里見大作(3)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。一人称は「わたし」、部員を「〇〇ちゃん」と呼ぶ。後輩からは「部長」もしくは「千夏部長」と呼ばれている。お茶を淹れる腕は一級品。
・那智しずる:千夏の同級生、文芸部所属。一人称は「あたし」。人嫌いで千夏以外の他人には素っ気ない。部の後輩からは「しずる先輩」と呼ばれる。丸渕眼鏡と長い黒髪がトレードマークの背の高い美少女で、校内のアイドル的存在。実は『清水なちる』というペンネームのプロ小説家。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。文芸部の一年生。ショートボブで千夏以上に背が低く幼児体型。一人称は「あっし」。あらゆる方面の作品を読み漁る変態ヲタク少女にして守銭奴。しずるの写真集を作って大儲けしようと企んでいる。
・里見大作:大ちゃん。舞衣の幼馴染。一人称は『僕』。二メートルを超す巨漢だが、根は優しい。のほほんとした話し方ののんびり屋さん。手先が器用でメイド服も自作してしまう。千夏のことが好き。怒ると怖いらしい。
・西条久美:久美ちゃん。一年生。おっとりした喋り方の双子の姉。一人称は「私」。
・西条美久:美久ちゃん。一年生。おっとりした喋り方の双子の妹。一人称は「私」。
サイドテールの髪型で違いを出しているが、ほとんどの人は二人を見分けられない。
ある日の放課後、わたし達──文芸部員は、町で一番大きな本屋に来ていた。
今年最初の『読書会』用の本を、決めるためだ。『読書会』とは、部の全員が同じ本を読んで感想などを討論する会である。これまで文芸部の活動として、年間に五~六回くらい行ってきた。わたしは、部長として、せめて去年くらいの頻度で『読書会』をしようと決意していた。
「おっとぉ、あの上の方に、面白そうな本が並んでるっす。大ちゃん、ちょっと手伝って欲しいっす」
「うい〜す」
舞衣ちゃんに言われて、大ちゃんが本棚の前で屈んだ。その大ちゃんの肩の上に、飛び上がるように舞衣ちゃんが乗ると、大ちゃんがムックリと立ち上がった。舞衣ちゃんは、彼の肩の上で立ち上がると、本棚の一番高いところを物色し始めた。
「ま、舞衣ちゃん、そんな高いところ危ないし、スカートの中見えちゃうよ」
「大丈夫っすよ、部長。ちゃんとパンツ履いてますから」
「あ、えっと、いや。……そうじゃなくってね、パンツ見られちゃうよ」
「別に、平気っすけど。脱がされる訳でもないし。……あっ、これ面白そうっすよ、部長。『くノ一忍法帳・邪淫館篇』ってやつ」
わたしは、舞衣ちゃん達と話していて、頭がクラクラしていくのが分かった。何で『読書会』で、時代劇のエロ小説を読まんとあかんのだ? そこへ、久美ちゃん・美久ちゃんの双子姉妹が駆け寄ってきた。
「部長って、何座ですかぁ?」
と言う二人の手には、『マジカル☆星占い』なるものが握られていた。
「私達、双子座なんですよぉ。双子だけにぃ。って、なんちゃってぇ」
あ、ネタなのか。ちょっと笑えないけど。
「いや、星占いをしに来たわけじゃないから。ええーっとぉ、もうちょっと文芸部っぽい物はないかなぁと」
はぁ、これが現代の女子高生なのかねぇ。と言っても、歳が一個違うだけなんだけど……。
そんなこんなで、わたしが変に頭を悩ませている時、しずるちゃんが声を掛けてきた。
「千夏、これなんかどう? 志賀直哉の短篇集。この中に『剃刀』って話があるんだけど。千夏は知ってる?」
彼女は、小さな文庫本を手に持っていた。『小僧の神様』かぁ。
「えっとね、一回だけ読んだことあるよ。最後の方の緊迫感がピリピリしてて、最後にどうなるかが、すっごく気になるんだよね」
わたしは、自分の頭の中の引き出しを確認すると、彼女のいう短編がヒットした。
「そうね。ラストへの持って行き方がよく出来てるわね。それに字数もそう多い訳でもないから、一回目にはちょうど良いと思うんだけれど。千夏、どうかしら?」
わたしは、ちょっと頭をひねると、こう応えた。
「文庫本だし、そんなに高い訳じゃないから、いいかもね。久美ちゃんと美久ちゃんはどう思う?」
わたしは、まだ星占いの本を手にしている西条姉妹に尋ねた。しずるちゃんが近づいて、持っていた文庫本を手渡す。彼女達は、そのページをパラパラと開いていた。
「私達は、読んだことありませんけどぉ。ええとぉ……散髪屋さんで、ヒゲを剃るときの話なんですねぇ」
「ページ数も少な目だしぃ。先輩達のお薦めなら、ちょっと頑張って読んでみましょうかぁ」
『それに、面白そうですしぃ』
