清水なちる(5)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。お茶を淹れる腕は一級品。思いもよらないことに巻き込まれそうな予感……。
・那智しずる:二年生、文芸部所属。一人称は「あたし」。学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出している新進気鋭の小説家でもある。
・千葉さん:清水なちる担当の編集員。まだ高校生のしずるを、作家として対等に扱っている。編集部の中での地位は、上の方であるらしい。
・編集長:出版社のノベル部門のリーダ。
・鍋丘:青年誌部門の編集員。何とかして、しずるをグラビアモデルに担ぎ出そうと、策略を練っている。
わたし達は、お昼を食べるために、近くのファミレスに来ていた。
「岡本さん、と言ったかな。何でも好きなものを頼んでいいよ」
「えっ、そんなの申し訳無いですよ」
「大丈夫よ、千夏。経費で落ちるから。好きなものを頼みなさいな」
「そうなの? じゃぁ、美味しそうなのを選ぶね」
それで、わたしは、メニューを隅から隅まで眺めた。
(あっ、美味しそうなのがあった。でも値段が高いなぁ。遠慮しとこうかなぁ……)
「あたしは、この『デミグラスソースのオムライス』でお願いします。……あら、千夏、どうしたの。何でもいいのよ。経費なんだから」
「でも、何か高いのばっかりで……」
「そんなの気にしないで。ほら、何が食べたい?」
「じゃ、じゃあ、この『コンビネーションランチ』で」
「本当にそれでいいの? 値段は気にしなくていいのよ」
「い、いや、本当にこれが食べたいから」
「そう。じゃぁ、『コンビネーションランチ』でお願いします」
と、しずるちゃんはなんにも気にせず頼んだ。
(お昼に二千円近い値段のご飯なんて、食べたこと無いよう。こんな贅沢な事していのかなぁ)
わたしは、相変わらず田舎者みたいだった。しずるちゃんみたいに、東京に慣れると度胸がつくのかなぁ。我ながら、ちょっと情けなかった。
料理が来るまで、わたし達は、当面の厄介事を話し合っていた。
「まぁ、しかし、漫画化かぁ。斜め上を突いてきたなぁ。あれじゃ、断る理由がない。もう編集長にも話を通してあるらしいしなぁ……。こりゃ、参った」
しずるちゃんの担当編集の千葉さんである。自分の頭を通り越して、漫画化が本決まりになりそうなんだから、こりゃ頭にくるよね。
(しずるちゃんは、どう考えてるんだろ?)
彼女は、少し仏頂面で、コップのお冷を口に含んでいた。
「あー、やっぱりダメ。都会の水道水って、変な味。千葉さん、ドリンクで烏龍茶を頼んでもいいでしょうか?」
「いいよいいよ、いつものことだから。好きに頼んで」
「すいません、千葉さん。……あーと、すいません。烏龍茶を一つ追加して下さい」
しずるちゃんのオーダーに、「承知しました」との返事があった。少しして、テーブルに烏龍茶が届けられる。
「しっかし、清水先生は、相変わらずの味覚過敏だね。水道水が飲めないなんて」
清水先生とは、しずるちゃんのペンネームの『清水なちる』のことだ。
「千葉さんは、本当に美味しい水を飲んだことが無いから、分からないんですよ。それとも、都会の不味い水で育ったからかも知れませんね」
しずるちゃんは仏頂面で応えた。丸渕眼鏡の奥の瞳も、キッとした強い眼差しになっている。
「それにですね、問題はこれからどうするかですよ、千葉さん」
「そ、そうだね。取り敢えずは、編集長も含めて打ち合わせだな」
まぁ、そだよねぇ。そういえば、しずるちゃんも千葉さんも、漫画化には賛成なんだろうか? それとも、反対なんだろうか?
