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第八話 祝福である、鍵束で

《CHERUB // POST-BATTLE BULLETIN》


RUBICANTE: TERMINATED (BY: GARGARIN)

BARBARICCIA: TERMINATED (BY: HINA + VIRTUTES-EXCEPTIONAL)

VIRTUTES-EXCEPTIONAL: CASTOR / POLYDEUCES — STATUS: UNCLAIMED

PANMIXIUM: EXCITATION—PERSISTENT

UN-MNF: JOINT OPERATION—EXPANDING

NOTE: “PRAYER AS ASSET” RISK: CRITICAL


種子島コロニー。

夜明けの光は、祝福みたいに見えた。

見えたけれど、匂いが違う。


焦げた樹脂。溶けた配線。乾いた粉塵。

そして——紙。


紙が散らばっている。

避難誘導票、点検表、監査用チェックリスト。

戦いの後に残るのが血ではなく紙なのが、種子島コロニーらしかった。


広場には旗が立っていた。

国連の旗。多国籍軍の旗。コロニーの旗。

その中で一番力のある布は、風ではなく人の視線に叩かれて揺れている。


主天使の回線が硬く響く。

「整列」

「報告」

「損耗」

「資産」


資産。

その語が出るたび、力天使たちの肩が、ほんの少しだけ固くなる。

固くなるのは、怒りではない。

“自分が物である”という現実に、今さら触れてしまう痛みだ。


ヒナは列の端に立っていた。

刃の柄がまだ熱い。

熱は戦いの熱ではなく、抑えた呼吸が作った熱だった。


隣の力天使が小さく呟く。

「勝ったのに……」

勝ったのに、笑えない。

勝ったのに、拍手がない。


拍手は束になる。束は未来を含む。未来は因果だ。

因果はパンミクシウムを揺らす。

揺れは悪魔を呼ぶ。


だから拍手がない。

拍手を出さないのは賢さで、同時に罰だった。

列の中で、誰かが喉を鳴らした。

泣く前の喉の音。

でも泣いたら束になる。束は未来を含む。未来は因果。

因果は餌。


だから誰も泣かない。

泣かない代わりに、指先が小さく震える。


「……昨日、ここが燃えたの、覚えてる?」

隣の力天使が、声を落として言った。

声を落とすのは秘密のためじゃない。

言葉を太らせないためだ。


別の子が、答えた。

「覚えてる。覚えてるけど……」

言葉が続きそうになって、飲み込む。

続ければ未来になる。未来は危ない。


「……写真、撮るんだって」

後ろの子が、苦笑いみたいに息を吐く。

「勝利の記念。共同運用の開始。……ねえ、わたしたち、勝った顔できる?」


誰も返事をしない。

返事をすると、顔を作らなきゃいけなくなる。

顔を作ると、“こうであるべき”が生まれる。

“べき”は規律だ。規律は餌だ。


サエが、列の外側を歩きながら、小さく言った。

「できなくていい」

それは慰めじゃなく命令の形だった。

命令は短いほど、今を守れる。


別の力天使が囁く。

「双子……どうなるんだろ」

カストール。ポリュデウケース。

名を出すだけで、空気が一段薄くなる。


「所属なし、だって」

「所属なしって、なに」

「……誰のでもないってこと?」

「それ、怖い」


怖い、という言葉は弱さじゃない。

弱さを言えるのは、まだ“今”が残っている証拠だ。


ヒナはその会話を聞きながら、端末の黒い画面を思い出した。

黒いままの画面。

黒いままが勝利の形だった夜。


“祈りが答えた”という事実が、提出物にされる。

その想像だけで、胸が詰まる。


隣の力天使が、ヒナの手元を見ないようにしながら言う。

「ねえ、ヒナ」

