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織姫と凶獣  作者: 京衛武百十
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出会いと経過

結人(ゆうと)はあれこれ戸惑いつつも、結局、オムライスをきれいに食べ切ってしまった。何だかんだ言っても美味いし残すのは惜しかったからだ。


彼がこの温かい空間から逃げ出さずにいられたのは、おそらく織姫と過ごした五年間のおかげだろう。それがなければ、彼は早々に感情を爆発させて飛び出していたに違いない。ここは、彼にとっては異質すぎた。


事実、織姫と暮らし始めた頃の彼は、<凶獣>とあだ名された通りの、狂暴な野犬に等しい獣同然の存在だった。


母親と一緒に織姫の部屋に保護されたものの、リビングの隅に陣取って常に織姫と自分の母親を恐ろしい形相で睨み付け、声を掛ければ歯を剥き出し、触れようとすればそれこそ爪を立ててくる有様だった。


一方の母親はと言えば、憔悴しきった無気力な顔でぼんやりと虚空を眺めるような状態で、食事を出されれば食べるもののそれ以外は何もしようとはしなかった。


そんな三人での生活が一ヶ月ほど続き、母親も結人もいくらかは落ち着いてきたのを見計らって、織姫は二人を病院へと連れて行った。母親はかなり重度の心身症を患っている状態だった為に入院を勧められたが保険証も何も持っていなかったことでまず役所に相談することになった。


結人は健康上こそ大きな問題はなかったものの体中に虐待の痕跡を窺わせる痣があったが故に病院が警察に通報。母親は任意同行を求められるもこの時点で既に事情を話せる状態に無く、やはり役所の対応待ちとなったのだった。


しかしその夜、結人の母親は行き先も告げずに出奔。その際、織姫が普段から何か急に必要になった時用にと自宅に置いていた現金十万円が持ち去られていた。だが織姫は元々それをこの母子の為に使うつもりだったことから敢えてそれを申告しなかった。警察としては自殺等の可能性が懸念されるとして捜索したものの現在も消息は掴めていない。


なお、母親が結人を連れて逃げだす原因となった男は、別の事件を起こし懲役十年の実刑判決を受けて現在服役中である。織姫が詳しい事情を知っていれば結人に対する虐待の件でも刑事告訴し追起訴ということにも出来たかもしれないが、この時点ではそこまでのことを知らず、それについては行われていなかった。


母親が行方をくらました後、結人は引き続き織姫のところで保護されることにはなったが、それからの織姫の苦労は大変なものだった。なにしろ野卑で狂暴で常識と言えるものがほとんど身についてない彼が相手だったので、最初は、引っかかれるわ噛みつかれるわ、本当に野生の獣を引き取ったような状態だった。


それでも織姫は、この、両親にも見捨てられた憐れな少年を放ってはおけず、自らの両親や児童相談所の助けも借りて自分にできる限りの慈しみでもって彼に接し続けた。


そのおかげか、彼が小学校に通う頃には最低限のコミュニケーションが取れるくらいにまでは落ち着き、いささか乱暴なところもあるがどうにか小学校へは入学できた。


とは言え、その後も彼の狂暴性は完全には収まらず、学校では他の生徒としょっちゅうケンカをしては織姫が呼び出されるという日々が続いた。しかも二年生の時には、こちらも相手から仕掛けられたことが原因とはいえ大きな乱闘騒ぎを起こして転校を余儀なくされ、織姫の郷里にある小学校に移り五年生までどうにかやってきたものの、六年生を目前にして再び校内で事件を起こし、再度転校することになったという訳である。<凶獣>とあだ名されたのも、二年生の時のその事件が原因だった。


ここまでの経緯を見るに、織姫の底なしの献身がなければ今の彼はなかっただろう。『おデブ』『デブじゃない!』とやり合う間柄とは言え、昔に比べればこれでも随分とマシになったのだとも言えた。


織姫は言う。


『だって出会っちゃったんだからしょうがないじゃない。あのまま知らんぷりしてたら、私、絶対に後悔してたと思う。


とか言いつつ、結人を引き取ったこともそりゃちょっとは後悔してたりもするけど、それでも彼が命を落とすようなことを思えば今の方がマシ。


大変なことってさ。どっちを選んだって大なり小なり後悔するものだって、私の両親も言ってたの。私もそれを実感してる。でもさ、同じ後悔するんでも自分が望んで選んだことで後悔した方がまだ納得できるってもんだと思うんだよね。


私、結人のこと好きだよ。だってあの子、本当は真っ直ぐないい子だもん。ケンカだって、いつもあの子の方から仕掛けたものじゃないし。


それにあの子、何だかんだ言っても自分より弱い子のことは守ろうとするんだよ』


と。


そう、織姫は獣のような彼の中にあるものの本質を見抜いていたのである。野卑で粗暴だが自ら率先して暴力を振るうことはせず、また自分より明らかに弱い者に対して暴力を振るったことはなかった。常に自分より強い者、大きい者に対してのみ力を振るった。二年生の時は一対多数だった。誘拐犯は大人だったし自動車に乗っていたし、五年生の時のケンカも自分より二回りも大きな体の少年が相手だった。それ以外のケンカも結局はそういうことだった。だから織姫は彼のことを信じ続けることができたのだ。


ただし、それはあくまで彼が幼く非力な少年であるうちの話だった。彼の本当の憎悪は大人に向けられたものだったから、自分より弱い者は対象ではなかっただけというのも残念ながら事実だった。故に、むしろこれからの方が彼の危険性は先鋭化していくところだったのである。彼のことを信じていた織姫だったが、そういう部分においての認識は十分ではなかった。それを補う為の、今回の出会いだったと言えるだろう。


織姫の支えと、山下沙奈子達の経験が、これからの彼を形作っていくことになるということだ。


さりとて今のところはまだ顔合わせのようなものと言える。本格的な変化はこれからだ。




「美味しかったね~」


自分達の部屋に戻り織姫が満足気に声を上げる後ろで、結人は憮然とした顔をしていた。オムライスは美味かったがそんなことはどうでもいい。あの部屋の雰囲気に呑まれてしまった自分が腹立たしかった。あんな幸せで苦労知らず丸出しの連中相手にペースを乱されたのが許せなかった。


そう、結人はまだ知らないのだ。沙奈子達が決して苦労知らずでお気楽なだけの人生を送ってきた訳でないということを。ただの苦労知らずなだけならあんなにペースを取られることはなかったのだということを。


しかし、沙奈子達は自らの苦労を意味もなく語ったりはしない。彼女達にとっても愉快な過去ではないからだ。それが必要にならなければ自ら語ることもない。だが、語らずともやはり放っている空気は違うだろう。それを結人も感じ取ってしまったのだと言える。


こうして近い場所で関わっていく上で何かの拍子で彼女らの境遇を知ることになるかも知れない。その時、彼はそこから何を学び取るかということだ。学べなければ自ら不幸を生み出しそれに沈んでいくだけの人生を送ることになる可能性は高い。それどころか、大人への復讐を実行してしまいかねない。そんなことをすれば多くの人間を道連れに不幸の泥沼に堕ちていくだけだ。


結人がそういう道を選ぶことを織姫が嘆き悲しむのは間違いないと思われる。生意気で可愛げのない悪童と多くの人間が罵ろうとも、織姫だけは結人のことを見てくれている。案じてくれている。そんな彼女を苦しめ悲しませることを彼は良しとするのかそれとも踏みとどまるのか、まさにその岐路に立たされていると言えるのであった。



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