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オークの群れの襲撃


山賊騒ぎから二日後、一行は国境の関所がある宿場町「バルダー」に到着した。

交通の要衝であるこの町は、国を行き交う商人や旅人で常に賑わっている。

石畳は隙間なく敷き詰められ、塵一つ落ちていない。上下水道が完備されたこの町は、吾輩がいた「始まりの町」よりも遥かに衛生的で、洗練された空気が漂っている。

馬車が行き交うが、路上が汚れていないのは、清掃が行き届いている証拠だろう。

吾輩にとって、この整いすぎた環境は少し居心地が悪い。 隠れるための雑多な影が少ないからだ。


一行が正門をくぐると、門番たちがギョッとして道を空けた。

無理もない。勇者たちが後ろに引きずっているのは、ロープで芋虫のように縛り上げられた、あの悪名高い山賊三人組だからだ。


「おい、あれを見ろ! 『黒森の山賊』じゃないか?」

「嘘だろ? 衛兵団ですら手を焼いていた奴らだぞ……」

「あの若者が捕まえたのか?」


町の人々がざわめき始める。

「おお! これは驚いた!」 騒ぎを聞きつけて、立派な髭を蓄えた守備隊長が駆け寄ってきた。

彼は縛られた山賊たちの顔を確認するなり、興奮して勇者の手を握り締めた。

「間違いねぇ、手配中の賞金首だ! しかも全員無傷で捕縛とは……! あんた、一体何者だ!?」


勇者は鼻の下をこすり、少し格好をつけて言った。

「名乗るほどの者じゃありません。ただの通りすがりの……勇者です」

「ゆ、勇者様だと!?」 隊長の声が裏返る。

「なんと……! 若くしてこれほどの手練れ、しかも謙虚! まさに英雄の器だ!」


町中がドッと沸いた。 「勇者様万歳!」「すげぇぞ!」 賞賛の嵐が巻き起こる。勇者は完全に英雄気取りで、観衆に手を振っている。

戦士と魔法使いも「俺たちの大将だ」と誇らしげだ。 この時点では、誰も知らなかったのだ。 この祝祭の空気が、数時間後に凍りつくことになろうとは。



その夜、勇者たちは町長主催の歓迎会に招かれた。 吾輩も同行……などするはずがない。人間に飼われているつもりはない。

彼らが山賊捕縛の祝杯を挙げている隙に、吾輩は建物の通気口から厨房へと忍び込んだ。 宴会の裏側は戦場だ。 料理人たちが怒号を飛ばし、皿を運び出している。 吾輩のような小柄な影に気づく余裕など、誰にもない。


吾輩は棚の上から、眼下の調理台を観察する。 そこには、川魚の塩焼きが並べられていた。

この辺りの清流で獲れるニジマスだろう。皮はパリッと焼け、身からは芳醇な香りが立ち上っている。

吾輩は音もなく着地し、一番身の厚そうな一匹を口に咥えた。 これは盗みではない。

勇者が道中で吾輩の安眠を妨害したことへの、慰謝料の徴収である。


戦利品を安全な屋根の上で平らげ、吾輩は食後の毛繕いを済ませた。 骨まで柔らかく、実に美味であった。 下の宴会場からは、まだ「勇者様万歳!」という能天気な声が聞こえてくる。 平和なものだ。 だが、その平穏は唐突に破られた。


カン、カン、カン、カン!!


