~それぞれの適性と役割~ 三話
「おいおい、向こうもか」
「みたいね。じゃあそれぞれが相手をするしかないみたい」
「とりあえず魔獣が一体だけじゃないってのがそもそも想定外ではあるんだけどな」
まどかが空に術を放ってすぐに、南の方から甲高い音を聞いた良治とまどかは溜め息を吐いた。
二人の前には黒い鱗を持った大きな蛇がこちらの様子を窺っていた。全長は五m程と良治は見当をつけ、その赤い瞳を睨み付ける。
「報告にあった遺体の状況から、たぶんこいつが犯人か」
「かも」
まどかの同意を得て自分の予想を確信に変える。黒蛇の顎の大きさは遺体にあった喰いちぎられた痕と祖語はないはずだ。
「で、さっきの攻撃見えたか?」
「……ごめん、見えなかった。急に背後から襲われた感じ」
「それを避けるまどかも大したもんだよ。……蛇から視線を外さないように」
「うん」
この場所自体は開けていて戦闘をするのには問題ない。少し離れたところには展示用の白い飛行機が置かれているが支障はない。しかし壊すのも忍びないので少し気をつけようと良治は判断した。
「あの飛行機は壊さないように。あとの請求は少ないほうがいい」
「あー、確かに。了解よ」
照明は遠く、周囲は影に支配されている。その中で黒蛇を一度見逃してしまえば再度視認するのは至難の業だ。気配と音に頼ることもできるが、一瞬遅れてしまうことは否めない。
「!?」
「えっ!?」
斜め後方に居るまどかの驚く声が聞こえたが、良治も同じように動揺した。
消えた。黒蛇が動いたかと思った瞬間にその姿を消したのだ。
「後ろだっ!」
「っ!」
良治の警告にまどかが前方に勢いよく転がる。まどかが良治の横を通り過ぎ、あとを追うように現れた蛇目掛けて良治は愛刀の『村雨』を抜き放った。
「ッ!」
身体をくねらせた蛇は斬撃を避け、そのまま地面に降りる。とその直後影に潜り込むようにまたも姿を消した。
「あの蛇、影を移動するぞっ! 特に背後に気をつけろ!」
「わかったわっ!」
「ちっ!」
背中合わせになろうとした瞬間、今度は良治の足元から襲い掛かる蛇。その牙を村雨で受け止め、追撃をしようとするがすぐに蛇は姿を影に消す。
「だめだ、照明まで走るぞ!」
「うん!」
影に囲まれた場所で戦うのは分が悪い所ではない。今はとにかく影の少ない場所まで移動するしかない。
「くっ!?」
「まどかっ!」
足元に現れた蛇の牙がまどかの足を掠め、また影に消えていく。
そしてまた違う角度からまどかに襲い掛かる蛇の胴体を刀で振り抜いた。
「かってぇっ!」
振り抜いたにもかかわらず、その胴体を切り裂くことは出来なかった。傷がついたかどうかというところだ。
良治は怪我で足の止まったまどかに手を差し出す。
「まどか掴まれっ」
「え、あ、うん!」
まどかの返事を待たずに抱き抱えると、照明まで一直線に駆け出す。足を怪我した彼女を走らせるよりこっちの方が速い。お姫様抱っこの形になってしまっているが問題ないだろう。少しまどかの顔が赤くなっているだけだ。
「っと。まどか大丈夫か」
「う、うん、大丈夫」
追撃を退けて照明灯の下まで走りきり、まどかを降ろす。怪我は大したことはなさそうだ。照明を背にして周囲を注視する。
「かなり鱗が硬いな。セオリー通りなら口から体内狙いか」
「でも、あの牙が邪魔ね」
蛇には大きめの牙が二本生えている。上手く避けるか牙を折ってしまうか。適切な行動はどちらか迷う。
良治の技量なら避けることは出来なくはないが、そうなると攻撃は刺突に限られる。牙は折れるかどうか半々といったところだろう。
「っ!?」
「えっ」
蛇は影から現れる。それは理解していた。しかし現れた場所は良治たちの予想外だった。
自分たちの落とす影から出現した蛇に、反射的に身をくねらせて回避する良治と一瞬呆気に取られるまどか。しかし幸運なことに蛇が狙ったのは良治の方だった。
「また……っ!」
攻撃した後はすぐに影に身を潜ませ機会を窺う。知能が高いと言わざるを得ない行動だ。
(いや、知能があるのか……?)