おっと、ハモった。双子、すげぇ。
わたし達が『剃刀』について話していると、舞衣ちゃんも、大ちゃんの肩から飛び降りて、話に加わった。
「あっしも、それ持ってるっす。でも、随分前に読んだだけだから、今読み返すのもいいっすね」
「僕もそれ、持ってるんだなー」
おっとぉ、舞衣ちゃんも持っているんだ。確かに、入部の時に色んな本を読んでるって言ってたよな。
「じゃぁ、持ってないのは双子ちゃん達だけか。ちょうど二冊並んでるから、買っとく?」
図書室に並んでいるかも知れないし、二人で共有してもいいのだが、その時のわたしは、何故かそう提案していた。
「そうですわねぇ」
「あんまり高くないからぁ、買っときましょうかぁ」
「ええ、買っておきましょぅ」
二人共、特に異論もなく、文庫本を手に持っていた。
「よし、決まったね。じゃぁ、一回目の『読書会』は、志賀直哉の『剃刀』にしましょう。来週の月曜日に討論会するから、それまでに読んどくようにね」
『分かりました』
元気な声が、たくさん返ってきた。さて、今年の『読書会』、どなるかな? わたしも、時には部長っぽい事しないとね。
双子ちゃん達は、それぞれに志賀直哉の短篇集を持つと、レジに向かって行った。
双子ちゃん達が本を購入した後、わたし達は、「一旦外でお茶でもしようか」と言う事になった。それで、わたしは舞衣ちゃん達にも声をかけた。
「『読書会』の本が決まったから、ちょっとお茶でもして帰ろうかと思うんだけど、舞衣ちゃんと大ちゃんはどする?」
書架の間をウロウロしていた凸凹コンビからは、
「あっしらは、もうちょっと見てからにしようと思ってるっす」
「なんだなぁー」
との返事があった。なら、取り敢えず、わたし達だけで先に行くかぁ。
「そっか。じゃ、バス停の前のドーナッツ屋さんに行ってるから、後から来てね」
「了解っす」
「僕も分かったんだなぁー」
そうして、わたし達四人は舞衣ちゃん達を残して、先にドーナッツ屋さんに行くことになった。
よく晴れた春の陽の下、わたし達はバス通りを皆で歩いていた。
「だいぶ熱くなってきたわね」
「そうだね、しずるちゃん。来週から衣替えだしね」
わたし達は、未だ制服の上着を羽織っていた。少し歩いていると、体温が上がって身体がポカポカしてくるような気がした。
「まぁ、衣替えって言っても、ブレザー脱ぐだけですけどねぇ」
久美ちゃんだか、美久ちゃんだかが、話に乗ってきた。それでも、ちょっと身軽になるのには変わりない。
「男子も、学ラン脱いでワイシャツになるだけですしねぇ」
「そうだね。簡単なのはいいけど、他の学校みたいに夏用の制服があるのも、ちょっと憧れるね」
そんな何気ない話をしながら、目的のドーナッツ屋さんに向かっていると、ちょっと派手目の服装をした男の子達五人が、近づいて来て声をかけられた。
「やあ、君たち可愛いね。その制服K高だろ。もし暇だったら、俺らとお茶でもしない?」
わたし達、どうやらナンパされてるようだ。
「結構です。後から連れが来ますので」
と、しずるちゃんは、眼鏡の奥から冷淡な眼差しと共に冷ややかな答えを返した。
「クールだねぇ、君。連れって、男? 女? もし、彼氏とかいないなら、俺と付き合ってよ」
「間に合ってます。それより、そこをどいていただけませんか」
ガラの悪そうな男が一人、しずるちゃんに絡んできた。
「へぇ、言うねぇ、眼鏡の美人さん。そんなに邪険にしなくても、いいじゃんよー」
そう言った彼は、しずるちゃんを壁に押し付けると、逃げられないように両手で肩を掴んだ。
「止めて下さい。わたし達、これから用があるんです」
わたしは、捕えられたしずるちゃんを助けようと、その場に入り込もうとした。
「おおっと、ダメだよ。君は、ボクと付き合ってもらおうか」
もう一人の男に、わたしは右腕を捕まえられてしまった。
「やだ、離して下さい」
わたしは抵抗しようとしたが、手を振りほどくことが出来なかった。
「おい、お前、そんなチンクシャがいいのかよ」
(うっ、くそぉ。余計なお世話だ。離れてよぉ、バカ)
「何言ってんだよ。ちっちゃくて可愛いじゃないか」
「そっか。お前ロリコンだったな。お、こっちの二人は、双子じゃねえか。君達も可愛いね」
(わたしはロリータじゃないぞ。それに、久美ちゃん達にまで手を出すな。離してぇ)
わたしは、何とか逃れようとしていたが、非力なこの体格では如何ともし難たかった。でも、奴らの手は久美ちゃんと美久ちゃんにも伸びている。
「や、止めて下さい」
「いや、離して」
やだ、こんなの嫌だ。通りを通る人も、怖がって助けてくれない。誰か、誰か助けて!
