~富士山決戦~ 九話
「……そろそろ、諦めてくれるかしら?」
肩で息をする葵は若干の期待を込めてその男に言った。
膝を屈するその髭面の男は苦渋に満ちた顔を見せた後、そのままあぐらをかいて座り込んだ。
「ふむ……。さすがにこれ以上は悪足掻きか。壮介、我らの負けだ!」
「ぐぅ、無理か……」
傷だらけの壮介も神薙兄妹を前にへたりと座る。信乃以上に壮介の方が限界のようだ。
「さすがは《黒衣の騎士》の仲間だな。誰もが相当の手練れだったな。そこの少年を除いて」
「……ぐ」
除かれた少年、浅川正吾が小さく呻く。この中で最も格下の自覚はあるが、実際敵にそう指摘されるのは傷ついてしまう。まだ高校生という多感な時期でもある。
「この子はまだ伸び盛りよ。今の貴方たちや私たちと比べるのはちょっとどうかと思うけれども」
「そうだな。若いというのは可能性の塊だ。いずれそれこそ《黒衣の騎士》のようになるやもしれんな」
「……さて信乃。私たちはどうする」
「そうさなぁ……我らは負けた。ならばあとは勝者に委ねるほかあるまい」
信乃の言葉に壮介も覚悟を決めたようで厳しい表情を浮かべた。
敗北は死を意味する。それを幾度の戦場、実戦を経験してきた彼らは知っていた。
だが。
「そうね。なら最初に言った通り、その女の子を返して貰えるかしら」
「うむ。結河原殿、行くがよい」
「……ありがとう」
奥で戦闘に関与せず見守っていた結河原慧が、ちらりと信乃を見てからこっちに歩いてくる。何かしてくるかも、怖いといった感情ではない。ただ純粋に心配そうだった。特別彼らに悪い印象はないらしい。
「姉さん、大丈夫?」
「ええ。それにしてもこんな戦場で結那ちゃんに会うなんてね。自分の未来は見えないから本当にびっくりしたわ。だからこそ面白いのだけど。
ね、結那ちゃんこっち来て」
「? って姉さんどうしたのっ」
近付いてきた結那に柔らかく抱き着いた慧は、無事を確かめるようにすりすりと身体を擦り付ける。
「んー、無事みたいで安心したわ」
「ちょ、ちょっと姉さんっ! 恥ずかしいからやめてっ」
「残念ね。……皆さんありがとうございました。あと結那ちゃんがお世話になってます」
「いえいえ。それで貴女は何処かの組織には?」
「いいえ、私はただの占い師です。組織には入っていませんよ。今回は脅されて仕方なくです」
「それなら良かったです」
ほっとする葵。もし組織に入っていたらまた問題が複雑になるところだった。だがこの富士山周辺に友好的な組織が勢揃いしているので、そこまで問題にはならなかったろうが。
「それで、貴方たちの処遇なんだけど」
「うむ。覚悟はできている」
「まずは質問に答えてちょうだい。貴方たちに指示を出したのは誰? どうして協力してるの。あとはそうね……黒幕の目的ってところかしら」
大きく疑問に思ったことを整理して尋ねる。この三つがわかれば最終的な行動に繋がるだろう。
「そうだな、負けた以上全て素直に答えよう。
まず我らに指示をしたのは禊埜塞という少年だ。協力した理由は《黒衣の騎士》との再戦の場を整えてくれるというものだ。最後の質問だが、目的は知らん。ただ」
「ただ?」
「あれは復讐心に捕らわれた鬼だ。その為だけに生きることを決めた、な」
「ははは、やはり久し振りに身体を動かすのは楽しいねぇ!」
「事務仕事ばかりで鈍っていたかと思ったよ」
「いやぁ最近面白い逸材がいてね。彼の稽古でそれなりに身体を動かしていたのがよかったみたいだよ」
「それはもしかして都築和弥君かい?」
「ああ、会っていたんだね。そうだよ、楽しみな人材だ。あれはまだ発展途上だ。このまま伸びれば三年後には――」
「ええいっ、早くそやつらを食い殺せッ!」
ひょっとこ面の男と雪彦は雑談を交えながらも蜘蛛を蹴散らしていた。それがシグマにとっては非常に苛立たしいようで声を荒げている。それはそうだろう、なんの緊張感もなく笑ながら蹂躙しているのだから。
「はは、まさかこんな蜘蛛でなんとかなるとでも思っているのかな」
「まさか、と言いたいところだけど、きっと君の正体がわかっていないのだろうね。そんなお面で正体が隠せるのはお手軽でいい。魔族相手にはとても有効らしいからいつか機会があったら試してみるとするよ」