「しずるちゃんは、自分の小説が漫画になるのって、反対なの?」
わたしは、自分の疑問を素直に問いかけた。
「まぁ、そうねぇ。特に嫌っている訳じゃないわ。千葉さんは?」
「ぼくも、企画自体は賛成だな。ただし、力関係は、はっきりさせたい。あくまでも、こっち主導で話を進めたいな」
と、編集さんは応えた。
「そうですよね。今日まであたし達に知らせずに、隠れて企画を進めていたんですものね。順序が逆でしょう、順序が」
彼女の口調には、怒りが混じっていた。清水なちる先生は、そうとうにお冠のようだ。
「その通りだよね。その辺は筋を通させてもらう。たとえ、混ぜっ返しになってもね。先生もそれでいいですね」
「あたしには、異存はないわ」
そうしているうちにお料理が、運ばれてきた。
「さぁさ、先生も岡本さんも食べてよ。しっかり食べとかないと、相手に飲み込まれちゃうよ」
「そうですね。では、いただきます」
「いただきまぁす」
わたしも、目の前の『コンビネーションランチ』に箸をつけた。鉄板の上には大きなハンバーグと鶏肉。それにプラスして、ソーセージが三本。付け合せはポテトと人参などなど。更にライスとミニサラダ付きだ。
(思ったよりボリュームあるなぁ。全部食べられるかなぁ)
等と思いながら、わたしはハンバーグを切り取ると口へ運んだ。
「おーいひぃ」
思わず声が出る。
「本当? 良かったわ、千夏に気に入ってもらえて」
「そかな。でも、ホントに美味しんだもん」
そんなわたしを見たしずるちゃんは、珍しくクスクスと笑った。そんなわたし達を、千葉さんは不思議そうに眺めていた。
そのうち、千葉さんは、ふとこんな言葉を漏らした。
「岡本さんて、ぼくと会うのは初めてですよねぇ」
「え? ええ、そですけど」
何だろ? わたしには全然記憶にないや。どして、そんな事を訊くのかな?
「う~ん。何かどっかで会ったような気がするんだよなぁ」
「千葉さん、他人の空似じゃないですか?」
しずるちゃんがそう言っても、千葉さんは未だ首を傾げていた。
「なんだか、初対面て気がしないんだよなぁ。何でかなぁ。話し方や仕草なんかが、誰かに似てるような気がするんだよねぇ」
「親戚の娘さんとか、知り合いの誰かが似てるんじゃないですか」
わたしには全く身に憶えがないので、千葉さんにはそう返事をした。
「そうなのかなぁ。あ、ごめんね。変なこと言って」
「あ、いいです。気にしてませんから」
と、わたしもそう応えておいた。けれども、微妙に心に引っかかる。どしたんだろ?
一時間ほどかけて、ゆっくり食事をした後、出版社の本社ビルに戻ると、千葉さんとわたし達は編集部に顔を出した。部屋に入るなり、千葉さんは窓際の大きな机に向かった。そして、一番年配とみられる男性に、声をかけた。
「編集長、お時間よろしいですか?」
「ん? 構わないよ。何だね」
この人が、編集長さんだったんだ。千葉さんは、単刀直入に本題をぶつけた。
「編集長は、例の件のことを知ってたんですか?」
「例の件? あ、ああ、あの件ね。ふむん。清水先生も一緒か……。実は、ちゃんと僕から話すつもりだったんだが……。『ヤングフラッシュ』の鍋丘くんだろ。あいつは、昔からすぐに先走る奴だったからな」
編集長さんは、少しばかりボヤくようにそう言った。
しずるちゃんは黙っていたが、例のキツイ目で、キッと編集長さんを睨みつけていた。
「取り敢えず、僕も含めて、ちゃんと話し合おうか。あーと……、木崎くん、どこか空いてる会議室はないかい」
木崎と呼ばれた女性は、目の前のパソコンを少し操作すると、
「編集長、第三会議室が空いてます。すぐに使いますか?」
と応えた。
「ああ。じゃあ、四時半まで取っといて。千葉くん、それから清水先生も。ちょっとお話、いいかな?」
しずるちゃんは、不機嫌な態度を崩さずに、
「分かりました」
とだけ、応えた。
(えーと、これからどなるんだろ? なんか、修羅場に来ちゃったかなぁ。どしよう。わたしなんかがいたら、邪魔になっちゃうかなぁ)
そう思ったわたしは、しずるちゃんの袖をちょっと引っ張ると、小声で相談してみた。
「わたし、一緒だと邪魔っぽいから、どっかで時間をつぶしてこよか?」
