無愛想とハンバーグ
一号室の山下達の部屋を訪れた織姫と結人は、不思議な光景を目の当たりにしていた。テーブルの上にハンバーグとごはんとが並んでるのは普通だが、テレビの画面に女性が二人、映し出されていたのである。もちろん番組ではない。今現在の映像だ。ビデオ通話というやつだ。
織姫の方は、事情は知っていた。そこに映っているのは達の妻・絵里奈と娘の玲那である。と言っても二人とも明らかにほぼ同年代であり、実の母娘でないことは一目で分かる。元々は同じ会社の同僚で友人だったのが養子縁組をして親子になった形であった。
つまり、山下達と沙奈子は叔父と姪という関係なので一応の血縁はあるものの、達と玲那、沙奈子と絵里奈、沙奈子と玲那には血縁は一切ない、夫婦である達と絵里奈も当然ながら血縁関係にはない。故に、この山下家は赤の他人が寄り集まった家族と言えた。その辺りの複雑な事情についても、織姫は達自身から既に聞き及んでいるし、詮索するつもりも毛頭なかった。ただ、時々、空気を読まず思ったことを口走ってしまったりするだけだ。達から事情を聞かされたのも、そうやってついつい疑問を口にしてしまったからである。
織姫がそういう人物であることは、達も大学時代から知っていた。だから大学時代は、同郷で人懐っこい彼女が一方的に彼に親しげに振舞っていただけで、達の側は正直言って戸惑っているくらいだった。だが、彼も社会人となり、それなりの人生経験を積んだことで、彼女のその奔放さを受け止める程度のことは出来るようになったということなのだろう。特に、沙奈子と一緒に暮らすことになった影響は大きいと思われた。
しかし、元から達の友人である織姫はともかく、結人にとってはまるで関係のない事情であり、聞かされてもおらず、聞く気もなかった。いきなり見ず知らずの人間の部屋に上がらされて、手作りハンバーグを振舞われるという状況にげんなりとしていただけだった。
改めて部屋を見回すと、織姫の部屋よりは多少は物も多そうに見えるが、それはほぼ沙奈子の為の物のようだ。机の上には大きい人形と小さい人形が並べられ、その周囲をイルカや蛇や何かよく分からないもののぬいぐるみが取り囲んでいるという部分を除けば、自分達のそれと大差ない殺風景な部屋とも言える。
だが何より異様なのは、テレビの画面に女が二人、映し出されていることだ。
「初めまして、結人君。私はそこにいる沙奈子ちゃんの母親です。こっちは沙奈子ちゃんの姉の玲那。よろしくね」
そう話しかけてくる見ず知らずの女性に、結人はあからさまに怪訝そうな顔をして見せた。若い母親はともかく、その母親と大して違わないと見える年齢の女がこの無愛想な奴の姉とか、およそまともな関係じゃないとしか思えなかったからだ。しかもその玲那とかいう女は、さっきからにこにこと笑っているだけで一言も口をきいていない。とその時、明らかに生身の人間のそれじゃない機械音声がテレビから流れてきた。
「初めまして、結人君。只今ご紹介にあずかりました沙奈子ちゃんの姉の玲那です。と言っても実の姉妹じゃないんだけどね。あと、私、怪我のせいで声を出せないので、機械音声でごめんね」
と話しつつ、玲那と名乗った彼女は顎を上げて自分の首を指差した。そこには明らかに他の部分の皮膚よりも赤い筋が付いていて、確かに怪我の痕のようにも見えた。ますます<訳あり>の家庭だと彼は感じた。
だが、どんな訳ありだろうと事情があろうと、自分には関係ない。それが彼の認識だった。
その一方で、ハンバーグは嫌いじゃなかった。いや、むしろ好きと言ってもいいだろう。今、目の前にあるハンバーグは一見すると美味そうにも見える。しかし、これを、自分の正面に座っている沙奈子とかいう女が作ったものだとすれば、期待は出来なかった。何しろ明らかに自分と同じ年頃の子供だったからだ。
