第六話 過去の想い
朝が来るのがとても早いと感じた。無理もない、家に着いたのは午前3時を回っていたのだから。
壁に掛けてある時計に目を向けると、午前9時を指していた。店は当然休業中だろう。私はコーヒーでも飲もうと、パジャマの上から薄いカーディガンを羽織ると、1階の居間へ向かった。
「おはよう」
とっくに出かけたと思っていたブリジッドがエプロン姿で台所に立っていた。寝ぼけたままの私は彼女の顔をジッと見ながらテーブルにつく。
「ブリジッド、仕事は?」
当たり前のようにコーヒーを持って来てくれた彼女は、呆れながらも笑顔を見せる。
「今日は遅番って言ったじゃない」
「ああ、そうだっけ」
「今パン焼くから、ちょっと待ってて」
「ありがと」
台所へ戻ったブリジッドは、鼻歌交じりでパンを取り出すとオーブントースターに入れた。
少しおかしいと感じた。いつもならば昨夜の事を尋ねてくるはずなのに、そんな素振りを見せない。
気になりつつも、私はテレビの電源を入れた。朝の時間ということもあり、どのチャンネルもニュース報道をしている。と、エディの店が映し出された。ブラウン管の中で、綺麗な黒髪が印象的な女性キャスターが原稿を読み上げている。
「・・・昨夜、サンカフェという店で、殺人事件が発生しました。死亡したのは、近くに住むスティーブ・ブラウン、65歳。そして、この店のオーナーであるエディ・テーラーを殺人の容疑で昨夜緊急逮捕したと、警察の発表がありました。その・・・」
テレビの電源を切った私は、コーヒーを啜る。
やはりエディが容疑者として逮捕されてしまった。ウィルの言う通り、私は彼を助けることなどできないのだろうか。
「ニュース、さっき私も見たよ」
こんがりといい色に焼けたトーストと、色とりどりのサラダを私の前に置くと、ブリジッドがそう言った。
「この事で、昨日お母さん出て行ったんでしょう?」
何も言わずとも彼女は知っていた。
「ごめんね、夜中にあなたを一人にさせて」
「何言ってるの?もう慣れた事だよ」
そう言いながら意地悪な笑顔を見せ、私と向かい合わせに座ったブリジッドはコーヒーを一口飲んだ。
「レベッカは・・・大丈夫なの?」
コーヒーをテーブルに置いたブリジッドが私の目をジッと見つめた。隠し事をしても、きっとすぐにバレてしまうと悟った私は、一つ小さな溜め息を漏らした。
「当たり前かもしれないけれど、少し疲れているわ。でも、私もレベッカもエディが犯人じゃないと思ってる」
「お母さん・・・」
「彼がそんなことをするはずがないわ」
黙ったまま、ブリジッドは私の話に耳を傾けていた。その顔には幼さは消え、大人の女性がそこにいた。
私の透視という力を話したとき、彼女はまだ13歳だった。
当時、3歳から6歳までの4人の少年少女が次々に誘拐される事件が発生していた。捜査の協力を依頼された私は犯人が残したと思われる証拠を透視をするため、何度も警察署へ足を運んでいた。それでブリジッドは私が何か悪いことをして警察署へ行っていると思っていたらしく、ある日私の後をつけて来たのを今でも覚えている。
透視を始めようと小部屋へ入ろうとしたとき、ブリジッドの叫び声が聞こえた。
「お母さん!」
驚いた私は、走り寄ってくるブリジッドをただジッと見つめていた。彼女は私にしがみつき、隣りにいた刑事を睨みつける。
「お母さんは何も悪いことなんてしてないよ!お母さんを連れて行かないで!」
「ブリジッド!?あ、あなた、学校は?」
動揺を隠しきれない私は彼女を体から離し、顔を見つめた。涙を流してはいなかったが、必死の形相で私の袖を握り締めている。
「こんな時に学校なんて行ってられないよ!お母さん何もしていないのに!」
そう言いながら私を警察署から連れ出そうと、玄関へ引っ張り始めた。
「ブリジッ・・・ちょ、ちょっと待って、話を聞いて!」
ブリジッドが勘違いをしていることに気がついた私は、引っ張られながらも彼女の肩を掴む。
「話なんてしなくてもいいよ!」
そばにいた刑事は面白いものでも見るかのように、腕組みをして様子を見ていた。
なんとかブリジッドに話を聞いてもらおうと、私は反対に彼女を引っ張り、抱き締めた。
「ブリジッド、よく聞いて。私は悪い事なんて何一つしていないわ」
その言葉を聞いたブリジッドは引っ張るのを止め、腕の力を抜いた。
キョトンとした目でブリジッドが私を見つめているが、でもそれじゃあどうしてという目だ。
「あのね、私は透視という力を持っているの」
「とうし?」
「ええ、その力を使って警察に協力をしているの」
「お母さんが?」
「そうよ。あなたよりも幼い子ども達が誰かに連れて行かれてしまったの。きっとその子達はとても怖い思いをしているはずよ。私はその子達を見つける為にここへ来ているの」
じっと話を聞いていたブリジッドは時折小さく頷く素振りを見せた。
「少しでも早くその子達を助けたいの」
「お母さんは、捕まらないの?」
「もちろんよ、あなたを一人になんてさせないわ」
ブリジッドは涙を見せなかった。その代わり、私を元気にしてくれる笑顔を見せた。
犯人は私が透視した、町外れにある小屋に子ども達を監禁していた。食事を与えられず、衰弱していたものの、全員が無事に保護され親元へと帰った。可愛かったから誘拐したと言っていた35歳の犯人も早急に逮捕し、捜査は終了した。
その犯人は、今も刑務所で暮らしているはずだ。
ブリジッドの笑顔を思い出すだけで、私に怖いものなどなくなってしまう。何度勇気づけられたことだろう。
時は過ぎてブリジッドは大人になり、一人の女性として今私の目の前にいる。私はその落ち着いた瞳をジッと見つめていた。