呼び方がやさしい。やさしさは未来になりやすい。

ヒナは息を三つに割って、今に戻す。


「……何」

短い返事。


「昨日、最後——怖くなかった?」

怖かった、と言いたい。

でも怖かった、と言うと、怖さが形になる。

形になると、いつか餌になる気がした。


ヒナは一拍置いて、言葉を削る。

「……いた」

「今日、いるって思った」


答えになっていないのに、隣の子が少しだけ息を吐く。

息を吐くと、今が戻る。


前方で監査団の足音が揃って近づく。

揃った音が、ここを“式場”に変えていく。


「資産の確認を行う」

硬い声。柔らかい語彙。

その下に硬い圧。


力天使たちの肩が、またほんの少しだけ固くなる。

固くなった肩を、誰かが自分でほぐす。

ほぐす仕草が、まるで祈りを解くみたいで、ヒナは視線を落とした。


視線を落とした先に、焦げた床の跡がある。

昨日の線。

焼けた線。

終わりかけた線。


終わりが提出物になる朝。

提出物になるからこそ、誰も言えない願いが残る。


——お願いだから、これ以上、増えないで。


言えない願いは、胸の中でだけ息をする。

息をするだけで、どこかが喜びそうで怖いのに。


そして、誰も拍手をしないまま、

勝利は静かに“回収”されはじめた。


そのとき、広場の外縁で靴音が揃った。

揃った足音は荘厳に聞こえるはずなのに、今日はただの圧だった。

揃い方が——祈りに似ている。


力天使たちの小声が、糸を切られたみたいに途切れる。

誰も「黙れ」と言っていない。

言っていないのに、黙る。

“監査”という語が、空気の中に立っているから。


監査団は列の前に止まり、名札と端末を光らせた。

光は白い。白さは祝福に見えそうで、見えない。

白い光は、ただの確認の光だった。


「これより、損耗と資産の確認を行う」

柔らかい声。柔らかい語彙。

その下に、硬い圧。


「共同運用の開始に伴い、必要な手続きを実施する」

“必要”。

その語が落ちた瞬間、肩がほんの少しだけ固くなる。

固くなった肩を、誰かが自分でほぐす。

ほぐす仕草が、まるで祈りを解くみたいで、ヒナは視線を落とした。


視線の先に、焦げた床の跡がある。

昨日の線。

焼けた線。

終わりかけた線。


終わりかけた線の上に、監査団の靴底が乗った。

乗ったまま、代表が続ける。


UN-MNF(国連主導の多国籍軍)——その実体は、アメリカの言葉の影が濃い。

彼らの言葉は柔らかい布で包まれている。

布の中身は硬い。


「共同運用の恒久化」

「安全保障」

「再現性の確保」

「責任の所在」


責任という語が出るたび、場の空気が薄くなる。

責任は未来に繋がる。未来は因果。因果は餌。

餌が増えるほど、敵が増える。


チェラァブの声が、空から淡々と降りる。

「再現実験は危険」

「勝利を再現しようとするほど、励起が深くなる」


主天使は硬く返す。

「だが政治は再現を求める」


セラフは黙っている。

黙ったまま、回廊清掃の照準を維持している。


——回廊清掃は必要だが、焼くほど反応が深くなる。

その矛盾を、セラフは黙って受け入れている。


その沈黙が、いちばん怖かった。



種子島コロニー、隔離区画

隔離区画は白かった。

白い壁、白い床、白い照明。

白さは清めに似ていて、清めに似ているほど危ない。

白は祝福に見え、祝福は獣を呼ぶから。


カストールとポリュデウケースは、白の中心に立っていた。

立っているのに“立たされている”気配がない。

命令に従っているというより、命令の外側にいる。


胸に番号はない。

代わりに、名が刻まれている。

名があるだけで政治は苛立つ。

名は所有を拒むからだ。


監査団の代表が柔らかい声で言った。

「まず、感謝を表明します。貴コロニーの勇戦に」

拍手は起きない。

