清水なちる(4)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。お茶を淹れる腕は一級品。
・那智しずる:二年生、文芸部所属。一人称は「あたし」。学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出している新進気鋭の小説家でもある。
・千葉さん:清水なちる担当の編集員。しずるを作家として対等に扱っている。編集部の中での地位は、上の方であるらしい。
・鍋丘:青年誌部門の編集員。何とかして、しずるをグラビアモデルに担ぎ出そうと、策略を練っている。
「清水先生、おはようございます」
これが、編集部に着いた時に初めて聞いた言葉だ。
「おはようございます、千葉さん」
しずるちゃんが、応えた。
「千葉さん、この娘は、あたしの同級生の岡本千夏さんです。今日は、編集会議を見学したいって言うので、連れてきました」
「あ、岡本です。初めまして」
「初めまして。あなたの事は、清水先生から聞いていますよ。ゆっくりしていって下さい」
「あーと、は、はい」
わたしは、おずおずとそう応えると、勧められた椅子に座った。
「お飲み物は何になされます? コーヒーと紅茶、烏龍茶も有りますが」
わたしの傍らにいた女性がそう訊いてきた。わたしはちょっと慌てて、
「え、えっとぉ、あのう……どしよかな」
「好きなものを頼めばいいのよ。千夏はお客さんだし」
「え? そ、そなの? えーっと、それじゃ、紅茶をホットで下さい」
「レモンティーにしますか。それともミルクティーがいいですか?」
「あっと、じゃぁ、ミルクティーでお願いします」
「承りました。しばらくお待ち下さい。清水先生は、いつものでよろしいでしょうか」
「ええ。あたしは、いつもので、お願いするわ」
しずるちゃんは、堂々とそう応えた。確か、中学の時から小説家だって聞いてたけど、貫禄があるなぁ。全然動じてないや。
「早速ですが、千葉さん、先日お送りした原稿は如何でしたか?」
しずるちゃん──今は清水なちる先生だが──がそう切り出した。
「勿論、読ませて頂きました。ストーリーの基本的軸は良いと思いますよ。ただ、今回取り上げた題材を考えると、もう少し緩急をつけた方が、いいのではないでしょうか」
「少し平坦過ぎましたか。中盤で、少し盛り上げた方が、いいかも知れないですね。……ふむ、伏線の張り方はどうでしょう?」
「そうですね、少し、読者には難しいかも知れませんね。後半からの謎解きを、もっと丁寧に書くべきでしょう」
「はい、後半ですね」
といった風に、しずるちゃんと編集さんのやり取りが続いていた。ところどころ、わたしには意味不明のところがあって……、というか、半分くらい分かんなかったけど。
しばらくすると、<コンコン>とノックの音がして、誰かが入ってきた。
「こんにちわ、清水先生。『週刊ヤングフラッシュ』の鍋丘です。清水先生、お時間ありますか?」
入ってきた男性はそう名乗った。すると、しずるちゃんの担当編集さんが、
「やぁ、鍋丘さん。今、ちょっと佳境に入ってるところなんだ。もうしばらく……そう、一時間くらいすれば、一段落すると思うけど」
「分かりました。じゃぁ、少ししたら、もう一度伺いますね」
「悪いね。わざわざ来てもらってて」
「いいさ。おじゃましました」
と言って、鍋丘さん? という人は部屋を出て行った。何だったんだろう?
しずるちゃんはというと、ちょっと険しい顔をしていた。
「あの人、まだ諦めてなかったんですね。ひつこいったらありゃしない」
「先生、彼も仕事なんだよ。少しは、手加減してやってくれないですか」
「あたしは、書くので手一杯です。モデルなんかしませんょ」
「それは、分かってますから」
わたしは、しずるちゃんと編集さんとのやりとりを聞いて、例のグラビアモデルの件だと察した。だって、ヤング何とかって、明らかに青年誌でしょう。それで、しずるちゃんの機嫌が悪くなったんだ。
その後、約一時間くらい、しずるちゃんは、編集さんとあれこれ議論していた。
「えぇ! そこ、丸々削るんですかぁ。一番力入れて書いたのに」
「いや、やっぱりこの部分は書き過ぎだよ。読者が混乱する。ここは、バッサリ削って、簡潔にしないと」
「でも、すごく大変だったんですよ、そこ」
「先生が大変かどうかと、作品の出来不出来は別問題です。この部分は、再考して下さい」
「うう。しかたがないですね。……じゃぁ、ここの書き出しは? 結構洒落てるでしょう」
「ええ、ここは良いですね。でも、次の章がごちゃごちゃしている。もうちょっと、スッキリさせないと」
