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織姫と凶獣  作者: 京衛武百十
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歪んだ正義と家族の時間

夏休み中、平日は山仁大希(やまひとひろき)の家で過ごしている山下沙奈子(やましたさなこ)だったが、日曜日はそれまで通り家にいた。父親代わりである叔父の山下達(やましたいたる)が家にいるからである。しかし土曜日の午後はやはり家にいなかった。それは夏休みに入る以前からそうだった。離れて暮らす山下絵里奈と山下玲那に会い、家族水入らずの時間を過ごすためである。


「あ、こんにちは!」


コンビニに買い物に行った帰り、たまたま出掛けるところだった達と沙奈子に遭遇し明るく挨拶を交わした織姫だったが、


「こんにちは」


山下達(やましたいたる)が笑顔で応え、沙奈子は無言のまま頭を下げる。


そしてバス停の方に向かって歩いていく二人の姿を見送って、


「……」


織姫は少し悲しそうな顔をしてみせた。それと言うのも、山下家がどうして別々のところで暮らしているかの事情を知っているからだ。


一時期、ニュースなどでも騒がれたことだが、山下家の長女である玲那は、去年、元々の血の繋がりのある実母の葬儀中に実父を包丁で刺し、その直後に自らの喉も包丁で刺して自殺を図るという事件を起こし、懲役一年六月、執行猶予三年の有罪判決を受けたというのがあったのだ。


その為、マスコミのしつこい取材や事件を理由に嫌がらせをしてくる者が次女の沙奈子に危害を加えたりということを警戒し、それらを回避することを目的に、現在、別居中という訳だった。


それだけを聞けばとんでもないことだと思う人間もいるだろう。しかし、元はと言えば玲那の実の父親が、彼女がまだ十歳だった頃から売春を強要し性的虐待を加えてきたという背景があってのことである。さらに、自らの妻でもある玲那の実母の葬儀中に、悪い仲間と再び違法な売春グループを立ち上げて、しかもその目玉としてかつての玲那のように小学生の女児まで利用しようと計画していたことを彼女は知ってしまい、それをやめさせたいという焦りと自らの復讐心に囚われて正気を失い、凶行に及んでしまったのであった。


もちろん、だからと言ってやったことは許されるものではない。それ故の有罪判決だった訳で、それについては山下家の人間達も納得はしている。それだけのことをしてしまったのだと。


が、玲那に下された判決だけでは甘すぎると正義を騙る者達の中には彼女に対して私刑を加えようとするかのような発言をする者が多数おり、それに沙奈子が巻き込まれる危険性が今なお完全には消えていないのが実情である。


そう、結人は、罪を犯した人間が世間からの集中攻撃を浴び、さらに私刑まで加えられる様を、まるでお笑い番組でも見るかのように笑い転げながら見ていたが、その陰にはそれらの行為に苦しめられる加害者の家族も存在するという現実があった。加害者の家族まで巻き込んで私刑を加えようとする人間がいるから、山下家は別居を余儀なくされているという事情もあったのだ。


そしてそれは、先日に結人が出会った波多野香苗(はたのかなえ)も同じだった。彼女は兄の性犯罪の被害者の一人でもあると同時に加害者家族でもあり、兄が事件を起こしたことで家族の個人情報までネット上に晒され、実際に脅迫めいた電話や手紙まで来る事態となり家庭が崩壊、両親は離婚し彼女も自分の家にはいられず、同級生である山仁一弧(やまひといちこ)の家に居候する状況になってしまっているのだった。


結人は、自分の憂さを晴らすことにばかり腐心するあまり、そういうことにまったく気付いていなかった。いや、気付いていたとしても何とも思わなかったのかもしれないが。なにしろ今の彼ははまだ、他人がどれほど苦しもうと不幸になろうと、何とも思わないような精神状態にあったのだから。


それについては織姫も以前から気にはなっていた。自分からは人を傷付けようとはしないものの、人が傷付いていることに対して鈍感と言うか、それを楽しんでいるかのような素振りを見せることには気付いていたのだ。ただそれも、彼女にはどうしようもなかった。


「他人には優しくしなきゃだめだよ」


などと、<優しさ>とか<思いやり>といった言葉で結人に諭すものの、それがまったく彼に届いていないことも感じていた。それでも、自分より弱い者を攻撃したりしないとか、自分からはケンカを仕掛けたりしないとかそういう部分を見て彼のことを信じようとはしていたのだ。それが、都合の悪いところを見ないように目と耳を塞ぐ行為であるということにも、薄々は気付いていながら。


だが彼女にはどうすればいいのか分からなかったのである。どうすれば結人にそれを分からせてあげることができるのか、分からなかったのだ。


山下達と沙奈子を見送った彼女が悲しそうな顔をしたのには、そういう理由もあったのだった。


『私、結人の為に何にもしてあげられてない……あの子が自分の過去を振っ切れるようになれる手助けをしてあげられてない……』


何もできていないというのはさすがに卑下し過ぎでも、十分でないことは彼女も自覚している通りだった。能天気で底抜けに前向きであるが故に深刻になるところまでは至っていなくても、彼女は彼女なりに悩んでいる部分もあったのである。


しかしその点については、実はもう状況は動き出している。彼女は自分でも気付かないうちに、必要なことをしている。結人のこれからにとって大事なものを引き寄せているのだ。山下達を頼るという形で。


それが実際に効果を発揮し始めるまでにはまだ時間がかかるだろう。だが確実に変化は始まっている。意識出来ていないから実感もないだろうが、焦る必要はない。ただまあ、そういうことをちゃんと織姫に告げてくれる誰かがいれば、もっと安心できたのかもしれないが。そういう部分でついていないと言えばついていないのだろう。山下達は既に既婚者であり、彼女に寄り添うように支えてくれそうな相手は……残念ながら見当たらない。


こればっかりは、また別の出会いを待つしかないのかもしれない。


とかく人生というのはままならないものということだ。


しかし、夕方、達と沙奈子が部屋に戻ると、今度はカレーを一緒に食べないかというお誘いが来た。


「はい、行きます行きます!」


仕事が忙しく料理までは気が回らない彼女のことを、山下達はちゃんと案じてくれてたのだった。血の繋がらない結人の面倒をずっと見ている彼女の力になりたいと思い、気を遣ってくれているのだ。彼女はそれに素直に甘えた。


既婚者である達に対してアプローチをかけるつもりは織姫にはないし、達にしても妻である絵里奈以外の女性に対しては、異性としての関心はない。しかも、別居中とはいえいつもビデオ通話を繋いで画面越しとはいえずうっと一緒にいるようなものだから、間違いも起こしようがない。それどころか、画面越しでも分かるくらいのラブラブぶりを見せ付けられるだけだ。


『いいなあ~…』


その熱烈な様子に溜息も吐きつつ、織姫は達の厚意に感謝していた。これから思春期を迎えますます難しくなっていくであろう結人との生活についての不安が和らいでいくのも感じた。できれば沙奈子ちゃん辺りともっと仲良くなってほしいのだが、そればかりは当人同士の気持ちもあることだし、あまり自分が気を揉んでも仕方ないのも分かっている。ただ、不愛想で粗暴な印象もありながら本当は真っ直ぐな部分もある結人と、そんな結人を恐れずに静かに傍にいてくれる沙奈子ちゃんの姿は、織姫から見てもお似合いじゃないかと感じていた。理想的だと感じていた。元気な千早ちゃんも魅力的だが、やはりここは沙奈子ちゃんの方がしっくりくると。


そんな妄想もありつつ、山下家の部屋で、織姫と結人は今日も夕食をごちそうになっていたのだった。



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