その時、天から声が降ってきた。
「やいやい、そこのあんちゃん達。こんな通りでナンパなんて、よっぽど女日照りが続いてるのかい。非道な事は、あっし達が許さねぇぜ」
そこにいたのは、大ちゃんの肩に仁王立ちになった舞衣ちゃんだった。
「大ちゃん、行くっすよ」
「いつでもオーケーなんだなぁー」
でも、いくら舞衣ちゃん達でも、男五人をどうこう出来るようには思えない。
「舞衣ちゃん達、わたし達はいいから、逃げて」
でも、舞衣ちゃんの答えは、逆だった。
「部長、たかがチンピラの五人ごとき、何て事ないっすよ。そりゃぁ!」
と、掛け声も高く、舞衣ちゃんが大ちゃんの肩から天高く飛び上がると、双子ちゃん達に絡んでいた男子を蹴り飛ばした。残りの二人も、大ちゃんが双子ちゃん達からひっぺがすと、小石でも放り投げるように、歩道の縁石に放り投げていた。
「ちっ。お前ら、誰にケンカふっかけてるか、分かってんのか。潰すぞ、コラ!」
わたしを掴んでる男が、そう吠えた。
「へっ、あんたらのようなチンピラのことなんて、ひとっかけらも知らないっすよ。それに、そんな事覚えてたって、一銭の得にもならないっす」
「そーなんだなー。怪我をしないうちに、部長達を離すんだなぁー」
舞衣ちゃん達に挑発されて、男達は頭にきていた。これ以上、皆を巻き込みたくない。わたしは隙をみて、捕まえている男を振放そうとした。でも、その時、
「コラ、暴れんな。痛い目見るぞ」
と言って、ソイツはもがいていたわたしを振り回すと、乱暴に壁にぶつけた。
「キャン」
わたしが思わず悲鳴をあげると、その場の空気が変わったような気がした。原因は……大ちゃんである。
「部長に酷いことするなんて、許さないぞ! お前ら、五体満足で帰れると思うなよ」
だ、大ちゃんが怒っている。いつも温和で細い目の大ちゃんが、カッと両目を開き、全身から物凄い殺気を周りに放射していた。そこにいた大ちゃんは、怒りで封印が解けた大魔神のように見えた。
「マズイっす。大ちゃんがアングリー・モードに入っちゃったっす。あんたら、悪いことは言わないから、早く逃げるっす」
舞衣ちゃんは、何か物凄く慌てていた。彼女は、いつになく狼狽えていて、男達に向かって、逃げるように言ったのだ。後から思い返すと、それは親切心から言ったのだろう。しかし、男達は挑発と受け取ってしまった。
「偉そうにっ、このデカブツがぁ」
わたしを捕まえていた男が手を離して、大ちゃんに殴りかかった。だが、そいつの拳が大ちゃんの腹にあたっても、彼は微動だにしなかった。逆に、男の方が手をさすっている。
「いってぇ。なんつう身体してるんだよ」
一方の大ちゃんは、殴りかかってきた男に<ぬぅ>と近づいた。それから、ソイツの襟首を片手で掴んで、わたしがされたようにコンクリートの壁に無造作に叩きつけていた。その瞬間、<グッシャァ>という嫌な音がした。一秒後に、男は叩きつけられた壁からずりずりと道端に落ち崩れた。その男の血だらけの顔が目に入った。口から泡をふいて悶絶している。
「て、てめぇ、ば、バケモンか」
しずるちゃんを押さえつけていた男が怒鳴って、ポケットからバタフライナイフを取り出した。そのまま身体ごと大ちゃんに向かって突進して行った。ナイフが大ちゃんを刺し貫こうとした時、その刃は大ちゃんの素手に握りしめられていた。そのまま指を切られると思ったわたしは、恐怖で目を塞いだ。しかし、<バキッ>と言う音がして、その後、また<グシャ>っという嫌な音がした。
わたしが恐る恐る目を開くと、目の前に、さっきの男が口から血混じりの泡を吹いていた。大ちゃんの足元には、刃を砕かれたナイフの残骸が落ちていた。
「他の奴らも許さないぞ!」
