6.最終話
トントンと原稿の束をそろえて、先輩は小さく息を吐いた。
洋楽の流れる喫茶店に人は少なく、厨房からは炒め物をする音や香りがただよってきた。
私はチョコレートパフェに向けて伸ばしかけた手を引っ込め、つばを飲み込む。
「ど、どうでしたか?」
お尻の穴がきゅっとなるような緊張感を覚え、たまらず発した言葉は震えていた。私はそっと紙の束に視線を移す。アマチュア時代は無価値に等しい文字の羅列だったのに、今では原稿用紙換算で1枚あたり2000円もらっている。相場がわからないから高いのか安いのか不明ではあるけれど。
「まあ、この程度だろう」
「何ですか、その反応」
自信あったのにーと、ほほを膨らませる私。
夢野校正先輩は「自信があるのはプロとして当然だ」と一蹴する。
そう、私はプロの物書きになったのだ。そして夢野校正先輩はあの大手出版企業『幻想舎』で働いている。
現在の関係は先輩後輩ではなく主人と従僕である。
「高校時代は箸にも棒にもかからなかったくせに良いご身分になったものだ」
「さらっと酷いこと言いますね」
新人賞をとれば廃部は免れる。
私はその一縷の望みにすがって公募向けの小説を書いた。夢野先輩の添削指導も受けて、満を持して世に放った作品は、呆気なく落選していた。矢を挿げ替えるようにして松本君も投稿したけど、私の二の舞を演じてしまったんだ。
もうダメだ。
私達がそう諦めようとしたとき、奇跡は起こった。
「あそこで万条がメフィスト受賞してなかったら、本当に危なかったぜ」
そうなのだ。
万条こと、万条加保ちゃんが長編のミステリー小説でメフィスト賞を受賞したのだ。
解散必至の逆境を乗り越えて、加保ちゃんは夢野先輩に告白した。好きです、付き合ってください、と。
先輩はそのとき、将来の見通しができてから返事をすると言っていたけれど、結局どうなったのだろうか。
「ねえ、先輩。加保ちゃんとは良い感じですか?」
私達の高校生活という物語は終わってしまったけれど、後日譚はどうなったのか。
そうはやる気持ちを抑えつけて、訊く。
「期待を裏切るようだが、付き合わなかった」
制服を着た学生が、ガラス張りの喫茶店越しに、手をつないで歩いているのが見えた。
「え。なんで?」
「好きな人が、いるから」
彼は店員を呼んで、コーヒーのおかわりを注文した。
「好きな人って、だれですか?」
たぶん加保ちゃんは夢野先輩と離れるのが嫌で、メフィスト賞をとったんだと思う。そのピュアな乙女心を打ち砕いた人って一体どんなやつだろう。
「言わなきゃわからねーのかよ」
先輩はサンドイッチをかじりながら、照れくさそうに目元をかいた。
「にぶいやつだな」
アイスコーヒーが運ばれてきた。
彼はブラックのまま胃に流し込んで、ぼそっと言った。
「お前のことが好きだ」
「えっ?」
「松本は関東の大学に進学したから、しばらく会ってねーんだろ?」
彼は追い討ちをかける。
「俺と、付き合わないか?」
テーブル上のコーヒーに、波紋が広がった。
「それは」
動揺を隠すようにして、私は静かに唇を動かす。
<名前の設定>
佐藤りさ(私)→綿谷りさから拝借しました。
松本龍二(彼)→松本清張、村上龍から拝借しました。
夢野校正→夢野久作から拝借しました。
万条加保→トルーマン・カポーティから拝借しました。