「ニンゲン如きが小癪な真似をッ!」
シグマの声に焦りの色が見え始める。その様子にひょっとこ面の男が小さく笑い声を上げた。
「ふふ、もうこれ以上蜘蛛は出せないようだね」
「そうみたいだね。じゃああとは殲滅してあの魔族を倒すだけだ」
「よし、もう少し頑張ろうかな」
ひょっとこ面の男は更にスピードを上げる。蜘蛛の密度が下がり始めたことによってその間を縫うように、舞うように駆け抜ける。その後ろには蜘蛛の死骸だけが残されていく。
「ん?」
「今のは……」
「――くッ!」
遠くから轟音が響き、一瞬そちらへ意識が向けられる。それをシグマは見逃さなかった。
「……逃げたか」
雪彦が呟いたのは空間を渡った残滓が消えてからだった。
蜘蛛たちは混乱するように右往左往しだし、それに気付いた面々は一斉に追撃に入る。全滅させるまで時間はそうかからなかった。
「ふぅ……お疲れ様、みんな」
「けっ、なんであんたがここにいるんだよ。てっきり京都でのんびりしてるのかと思ってたのによ」
「え、京都でって……まさか」
「薫ちゃん、そのあとの言葉は言わないようにね。今の僕はただのひょっとこ面のお兄さんだよ」
「ただの、ってところに無理があるように思うんですけど……」
「気にしない気にしない」
薫の突っ込みを笑って流すと今度は雪彦に向き合う。刀を納めた雪彦が笑顔を見せる。
「もしかしたら来るかもと思っていたけど、本当に来るとはね。嬉しいけど。気まぐれかい?」
「正直迷っていたよ、あの噂を聞くまでは」
「噂?」
「うん。雪彦も知っている彼女が日本に戻ってきている、そんな噂さ」
「……へぇ。それは凄いね。あれ以来会っていないから不安もあるけど」
驚いた顔は一瞬。すぐにいつもの微笑みに戻る。
二人の会話に出た『彼女』。それは彼らにとって一人しか該当者がいない。
「そうだね。僕も十年、いや十一年前のあのあと以来振りだね。正直僕も怖いよ。責任を感じていなくなってしまった彼女に会うのが」
遠き日を思い出すように上を向く。そこには樹木が広がり空は見えない。隙間から辛うじて見えるのは曇天だ。
「第一次陰神決戦の直前、私は九州に呼び戻され、彼女は君の父親と共に戦場へ往った。そうそう、彼も結局北海道に戻ったんだったか」
「ああ。結局残ったのは僕一人さ。あの頃は何も考えられなかったけれど、今となってはいつか四人で会いたいものだね」
そんな機会が来るかはわからないけれど。
そう心の中で追加したその男は仮面の下で寂しげに笑う。こんな感慨に浸るようになって、少しばかり歳を取ったなと。
「そうだね。さてこれからどうするんだ? この辺の魔獣は掃討したけれど」
「そうだね、このまま南の基点に行ってもいいんだけどやめておこう。僕たちは北へ行こう」
「北?」
「ああ。北は目下再建中の長野支部の子たちが頑張っているからね。阿波さんも手伝っているけど大変だろうから」
長野支部が四大支部の中では今最も戦力に乏しい。結界の基点から一番遠いとはいえ不安は残る。
「じゃあついて行こうか。風花もいいね」
「ああ。問題ない」
後ろに控えていた風花が同意したのを確認して、雪彦はひょっとこ面の男に頷いた。本当なら別に風花に同意を求めずに決めるのが当然なのだが、そこが彼の良いところだろう。
「俺は構わないぜ。薫、お前はどうする。拠点に戻るってのもありだ」
「い、いやだよ、ついてくから!」
「……無理はすんじゃねぇぞ。守り切れるかわかんねぇんだからな」
「ありがと、まーくん」
珍しく自分の意見を通そうとする相棒に、赤月も珍しく優しい言葉を投げかける。まるで我儘な妹にするように。
「じゃあみんな行こうか。北からぐるっと回っていこう。南の基点に着いたら全部終わってることを祈って」
和弥と良治、まどかが夜叉たちを足止めしてくれたお陰で、二人は先に進むことが出来ていた。
綾華と天音。二人の性格は似ている。特に冷静で物事を正確に見ようとするところがだ。
綾華はそう感じていたが、わからない部分も勿論ある。こんなことを聞くような場面ではないが、気になっていたことを聞くことにした。天音と二人になることなど、今後あるかわからないというのが理由だ。
