表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
織姫と凶獣  作者: 京衛武百十
5/38

風呂と脱衣

山下家でハンバーグをごちそうになった後、部屋に戻った織姫と結人(ゆうと)は、風呂に入ることにした。脱衣所がないことから結人は風呂場の前に着替えを置き、服を脱ぐのは風呂場の中で行った。織姫の前では服を脱いだりしなかった。しかも入浴もいわゆる<烏の行水>で、体を洗ったらまともに湯船にも浸からず、しかも体も頭もまったく丁寧に洗わず、五分ほどで出てくるという有様である。女子に『不潔!』と嫌われる典型だ。


『もう、しょうがないなあ。もっとちゃんとお風呂に入らなきゃ……』


などと思いながら織姫も、何度言っても聞かないのでもう諦めてしまっていた。結人のような乱暴な男子が女子にモテる筈もなく、しかも当の結人自身が女子と言うか人間そのものを嫌っており、モテる気などさらさらないというのがあったのである。だから言うだけ無駄なのだ。


「んじゃ、私入るね」


そう声を掛けながら入れ替わるように織姫が入った。


彼女の前では決して服を脱がなかった彼と違って、織姫は彼がいることも全く気にするでもなく服を脱ぎ捨てて全裸になった。その体は、本人の言うように『肉付きはいいし特に胸は豊満すぎるほどだったが、デブと言うには微妙なライン』と思われた。もっとも、この辺りは見る人間の主観にもよるだろう。さりとて少なくとも病的な肥満では決してない。非常に健康的な肉体と言ってよかった。事実、彼女は健康そのものだ。骨密度も平均以上でしっかりしている。口寂しい時には煮干しなどをよくかじっているからかも知れない。ただ、そのせいで空腹をあまり感じないのか、仕事に夢中になると一日まともな食事をしていないなんてこともかつてはあった。


とは言え、結人と一緒に暮らすようになってからはそれもあまりない。さすがに気を遣っているし、なにより結人自身が、『おデブ、腹へった』と声を掛けるからである。


まあそれはさて置き、そんな織姫の豊満な肉体がすぐ間近にありながら、結人はそれをあまり気にしてないようだった。まったく気にならない訳でもないし、一時は『そんな格好してんじゃねーよ!』と食って掛かったこともあったが、彼女は彼女で他人の言うことを気にせず受け流す傾向にあり、何度言っても改めないので、結人の方も諦めてしまったという経緯があった。


要するにある意味では似た者同士なのだ。粗暴な結人と大らかすぎる織姫という正反対にも見える二人だが、本質の部分では似通ったところもあったということだ。だから一緒にいられるというのもあった。


一方で違う点としては、烏の行水の結人とは正反対に、織姫の風呂はとにかく長かった。時間に余裕がある時には一時間くらい平気で入っている。だから結人が『死んでんのか?、死んでんのなら返事しろ!』と風呂のドアを蹴飛ばしたこともあったくらいである。


それくらいだから、織姫は今日もゆっくりと時間をかけて丁寧に体を洗い、髪を洗い、手入れをして、それからのんびりと湯船に浸かった。その姿は、湯で戻してとろけた餅のようでさえあった。


そうして寛ぎながら、織姫は思い出していた。山下達(やましたいたる)のことを。


大学時代の彼は、真面目ではあるが非常に消極的で内向的で、サークルなどにも一切参加していなかった。大学と下宿とアルバイトを毎日同じように巡るだけで、名前も顔も同じゼミの殆どの人間にさえ覚えてもらえていないような有様だった。だが織姫はそんな彼のことが何故か気になり、ちょくちょく声を掛けては世話をやこうとしてたりもした。夕食のおかずを作って部屋に押しかけたこともある。


しかし当時の彼は明らかに他人と関わり合いになることを拒んでおり、露骨に迷惑そうな顔まではしないが喜んでもいなかったのも彼女にも分かっていた。それでも気になる存在だったのだ。