身構えながら思考する。一撃離脱は理に適っている。恐らく良治でも影に身を隠すことが出来れば同じことをするだろう。
(それなら――)
相手は自分と同じように知能を持つ相手。それなら行動に予想はつけられる。
「後ろっ!」
「っ!」
背後から襲い掛かる蛇をすんでのところで躱すまどか。そしてすぐに影に移動する蛇。それを確認して良治はまどかに向かって走り出した。
「え、えっ」
動揺するまどかは無視する。そして、予想通りまどかの向こう側に赤い目が見えた。
「――ッ!」
「……ガァッ……」
深々と二本の牙の間を通り、蛇の咥内に突き刺さる村雨。それを握る良治の髪は白く、瞳は金色に輝いていた。
咥内に刺突をする問題点はその角度だ。正面からしか無理だが、正面から攻撃してくれる相手ではなかった。
「よっと」
絶命しているのを確認し、足で蛇の胴体を固定して刀を引き抜く。ドッ、という重い音をさせてその黒い亡骸は地に倒れ伏した。
蛇の血で真っ赤に染まった右手に顔を顰めるが、こればかりは仕方ない。あとで水で流すくらいしか出来ない。右肘まで破れた黒シャツに少しだけ落ち込んだが買い換えるしかないだろう。
「危なかったがどうにかなったな」
「なんで出てくる場所わかったの?」
半魔族化を解いて一息吐くとまどかから問われる。でもその解答は簡単なものだった。
「単純だよ。いくら身を隠せても、襲い掛かるときは後ろからの方が安心できるだろう? 俺も小心者だからその気持ちがわかっただけだよ」
「良治が小心者なんて初めて知ったわ」
「普段は隠してるからね」
「ふふっ」
小さく笑う彼女にすまし顔で答える良治。
普段はそう見えないよう落ち着いている風を装っていたが、今ではそれが身についてしまった。悪いことではないのでこれはきっと成長というのだろう。
(最初はリーダーとしてみんなを纏めるため、不安にさせないためだったんだけどな)
自分は上に立つ器ではない。今でもそう思う。そしてきっと上に立って指示を出すのはそろそろ終わりを迎えるだろう。
(さて和弥、お前はどんな指揮を見せてくれるんだ……?)
「良治、行かないの」
「いや、行くよ。南へ急ごう。多分野球場のあたりだろう」
未来が、和弥の行く末が楽しみだ。そのために命を借りたのだ。
それを見るため、良治は走り出した。
「綾華っ、やっぱりあんまり効かないみたいだ!」
野球場の裏でスライムに斬りかかった和弥だが、その手応えのなさに声を上げた。
相手はスライム。彼の持つ木刀では効果は薄そうだとは思っていたが、『退魔剣』で炎を纏わせればあるいはという希望は雲散霧消した。
勢いよく斬ったので、スライムの身体が多少飛び散ったがそれは全体量から見れば微々たるものだ。
「ならっ!」
和弥が後ろに下がったと同時に何本もの氷の矢がスライムに突き刺さる。しかし。
「飲みこまれたっ!?」
「術も効かないのかよっ」
「――はっ!」
綾華が再度術を放つ。今度は矢でなく、矢を巨大化させたような形の氷の槍だ。それはやや弓なりの軌道でスライムに着弾した
「……綾華、詠唱術を頼む」
「了解です、それしかないですね」
氷槍はどぷん、という音をさせて体内に取り込まれ、吸収されるように消えていった。
今のは綾華の術の中で、詠唱術を除けば一番威力のある術だ。それが通じないというならもう手は一つしかない。
「氷河と凍土に宿りし氷を司りし精霊よ 我が呼び声に応え立ちふさがりし者に冷たき断罪を――」
綾華の詠唱が始まり、和弥は走り出した。彼の役割は唯一つ。術が完成するまで彼女を守りきることだ。
スライムが触手を伸ばす。綾華を標的にしたそれを木刀で斬り飛ばす。一度本体から離れた小さな一部は地面に落ちるとそのまま溶けて消えた。
(時間稼ぎくらいは出来そうだなっ)
和弥の持っていたスライムのイメージだと、身体を斬ってわけてもそれぞれが動いて倒せないと思っていたがそうではないらしい。このスライムには当て嵌まらないのか、退魔剣で斬った影響なのか、斬り飛ばした破片が小さかったからなのかはわからない。
ただ、これで時間稼ぎは問題ないということが理解出来ればそれで良かった。
「――全てを凍てつかす氷の棺に眠れ! 完成せよ! 氷棺永眠!」
氷棺永眠。氷属性・単発顕現系統の詠唱術。それは綾華の最大威力を誇る切り札。
スライムの真下から現れた氷はその全身を一気に包んでいき、瞬く間に全てを凍らせる。漏れ出た冷気が和弥の肌を舐め、夏だというのに鳥肌が立った。
「どうですか……?」
不安そうな綾華の言葉を背に受けつつ、氷漬けになったスライムを見つめる。微動だにしないが相手が相手だ。
「……動かないな」
「倒した、ということでしょうか」
「こういうのって、氷漬けになったところを叩き割ってトドメを刺すのが定番じゃないか」
アニメや漫画ではよくあるシーンだ。それがスライムにも有効かはわからないが、やってみる価値はあるかもしれない。
「やってみますか。このままにもしておけないですし」
「だな」
大きさが大きさなので、このまま運ぶことも出来ないだろう。どっちにしろ倒して消滅させるか、分割して運び出すかしなければならない。ならやってみるしか選択肢はない。
