清水なちる(3)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。お茶を淹れる腕は一級品。
・那智しずる:二年生、文芸部所属。一人称は「あたし」。学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出している新進気鋭の小説家でもある。
ある週末の午後、わたしは、しずるちゃんにこんな事を言われた。
「ねぇ、千夏。今度、東京で編集会議があるんだけど、一緒に来ない?」
編集会議を見学できるとは、滅多にない経験だ。普通なら見せてもらえないけれど、しずるちゃんが一緒なら、ダイジョブかも知れない。
「どしよ。わたしなんかが付いて行ったら、邪魔になんないかな?」
「大丈夫よ。あたしの連れ、ってことにするから」
「そう。なら、連れて行ってもらおうかなぁ」
「やった! 千夏と一緒に東京へ小旅行だわ。編集会議は、いつも遅くなるから、東京で一泊ね。ホテルはあたしが予約しておくから」
それを聞いて、わたしは、ちょっと怖気づいた。
「東京で一泊するなんて、聞いてないよう。ダイジョブかなぁ」
すると、しずるちゃんは、
「大丈夫よ、千夏。ちょっとした観光だと思えば。きっと、楽しいわよ。日曜日は渋谷でショッピングね。あっ、でも銀座の方がいいかしら」
しずるちゃんが、気軽そうに言っていたので、わたしは少し安心した。
「じゃぁ、東京でお泊りだね。帰ったら、お父さん達に言っておこうっと」
「それから、千夏。東京で行ってみたいところがあれば、考えておいてね」
「うん。分かった」
ということで、いとも簡単に東京行きが決まってしまったのである。
この時には、こんな些細な事が、あんな大事になるなんて、予想だにしていなかったのだ。
今日は土曜日。しずるちゃんとの約束の日だ。朝の早い時間だったが、わたしはいつもよりもちょっとだけおしゃれをして、待ち合わせ場所の駅前にやって来た。
「あら、千夏。早いのね」
そこには、既に、しずるちゃんが待っていた。
「あっ、ごめんね、しずるちゃん。待たせちゃった?」
わたしは、ちょっと慌ててそう言った。
「ううん、そんなことないわよ」
そう言うしずるちゃんは、明るいブルーのワンピースに白いカーディガンを着ていた。足元は少し踵の高いブーツである。髪は下ろしていたが、両脇で少し取って細い三つ編みにして垂らしていた。左肩に布製のトートバックを引っ掛けている。今日も、大人っぽいなぁ、とわたしは思って、彼女に見惚れていた。
一方のわたしは、おしゃれと言っても、白のブラウスにグレーのタイトスカート。その上に、クリーム色のブレザーを羽織っていた。髪の毛はポニーテールにして、スカイブルーのリボンで結んでいた。
(やっぱり、しずるちゃんには敵わないなぁ)
と、容姿の差を感じてしまう。
「あら、千夏。今日はおしゃれしてきたのね。似合ってるわ。とっても可愛いわよ」
「しずるちゃんこそ、大人っぽくって綺麗だよ。やっぱり敵わないなぁ」
わたしが、少ししょぼんとしてると、
「何言ってるの。千夏だって素敵よ」
と、言ってくれた。お世辞でも、しずるちゃんに言われると、ちょっと元気が出てくる。
「ありがと、しずるちゃん」
そうして、切符を買うと、わたしはしずるちゃんに着いて、駅の構内に入っていった。
「千夏、お茶買っといたんだけど、飲む?」
新幹線の中で、しずるちゃんは、バッグからお茶のPETボトルを取り出そうとしていた。
「ありがとう、しずるちゃん」
わたしは、ボトルを受け取ると、席に座り直した。
「あたし、自分の分も買ってあるから、全部飲んじゃって構わないわよ」
と言いながら、バッグから二本目のお茶を取り出すと、彼女はキャップを掴んでボトルをねじった。
わたし達の住んでいるところは田舎である。ローカル線や在来線を乗り継いで、更に新幹線のこだま号に乗り継がないと、東京までには至らない。
「ひかり号やのぞみ号なら早く着くけど、席がいっぱいなのね。こだま号だと少し到着が遅くなるけど、確実に座れるし、人も少ないから。その分、出発が早くなっちゃったけど、ごめんね」
「いいよ、そんなの。どっちみち、最寄りの新幹線の駅にはこだま号しか停まらないんだし。わざわざもう一回乗り換えても、思ったほど早く着かないよね」
「まぁ、その通りなんだけどね。千夏、よく知ってるわね」
「へへへ。中学の修学旅行や部の合宿で、何度か新幹線に乗ったから。わたし、班長だったんだ」
「ああ、それで。千夏のことだから、その班長の役も押し付けられたんでしょう」
「当たり。皆、やりたがらなくってさ」
「だめよ。ちゃんと自分の意思を持って、嫌なら断らないと」
「仰る通りで」
そうして、わたしとしずるちゃんは、顔を見合わせて笑った。
今は新横浜を発車したところ。もうちょこっとで、東京? かな。
「千夏、次の品川で降りるからね。そこから山手線に乗り換え」
「了解です」
しずるちゃんに言われて、わたしは手荷物のチェックをした。忘れ物無し。オーケイ。
『次はぁ、品川ぁ、品川ぁですっ。お手回り品にぃお忘れ物のぉ無きよう、お気をつけぇ下さいっ。次はぁ品川ぁ』
車内アナウンスが到着を告げた。わたし達は降りる準備を始めた。
「こっちよ、千夏」
しずるちゃんが先導するその後を、わたしが着いて行く。人混みの中を何とかはぐれないように、わたしは懸命に着いて行った。
「うわぁ、東京って、人多過ぎ」
思わず口から溜め息が漏れてしまった。こんなんじゃ、田舎者ってことが、すぐにバレちゃう。
でも、しずるちゃんが一緒でよかったよう。わたし一人じゃ絶対来れない。
「ここで電車に乗り換えたら、編集部の最寄り駅までは、すぐだからね」
「う、うん。分かった」
わたしは、電車の手すりにしがみつきながら、深呼吸していた。
(東京に出ると、毎日こんな目に会うのか。こりゃぁ、心してかからないと、進学なんか出来ないぞ。わたしにとっては、大ちゃんとの遠距離恋愛よりも、東京の人混みの方が当面の強敵だよ)
そんな事を考えていた時、肩口から声がした。
「もうすぐ出版社のビルだからね。頑張って、千夏」
しずるちゃんの応援で、わたしはやっとこさ、念願の編集部の見学に立ち会えるところまで辿り着いたのだった。
ああー。疲れたぁ。