けたたましい鐘の音が、夜空を引き裂いた。 火事ではない。もっと切迫した、敵襲を告げる早鐘だ。 宴会場の笑い声がピタリと止む。


「伝令! オークの群れです! 北の森から、多数のオークが町へ向かっています!」


衛兵の悲鳴のような報告が響き渡った。 吾輩は屋根の縁から、宴会場の庭を見下ろした。 酔いの醒めた戦士たちが飛び出してくる。勇者も顔を引きつらせながら出てきた。


「勇者様! 大変です!」 守備隊長が血相を変えて駆け寄ってきた。

「斥候からの報告で、敵は二手に分かれているようです! 主力部隊は正門へ、そして別動隊が手薄な裏門へ向かっています!」


「二手だと……?」 戦士が顎を撫でる。

「隊長さん、あんた等の戦力は?」

「恥ずかしながら、全然足りていません……! このままではこの町が危険です!」


魔法使いが杖を握りしめ、冷静に分析した。

「なら、私たちが分かれるしかないわね。正門の主力部隊相手なら、私の広範囲魔法と、戦士さんの突破力が必要だわ」

「違げぇねぇ! 雑魚の群れなら俺たちに任せな!」 戦士が豪快に笑い、

そして――最悪の提案を口にした。


「なら、裏門の別動隊は『大将』に任せればいいんじゃねぇか?」


勇者の肩が、ビクリと跳ねた。 「えっ……僕が、一人で?」

「当たり前だろ! 大将なら『真空の刃』があるんだ。少数の別動隊なんざ、あくびしながら片付けられらぁ。俺たちが派手に暴れてる間に、裏門をサクッと守ってくれよ!」 「そうですね。万が一の切り札として、最強のあなたが裏門を封鎖してくだされば、私たちも安心して正門で戦えます」

魔法使いも、一点の曇りもない信頼の眼差しを向けている。


守備隊長が、すがるように勇者の手を取った。

「おお……! 勇者様がたったお一人で裏門を……! なんと心強い! お願いできますか!?」


最強。切り札。一人で。 その言葉が、逃げ道を完全に塞いでいく。

勇者の顔色は土気色になり、唇はわなないている。 だが、この期に及んで「無理です」などと言える空気ではない。 彼は、引きつった笑みを貼り付け、蚊の鳴くような声で言った。


「あ、ああ……任せて……くれ……」


「よし! 行くぞ野郎ども! 大将に負けるんじゃねぇぞ!」

戦士と魔法使い、そして僧侶は、意気揚々と正門の方角へ走っていった。 取り残された勇者は、しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがてふらふらと裏門の方角へ歩き出した。


吾輩は、その頼りない背中を追った。 勇者は大通りを避け、暗い路地裏へと入っていく。 そして、誰も見ていないことを確認すると――。


「……うぇっ、げほっ……」


壁に手をつき、その場に崩れ落ちた。 胃の中身を、石畳の上にぶちまける。


「……無理だよ……」


勇者は口元を拭い、震える声で独り言ちた。 「真空の刃なんて……使えっこないじゃないか。たまたま山賊が落ちてきただけで……なのに、一人で守れだなんて……」

彼は膝を抱えてうずくまった。

「次はどうなる? 相手はオークだぞ? バレるに決まってる。そしたら、みんな僕を軽蔑するんだ……『なんだ、ただの詐欺師か』って……」


その背中は小さく、小刻みに震えている。 吾輩は近くの樽の上に座り、その様子を見下ろしていた。 人間とは、因果な生き物だ。 実力以上の名声を浴びれば、その重圧は利子をつけて返ってくる。

「名誉」を得るために「胃壁」を削るとは、なんと割に合わぬ取引か。 凡人が英雄の皮を被れば、中身が潰れるのは道理である。


今ここで逃げ出せば楽になろうものを、この男はプライドという鎖に繋がれて動けないらしい。 勇者はしばらく嗚咽していたが、やがて自分の頬を両手でパン! と叩いた。


「……行かなきゃ」


彼は震える足に無理やり力を込め、立ち上がった。

「ハッタリでも……一度引き受けたんだ。僕が逃げたら、町の人たちが……」


勇者は剣の柄を握り締め、裏門の方角へと走っていった。 その後ろ姿は、決して頼もしいものではない。 悲壮感が漂い、今にも泣き出しそうな、処刑台に向かう罪人の足取りだ。 だが、吾輩はその背中を、ほんの少しだけ「悪くない」と思った。

自分の弱さを知りながら、他人のために虚勢を張り続けるその滑稽さは、嫌いではない。


吾輩は樽から飛び降りた。 オークの群れか。 豚のような顔をした、品のない連中だ。

あいつらは何でも食う。当然、この町の食料庫も狙われるだろう。 それは困る。明日の吾輩の朝食に関わる重大事だ。


「……やれやれ」


吾輩は小さく喉を鳴らし、屋根の上を伝って、裏門の方角へと走った。 今夜は、少しばかり騒がしい夜になりそうである。


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