守山千尋(4)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。お茶を淹れる腕は一級品。
・那智しずる:文芸部所属。一人称は「あたし」。人嫌いで有名だが、学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。丸渕眼鏡と長い黒髪がトレードマーク。実は『清水なちる』のペンネームで活動している小説家。
・守山千尋:K高の司書。正しくは教諭ではないのだが、皆は司書の先生と呼んでいる。教諭たちと文芸部員の橋渡し役も担っている。
兎にも角にも、写真集の販売が終わった。わたし達は、図書準備室に帰ってきて、ウエールズ(プリンス・オブ・ウェールズ)で、一服していた。
しかし、文芸部の取り分だけで三十万円も儲かったことに、わたしは驚いていた。舞衣ちゃん頑張ったね。正直、わたしは感動している。
あ、そだ。司書の守山先生に言われていた本を持っていかなけりゃ。わたしは、皆に「ちょっと用事」と言って、物の入った紙袋を持って準備室を出た。反射的に左右を見渡したが、いつも守山先生が座っている受付の席には誰もいなかった。
(あれ、いったいどこに行ったのだろう?)
もうしばらく図書室内を見渡すと、……いた。図書室の南の隅で、何か生徒達に強い口調で話しかけている。
わたしは、守山先生のいるところまで小走りで駆けて行くと、どうやら彼女は何かしら注意をしているようだった。何を注意していたかは、現場を見て分かった。三〜四人の男子生徒が、買ったばかりの写真集を広げて見ていたのだ。守山先生は、
「ここは図書室です。本の閲覧や受験勉強なら解りますが、写真集を見るのに集まって騒ぐのは、他の生徒に迷惑になります」
ナルホド、仰る通りでございます。でも、その原因を作ったのはわたし達なんですケドネ。
しばらく様子を見ていると、男子生徒達は叱られたからなのか、写真集を閉じると頭を下げながら退散していった。
彼等がいなくなった事を確認して、わたしは守山先生のところへ向かった。声をかけるまでもなく、先生はわたしに気が付くと、にっこり笑ってわたしに話しかけた。
「あら、岡本さん。何か御用?」
わたしは、ちょっと顔を引きつらせながら、
「あ、あのう……。これ、頼まれていた『本』です」
と言いながら、手にしていた紙袋を差し出した。さっきまで、男子達が同じ物を読んでいたので、わたしは少しバツが悪かった。
「ああ、そうかそうか。そうだったよね。岡本さんに『例の本』を頼んでたんだっけぇ」
と言いながら、先生は紙袋を受け取った。
「言われた通り、十二冊です。一部二千五百円ですから。後ほど集金させて下さい」
わたしがそう言うと、守山先生は紙袋の中を見ながら、
「ひぃふぅみぃの、……十二冊ね。ありがとう、岡本さん。お手間かけちゃったね」
と、応えた。注意した側がこうである。わたしは、何かしらの後ろめたさを感じながらも、取り敢えずのミッションはクリアしたつもりになった。
「じゃぁ、岡本さん、代金は後日ね」
「はい、後日で。よろしくお願いします」
と、取り敢えず答えておいた。商談成立である。
さて、そろそろいい時間になったし、帰り支度でもするか。そう思いながら、わたしは図書準備室へと戻った。
しかし、この写真集が、後々しずるちゃんにあんな出来事を引き起こすきっかけになるとは、この時は予想だにしなかった。
後日談はこうだ。
写真集発売から一週間ほど経った放課後の事である。この時、準備室にはわたしとしずるちゃんしかいなかった。しずるちゃんは、いつものように厳しい眼差しでノートパソコンと向き合って、高速でキーを叩いていた。その時、しずるちゃんのスマホが着信を告げたのだ。
「何かしら?」
と、訝しながらしずるちゃんがスマホを取り上げて画面を見るなり、急にその顔が険しくなった。
「もう、学校にいる時間帯はメールにしてって言ってるのに。……今は千夏しかいないし、まぁいいけど」
と、しずるちゃんは呟くと、部屋の隅へ移動してスマホを耳にあてた。
