第二話 隠しきれない動揺
時計はもうすぐ0時を回ろうとしていた。
店の前に何台ものパトカーが止まっており、周囲には黄色いテープが貼られている。
警察官と野次馬で一杯になったカフェの前で、私は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。何かあったかなど聞くまでもない、私は人をかき分けながらレベッカの姿を探した。
「アスリーン!」
店の玄関から勢いよく出てきたレベッカは、そのまま私の胸に飛びついてきた。
常に冷静さを保っている彼女がこんなにも取り乱しているところなど見たことがなかった。私は何も言葉にできず、ただ肩を振るわせて泣く彼女を抱き締めることしかできなかった。
「こんばんは」
聞き覚えのある声が私の背中に悪寒を走らせた。ゆっくり振り返ると、白手を身につけたウィルがそこにいた。
「ウィル?どうしてあなたがここに?」
「あなたこそ、こんな夜中にどうしたんですか」
この状況でよくそんな言葉が出てくるものだと言いたかったが、ぐっと堪えて私はウィルを軽く睨んだ。
「私はここの従業員よ」
「ああ、そうでしたね」
「それより、一体何があったの?」
その言葉を聞いたレベッカがゆっくりと顔を上げた。その瞳は真っ赤に充血している。
「レベッカ?」
「実は・・・」
何か言おうと口をパクパクさせるが、言いづらいのか目が右往左往している。
「電話で私に助けてって言っていたわよね?何があったの?」
「アスリーンさんに電話をしていたんですか?」
「ええ・・・」
力なく頷いたレベッカはそれから下を向き言葉に詰まってしまうと、ウィルが手帳を取り出した。私は彼の方を向き、その冷たい眼差しをジッと見つめた。
「何があったのか、教えてもらえる?」
「ええ、いいですよ」
表情を変えることなく、彼は淡々と話し始める。
「この店で殺人が起こりました」
「なんですって!?まさか、エディが?」
「いえ、殺されたのは、スティーブ・ブラウンです。エディ・テーラーとは友人関係にありました」
「エディは無事なのね?」
「はい」
ホッと胸を撫で下ろそうとしたそのとき、ウィルは私の後ろにいるレベッカをチラリと見た気がした。どうやらこれでお終い、というわけにはいかなさそうだ。
「エディ・テーラーを殺人の容疑で緊急逮捕しました」
「な・・・どうして?」
「彼はこの店のオーナーです。それに・・・」
「エディがオーナーだったら何よ!それじゃあ世の中のオーナー全員殺人者になるじゃない!」
私は遮るように、息つく暇を与えずに言葉を発した。が、ウィルのその表情が変わることはなかった。
「話は最後まで聞いてください」
そこでまたウィルはレベッカをチラリと見る。嫌な予感がしたが、私は振り向くことができずにいた。
「目撃者がいるんです」
「私よ・・・」
レベッカの絞り出したような声に驚いた私は、思わず振り返る。
「私が目撃者・・・なのよ」
「どういう事?」
「10時頃、忘れ物したから取りに行ってくるって家を出たんだけど、一時間経っても戻って来なくて。心配になって様子を見に来たの・・・」
そこで一瞬、話が途切れた。何かを思い出したかのように、レベッカの見開いた瞳はどこかをジッと見つめている。
「事務所の明かりだけついていたから、いるんだと思って中に入ったの。そしたら・・・ナイフを握り締めて・・・人が倒れてて・・・」
それからレベッカは手で顔を覆い、何も話せなくなってしまった。私は彼女を抱き締めると、店を見つめた。
明るい笑い声が確かにそこにはあったはずだ。なのに、どうしてこんなことになってしまったのか。レベッカに問いただすのは酷な事なのだろうか。
「ウィル、エディはもう警察に?」
「はい」
突然の質問に顔色が変わることはなく、ウィルは素っ気なく答えた。
「警部、準備ができました」
制服姿の女性警察官がウィルに敬礼を見せた。彼女と二言三言、言葉を交わしたウィルは私と向き合う。
「レベッカさん、詳しい話を聞かせてもらいたいのですが、警察までご同行願えますか」
「ええ・・・」
力のない声だったが、はっきりと聞き取れた。私はレベッカをさっきよりも強く抱き締め、深く頷いた。
「ちょっと、行ってくるわ」
「わかったわ」
レベッカは女性警察官に促され、パトカーの後部座席に乗り込んだ。
「一緒に行かなくてもいいんですか」
ウィルもパトカーが去るのをジッと見つめていた。正直言うと、私も驚いていた。ついて行こうと思っていたのだが、足が止まってしまったのだ。
「店の中、見せてもらえない?」
「・・・わかりました」
「え?いいの?関係者じゃないけど」
「あなたはここの従業員ですから。関係はなくもない」
「・・・そう、ね。それよりウィル。あなた警部だったの?」
ふと顔を上げると、隣りにいたウィルの姿はなかった。慌てて周囲を見渡すと、すでに彼は玄関に着いていた。
「ちょっと待って!」
店内に入ると、捜査官たちが所狭しと動いていた。
「こちらです」
見慣れたはずの事務所にも捜査官はいた。写真を撮っている者、指紋を採取している者、仕事はそれぞれだが、全員真剣な眼差しで作業をしている。
私は事務所の入り口で足を止めた。床におびただしい量の血痕が残っていたからだ。その血の匂いと大勢いる人間の熱気で、私は気が滅入りそうになる。遺体にシートが掛けられていたのが、せめてもの救いだった。もしこの状況で遺体を目にしていたら、間違いなく周りに迷惑をかけていただろう。しかし、シートの下から黒人のものと思われる右手が見え隠れしており、私は少し気分が悪くなってしまった。
「凶器は?」
ウィルが近くにいた捜査官の肩を叩いた。事務所はとても蒸し暑く、彼は額にじんわりと汗を掻いていた。
「これです」
鞄から取り出したナイフは、透明の袋に入れられていた。刃には血がこびりついている。
「鑑識はまだなのか?」
「もうすぐ到着すると思われます」
「そうか・・・アスリーンさん、これが犯行に使われたナイフです」
それは間違いなく、店で使われていた物だった。レベッカが使っていたのを覚えている。
「し、指紋は?」
「残っています。詳しく調べてみないとわかりませんが、おそらくエディのものではないかと」
凶器をジッと見つめた私は、ウィルの顔色を伺った。
「指紋の鑑定はまだなのよね?触っても大丈夫なの?」
「駄目です」
「え?ダメなの?」
「はい・・・しかし他の物なら大丈夫です」
そう言うと、ウィルはエディが使っていたデスクの上に置いてあったカギを持ち上げた。
「外に止めてあったRV車のカギです」
「スティーブの?」
「多分」
カギを受け取ろうと手を伸ばした瞬間、彼はひょいとかわした。何の冗談かとウィルを軽く睨んだが、その表情が変わることはなかった。
「約束をしてください」
「約束?」
「あなたは容疑者であるエディ・テーラーと知り合いであり、しかもその娘のレベッカ・テーラーとも友人関係にある。彼に不利なものを透視してしまうかもしれません」
彼が何を言おうとしているのがすぐにわかった。
「私は何が起きたのか知りたいの。ウソなんてつかないわ」
「・・・わかりました」