那智しずる(1)
◆登場人物◆
・岡本千夏:主人公、高校一年生。文芸部部長。一人称は『わたし』。部員の居なくなった文芸部の存続のために奔走している。
・那智しずる:図書室で千夏が発見した美少女。千夏のクラスメイトのはずなのだが……
わたし、岡本千夏は焦っていた。
文芸部部長という大任を任されたこともあるが、それよりも部員がわたし一人ということだ。このままでは、同好会に格下げになってしまう。
一人で新歓なんかできっこない。今のうちに、一人でも二人でも部員を増やしておかなけりゃ。でも、わたしには、そのあてが全然無かった。
「どうしよう。部員なんてどうやって集めようか。取り敢えず、クラスの誰かに声かけてみよう」
わたしは、部室と兼用の図書準備室を出ると、図書室の中を見渡した。受験も卒業式も終わったとあって、広い図書室の中は閑散としていた。誰か見知った顔は居ないかと、部屋の中を見渡してみる。
すると、図書室の隅っこでノートパソコンに向かってる女子が居た。あれって、確か同じクラスの娘だったと思うけど……。よし、頑張って声を掛けてみよう。
わたしは、彼女の座っている隅っこの席へ近づくと、おずおずと声を掛けた。
「あ、あのう、わたし、同じクラスの岡本千夏。あなた、確か、な、な、なちぃ……」
思いつきで声をかけてみたものの、わたしはクラスメイトの筈の彼女の名前を思い出せないでいた。
「那智しずるよ。何か用?」
彼女は、こちらの方を見ようともせず、素っ気無くそう応えた。濃紺のブレザーの制服の背中にかかっている一本に編み込んだ黒髪でさえ、微動だにしなかった。女子にしては長身でモデルのような体型は、椅子に座っていても隠すことはできない。丸渕の眼鏡のレンズは、ノートパソコンの画面のバックライトが反射して、キラリと冷たい光を放っていた。
一年ほど前に抱いた『他人を寄せ付けない』感覚。それは、今も変わっていなかった。
だが、負けてはいけない。わたしは、文芸部の新部長で、部員を五人以上にするんだから。
「あ、えっと、那智さんて、本好き?」
だが、きっと、わたしは気が動転していたのだろう。いきなり、そんな素っ頓狂な質問をしてしまっていた。
すると、那智しずると名乗った少女は、パソコンから顔を上げて、側に立つわたしの方を向いた。そして、さも鬱陶しそうな顔で、彼女はこう応えた。
「嫌いじゃないわ。でも、どうしてそんな事、訊くの?」
その声はソプラノ領域でありながら少しハスキーで、映画に出演する女優を連想させるものではあったが、彼女の冷淡さには変わりがなかった。でも、わたしは思い切って事情を話すことに決めた。
「あ、あのね、わたし文芸部員なの。でもね、今日先輩達が卒業して、部員がわたし一人になっちゃって……。そ、それでね、部員が五人いないと同好会になっちゃうんだ。それで、那智さんが文芸部に入ってくれたら嬉しいなぁって思って、声掛けたんだ」
あ、一気に言っちゃった。わたしは、そぉっと、那智しずるの顔を見ていた。彼女は、ちょっと<むっ>とした顔をしていた。丸淵眼鏡の奥から、<キッ>とした鋭い眼がわたしを睨んでいる。
「で、何であたしなの。あなた、この一年間、あたしと一言も話したこと無いでしょう」
ううっ、確かに。でも、この人、鼻筋の通った美人なのだけれど、いつも他人を寄せ付けようとしないオーラを放っていて一人で何かやってたので、近寄りがたかったんだもん。
「で、文芸部に入ると、何か良い事でもあるの?」
すぐさま断られるとの予想に反して、彼女は第二の質問をわたしに放ってきた。もしかして……。わたしは、ここぞとばかりに勧誘を始めた。
「文芸部、面白いよ。同じ本読んで感想聞きあったり、原稿持ち寄って文集作ったり。それを文化祭で売ったり。それから合宿と称して、お話の舞台になった街に旅行に行ったり。でもね、普段は、あそこの図書準備室に集まって、お茶飲みながら本読んだりおしゃべりしたりするの。ねぇ、気軽に思って、入部してくれないかなぁ」
わたしのスピーチを聞いて、那智しずるは何かを考えているようだった。そのうち、彼女はわたしに第三の質問を投げ掛けてきた。
「文芸部に入れば、あそこの準備室を使えるのね」