「はい、あたしです。緊急な御用ですか? ……は、はい、はい。……えっ! 何ですって? 何でそんな事に。……、はい、はい……ええっ! そ、それはそうですが。困ります、それは。あくまであたしは、『清水なちる』という小説家として活動しているのであって、顔出しはしないって約束では。……はい、はい。……なっ、それは困ります。……はい。取り敢えず、打ち合わせですか? 確か、週末にお伺いする約束でしたよね。ええ、ええ。そこに同席するですって! ……あ、はい、……ええ。分かりました。取り敢えずの打ち合わせですね。……はい、ええ、分かりました。では、その時に。……ええ、それでは失礼します。はい。お願いします」
通話は終わったようだが、しばらくの間、しずるちゃんは呆けたように突っ立っていた。いつになく、厳しい顔をしている。
「しずるちゃん、どうかした?」
わたしは、恐る恐る彼女に訊いてみた。すると、
「千夏、あたし、もうダメかも知れない」
と、しずるちゃんが蒼い顔をして、フラフラと席に戻ってきた。
「ど、どしたの。何か嫌な事、あった?」
と、聞き返すと、彼女は顔を引きつらせながら、こう答えたのだ。
「千夏は、あたしが『清水なちる』のペンネームで、作家活動をしているのは知っているわよね」
「うん。最初にしずるちゃんから聞いた」
「さっきの電話、編集部からなの……」
やっぱり。漏れ聞こえた感じから、そーだろなぁ、とは思っていた。それにしては、しずるちゃんの顔つきは深刻だった。出版社で何かトラブルでもあったのかな?
「実はね、例の写真集の件なの。アレがね、どういうルートで出回ったか知らないけど、うちの出版社の手に渡ったようなのよ」
失意の美少女は、電話の内容について話し始めた
「写真集って、……この前、皆で売ったやつだよね」
「そう、アレよ。それがね、どうも出版社の青年誌部門の編集部に渡ったらしくって」
「うん、それで」
「あたしを『グラビアモデルに使いたい』って話が、ラノベの編集部に来たそうなのよ」
「ええっ。凄いや、しずるちゃん! グラビアモデルなんて。しずるちゃん美人だし、スタイルもいいし。凄いなぁ、もう全国区なんだぁ」
わたしは、しずるちゃんの凄さに、今一度敬服した。青年誌のグラビアモデルかぁ。わたしとはスケールが違うなぁ。しかし、当のしずるちゃんは、それで悩んでいるようだった。
「あたしは、未だ学生のうちは、正体をバラさずに作家活動をしたかったの。編集部ともそう言う約束だったのっ。私生活に問題が出るからって。それが何よ。グラビアモデルをやれって。「ペンネームがダメなら、本名でもいいよ」って、なによ。あたし、そんなの無理。出来っこないわよ。もう、どうしよう」
しずるちゃんは、いつも以上に眉間にシワを寄せると、そう言ったのだ。
「きっと、肌の露出の多い水着を着せられて、撮影されるんだわ。それが表紙を飾って、コンビニとかで売られるのよ。あああ、もう、考えられない。あたし、そんな恥ずかしいの、耐えられないわ」
彼女は吐き出すようにそう言うと、テーブルに突っ伏したのだった。
(確かに、そだよね。わたしだって、この前の撮影の時、すんごく恥ずかしかった。それが全国区なんだ。わたしだったら、恥ずかしくて家を出られないなぁ)
そう思うと、わたしは単純にしずるちゃんの事を「凄いなぁ」なんて言えない事が分かった。
「え、えーと……、未だ本決まりじゃないんでしょ」
「え、ええ。週末に東京で編集会議があることになっていたの。この件も、そこで打ち合わせしましょうって事で。でも、何か嫌な予感がするのよ。きっと、強引に押し切って来るに違いないわ」
しずるちゃんは、凄い形相で、左手に握ったままのスマホを睨みつけていた。
(しずるちゃんて、意思が固いように見えて、強引な話には押し切られちゃうんだよな。少し、慰めとこ)
「まぁまぁ、しずるちゃん。行って相談してみないと分かんないんだし。今のその感情は、その時まで取っとこうよ」
わたしが、とりなすように言うと、しずるちゃんはテーブルから顔をあげた。そして「ふぅ」と溜息を吐く。
「そうよね。ありがとう、千夏。あたし、何か勇気が出て来たような気がする」
「そ、その通りだよ。頑張って、しずるちゃん」
「うん、千夏。あたし、頑張る」
そうして、しずるちゃんは、週末の編集部との対戦に望んだのだった。ガンバレ、しずるちゃん。