「じゃあ、ありがたくいただきます!」
織姫はそう言っていたが、結人は手を付けるべきかどうか迷っていた。が、その時、
「あ、美味しい! すごいね沙奈子ちゃん! これ、沙奈子ちゃんが作ったんでしょ!?」
と織姫は声を上げて、驚きが混じった笑顔で沙奈子に話しかけていた。その様子を、達や絵里奈や玲那が微笑ましそうに見ている。当の沙奈子も、笑顔ではないが少し和らいだ感じの顔で頷いた。それでも結人は、大人は思ってもみないことを口にすることがあると知っていた為に真に受けることはなかった。
『ホントかよ……』
と訝しんだ表情で織姫を見る。しかし同時に、彼女については思ったことがすぐ口に出るタイプなのは知っていた。しかもこのテンションの高さは本気でそう思ってる時のものだ。それは分かる。だから結人も、半信半疑ながらハンバーグを一かけら、口へと入れたのだった。そして噛んでみた瞬間、織姫の言っていたことが本当だということを理解した。
『なんだよ、美味いじゃねーか…』
決して口には出さなかったが彼はそう思い、続けてハンバーグを口にした。ファミレスなどのハンバーグでも当たり外れがあるが、それで言えばこれは間違いなく当たりの方だった。下手な店のそれよりは間違いなく美味い。と言うか、織姫が作るハンバーグよりは間違いなく美味かった。これを、この無愛想な女が作ったというのか?
織姫も、時間がなくてついつい手抜きをしてしまうだけで、決して料理が下手という訳ではない。ただ、その辺りの姿勢が味の違いに表れてるのだと言われれば、なるほどと思わされる程度の差はあった。沙奈子のハンバーグは、とても丁寧に作られているのが分かった。
実際に食べてみてもまだ半信半疑ではあったが、このハンバーグが美味いというのは確かに事実だ。その所為か、結人もしっかり完食していたのだった。ただし、添えられていた野菜には一切手を付けなかった。彼は偏食が激しいタイプだったのだ。とにかく肉が好きで、野菜はあまり食べない。特に、椎茸だけは絶対に口にしなかった。細かく刻んで入れられたりしたら、たとえどんなに腹が減っていてもその料理自体を食べなかった。
理由は特にない。アレルギーもない。単に嫌いなだけだ。よくある子供舌というやつなのだろうが、それが彼の元々の強情さや頑迷さと結びついて強硬に拒んでいるだけである。
そんな結人でも美味いと思うのだから、沙奈子のハンバーグは本当に美味いのだろう。
そして、ハンバーグを完食した結人に、織姫が告げた。
「結人、四月からはこの沙奈子ちゃんと同じ学校だよ。沙奈子ちゃんも今度六年生だから、同じクラスになるかもね」
その言葉に、結人は眉を寄せて不愉快そうな顔をした。同じ学校だろうということはもちろん察していたものの、同じ学年でしかも同じクラスになるかもしれないということは、その為にあらかじめ馴れ合わせようという魂胆だったということを感じてしまったのだ。
『ちっ…これだから大人ってやつは……』
そういう思惑にいいように操られるのは業腹だ。だから余計に、
『愛想良くとかしてやらねー』
と彼は思った。
もっとも、この時の織姫も達も、そこまでは考えていなかったのだが。本当に単純に、顔馴染みが同じアパートに引っ越してきたからお近付きのしるしとして夕食を振舞っただけでしかない。沙奈子が愛想良く振る舞えるタイプの子じゃないことは百も承知なのだから、仲良くするというのも難しいことだと分かっていた。あと、お互いの家庭の状況を把握しておきたいというのもあった。
『…寂しい部屋だな…私も人のこと言えないけど……』
織姫も、あらかじめ話には聞いていたが実際の山下家の状況に触れると、さすがに戸惑いも感じずにはいられなかったのだった。