~日常、そしてその先に在るもの~ 三話
「和弥、綾華さんと一緒に右から。暗いから視覚に頼りすぎるなよ」
「りょーかい。直感を頼りに見つけてみる」
「綾華さん、フォローお願いしますね」
「はい、勿論です」
綾華の返答を待って指示された通りに右側の砂利道を進む。道は暗く、なんの明かりもないので見通しは非常に悪い。
ここは神奈川西部の山道。今回この周辺で恐ろしい幽霊が現れたという話で、和弥と綾華、良治とまどかのいつもの四人で任務に当たることになった。
「さすがに暗いな」
「ですね。霊を見つけるのは気配に頼った方がいいでしょう」
「だな……ッ!?」
「和弥っ!」
「あっぶねー……」
辺りは暗い。だから気配を探っていたのだがうっかり足を滑らせてしまった。数m先には崖も見えた。
「気をつけてください」
「悪い」
集中し過ぎて足元が疎かになったのは自分の不注意だ。霊を見つける前に怪我をしてしまっては、何をしているのかと良治に言われそうだ。
「怪我はありませんか?」
「ん、大丈夫だ」
足の状態を確認しながら答える。足も捻っていないし、その他の箇所も痛めてはいないようだ。
「和弥は一つに集中すると視界が狭まってしまうのが悪い癖ですね。集中力があるのは長所ですけど、それも時と場合によります」
「まぁ、こればっかりはな。直すの難しいよ……ってこの前のカラオケでリョージにも似たようなこと言われたな」
数日前カラオケに行ったとき、どんな話の流れかは忘れたが良治が皆に持っている印象を一人ずつ言ったことを思い出した。本人は少し言い辛そうだったが。
「和弥は『目的や信念の為に真っ直ぐ突き進むことが出来るのが長所、それ故にやや周囲が見えなくなることが短所』でしたね」
「最後に『少年漫画の主人公みたいだ』って言われたな……」
それに対して和弥は良治に『じゃあお前はハーレムアニメの主人公だな』と返して、彼が苦虫を噛み潰したような表情にさせたので満足していた。彼にこういったことで勝つことがほぼないので、ちょっとした優越感を得る結果になった。
「言い返せたので良かったじゃないですか。私は『常識に囚われ過ぎていま一つ発想が足りない』ですよ。その通りなので何も言えませんでしたが」
「正直リョージにしては珍しく遠慮のない言葉だったなぁ。でもま、それを言えるくらいに壁がなくなったってことだろ」
「そういうことなのでしょうね。良いことだとは思いますが」
今までの彼は人間関係を上手く回すことに終始していて、はっきりものを言うようなことは少なったように思う。しかしそれが最近――つまりは寿命の問題がひとまず解決してから――一皮剥けた、もしくは吹っ切れたようだ。
「良いことだよ。まぁ一番へこんでたのが慎也だったのがちょっと可哀想だったけどさ」
「確かに水樹さんは可哀想でしたね……」
あのとき慎也が言われたことは『真面目なだけで印象が薄くなりがち。自分の得意分野をもっと伸ばすべき』だ。言われた慎也は結局カラオケが終わるまで立ち直れなかった。普段から退魔士としてみっちり訓練しているわけではない彼には厳しい言葉だったのだろう。
「足元気をつけて真っ直ぐ行ってみるか」
「はい」
探索を再開して歩き出す。このまま雑談をしていたいが、それは仕事が終わってからでいい。
月は出ているはずだが、頭上の木々に遮られて地面までは届いていない。夏のむせ返るような濃い緑の匂いと暑さに溜め息を吐きながら、もう滑らないようにゆっくりと歩く。同じことを繰り返すのは控えたかった。
「……綾華」
「なんですか」
「向こうに、いるぞ」
林の向こう側、まだ視界には入っていないがその存在は感じられた。暗く淀んだ臭いと気配。
「……確かに。こっちに来ますね」
気配を読むのは綾華よりも速い。和弥はもしかしたらこれも天使としての力の一つなのかもしれないと少しだけ思った。
(まぁ考えても仕方ないし、わからないからどうでもいいか)
意味が無いように思えたのでさっさと思考を切り替え、気配のある方へ構える。既に手には転魔石で喚んだ木刀が握られている。
「――来ますっ!」
綾華の鋭い声が響く。その直後に、頭を砕かれ脳みそが見えた白い影が木の間から跳びかかる。
(なんだ……?)