すると、彼女はどう思ったのか、
「大丈夫よ。千夏は邪魔じゃないわよ。むしろ、関係者だから」
と、謎の言葉が返ってきた。
「その通り。そのお嬢さんも、一緒に聞いてもらいたいことがあるんだ」
編集長さんも、含みのある言葉でわたしを誘った。
「はぁ……」
そう言われては仕方がない。と言うか、右も左も分からない東京で、独りどこかで暇をつぶすなんて、実は不安だったのだ。状況が分からないままだったが、わたしは、しずるちゃん達の後に続いてオフィスを後にした。
会議室に着くと、編集長さんはわたし達に座るようにと、椅子を勧めてくれた。
開口一番、千葉さんが意見をした。
「編集長、『週刊ヤングフラッシュ』で清水先生の作品を漫画化するのってのは、もう決定事項なんですか?」
その問に、編集長さんは、ちょっとのらりとした感じで応えた。
「そうねぇ。その話は、昨日の夜中ごろに僕のところに来たんだな。取り敢えず「考えさせてくれ」とは答えていたけど。まさか、君達のところに突撃するとは思わなかったな。鍋丘くん、君達が昼食の間にもやってきて、息巻いてたよ」
「ほんとですか! 鍋丘の野郎、先走りやがって。何でもかんでも、自分の思い通りになるって思うなよ」
「しかし、僕としては、清水先生の作品を漫画化することは、将来的に見ても良いことじゃぁないかと思うんだが」
「それは、ぼくだってそう思いますよ、編集長。でも、やり方が強引すぎる」
「あたしも、同意見ね。それと、千夏には説明が必要よね。あたしから説明しましょうか」
しずるちゃんの声は、少し厳しかった。
(え? 何? わたしって、この一件に何か関係あるの?)
「先生、それに編集長。岡本さんがどうかしたんですか?」
千葉さんにも分からないようだった。だったら、わたしにも分かる筈がない。わたし達の疑問に答えるように、編集長さんは、ゆっくりとこう言った。
「千葉くん。気が付かなかったのかい? 彼女、そっくりでしょう」
「そっくりって……、何がです?」
「未だ分からないのかい。彼女、『萌える惑星』のヒロインの女の子のモデルだよ。そうでしょう、清水先生」
「あ、そう言えば……。さっきも、どっかで会ったことがあるような気がしてたけど、ヒロインの岡田夏希ちゃんかぁ。そうか、モデルがいたんだ」
千葉さんは、何か納得が言ったという感じで、わたしの顔を見つめた。
「しずるちゃん、モデルって何? わたしの事、小説に書いてあるの?」
すると、しずるちゃんはちょっと頬を赤らめると、少し明後日の方向を向いて、こう言った。
「そうよ。『萌える惑星』のヒロインは、千夏をモデルにしたの。だって、千夏って、本当はとても可愛くて、お料理だって、お茶を淹れるのだって上手だし。凄く素敵な女の子なのに、周りは全然気が付いていなくって。だから、千夏のことを皆に知ってもらいたくって、モデルにしたの。そうしたら、思った通り人気になって。それが嬉しくて、また次の巻を書き上げて……。ご、ゴメンね、千夏。勝手な事して……」
(そ、そだったんだぁ)
わたしは、しずるちゃんが、わたしの事をそんな風に思っててくれたのを初めて知った。
「ごめんなさいね、千夏。あたし、こんな事に千夏を巻き込むなんて、思いもよらないことだったの。ごめん……、ごめんなさいね」
しずるちゃんは、ホントに済まなさそうにしていた。あの、しずるちゃんが、である。
「しずるちゃん、謝らないで。わたし、嬉しいよ。わたしをモデルにして、小説を書いてくれてたんだぁ。なんだか照れるなぁ。えへへへへ」
「千夏、あたしの事、許してくれるの?」
「許すも何も、わたし、全然怒ってないよ。むしろ、わたしなんかをモデルに使ってくれて感謝だよ。これで、わたしも有名人? なぁーんてね」
場の雰囲気を明るくしようと、わたしは、そんな冗談めいたことまで口にしていた。しかし……、
「いや、本当に有名人になってもらいたいんだ、君には」
「え?」
「岡本さん。君には『萌える惑星』のイメージガールになってもらいたい」
「へ? えっ、えええぇぇぇぇ!」
編集長さんのこの言葉に、わたしは驚いて、口をパクパクするだけだった……。




