1.
トントンと原稿の束をそろえて、先輩は小さく息を吐いた。
壁の時計を見ると午後7時を回っている。そろそろ警備員さんが巡回に来る時間帯だ。
窓の外からはにぎやかな笑い声が、もの憂げな西日とともに差し込んでいる。
「全然、ダメだな」
赤ペンをこめかみに当てて、夢野校正先輩は容赦のない添削をしていく。
ボールペンを滑らせる音が室内に反響するたびに、私の心臓はきゅっとなった。
「ここもダメ」
そうやって間違いだらけの答案用紙が出来上がっていく。
「あしたの朝までに、直して持って来て」
突き返された原稿に、私の文字は存在していなかった。
盛大なため息とともに校門から出る。
自転車の集団が、私のわきを通りすぎた。
「今日は災難だったなー」
彼はエナメルのバッグをたすき掛けにして、私の肩を叩いた。
色白の肌には不似合いなほど、精悍な顔つきをしている。
「笑いごとじゃないよー」
私はそう横並びになった彼を右肘でつつく。
スクールバッグが肩からはずれて、手首にぶら下がった。
瞬間、激痛が襲う。
「痛ったー」
けんしょう炎だった。
締め切りが迫ってくると、執筆量はそれこそ普段の倍になる。修正が入ってくるからだ。
そのせいで、月末はいつもこうなってしまうのだ。
湿布の巻かれた細い手首が、早くも限界を迎えつつあった。
「仕方ねーな。俺が持ってやるよ」
彼はひょいと私のスクールバッグをかついでしまった。
車道を走るエンジンの音が、胸の鼓動をかき消した。
長く伸びた2つの影が、恋人のように並んでいる。
「あ、あのさ」
髪の毛をさわって自分を落ち着かせながら、私は言葉を探す。
彼とは反対の方向を見ると、同じ高校生の男女が、手をつないでコンビニに入っていった。
「じゅ、じゅんちょう?」
「はあ?」
「ええと、だから、小説のほうさ」
「ああ」
彼はあごに手を添えて上を向いた。
カラスがどこかに向かって飛んでいる。
「まあ、お前みたいにバカじゃねーから、ストックはたくさんあるけどな」
さりげなく皮肉を言われた。思わずむっとなる。
「順調では、ない」
暮れかけた夕日に、彼は目を細めた。
すこし寂しそうな顔つきだ。
「執筆してるときは孤独だからさ」
彼はそう路傍の石を蹴る。
アスファルトの上を硬質な物体が転がった。
「あの閉塞感がたまらなく嫌だ」
その背中はとても小さく見えた。
「何度筆を折りたいと願ったか、わからない」
手を伸ばせば届く距離なのに。
私には虚空をつかむことしか出来ない。
「純文学はよくわからないけど、がんばってね」
「おうよ」
冷たい夜風が、私の両脚をなでた。