おっ、脈アリ? わたしは一際大きな声で、彼女を誘った。
「そだよ。皆でお菓子持ち寄ったりして、お茶とか出来るよぉ」
「声が大きい。ここ、図書室」
「す、すいません……」
素っ気ない彼女の指摘に、わたしは、一瞬シュンとなってしまった。しかし、続いて彼女は意外な返事をした。
「……そうね、入部してもいいわ。その図書準備室を見せてくれないかしら」
そう言って椅子に座ったままわたしを見上げている那智しずるの瞳は冷ややかで鋭く、どこか謎に満ちていたように思う。
しかし、その時のわたしには、そんなところまで気にかけている余裕など無かったのだ。
「わ、やった。ありがと。わたし一人じゃ、来月の新入生の勧誘も満足に出来ないって思ってたんだ。ありがとね。ほんと、助かるよぉ」
わたしは小躍りして、彼女にそう言った。
「別に、文芸部の活動までサポートするなんて言ってないわ。あたしは、図書準備室が気になるだけ。ちょっと待ってね、データセーブするから」
そう言いながら、那智しずるがパソコンのキーボードに指を走らせると、ディスプレイ画面がチラチラと瞬いた。しばらくすると、<フィーン>という風を切るような音がして、パソコンの画面が真っ黒になった。
「用意できたわ。その準備室という部屋に連れて行ってくれないかしら」
そう言った彼女は、電源の切れたノートパソコンを<パタン>と閉じると、席を立った。長い編み込みの三つ編みが、濃紺の制服の背でゆらゆらと揺れていた。先端の房が、冷たい蛍光灯の光を散乱させる様は、若干ミステリアスである。
「うん、分かった。じゃぁ、こっちね」
わたしは、彼女の有無を言わせぬ言葉遣いと行動に、ようやっとそう答えた。そして、那智しずるを図書準備室の前まで案内すると、部室の扉を開けた。そのまま先に立って中に入る。後から、学生カバンとノートパソコンを持った彼女が、微かな足音さえたてずに続いた。
「はい、ここが部室になってる図書準備室だよ。結構広いでしょ」
わたしがそう説明したものの、那智しずるは、<ムスッ>とした顔のまま、部屋の中を見渡しているようだった。
「それで、電源はあるの?」
電源? 電気のコンセントの事かな。
「入り口のとこと、あっと、後は奥にコンセントがあるよ。普段はお湯を沸かす電気ポットに使ってるくらいだけどね」
わたしが、そう応えると、
「ふむん。なら問題ないか。……分かった、入部するわ」
と、何と彼女は即決で入部を承諾してくれたのだ。
「わぁ、ホント! ありがとぉ。これで部員、二人になったぁ。那智さん、これからよろしくね」
青天の霹靂に舞い上がりそうになったわたしは、彼女にそう言った。
「しずるでいいわ。じゃあ、ちょっと机と電源を借りるわね」
そんなわたしの態度にも、サラッとそれだけを応えると、那智しずるは、机の端っこに座ってノートパソコンを置いた。脇に置いた学生鞄の中から『ACアダプター』を取り出すと、一度立ち上がって壁際のコンセントに繋いだ。そして、再び戻ってくると、もう一方の線をパソコンに繋ぐ。そのまま椅子に座った彼女は、両手でプリーツスカートの裾を払って整えると、パソコンを開いて電源スウィッチと思われるボタンに、その細くて白いしなやかな指先で触れた。画面が光って様々に切り替わった後、さっきと同じ画面になる。それを瞬きもせず確認した美少女は、再度、キーを叩き始めた。
その一連の動作の優雅さと、彼女の美貌に魅せられてか、わたしは、少しの間、ボウと突っ立っていたのだと思う。そのうち、ハタと現実に戻ったわたしは、何かの作業をしている彼女にそっと声をかけた。
「あ、ちょっと待っててね。お茶、淹れるね。紅茶だけど」
わたしは、那智しずるが入部してくれて助かったんだけど、彼女の隙のない挙動に戸惑ってもいたのだ。だから、その雰囲気を何とかしようとしたかった。だって、これからはおんなじ文芸部の部員だもの。
しばらくして茶葉が開くのを待ってから、ポットの紅茶を温めてあった二つのティーカップに注ぐ。それを丸いお盆に乗せると、わたしはしずるの座っている横に持って行った。
「しずるちゃん、お茶、淹れたよ。お砂糖とかは、お好みでね」
