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織姫と凶獣  作者: 京衛武百十
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迅速と丁寧

山下沙奈子(やましたさなこ)石生蔵千早(いそくらちはや)、及び山仁大希(やまひとひろき)の間でトラブルが生じた際、山下沙奈子の保護者である山下達(やましたいたる)と山仁大希の父親は、必ずしも石生蔵千早の処罰を望まなかった。


それというのも、その時点では石生蔵千早がまだ他の生徒に怪我をさせたりといった重大な非行に至っておらず、あくまで子供同士でよくありがちな感情の行き違いであり、それが上手く是正されるならそれで構わないと考えていたのからである。


学校側がその時点で対処してくれたから、状況がエスカレートさえしなければそれでいいと思えたからというのもあるだろう。これがもし、山下沙奈子、山仁大希のどちらかに怪我を負わせたり精神失調にまで追い込んだりという状況にまで至っていたら、さすがにそうは思えなかったかも知れない。学校側の対応が早かったことが何より幸いしたのだ。


それに加えて、星谷美嘉(ひかりたにみか)という協力者が現れたことが大きく影響した可能性も否定できない。彼女との出会いにより、千早は、自身の本当の願いが、言いなりになる弟や妹が欲しいということではなくて、優しい姉や母親だったということに気付けたのだから。星谷美嘉を姉と慕うことで千早の精神状態は極めて安定し、必要以上に他人に対して攻撃的に振る舞う必要がなくなっていった。そのおかげで、千早は自らの行為が沙奈子や大希を傷付けていたことを認めることができたとも言える。


そういう幸運にも恵まれたことでこれ以上ないという解決を見せたこの一件ではあるが、ここまででなくとも状況がより深刻になることを防げればそれで良いのだ。そうすることで大きな事件になることを回避できれば学校側が非難を浴びることもないし、被害を受けた生徒の心の傷も軽く済む。非常に合理的と言えるだろう。そう、優しさとか思いやりとか道徳とかいう綺麗事ではなくて、学校にとっても名誉を守るという実利を得る対処法である。


その理念は簡単明瞭。


『良くないことをした児童にはその場で指導し、かつその指導が伝わっているかどうか経過を注意深く見守ることで判断する』


それだけのことだった。


子供は嘘を吐く。親や教師に叱られまいとして良い子の仮面を被ることが往々にしてある。しかしその場しのぎの仮面はちょっとしたことで綻びを見せ、裏の顔を覗かせる。その度に、良くないことをする度に、『それは良くないことだ』と指導し分からせる。その当たり前のことをしている学校だった。決して口先だけの謝罪や反省しているふりを真に受けたりはしないのだ。だから千早が、自分のしていることが良くないことだったと理解するまで丁寧に指導してくれたのだった。


また、学校がそこまで丁寧に指導してくれるからこそ保護者からの信頼や協力も得られる。そうして運営されている学校だということだ。


それでもイジメやイジメの疑い案件がゼロになることはない。子供は子供であるが故に未熟であり失敗する。過ちを犯す。だから指導する。同じ失敗をしなくなるまで何度でも。


それが、結人がこの学校に感じている違和感の正体でもあるだろう。この学校の教師は生徒を見くびらない。軽んじない。偽りの仮面を見て安心もしない。その生徒が本当に理解しているのかどうかを見極めようとする。そうするように、教師自身が学校側から指導されている。教師個々人の能力に依存せず、教師一人に責任を押し付けず、担任、副担任、学年主任、教頭、校長に至るまで、システムとして、チームとして、全体で相互に補完しつつ対処する。だから、誰が担任になっても、担任の当たり外れで状況が左右されず、最低限の安心が得られるようになっていた。こうすることで教師個々人に負担が集中することも回避でき、特に問題行動が顕著な生徒がいればそのための教員も用意する。教師にとっても働きやすい学校でもあった。


もっとも、そこまでやっても完全無欠の楽園とまではいかないのも現実ではあるが、少なくともこの学校では、学級崩壊もなく、一ヶ月以上不登校の生徒もいない。当たり前に、イジメや理不尽に耐えるために通ったりせず、ただ勉強をするために通える学校なのだった。結人が感じたように『ヘタレしかいない』のではない。暴力を振るったり威圧したりして虚勢を張る必要がないだけだ。そこに結人も通うようになったのだ。


しかし彼の闇は深く、濃く、それを晴らすことは容易ではないだろう。ましてや六年生の一年間だけで解消することはないと言っていい。彼が受けてきた苦痛はその程度では拭えないからだ。だが、彼の思う世界が、この世界は自分を蔑ろにし命まで脅かそうとしているという思い込みがこの世の全てではないということを知るきっかけくらいにはなるかもしれない。それを彼に知ってもらうことができれば、彼の人生にも大きな影響を与えることができる筈だ。彼の憎悪の根源が揺らぐことになる訳だから。


その一番のとっかかりが、今、彼の前にいる人間達なのだ。


彼女らは、山下沙奈子達は、彼を変えようとは思っていない。自分達が彼を救えるとは思っていない。ただ自分がそうありたいと願っている通りになろうとしているだけだ。それが結果的に彼を救うことになったとしても、彼女達はそれで彼に恩を売るつもりもないし、そもそもそれが恩になるとも思ってなどいなかった。


<恩>は売るものではない。それを受けた方が勝手に<恩>だと感じるものだ。『これだけのことをしてやったのだから恩を感じろ』など、物の道理を知らない痴れ者の戯言に過ぎない。彼女達はそれを知っていた。


こうして手作りのオムライスを一緒に食べるのも、自分達がそうしたいからだ。彼に家庭の温かさを知ってもらおうとか思っている訳ではない。


「はにゃ~、しゃーわせ~」


と美味しいオムライスに舌鼓を打ち顔をほころばせてる織姫は元より、彼のこともただ身近な同級生として接しているだけに過ぎない。彼の不幸な生い立ちを知り同情するつもりも全くない。なにしろ、山下沙奈子は彼と同じく両親にすらその存在を否定されて捨てられ、石生蔵千早は母や姉から虐待を受けてきたのだ。彼のことを同情できるほども恵まれた境遇ではない。


山下沙奈子の叔父の(いたる)にしても目立った虐待はなかっただけであからさまに両親から蔑ろにされて育ち、達の妻の絵里奈も似たような境遇であり、沙奈子の姉の玲那に至っては、幼い頃から父親に売春を強要されるという性的虐待を受けていた。


この中では比較的恵まれた家庭に育った大希も幼い頃に母親を病で亡くしているし、裕福な家庭に育った星谷美嘉ですら幼い頃には自分を『この家庭には要らない存在なのでは?』と思ったりもした。


決して、彼だけが特別苦しい訳ではないのだ。だから山下沙奈子達は、彼を特別扱いもしない。自分達と同じただの人間として接するだけなのである。何故なら自分達もただの人間なのだから。


だからこそ、丁寧に接する。彼を一人の人間として扱う。その当たり前をただ行おうとしているだけに過ぎない。


「ふっふっふ、よ~し、これで千歳も千晶もぎゃふんと言わせられるぞ。待ってろ、おいしいオムライスを食らわせてやる!」


自分が作ったオムライスを夢中で食べている織姫の姿を見て、今も時折意地悪なことを言う姉の千歳と千晶に目にもの見せてやると千早は息巻いていた。そんな千早のことを、沙奈子は穏やかな眼差しで見守っていた。


そういう温かい空間に、結人は確かにいたのであった。



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