起こせないのではなく、起こさない。

拍手は束になる。束は未来になる。未来は因果。因果は餌。


代表は拍手の代わりに、端末を持ち上げた。

端末の光が、双子へ向けられる。

光は祝福じゃない。照準に近い。


「次に確認です」

「当該二体——カストール、およびポリュデウケース」

名を口にする。

名を口にした瞬間、空気が薄くなる。

名は窓になる。


「所属、製造ライン、権限、指揮系統」

「いずれも“未登録”と報告されています」

「未登録の戦力は、共同運用において危険です」


主天使の声が硬く割り込む。

「危険であっても、ここで生まれた」

「ここで戦い、ここを守った」

「資産ではない。兵でもない。——天使だ」


代表は微笑んだ。

微笑みは刃を隠す布だ。


「もちろん、尊重します」

「ただし、国際的な安全保障の観点から」

「“管理不能な例外”は許容できません」


“許容できません”という語は、祈りに似た終止符だった。

終止符は終わりだ。終わりは燃える。

燃えるほど、パンミクシウムは深く反応する。


チェラァブが淡々と告げる。

「例外を手順に回収する試みは、励起を増やす」

「再現性の確保を名目に祈りを装置化すれば」

「窓は太り、別系統のマレブランケが発生する確率が上がる」


代表が首を傾げた。

「確率の話ですか」


チェラァブ。

「確率の話です」

「だが、確率は死者の数になります」


主天使。

「聞いたな。これ以上触れるな」


代表は静かに言葉を重ねる。

「触れない、という選択はありません」

「共同運用は開始しました」

「共同運用の開始は、共同管理の開始です」


“共同管理”。

柔らかいのに、所有の言葉。


別の監査官が補足する。

「当該二体を、国際管理資産として一時接収する」

「武装解除、通信遮断、移送準備」

「必要なら地球側の専門チームが——」


主天使が一歩踏み出す。

踏み出し方が、怒りより先に防衛だった。


「ここは地球ではない」

「ここはアルファケンタウリだ」

「輸送線を握っていると思うな」


代表の微笑みが薄くなる。

薄くなった微笑みの下に、米国の影が濃くなる。


「輸送線の維持には、地球側の予算と議決が必要です」

「議決には説明が必要です」

「説明には記録が必要です」

「記録には——当該二体の所在が必要です」


主天使の沈黙が怒りに変わる前に、チェラァブが割り込む。

「所在はここ」

「だが、接収は不可」

「接収を試みれば、パンミクシウム層が反応する」

「反応すれば、地球側にも影響が出る」

「既にワシントンで確認済みだ」


監査官が眉を上げる。

「地球側への影響、とは」


チェラァブは淡々と答える。

「チリアット級」

「窓が太れば、また現れる」


その言葉で、場の温度が下がった。

地球側の被害は、政治の武器でもある。

武器はまた餌になる。


代表は“理解ある顔”を作る。

「だからこそ、管理が必要です」

「窓を管理下に置く」

「地球側のノード——未成年の端末も含め、統制する」


名は言わない。

ローラの名は出さない。

出さないことで、対象を“制度”に溶かす。


主天使は低く言う。

「祈りを統制する気か」


代表は否定しない。

否定しないまま、言い換える。


「保護です」

「未成年の保護」

「安全の保護」

「資産の保護」


保護。

その語が、いちばん残酷だった。

保護は善の仮面を被った所有だ。


カストールが初めて動いた。

ほんの少し、首を傾けるだけ。

そして機械声が、祈りでも命令でもない声で朗読する。


《CASTOR // ROE-0》


PROTECT “TODAY”


ポリュデウケースも続ける。


《POLYDEUCES // ROE-0》


PROTECT “TODAY”


