止めるが口から出た言葉は取り消す事は出来ない。この瞬間ここに居合わせた全員が間違いなく耳にしたはずだ。
「髪を切っただけじゃないだろ? 彼女の頬、間違いなく腫れていたぞ? それに無理やり他人の髪の毛を切っちゃうのは傷害罪で立派な犯罪なんだけどな」
山崎が呑気な顔をして教室に入ってきた。
「それと凄いぞ早瀬、朗報ってやつ。小田さんの御両親はそろって弁護士さんでお父さんの方なんて元検事なんだってさ。それもかなりの凄腕だってネットで調べたら出てきた。いやあ、小田さんにあんなことした連中、慰謝料ふんだくられちゃうかもなあ。それどころか高校受験に影響出るかも。あ、確かお前ら、推薦もらうとか言ってたよな?」
「なによ、それ……」
傷害罪で慰謝料という話よりも推薦を取り消されるという話の方が現実的でこたえたみたいだ。杉野の方は戸惑った表情を張りつけたまま立ち尽くしている。
「それに彼女の御両親が許したとしても俺が許さないからな。大切な人を傷つけられて何もしないでいるほど俺は出来た人間じゃないから」
山崎がおかしそうに笑った。
「あーあー……早瀬が『俺』って言う時はものすごーく腹を立てている時だから覚悟した方がいいよ? 推薦、これで完全に吹き飛んじゃったかもしれないな」
「待ってよ! あの一年生の子が早瀬君に近づいたのが悪いんじゃない! 早瀬君には杉野さんという許嫁がいるのに!」
ようやく出たか、その話。
「俺と杉野が許嫁? そんな話はうちでも杉野の家でも出ていない。俺は何度もお前とは付き合うつもりも結婚するつもりもないって言ったよな、杉野。いい加減にくだらない嘘は言いふらすなとも言ってたんだが、それを忘れたのか?」
あくまでも穏やかな表情を崩さない杉野を見下ろした。
「でも達央のお義母様は私を達央のお嫁さんにって望んでいらっしゃるのよ?」
「ああ、母さんね。だったらこれを聞いてくれるか?」
スマホに録音しておいた母との会話を再生した。