【自殺時間】夕焼け色の悪魔
夕暮れ時に、彼の背中を見た。
ずっと前に死んだはずの彼だった。
「高橋くん…?」
思わずその赤いジャージ姿を追う。
今足を動かすそれは、未練なのか、それとも懺悔なのか。
捕まえたら謝罪の言葉をかけよう。
わたしの力不足だったって。
スクランブル交差点の中、彼の影が霞む。今日はやけに人が少ないというのに、こんなにも見失いそうになるなんて。
「高橋くん!!」
叫んだ瞬間、近くの目がギョロリとこちらを見下す。
しかし声は届かず、カラスの羽搏く鳴き声に掻き消された。
地震の前触れなのか、今日は獣がやけに煩い。
ふと、自分が面白いくらいの汗をかいていることに気が付いた。
今日ってこんなにも暑くなる予定だったっけ?
赤になった交差点を走って突っ切れば、またあの赤い背が見えた。
ホッと胸を撫で下ろすのも束の間、彼はまた遠くへと歩んで行く。
真夏のコンクリート上の水。
それとも幻覚症状の伴った陽炎だろうか。
それが魅せるのは嘘か真かたかがしれない。
掴もうとすればスルリと抜ける幽霊のように。
死海色をした空の下、彼を追い続ける。
ピタリ、と彼の足が止まった。
「 」
口が小さく開閉するも、何を言ってるのかが聞こえない。
「何言ってるの…?」
「 」
嗚呼、この時だけは。烏も蝉も鳴きやんでくれたっていいじゃないの。
「 」
ニヤリと彼は笑う。
三日月に持ち上がった口元、細められた目、吊り上がった眉。
ーーーー違う。
と、直感がわたしに訴えかけた。
「きみは、……だれ?」
震える唇から声が漏れ出でる。
恐れが胸をざわつかせて、風が大きく草花を揺らす。
同じく揺れる金色の髪には、まだ所々に血の赤が残っている。その髪は相変わらず柔らかそうだったが、今は日本人形のような不気味ささえ醸し出していた。
「 」
蝉がうるさい。
蠅が近くを飛んでブンブンと鳴く。
烏が天で円を描いている。
何も、…聞こえない。
わたしの耳が可笑しいせい?
それとも周りが騒いでいるせい?
「 」
ついておいで。そう聞こえた気がして、わたしは再び走り出した彼を必死に追いかけた。
「 」
楽しい約束をしようじゃないか。
そんなふうに、風に乗った声が耳元で囁く。
風は夕焼けを切り滲ませ、夜の色に移ろわせようとしていた。
これを拒めばどうなる?どうなってしまう?
また目の前から消えてしまう?
「わ、わかった。わかったから!”約束”、しよう……!!」
ずーっと前に、高橋くんに指切りの話をされた事を思い出した。
あの時の彼の表情は、もう思い出せない。
夕景の下、ビルの屋上。
金髪だった彼の髪の毛はいつの間にか空の色に染まっていた。
紅く、柔らかい、情熱の色。
その噂には聞き覚えがあった。
「人を殺め続けた人間は大罪人である。」
「人を傷付け続けた人間は大罪人である。」
「人に信頼され続けた人間は大罪人である。」
「大罪人の裁きは大罪が行う。」
「大罪人は、その大罪を償うまで”その身をもって”生き続けなければならない。」
「例え、死んだ体だとしても。」
「さて、その大罪には触れてはいけない。触れれば自らもが罪に食われてしまう。」
「彼らを見てはいけない。目を合わせてはいけない。その瞬間にお前の魂は食われるだろう。」
「念の為に記しておこう。彼らの名はーーー………」
空を見上げてた彼は振り返った。
烏も蝉も蠅も、もう何処かへ消えていた。
「俺は暴食の大罪、悪魔ベルゼブブ。ねえ人間、……いや、新たな俺の主人。」
桃色の瞳がわたしを捉える。
「ーー君はすぐ喰われるなよ?」
赤いジャージがはためく。
桃色の瞳はニヤリと笑った。