待望の新入部員に、出来るだけ明るい声で話しかけると、わたしは彼女の分のカップをソーサーに乗せ、邪魔にならないようにそっとノートパソコンの側に置いた。
「あ、ありがとう。岡本さん」
「わたしも千夏でいいよ。……で、さっきからパソコンで何やってんの。ネット? ツイッターとかLINEとか?」
少しだけ興味を持ったわたしがそう聞くと、那智しずるはこっちを向いて、ちょっと嫌そうな顔をした。そうやって少しの間だけわたしを見つめていたが、遂に<ふぅ>と溜息を吐くと、こう言ったのだ。
「千夏さん。あなたには、話しておいた方がよさそうね。あたし、小説書いているの」
「へ? しょうせつ?」
予想だにしなかった返答に、わたしはトボけた返事をしてしまった。
「そう、小説。って言っても、ラノベだけどね」
そう言う彼女は、少し不満げであった。
「そ、そーなんだぁ。全然知らなかったよ。同人誌か何かやってるの?」
更に不味いことに、わたしは、お気楽にもそう言ってしまった。
「はぁー。これでもプロなんだけどね。『清水なちる』って知らない。あたしのペンネーム」
初めて見せたしずるの人間臭い態度と、その放った内容に、わたしはひどく驚いた。
「えっ、清水なちる……って、『坂本町シリーズ』とかで有名な、あの清水なちる! すんごいよ。ホントすごいよ。高校生なのにプロの小説家さんなんだ、しずるちゃんは。しかも、新進気鋭の売れっ子なんだ」
文芸部として知らないはずのない名前を聞かされて、わたしは純粋に驚いていた。何せ、東京のサイン会にでも行かなければ会うことの出来ない御方が、目の前にいるのだから。だが、しずるの返事は素っ気なかった。
「そうでもないけどね。一昨年、洒落でラノベ大賞に応募したら、運悪く入選しちゃってね。それから編集部に頼み込まれて、ずっと小説書いてるの」
すごいぞ那智しずる。一昨年っていったら、中学生の頃じゃないか。
「へぇ、まさに文芸部にうってつけの人だねぇ」
わたしの賞賛にも、彼女は鬱陶しそうな様子で、こう言い放った。
「そんな大層な事じゃないわ。周りにバレると面倒臭いし、家に帰ると弟達が邪魔だから、放課後に誰も来ないような図書室の隅っこで原稿を書いていた訳。あたしが図書準備室に興味があったのは、ここの方がより目立たずに小説を書けるからよ。あなた──千夏さんが思うように、文芸部で部活がしたかったからじゃないわ」
へえぇ、凄いなぁ。高校一年生でプロの小説家さんかぁ。
わたしは自分が平凡なだけに、目の前の那智しずるがキラキラして見えた。
「な、何よ。ジロジロ見て。出版前の原稿は、見せられないんだからね」
そんな馴れ馴れしい態度が気に入らなかったのか、彼女はそう釘を差した。
「あ、いや、そんなんじゃなくって……、単純に凄いなぁと思って。あ、お茶、冷める前に飲んでね」
わたしがそう言うと、しずるはティーカップを手に取って口元に近づけた。そのままカップの端に口をつけると、一口だけ、口に含ませた。
「あら、このお茶美味しい。千夏さんが淹れたの?」
その言葉が、わたしには少し嬉しかった。
「そだよ。ここで一年間鍛えられたからね。コーヒーだってオリジナルブレンドがあるんだよ。『千夏スペシャル』ってね」
そんなことで『清水なちる』には対抗できるわけがないのだが、わたしは唯一と言っていい特技を自慢した。
「それはそれで何か凄いわね。あたしは、家事とか全然しないから」
那智しずるに『凄い』と言われて、わたしは浮足立ってしまった。
「えへへ、何か褒められちった。うれしいな」
そんなわたしに不安を覚えたのだろう。
「いや、特に褒めた訳じゃないから。それより、あたしがプロの小説家ってことは黙っててね。騒ぎになるとうるさいから」
と、清水なちる──もとい、那智しずるは更に鎹を打ち込んできた。
「了解であります」
「ほんとに大丈夫? お気楽に話さないでね。ちゃんと約束してよ」
「分かってるって」
わたしは、那智しずるが入部してくれて、しかもプロの小説家だって知って、何か嬉しくてしょうがなかった。一日目から、さい先いいぞ。この調子で、どしどし部員を勧誘するのだ。
お茶をすすりながらパソコンのキーをパチパチ叩いているしずるを見ながら、わたしの文芸部二年目がどうなるか、ワクワクドキドキしていた。