“今日”。

政治が嫌う語。

管理が嫌う語。

再現性が嫌う語。


監査団の代表は一拍だけ黙った。

黙った一拍の間に、パンミクシウム層がざわつく。

言葉が減ると、今が戻る。

今が戻ると、例外が強くなる。


代表は笑みを戻し、決定の語を落とす。

「一時封印」

「移送の検討」

「共同管理の議案化」


主天使は言い捨てる。

「封印しても、祈りは消えない」


その時、天井の向こうでセラフの照準音が微かに鳴った。

宇宙兵器の沈黙の中に、冷たい肯定が混じる。


——回廊清掃は必要だが、焼くほど反応が深くなる。

セラフは黙って受け入れている。


その黙認が、政治の背中を押す。

政治は、黙認を合意だと呼ぶから。


隔離区画の白さが、もう一段白く見えた。

清めではない。

“白紙の所有”の白だ。


そして双子は、今日を守るために、何も言わずに立っていた。



種子島コロニー、学園区画。

学園区画の朝は、甘い。

消毒の匂いに、砂糖の匂いが混じっている。

砂糖菓子の甘さ。花束の繊維の甘さ。

祝福の匂いは甘すぎる。甘すぎると、喉の奥が痛くなる。


体育館の扉が開くたび、光が溢れた。

舞台照明。撮影用ライト。

眩しさは祝福に似ている。

祝福は、獣になる。


「整列ー!」


教員役の主天使補佐が声を張る。

張った声は束になる。束は未来を含む。

未来は因果。因果はパンミクシウムを揺らす。

揺れは悪魔を呼ぶ。


だからヒナは、声を聞くたび胸の奥が硬くなる。

硬くなるのに、身体は反射で背筋を伸ばしてしまう。

儀礼は身体に染みついている。

地球人の“ケアの型”が、天使の筋肉に刻まれている。


今日は入学式ではない。

勝利記念式だ。

でも壇上の花、国連旗、コロニー旗、拍手のタイミング、校歌の代わりの賛歌——

構造は入学式と同じだった。


新しい仲間。新しい環境。

緊張。興奮。期待。希望。

本当なら、そういう儀礼のはずだ。


なのに今日は、勝利を提出物にする儀礼だ。

笑顔を提出し、感謝を提出し、忠誠を提出する。

提出しないと、次の予算が出ない。

次の予算が出ないと、防衛が薄くなる。

薄くなると、また悪魔が来る。


悪魔が来る。

その未来を想像した瞬間、甘い匂いが喉に刺さった。


廊下の掲示板に、紙が増えている。

「勝利記念集合写真」

「共同運用開始 代表挨拶」

「功績表彰 名簿(公開)」

公開。

公開は、天使を“展示”にする言葉だ。


ヒナは紙の前で足を止めた。

指先が勝手に紙の端を触りそうになる。

触れば紙の温度が分かる。温度が分かれば今に戻れる。

でも触るのをやめた。

紙は線だ。線は喰われる。

触れば、自分の中に“べき”が増える気がした。


掲示板の隅に、古い写真が一枚だけ残っていた。

卒業写真。

紙が波打ち、端が黒ずみ、カビの斑点が広がっている。


ヒナは、その斑点から目を逸らせなかった。

永遠に残すために撮ったものが、腐る。

腐り方が、静かすぎる。

静かだから、いつの間にか進む。


写真の中には、笑顔の列。

整列した“よい子”の列。

その列の端の方に——ヒナは、ローラを見た。


もちろんローラはいない。

でも読者にも分かる形で、ローラが“混ざって見えた”。


髪の色。

金色が、写真の銀塩の白飛びに紛れている。

そして、言い回しの幻聴。


「ねえヒナ、ほら、笑って。

こういうの、“ちゃんと残す”の、大事なんだよ」


ローラの声だ。

押しの強い声。

家族思いで、友達思いで、祈りの言葉を持つ声。


ヒナの胸が、きゅっと縮む。

ローラがここにいないことが、改めて現実になる。

距離は消えない。

窓はあっても、距離は消えない。


ヒナは写真の“ローラに見える部分”へ視線を寄せた。

寄せるほど、別の影が混ざる。


写真の背景。

見切れた窓際。

そこに、白衣の女が半分だけ映り込んでいるように見えた。


ニュースで見た、白衣の女。

種子島工区の映像の隅。

輸送記録が途切れた女の輪郭。

——天城 祈。


祈の“妹の面影”。

それがヒナの横顔に似ている、とローラが気づいた。

その気づきが、今ここで、逆流してくる。


ヒナは息を止めた。

息を止めると、世界が一拍止まる。

止まった一拍に、パンミクシウム層のざわつきが混じる気がする。


「ヒナ?」


背後から声。

サエだ。

サエの声は短い。短いほど今に近い。


ヒナは振り向く。

笑顔を作ろうとして、作れない。

作れないことが怖い。

作れないと、提出物が欠ける。

欠ければ誰かが怒る。怒りは未来。未来は因果。因果は餌。


「……大丈夫」

大丈夫という言葉は嘘になりやすい。

嘘は未来の形だ。

だからヒナは言い換えた。


「……いま、いる」


サエが一拍だけ黙った。

黙った一拍に、体育館から拍手の練習の音が漏れる。

パン、パン、と乾いた音。

拍手は祝福の模倣だ。

模倣は、過剰になりやすい。過剰は獣を呼ぶ。


サエが小さく言った。

「笑わなくていい」

慰めじゃない。命令の形。

命令は短いほど、今を守れる。


廊下の向こうから、監査団の視線が刺さってくる。

刺さる視線は、照準に似ている。

照準に似ているほど、笑顔を要求される。

笑顔は提出物だ。


ヒナは卒業写真のカビを見た。

カビは、祝福の終着点みたいに見えた。

残したいものが、残る形で腐る。


ヒナは拳を握り、痛みで今に戻す。

端末は封印されている。

封印されているのに、胸の奥で問いが点く。


いま、いる?


