3.
黒板にでかでかと書かれた「締め切りまであと6日」の文字を見つめながら、私の身体は硬直していた。
教壇では夢野校正先輩がじっくり私の小説を読んでいる。大丈夫、大丈夫だ。だってその文章をいくら透かしてみても、そこに私は存在しないのだから。
右手からシップのにおいが流れた。
「うん。まあ及第点だろう」
素っ気ない感じで先輩は原稿を机に置いた。
え、それだけですか。
私は鳩が豆鉄砲を食らったみたいに、ぽかんとしてしまった。ちょっとくらい褒めてくれたっていいのに。
暖房がやかましく音を立てて、室内をあたためる。
「あの、夢野先輩」
言葉が、口からすべり落ちる。
電車での会話が、なぜかリフレインされていた。
「文芸同好会が廃部になるって本当ですか」
我ながらセリフが唐突すぎるな。
もっと自然に訊ければよかったけれど、私にそんな器用なことはできない。
廊下から嬌声が聞こえる。もうそんな時間か。
「佐藤、なにか言ったか?」
ルーズリーフをクリアファイルに入れる先輩。聞こえなかったわけではないはずだ。神経質そうな細い指がかすかに動揺していた。
「先輩、答えてください」
私はたたみかける。
「それは本当なんですか?」
芸能人のスキャンダルに首を突っ込む記者みたいに、私は言う。
「本当だよ」
先輩の手の甲から血管が青々と浮き出て、彼の持つクリアファイルが静かにひしゃげた。
眠そうにしている窓の外から、幾筋もの紫外線が差し込んで、束となって教室に降り注いだ。
「だけど心配するな。廃部にさせるつもりはないから」
その確信的な言い方に私は思わず「え?」と言いそうになって、あわてて唾を飲み込んだ。
今の言い方だと、まだ存続の希望はあるみたい。
「廃部にさせるつもりはないってどういうことですか?」
そういえば加保ちゃんも似たようなことを言ってたけど、どういう意味なんだろう。
額に手を当てて大げさに肩をすくめる先輩を、私はただ黙って見守る。彼は蛍光灯に照らされたアンニュイな姿勢を崩さずに、ぼそりと呟いた。
「この頃は部誌の売り上げが芳しくないんだ」
うそ。この人は売り上げとか一切口にしないから、ちょっと信じられない。
「その件で生徒会の会計や購買部とも掛け合ってみたんだが、予算の削減は免れないそうだ」
日差しによって熱せられたリノリウムの床が、白く光ってる。
「このままいけば発刊すらも危ういだろうな」
「だったら部員の一人一人から部費を調達すればよくないですか」
文芸同好会は売り上げの大小にかかわらず、基本的に部費は集めていない。その代わり活動費は収入でまかなうのが不文律だ。
「論外」
先輩は取り付く島もなかった。
「慣例化されたルールに縛られるつもりはない。だが、これくらいの困難を自力で乗り越えられないようじゃ、遅かれ早かれ廃部になるだろ」
そう、言うのだった。
「じゃあどうするつもりなんですか」
四の五の言ってないでびほう策を講じたほうが、よっぽど建設的に思える。
そんな私の浅慮を嘲笑うように、先輩はにやりと口角を上げた。むき出しになった白い歯が得意気にのぞいてる。
「ネームバリューだよ」
そう彼はクリアファイルを筒状にまるめて、バナナの叩き売りみたいに教卓をびしっと叩いた。
しかし顔だけはちゃんと真面目で、「佐藤には新人賞をとってもらう」
え? 話のふり幅が大きすぎて、耳がきーんとなった。
スカイダイビングをしたときに感じるであろう、妙な浮遊感が身体を包む。
「考えてみろよ、商業作家が書いた小説が部誌に載るんだぞ。わくわくしないか」
そう夢を語る彼の顔は少年のように輝いていて、私の知らない先輩の、あらたな一面を垣間見れた気がした。