5.
「俺の小説に熱心な感想を寄越してくれるありがたい読者だ」
私達のすぐ横を、アルミバントラックが音を立てて通過した。
生ぬるい空気がスカートをまくし上げようとする。
一応片手でそれを制したけれど、中身はスパッツだし、見られても問題はなかった。
街路灯が憂いを帯びた彼の横顔をライトアップする。
「どくしゃ?」
脳内での言語変換が追いつかない。
あんまり意識したことのない単語だからかな。
「プロ意識なんていったら噴飯ものだと思うけど、一人一人の読者の面白いという声が俺のモチベーションだからさ。半端なことだけはしたくねーんだよ」
そういう彼はちっとも恥ずかしそうにしてなくて、むしろ私の方が居心地が悪くなってしまった。
遠く感じちゃうのは、身体的なものでも心理的なものでもなくて、こういう小さな意識の差なのかもな。松本君も加保ちゃんもプロになることを見越しているんだ。
そう文芸同好会の人気作家を見遣る。本気の人間は、目つきが違った。
「松本君はプロだよ」
加保ちゃんの言葉を引用する私。
自分に自信がないから、つい他人の言葉をつかっちゃう。
「読者だって多いし、松本君なら新人賞も夢じゃないかも」
「そうだな。もしそれが叶うなら夢みたいだ」
「夢みたいって……」
「毎年応募してるんだよ。文藝賞に」
文藝賞。純文学作家の登竜門だ。
中学3年生の女の子が受賞したことでも有名だけど、まさかそんな文章職人がしのぎを削る世界に彼が身を投じていたとは驚きだった。
「ははっ、これからはライバルだな」
私が黙ってしまったのを受けて、彼は快活に笑った。
苦悩とか、そういうのは一切見せずに。
「ライバル……」
好敵手。仲間。競争相手。
頭の中で最適な漢字を探したけれど、見つからない。カタカナが一番なじむ。女の子同士ではあまり使われない特殊な言葉だった。
「ねえ」
私は、訊いた。
小説家として。彼の心情を。
「それってどういう意味?」
「認めてるってことだよ」
彼はエナメルのバッグを反対の肩に掛けた。
「男がライバル視する相手は、そういう人間だ」
「え」
認めてるだって?
彼は遠い存在なんだと、勝手に決めつけていたのは自分自身だった。
彼は、ここにいるじゃないか。
「ねえ」
意を決して、私は彼と向かい合った。
近くて遠い距離感。これが、ライバル。
「好きです。私と、付き合ってください」
赤いスポーツカーがうなりを上げて車道を疾走していった。そのエンジン音に声がかき消されていないか、少し心配になる。
彼はにやにやしながら、私を見下ろしている。
まあ、ダメだよな。彼には小説があるんだし。私にだって……。
「いいよ」
一瞬耳を疑った。え、なんだって?
「先を越されて情けないぜ。本当は受賞してから言おうと思ったんだけどな」
群青色をした夜空には、とてもとても、きれいな満月が浮かんでいた。