「千葉さんは、いつも、スッキリ、スッキリって言って、どんどん削っちゃうじゃないですか。少しはこちらの意見を聞いて下さい」
「いや、受け入れられないね」
「くぅぅぅ。分かりました。書き直します」
さすがのしずるちゃんも、編集さんには敵わないようだ。彼女の意に反して、原稿がどんどん変えられていくのが分かる。
(ふーん。こうやって、最終校ができて、本に印刷されて、本屋さんに並ぶのかぁ。高校の文芸部とは、レベルが違うや。でも、勉強になるなぁ。わたしは、しずるちゃんみたいに小説は書けないけれど、編集さんにはなれるかなぁ)
わたしは、しずるちゃんの隣で、そんな事を考えていた。
そうして、会議が一段落したところへ、<コンコン>と、またノックの音が響いた。
「失礼します。鍋丘です。お時間よろしいでしょうか?」
と言いながら、扉が少し開いた。さっきの男の人だ。
「ああ、鍋丘さん。丁度今、一段落したところだよ」
「それじゃぁ、お邪魔します。実は、清水先生に、折り入って頼みたい事があるんですよ」
鍋丘さんという人は、しずるちゃんにそう言った。
頼まれた方のしずるちゃんは、少し嫌そうな顔をして、鍋丘さんをジロリと睨んでいた。
「モデルの件は、お断りしたはずですが」
と、うむを言わさぬ態度でもって応える。
「毎度毎度、厳しいなぁ、清水先生は。今回は、モデルの話じゃありませんよ。実は先生の小説を、うちで漫画化しよう、という企画が立ち上がってるんですよ」
鍋丘さんがそう言うと、しずるちゃんはちょっと驚いて、
「漫画化……ですか?」
と、問い返した。
「おいおい、困るな。そう言う話だったら、僕や編集長を通して貰わないと。調整とか困るじゃないか」
「悪い悪い。話自体は、おたくの編集長までは通ってるはずだよ。な、良い話だろ。作画の方は、もう何人か候補を絞り込んでいるんだ。そっちの絵師さんの雰囲気を壊さないで描ける奴らをね。後は先生と千葉くんの承諾がとれれば、企画を進められる」
と、鍋丘さんは饒舌に話しだした。
「まぁ、確かに清水先生のターゲットは少年から青年くらいだからなぁ。漫画化って線は、考えなかった訳じゃない。で、どれを使うんだ。まさか、『新作を書き下ろし』ってのはないだろうな。先生も忙しいんだ。漫画オリジナルの書き下ろしは、当面は無理だよ」
と、千葉さんが口を挟んで、議論になり始めた。えーと、一体これからどなるんだ?
「作画の候補を絞っているって事は、ターゲットの本も絞ってあるってことでしょう。あたしが思うに、『萌える惑星』あたりじゃないかしら。青年誌に載せて見栄えがして、絵的にも購買層の男の人が好みそうなのは。千葉さん、確かアンケートの結果でも、十五歳から二十台後半の男性の比率が高いのは『萌える惑星』でしたよね」
「そう言えば、そうだったかなぁ」
「さすがは、清水先生だ。察しが早くて助かります」
どうも、しずるちゃんの推理が当たったようである。彼女は少し居丈高に、こう言った。
「あたしの作品で、青年誌で受けそうなのはそれくらいでしょう。これが少女誌だったら、『木立の向こう』とか『神のつばさ』とか、結構候補が有りますけれど。青年誌と言うとね。しかし、上手い手を考えましたわね。小説の漫画化なら、断る理由がありませんからね。そのうちに、原作者紹介とか何とか理由をつけて、あたしを紙面に出す算段でもあるんでしょうよ」
年下の、しかも十代の小娘に図星をつかれた編集者は、それでも笑顔を崩さなかった。
「あははは、バレてました?」
「鍋丘さんの考えそうな事です。搦手で引っ張っておいて、あたしが高校を卒業した辺りで、顔出しさせる計画でも立ててましたか?」
しずるちゃんが、キッとした目で指摘すると、鍋丘さんは、
「さすがですねぇ。お噂通りに、頭の回転が早い。千葉くんが他の作家さんの担当を全部けって、清水先生一人に絞っている意味が分かりましたよ」
と、含みのあるようなことを喋った。
「おい、変な事言わないでくれよ。それより鍋丘さん、もう昼もだいぶ過ぎている。僕達は昼食を摂りに行くから、その話は編集長も交えて午後にしよう。いいか、これ以上勝手に進めないでくれよ」
「ははは、分かってるよ。それじゃぁ、また後で」
と、鍋丘さんは、笑い声を残して部屋を去って行った。
「ふんっ。いけ好かない人だわ。それより千葉さん、どうします」
「取り敢えずは、お昼ご飯を食べながら作戦会議だね。ほんと、傍若無人なんだから。ま、とにかく、何か食べに行きましょう。先生、それから、そっちのご友人も一緒に」
突然に言われて、わたしはびっくりした。
「へ、え? お昼ですね。あ、はい、分かりました」
と言う事で、わたし達は、お昼を食べに編集部を一旦後にしたのだった。