大ちゃんはそう言うと、「ズシン、ズシン」と足音が聞こえるかのように、まだ意識のある男達に近づいて行った。
「大ちゃん、それ以上は過剰防衛になるっす。死んじゃうっす。落ち着いて、いつもの大ちゃんに戻って欲しいっす」
いつもはおちゃらけている舞衣ちゃんが、必死の形相で訴えていた。でも、大ちゃんの怒りは止められなかった。縁石に放り投げられた男達が、ズリズリと地を這うように逃げている。大ちゃんの怒りの波動で、腰が抜けているのだ。
「だ、大ちゃん。もう止めて。わたしは大丈夫だから」
わたしがそう言って、大ちゃんにしがみついて止めようとした。すると、急にその場の空気が変わった。と言うよりも、元に戻ったのである。
わたしは、恐る恐る大ちゃんを見上げた。
「あー、部長ぉ。怪我はぁ、無いですかー」
そこにあったのは、いつもののほほんとした、大ちゃんの笑顔であった。
「元に戻ったんだね。よかったぁ」
ホッとしたわたしは、不覚にも、地面にへたり込んでしまった。
『えーん、怖かったですぅ』
向こうでは、ベソをかいた泣き声までハモっている双子ちゃん達を、しずるちゃんがなだめていた。
「ヤバかったっす。マジでヤバかったっす。大ちゃんの『アングリー・モード』は、ヒグマさえ殴り殺す威力があるっす。部長が止めなかったら……。止めてくれなかったら、マジで死人が出ていたっす」
そう言う舞衣ちゃんは、地面に両膝をつくと、両手で肩を抱いて震えていた。こんな舞衣ちゃんは初めて見た。そのことに、わたしは驚いていた。
一方で、ようやく立ち上がった三人の男達は、悶絶している仲間を背負って、一目散に逃げて行った。
「ちょっと、やり過ぎたんだなぁー」
そう言いながら頭を掻いている大ちゃんは、わたしが知ってる『いつもの大ちゃん』であった。なんだかホッとする。
「ありがとう、大ちゃん。お陰で助かったよ」
わたしは、窮地を助けてくれた大ちゃんにお礼を言った。
「部長は、どこも怪我して無いですかぁー」
二メートルを超える遥かな高みから、柔らかな言葉が降りてきていた。
「うん、大丈夫。それより大ちゃん、手は大丈夫。ナイフで切られたりしてない?」
「あれくらいじゃ、何とも無いんだなぁー」
大ちゃんはそう言って、手の平を見せてくれた。ホントだ、何とも無い。
「そっか。良かったぁ。ありがとね、大ちゃん」
わたしは、もう一度お礼の言葉を口にした。でも、大ちゃんは、ちょっと困ったような顔をしていた。
「部長、僕の事、怖くなっちゃいましたよねー。こんな乱暴者なんて、嫌われても仕方がないんだなぁー」
そう言う大ちゃんは、何だか何処か遠くを見ているようで、わたしは堪らなくなった。
「そ、そんな事無いよ。大ちゃんは大ちゃんだよ。さっきのだって、わたしが乱暴されたから怒ったんだよね。そんな大ちゃんを、嫌いになったり出来ないよ」
わたしは、どうしても自分の気持を伝えたかった。でも……、
「ありがとうなんだなぁー。こんな僕を見ても、怖がって離れていっちゃわないのは、舞衣ちゃん以外にいなかったんだなぁ」
そう言う大ちゃんは、少し悲しそうな顔をしていた。
「ありがとう、大作くん。お陰で助かったわ」
『私達も助かりました。ありがとうございます』
しずるちゃんも西条姉妹も、大ちゃんにお礼を言っていた。
「皆、怖く無かったですかぁー」
「さすがに、ちょっとびっくりしたけど……。大丈夫よ、大作くん。大変なところを助けてもらったのに、嫌いになるはずないわ」
『その通りですぅ。ありがとうございましたぁ』
「うん、本当に助かったよ、大ちゃん」
こうしてわたし達は、大ちゃんの意外な面を知った。皆でお礼を言ったのだが、それは大ちゃんに通じたんだろうか?