なのに、大学を卒業して就職してからは顔を合わす機会もなかったとはいえ、久しぶりに顔を合わしてみれば姪を娘として引き取って育て、あまつさえ結婚までしていたのだ。その変わりように、彼女は軽く眩暈すら覚えた。あの頃の彼からは想像もできない姿だったのだから。


大学時代の彼しか知らなかった彼女は、もし偶然に彼に再会できるようなことがあればそれこそ<運命の相手>だと考えてもいいと思っていたりもしたのだった。


だが、現実は厳しかった。思いがけず再開し運命を感じたにも拘らず、彼はもう娘を持った既婚者だったともなれば、この時ばかりは運命の残酷さを呪ったりもした。


思えば、彼女が好きになる男性は既婚者ばかりだった。小学校低学年の時には担任の教師に恋をし、同じく高学年の時は毎朝すれ違うサラリーマンの男性に憧れ、中学の時には部活の部長、高校の時はやはり部活の先輩に心惹かれた。が、全員、既婚者であったり彼女がいたりした。


いくら好きでも相手の幸せを壊してまで略奪するような考えは彼女にはなく、『もし離婚とか別れたりとかしたらその時には…』などと淡い期待も抱いたりしていたもののそんな都合の良い展開もなく、初めて既婚者でも彼女がいる訳でもない男性が気になったら、再会した時には結婚した後だとか、


『神様は私に何か恨みでもあるの!?』


と枕を涙で濡らしたりもしたのだった。


しかし久しぶりに会って人間的も明らかに成長した彼のことは人としてよりいっそう魅力的に思え、想いは届けられずとも交流は続けられればと思い現在に至っているというわけである。しかもそのおかげでこうして結人の転校もスムーズに決まり、引っ越ししたばかりであたたかく迎えられ、新しい生活を大きな不安なく始められるのは何よりだと思った。


と同時に、いいなと思った相手はちゃんとその時に唾を付けておくべきだとも思ったりしたが。だがまさか自分以外にあのコミュ障そのものの彼を好きになるような女性がいるとは思いもしなかったというのもあったのは確かだった。失礼なことを言ってるのは承知で。


ただ今日、これまでにも何度かビデオ通話でも話はしたものの、初めて彼の家で、彼の娘である沙奈子も一緒に、テレビをモニターとした大きな画面から彼と沙奈子を優しく見詰める絵里奈の姿を見た時、自分の敗北を直感したのも事実ではあった。彼にお似合いすぎる優しくて母性に溢れた彼女が相手では、自分は勝ち目がないとも感じた。しかも妻と同じ年の長女までいる。これのどこに自分の入り込む隙があると言うのか。


「ぐぞ~…」


決定的な敗北感に打ちひしがれながら、織姫は風呂の中でまた泣いたのだった。


けれども、それをいつまでも引きずらないのが織姫の良さでもある。この地での結人との新しい生活に強力な味方が出来たこともまた事実。それを良い方向に考えるべきだと彼女は考えた。


『そうだよ! 落ち込んでばかりいられない!』


子供との同居の期間は自分の方が長いが、関係性で言えば彼の方が上手くいっているのを彼女は直感的に感じ取っていた。共に暮らし始めてまだ二年だと言っていたのに、沙奈子ちゃんが彼のことをとても信頼し、かつ、一緒に生活する者として自らもできることを積極的にやろうとしてる姿が見えて、そういう意味でも羨ましかった。あまつさえ、離れて暮らす血の繋がらない母や姉とも、距離を感じさせない繋がりが目に見えるようだった。


それに比べて自分は、


『もう五年も一緒にいるのに結人にちゃんと信頼もされてないし、何かと言えば大きな声で罵り合うし、母親どころか姉代わりにさえなれていない……』


感じていた。


『この差はいったい何なの…?』


織姫は思う。


結人ゆうとと沙奈子ちゃんの性格の違いだと言えばそれまでなのかもだけど、どうもそれだけじゃない気がする……』


ましてや結人も沙奈子ちゃんも実の親から苛烈な虐待を受けていたサバイバー同士。共通する点は多い筈なのだ。その辺りの秘密を学び取る為にも、彼との距離は保ちたいと思うのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