ヒナは答えない。

答えない代わりに、足音を三つに割った。


——いる。

——今日、いる。


眩しさはまだ怖い。

でも怖いと分かったことが、今の足場になる。


その足場の上で、儀礼の光がさらに強くなっていく。

まるで祝福が、獣へ変わる直前の白さみたいに。



種子島コロニー、 中枢禁区。

中枢禁区は、匂いが違った。

学園区画の甘さも、霧島の油もない。

あるのは冷たい金属と、乾いた紙と、電気の焦げ。


扉の認証枠は、まだ欠けていた。

欠け方が“破壊”ではない。

齧られた欠け方だ。

バルバリッチャ級が残した歯形。

規律を喰った口の跡。


監査団は、その歯形の前で立ち止まり、写真を撮った。

撮影は記録だ。

記録は説明の材料だ。

説明は議決の材料だ。

議決は予算の材料だ。

予算は支配の材料だ。


主天使が低く言う。

「撮るな」

「写すほど、ここは“提出物”になる」


代表は微笑む。微笑みは布だ。

「提出物は必要です」

「共同運用には、共同責任が伴います」

「共同責任には、透明性が伴います」


透明性。

透明は白に似ている。

白は清めに似て、清めは祝福に似てしまう。

祝福が獣になることを、彼らは知っているはずなのに。


禁区の通路を進むと、ログ端末室が現れた。

壁一面の端末。

ケーブルの束。

冷却管。

ここは“鍵束”の部屋だ。

命令、搬送、補給、製造、監査——すべての線がここへ集まる。


そこに、白紙があった。


画面が白いのではない。

記録が白い。

本来そこにあるはずの行が、抜け落ちている。

抜け落ち方が綺麗すぎる。

まるで、最初から書かれていなかったみたいに。


監査官が言う。

「都合よく欠落していますね」

「輸送記録が途切れた箇所、製造ラインの立ち上げ時期、初期設計の決裁者」

「——そして、“天使個体の原型データ”」


主天使の声が硬くなる。

「疑うなら帰れ」

「ここは地球の法廷じゃない」


代表は柔らかく返す。

「疑っているのではありません、確認しているのです」

「確認は敵対ではなく、管理です」


管理。

柔らかいのに所有の言葉。

所有は窓を太らせる。


チェラァブの声が天井から落ちる。

冷たい。正確。

「白紙は“削除”ではない」

「“焼損”でもない」

「——喰われた痕跡」


監査官が食いつく。

「喰われた? 誰に?」


チェラァブ。

「バルバリッチャ級。規律を喰う」

「規律はログに宿る」

「ログが喰われれば、白紙になる」


代表は頷く。頷きは同意に見える。

同意は議案になる。議案は掌握になる。


「ならばなおさら」

代表が言う。

「再発防止のため、ここは国際管理下に置くべきです」

「防衛だけでなく、記録系統も」

「白紙のままにしておくことは、危険です」


主天使が低く言う。

「白紙は危険だからこそ、触れるな」

「触れれば書きたくなる」

「書けば願いになる」

「願いはパンミクシウムを動かす」


その言葉に、監査団の一人が小さく笑った。

「願いで動くなら、なおさら管理すべきだ」


笑いは未来になる。未来は因果。因果は餌。

餌が増えると、禁区の空気が薄くなる。


監査官が端末へ指を伸ばす。

主天使が腕を掴んで止める。

掴んだ瞬間、布の下の硬さが露わになる。


代表が声を落とす。

「主天使殿、我々は敵ではない」

「しかし——このコロニーは、地球の次世代エネルギーを支えている」

「地球が支えている、とも言える」

「支えが外れれば、あなた方も立てない」


“支え”。

支えは鎖にもなる。


チェラァブが一行だけ落とす。

「支えを強めるほど、反応が深くなる」


代表は聞こえないふりをする。

