殺人を認めない世界の矛盾
世界のどこかで人を殺すと罪に問われる。
そんな当たり前のことは誰もが知っている事実だ。
罪の重さは世界統一で死刑や終身刑が多い。
しかし、世界は殺人を提供している。
国が繁栄するために人を殺し、殺されてきた。
戦争で勝利し、勝利に貢献したものは人殺しではなく、英雄とたたえられる。
裁判で遺族は被告人に対して死刑を望む。大衆もそれを望む。
だが、普通に殺したのでは人殺しとしてののしられる。
同じ人殺しであるのに矛盾している世界。
世界は人一人一人に不可侵の権利を与えた。
いかなる理由があろうとも命を奪ってはならない。
この地球に生きている人間に対して絶対に揺るがない永遠の権利だ。
いかなる理由と明記されているが、矛盾してはいないだろうか?
いかなる理由の中には殺人も入るだろう。
しかし、死刑はどうなのだろう。
死刑だって命を奪うものだ。
権利に反しているとは思わないだろうか。
私は死刑廃止論者ではない。
死刑は良い制度だ。
目には目を。歯には歯を。悪には悪を。
しかし、何でもかんでも死刑にしたらいいというわけでもないだろう。
そんなことを認めれば、世界は殺人を認めることになる。
いや、すでに認めているのか。
認めているならば、国際法律を変えるべきだ。
そうすれば、殺人を許容している世界になる。
だが、認めてしまえば、殺人を罪に問うことも難しくなる。
なぜなら、世界が認めているからだ。
大衆は見たいように見て、聞きたいように聞く。
そして、信じたいように信じる。
それをあえて、利用すれば、殺人は認められてしまう。
動機も何もない。
世界が認めているからの一言で済むのだから。
このように世界は矛盾だらけだ。
特に民主国家というものはどの国家よりも矛盾していることが多い。
民意に答えることを裁判に持ち込んできているぐらいなのだから。
司法とは全ての人間に対して平等にならねばならない。
民意を裁判に持ち込んだら司法は要らない。
なぜなら、民主主義は多数決で賛否が分かれるからだ。
反対を上回る人数で賛成を希望してしまえば、賛成になってしまう。
死刑だって同じことだ。
皆が望めば死刑になるのだから。
皆が加担するものは正しくなってしまう。
皆で暴力を振るう事だって正しくなってしまう。
民意とはそれほど凶悪なものだ。
殺人なんかよりずっと危険に満ち溢れている。
この世界は醜悪で卑劣だ。
平和などという叶わない希望にすがって殺人を犯し、一時的な休戦のようなものがしかれ、また戦争が勃発する。
人間のサイクルは崩壊してしまったのである。
無駄に生まれて無駄に死んでいく。
しかし、このサイクルすらなくなったら人間は生きていけないというのもまた事実だ。
人間が生きていくためにはエネルギーが必要である。
どんな生物にしても生きていくにはエネルギーが必要である。
水や野菜、肉。
飲食物がエネルギーとして消費される。
しかし、人が増えれば増えるほど、飲食物は少なくなる。
このサイクルがなくなれば、無限に人は増え続け、やがてはエネルギーは尽きるだろう。
そして、人は自分たちが生き残るために食糧などの奪い合いをする。
なぜ、世界はこんなことが起きているのに殺人を認めないのだろうか。
金だってエネルギーだって無限にあるわけではない。
法律を変えて、無価値な人間を処分するべきではないだろうか。
そこに人を殺したくてうずうずしている馬鹿を放り込めばいい。
無価値な人間もいなくなり、殺人がしたい馬鹿を処分できて一石二鳥だと思うのだが。
それこそ、社会不適応者を消すために馬鹿を使った方が世界にとって経費が浮く。
社会が憎いからって人を無差別に殺す馬鹿、金がないからって平気で強盗したり、万引きしたり、税金を滞納するクソ野郎や生活保護を悪用するクズは人殺しをしたい馬鹿に喰わせればいい。
ほとんどの犯罪が自己都合、自業自得じゃないか。
学生の時にしっかり勉強してこなかった自分が悪い低脳は自分のことを棚に上げて、人が悪いだのなんだの愚痴を撒き散らしてやがる。
本題から大きく外れた話をしていたが、これを読んだ皆はどう思うだろうか。
自業自得の社会不適応者たちと人殺しを認めない矛盾した世界のことを。
感想や意見をいただきたい。
以上にて『殺人を認めない世界の矛盾』を終了する。
読んで頂きありがとうございました。
あくまで僕の考えです。
この考えに意見がある方や感想が欲しいです。
でも、矛盾している世界だとしても、醜悪で卑劣な人間が住んでいる世界だとしても、ぼくはこの世界が好きです。
なぜなら、僕にとって興味が尽きない世界だからだと思います。
皆はこの世界のことは好きでしょうか?