しかし和弥はその悪霊を見た瞬間、どこか心が静まっていく感覚に襲われた。今まで感じたことのないその感覚に少し動揺したが、和弥は心の赴くままに身体を動かすことに決めた。
「和弥っ!」
和弥は一歩踏み出すと、目の前まで来ていた悪霊に右手を差し出した。その手に木刀はない。
(――悲しい)
悪霊を見て思ったのはそんな感情だった。そしてそれと一緒に救いたいとも思った。
それが何処から湧き出た感情かはわからない。ただ自然にそう思ったのだ。
「あ……」
背後から綾華の小さな声が聞こえる。
悪霊は恐ろしげな表情から、穏やかなものに変わっていた。和弥の手から溢れるように発する光によって。
「――もう苦しむことはない。逝くんだ」
「ア、アア……」
そのまま悪霊は光に包まれ、安らかな表情のまま消えていった。和弥の手からも光は消え、先程と同じように闇が静かに降りた。
「今のは……どうやったんですか」
「なんだろうな……なんか出来そうな気がして、やったら出来た、みたいな感じなんだが」
最初からそうしようと思っていたわけではない。事実和弥は戦うために木刀を手に取っていた。しかし悪霊を見た瞬間、出来そうな気がしただけだ。
「除霊、ではないように見えました。あれはもしかしたら浄霊……?」
「浄霊って確か、委員長が前やってたやつか?」
「はい。もしくはそれに近しいものかと」
除霊は霊を力ずくで打ち倒して消し去ること。
浄霊は霊を浄化の力で天界に導くこと。
霊を消去するという意味では変わらないが、滅ぼすか導くかの違いは当の霊にとっては文字通り天と地ほどの違いがある。
「天使の、力か……」
三カ月前ほどに自覚した天使の力。この身に宿る天使の魂が浄霊を可能にした。和弥はそう理解し、納得した。
我がクラスの委員長こと水樹真帆、彼女の行った浄霊のシーンを思い出し、あの時と似たような光景だった気がしたのだ。
「浄霊は行える人が限られています。寺社などに務める神職の者でないと扱えないと言われていますから」
「なるほどね」
真帆とその弟の慎也の二人は実家が神社の退魔士だ。それなら理解出来る。
「和弥はその魂の影響でしょうね。自覚が備わったことによって浄化の力が目覚めたのでしょう」
「俺もそんな気がするよ」
自分の在り方が理解出来たからこそ、今までになかったことが出来るようになったのだろう。
「んじゃとりあえず連絡しなきゃな」
「そうですね」
綾華がケータイを手に取り良治へ連絡する。これで仕事は終了だ。
(ちょっと呆気なかったけど、満足かな)
四人で仕事をするのは久し振りで、そして今後もこういう機会があるかもわからない。皆それぞれ忙しく働いているからだ。
でも終わったものは仕方ないし、問題なく終わったことを喜ぶべきだろう。
「さっきの合流地点まで戻ります」
「りょーかい」
和弥はさっき悪霊が消えた場所を振り向くと、ほんの一瞬目を閉じ祈った。
(――安らかに)
そして綾華の背を追って和弥は歩き出した。
「ここだよ」
「ここ……? なんかこわい……」
「そんなことないよ」
少女はこの場所から流れるえもしれない、嫌な雰囲気を感じ取っていた。
夏休み、祖父の家に泊まりに来ていた少女は近所の山に少しだけ入ってみることにした。昨年も来ていただけに、何の気なしにどんどん進んだのだが、そこに居たのがこの少年だった。
歳は十歳くらい、自分より少し上だろうか。祖父の家の周辺には同い年くらいの子供はいない。だから少女は嬉しくなり、少年の言葉のままにここまで来てしまった。
「これ、なに?」
「なんだろうね、ボクにもわからないんだ。だから、中に入ってみよう」
「う、うん」
木で出来た杭が何本も刺さってあり、それを注連縄で繋いである。そしてその中央には木造の小さなお社があった。
少女は言われるまま注連縄をくぐり、お社の扉を開く。
「なんか、石が置いてあるよ。これにも縄が巻いてある……」
「それをその場所からどかしてもらえるかな。転がしてもいいからさぁ」
「うん……っと」
バレーボールほどの丸い石。とても持てるような重さではないのでゆっくりと押す。台座には少しだけ凹みがあり動かないようになっていたが、石が球状だったこともあり、それは体重をかけた少女の力でも動いた。――動いてしまった。
「きゃっ……」
石は勢いがついてそのまま台座から外れて落ち、割れる。そして、何かが蠢くような気配が石のあった台座から溢れていくのを少女は感じ取った。
「あ、あ……!」
「ひ、ひひひヒヒ! ヤッタゾッ!」
振り向いた先には注連縄の向こう側で笑う少年。いや、それはもう少年ではなく、人間でもなかった。
「コレデ……ッ!」
哄笑する化け物とは逆側の注連縄をくぐり、一目散に少女は走った。もうアレは少女を見ていない。ただ石がその場所から外されたことに狂喜しているだけだった。
「ママぁ……っ!」
少女は走る。化け物が追ってこないことを祈りながら。
命を賭けた逃亡。少女にとっては逃げる時に一本の杭が抜け、注連縄を踏んでしまったことなどどうでも良かった。
――少女は無事に逃げることが出来たが、このことは誰にも言えないままだった。