「粉々にするつもりで頼みます」
「おっけ……はあぁぁぁぁっ!」
木刀に絡みつくように立ち上った炎をコントロールし、大上段の構えから一気に振り下す。
退魔剣の一撃は氷塊となっていたスライムを砕き、氷の欠片に変えた。
「っと、こんなもんでいいかな」
「はい、大丈夫だと思います」
二人で砕かれたスライムを見ていく。動くものはない。
そうほっとした瞬間。
「綾華っ!」
「っ!」
中心部に残っていた大きめの塊が動き、綾華目掛けて跳びかかる。
一瞬の硬直のあと、綾華が術の準備に入るが間に合いそうにない。
「っぶねー……」
「あ、ありがとうございます」
身体を捻りながら打ち込んだ木刀はスライムを弾けさせ、ばらばらに飛散させた。大きな塊もなく本当にこれで動くものはなくなった。
一応念のため自分の間合いに綾華を収めていて難を逃れた。彼女を守りたいという意識の高さ故の立ち位置を取っていた和弥のファインプレーだ。
「あ」
「……? どうしました?」
「あー……」
スライムは飛び散った。それは綾華の衣服や髪の毛にもだ。
「……っ!?」
服に焼け焦げたような穴を見つけた綾華は両手で身体を隠すように身を固めると、キッと和弥を睨み付ける。
「なんで早く言わないんですかっ!」
「すいませんでした!」
深々と物凄い勢いで九十度に頭を下げる。言い訳の入る余地すらない。
「……」
頭を下げた和弥の耳に、ばしゃんという水の音。疑問に思って顔を上げると、そこには水浸しの綾華の姿。
「え、なんで」
「髪や皮膚にも付いてましたからね。痕になっては困るので水で流しました」
「ごめん」
「本当ですよ。反省してください。ちょっとひりひりするんですから」
再度頭を下げる。服に穴が空くようなものが人体に付着して何もないわけがない。うっかり鼻の下を伸ばしてしまった和弥のミスだ。
「……もし痕が残ってしまったら責任を取ってくださいね」
「もちろんだ。残ってなくても貰うけど」
「もう……」
頬を染める綾華に自分のシャツを貸す。さすがに水浸しのままは嫌らしく、所々穴の空いた上着を脱いで和弥のシャツを手早く着る。下着までびっしょりと濡れているが、それは仕方ないと割り切ったようだ。
「乾かして貰いたいのは山々ですが、こんなことで力を使うのもどうかと思いますしね……今日が暖かくて良かったです」
まだ九月上旬、夏の暑さは続いており風邪を引くようなことはなさそうだ。
「でもリョージあたりの術で、火とか風とかで乾かしてもらうのはありなんじゃないか」
「そんな手間と力を使わせるのはちょっと。そもそもこれで全部終わった訳ではないでしょうし」
「あ」
スライムを倒して一息吐いていたが、まだ公園全体を調べ終わってはいない。まだ魔獣が存在する可能性はある。
「ていうかリョージの方にいかないと!」
「――呼んだか?」
「おおっ!?」
突然背後から、まるで亡霊のような静かな声が聞こえて思わず変な声を上げる。振り返るとそこには当人の良治、その後ろに苦笑いを浮かべるまどかがいた。非常に心臓に悪い。
「び、びっくりしただろ」
「いや、呼んだのはそっちだろ。こっちは問題なく終了した」
「おお……こっちも大丈夫だ」
お互いの無事を確認し、今度は倒した敵の詳細な情報を交換する。
「スライムか……それと蛇。共通点が見つからないな。あともしかしたらまだ魔獣がいる可能性も」
「そうですね。これで終わりとは思えません」
良治も綾華と同意見のようだ。確かに今までの魔獣とは何かが違うように思える。
ちらりとスライムの残骸を見た和弥は、ふと違和感に気付いた。
「なぁ、普通魔獣って死んだら消えるよな……?」
「それだ」
「確かに」
「和弥が最初に気付くなんて」
「おいまどか、さすがにそれは酷い」
「そうですよまどか、たまにはこういうこともあります」
「綾華、それはあまりフォローになってない」
珍しいまどかの発言と綾華のフォローになってないフォローにも突っ込みを入れる。普段どう思われているのかがわかってちょっとだけへこんだ。
「まぁそれはともかく、その通りだな。こっちの蛇も死骸は消えてなかったはずだ。となると、普通の魔獣じゃないってことになる」
今まで相手をした魔獣は程度の差さえあったが、長くても数分で消えていった。しかしスライムは未だにその形を残している。
「原因はなんでしょうね。見当がつきません」
「私もこんな経験もないし、話も聞いたことないかな」
「俺もだ。でもこのまま考えてる時間はないな。とりあえず公園の調査をしよう。これからは四人で動いたほうが良さそうだな」
「了解リョージ」
きっとまだ魔獣はいるだろう。そしてそれは普通の魔獣とは何かが違う。未知の可能性があるなら慎重に行動をする必要があるだろう。他の三人も良治の意見に同意して、まだ調査の及んでいない東方面に行くことになった。
「先頭から和弥、俺、綾華さん、まどかの順で。まどか、後ろは任せた」
「うん、任されたわっ」
まどかの元気な返事とともに、四人は若干の不安を和らげながら調査を再開した。
(……もう魔獣は出ませんように)
そんな和弥の思いは歩き始めて数分で打ち砕かれることになる。