第七話 娘の恋路
「お母さん?」
ハッと我に返った私は、慌ててコーヒーに口をつけるがまだ冷めておらず、下唇をヤケドした。
「大丈夫!?」
台所へ走ったブリジッドはタオルを水で濡らし、私に差し出した。
「これで冷やして」
「あ、ありがと」
「もうそそっかしいんだから・・・」
少し呆れた表情を浮かべたブリジッドは、もう一度イスへ座るとトーストをちぎり始めた。
「考え事?」
「いえ、ちょっと昔の事を思い出していたの」
「昔の事?」
「ええ・・・」
話し始めようとしたとき、チャイムが鳴った。レベッカかもしれないと思った私は、カーディガンを羽織り直し、立ち上がった。
「あ!私、出る!」
そう言うとブリジッドは私を無理に座らせると、慌てたようにバタバタと玄関へ走って行った。何かあると感じた私は、足音を出来るだけ消しながら玄関へ近付いた。
玄関に誰かがいるのはわかったが、ブリジッドの姿が重なり誰かはわからない。
「早かったね」
「ああ、早く目が覚めてさ」
声からすると、男性のようだ・・・この声は・・・。
「お袋さんは、まだいるの?」
「えっう、うん」
それを聞いた私はわざと壁に拳をぶつけ、音を鳴らした。
「あっ」
「おはようジェフ」
私に驚いたのか、ジェフは一歩後ずさりをした。その反動でずり落ちそうになったジーンズを必死で持ち上げている。
「ブリジッド、あなた仕事は遅番って言ってたわよね?」
「う、うん・・・」
少し焦った表情のブリジッドも目を泳がせながら、ジェフと目を合わせる。ジーンズを押さえたままの彼は、不気味な笑みを見せた。
「ジェフ」
「は、はい!」
「私この前言ったわよね?そのだらしのない格好どうにかならないのって」
「あっはい・・・」
ブリジッドと同じく目を泳がせているジェフは、口をモゴモゴさせながら小さく答える。どうやら反論はないようだ。それと同時に私はおかしな想像をしてしまう。
「まさかブリジッド、あなたもスカートを変に下げて歩いてるわけじゃないわよね?」
「何言ってるのよ!そんなことしたら下着が見えるじゃない!」
「ああ、それも、そうね・・・」
私はそう言いながらも軽くジェフを睨むと、彼は汗を掻いたのかポケットに手を入れハンカチを取り出した、と同時に透明の小さな袋をポトリと落とした。
袋の中には白い粉が入っている。
「ジェフ!あなた!」
私はジェフよりも早くその袋を拾い上げ、彼の前に突き出した。
「ち、違います!」
「何が違うのよ!あなたこれのせいで殺されかけたっていうのに、まだこんなことを!」
去年、彼は殺されかけた。
麻薬の密売に失敗して仲間に撃たれたのだ。しかしなんとか一命を取り留め治療を終えた後、しばらくの間刑務所へ入っていた。
服役しているとき、ブリジッドはよく面会へ行っていたのを思い出した。そしてつい最近出所し、きっぱり麻薬とは縁を切りますと宣言をしに私の元へやって来たのだ。そして二人の真剣さに私はついつい交際を認めてしまった。しかしそうではなかったらしい。
「あなたにブリジッドを任せられないわ!帰りなさい!」
ジェフの胸ぐらを掴む勢いで突進する私をブリジッドが必死に押さえた。
「お母さん!待って、違うの!」
「あなた、これを見ても・・・」
「それ、風邪薬なんです・・・」
「風邪?」
「はい、俺、バッグとか持たないんで、ポケットに入れてるんです」
そういえば、今日のジェフは鼻声だ。ということは、私の勘違いだったのか。自分の顔が真っ赤になっていくのがわかった。
「ごめんなさい!私てっきり・・・」
「いや、元はといえば俺のせいですから」
ハハハとジェフが笑ったとき、ジーンズがずるりと腰まで落ちた。青ざめたジェフはチラリと見るも、私は何も言えずブリジッドの方へ顔を向けた。
「どこかに行くのなら、仕事には遅れないようにね」
そう言い残した私は真っ赤な顔のまま居間へと急ぎ足で戻った。
玄関から「いってきます!」と元気な声が聞こえ、ドアが閉まる音がした。
時計は10時半を過ぎた。私はソファに寝ころぶと、天井を見上げた。最近一人でいるのが増えた気がするが無理もない。ブリジッドだって立派な大人になったのだから、恋人と一緒にいる時間を大切にするのは当然だ。それでも少し寂しいのはなぜだろうか。レベッカに昔言われた言葉を思い出す。
「ブリジッドだってもう大人なのよ?」
私は起き上がり、冷めたコーヒーに口をつけた。