「時に潮見さん。一つお聞きしたいことが」
「何ですか《清流の巫女》」
「あまりその名前で呼ぶのは控えて欲しいのですが……まぁ今回はいいです。
なんでそんなに良治さんを慕っているのでしょうか?」
人から異名を呼ばれることを少し恥ずかしいと思っている綾華だが、それはひとまず置いておいて聞きたいことを聞く。それが本当に疑問だったからだ。
「……なんで好きなのか、と聞かれても難しいですね。私とすれば何故貴女が《暴炎の軍神》と付き合っているのかわからないのですが」
「……なるほど」
簡単に、乱暴に言えば重きを置く箇所が違うのだろう。もっと言えば男の趣味が違うのだろう。
「私があの人の好きな場所を挙げるなら、頭の回転の速いところと視界の広さでしょうか。勿論優しいところもですけど。そちらは?」
「……一本気で決して折れない信念を持っているところです。それでいて周囲に優しく出来るところですね。和弥は、強くて優しい。そんな誇れる私の恋人です」
言い終わってから気恥ずかしさが襲うが、それを表に出さないように正面を向いて走る。そして地図に見たT字路を右折する。ここまでは順調だ。
「私に言わせればあまり頭が良さそうには見えないのでそこが減点対象ですね。話の思考速度が合わないのはストレスが溜まりそうです」
「そこは価値観の違いでしょうね。信念が確かな分、他のことは考えなくてもいいと思ってますし。
逆に私に言わせてもらうと、良治さんは八方美人な面があるのが減点箇所です。まどかもよく妬いてますから」
退魔士としては自分よりも上の力量を持ち、認めてもある意味尊敬もしているが、一人の男性とすると評価が一気に下がる。その一番の理由はそこにあった。
「それは優しさの裏返しですよ。困っている人はなんだかんだ言って助けてしまう。それが例え私のような敵だったとしても。彼に恋人がいるのは残念ですが、それも仕方ないことだと思っています。それに」
「それに?」
「付け入る隙がないわけではないですから」
「……私はそれをまどかの友人として認めたくはないですが」
まどかの恋敵は多い。この天音をはじめ、結那や真帆もそうだ。
だからこそ綾華はまどかの味方でいたいと思っている。
「止まって!」
鋭い天音の言葉に竦むように急ブレーキをかける。
北上していた道が次第に西にカーブしてきた箇所。そろそろ道路を避けて林に入ろうかと思っていた矢先だ。
天音には遅れたが、綾華も現状は理解していた。
「何者か、いますね」
進もうと思っていた林の先。細井道のようなものの先に誰かの気配が確かにある。隠れようなどと欠片も考えていないような、むしろその存在を誇示するような気配。
「誘われているようですね。正直こんな気配を堂々と現す様な相手には会いたくありませんが」
「私たちの目的地を知っているのでしょうね。厄介ですが時間がありません。行きましょう」
初めから何者かがいるだろうとは予想していた。だがこんなにも堂々と待たれているとは考えていなかった。
相手は恐らく良治の言っていた魁の息子、禊埜塞に違いない。二人は警戒を怠らないまま気配の示す場所へ歩を進める。
いつでも対応できるように術の準備をしておく。天音は綾華の前で大鎌を片手に進んでいく。
(きっとこれが良治さんの求めていた役割なのでしょうね)
単独では剣士タイプにはなす術もなくやられてしまうだろう。術士を相手にするなら剣士が接近戦を挑むのが常道。しかしそれを阻む役割が天音だ。
「……え?」
少しだけ開けた、雑草の生える小さな広場。
立ち止った天音の肩越しに見えたその人物は禊埜塞ではなかった。
彼女は禊埜塞を見たことはない。だがしかし、そこに立っている人物は明らかに男性ではなかった。
「――ようこそ。塞クンならこの先の結界の基点にいるわ。私の仕事は《黒衣の騎士》以外の邪魔者をここで蹴散らすことよ。簡単に終わらせられれば楽なんだけど」
その女性は一歩近付いて微笑んだ。
「――でも、少しは楽しませてくれると嬉しいわ」
「下がって――いや防御壁を!」
天音の言葉が言い終わるのと、その白髪の女性が炎の柱を立ち上らせたのはほぼ同時のことだった――
ついにあの人がここで登場。