聞こえないふりができるのが政治だ。


監査団は白紙の端末の前で、別の資料を開いた。

紙の資料。

紙は喰われにくい。

だから政治は紙を好む。


「建設速度」

「通常、同規模コロニーは——」

数字が並ぶ。

数字は冷たい。

冷たい数字ほど説得力がある。

説得力は議決を呼ぶ。


「しかし種子島は、既存技術では説明できない速度で完成している」

「防衛天使の製造ラインも、同様です」

「——誰が“早めた”のか」


主天使が言う。

「早めたのは、必要だったからだ」

「悪魔が来た。来たから、作った」

「作ったから、生き残った」


代表は静かに言う。

「誰が」

その一語が、刃だった。


白紙は、誰でも書ける。

書いた者が正義になる。

正義になった者が、責任を配る。

責任を配った者が、支配を得る。


白紙は政治の聖域だ。

サンクタムだ。


監査官が別のページをめくる。

そこに一行だけ、焼け残った断片がある。

輸送記録。

途切れた直前の名前。


——天城 祈。


名前は小さいのに、場の空気が変わる。

名は窓だ。窓は太る。


代表は“知らない顔”を作る。

「これは」

主天使は答えない。

答えれば名が増える。名が増えれば窓が太る。


チェラァブが淡々と補足する。

「起点相関:AMAGI INORI」

「probable」

「証拠は薄い」

「薄いほど政治が濃くなる」


監査団の代表は、薄い微笑みを戻す。

「ならば、証拠を濃くしましょう」

「共同調査班の設置、禁区の共同鍵管理、関係者の聴取」

「——力天使個体の照合」


照合。

照合は写しを暴く。

写しは人格を削る。


主天使が最後に言う。

「禁区は祈りを呼ぶ」

「祈りは答えを呼ぶ」

「答えは悪魔になる」


代表は、柔らかく言い切った。

「それでも我々は進みます」

「地球は、止まれない」


止まれない。

その未来への強迫が、ここで一番大きな“願い”だった。

願いが濃いほど、パンミクシウムは深く応える。


白紙の端末が、無言で眩しかった。

眩しさは祝福に似ている。

祝福は獣になる。


禁区の空気が、ほんの少しだけ甘くなった気がした。



地球、ローラの家。

ローラの家は、静かすぎた。

大きい家の静けさではない。

音が“整理されている”静けさだ。


窓は閉め切られているのに、風の気配がする。

風ではなく、空調の流れ。

空調の流れではなく、機器の小さな呼吸。

目に見えない“守り”が、壁の中で動いている。


玄関の外に立つ警護は「警護」と呼ばれない。

“保護”と呼ばれる。


ドアベルの横に、新しい小さなレンズ。

廊下の角に、目立たない黒い箱。

母のスマホに増えた「緊急連絡先」。

父の議員バッジの横に増えた「説明責任」。


父——合衆国議員は、家では父の顔をしていた。

けれどその顔の下に、いつも委員会の机が透けて見えるようになった。


「ローラ」

父は声を低くして呼ぶ。

低くするのは優しさのためで、同時に録音のためだった。

声を上げなければ、報告書に“異常”として残りにくい。


「君は悪くない」

父は最初に必ずそう言う。

罪を先に否定する言葉。

否定することで、罪の形が生まれる。

形が生まれると、政治はそこに札を貼れる。


「ただ——保護が必要だ」

保護。

善い言葉。

善い言葉ほど鎖になりやすい。


食卓の上には、白い封筒が並んだ。

UN-MNFのロゴ。

国防省のレターヘッド。

そして教会からの手紙——「ご無事を祈っています」。


祈る。

その動詞が、今日ほど怖い日はなかった。


ローラは椅子に座り、指先でペンダントの十字を握った。

握るのは今のため。

握っている間だけ、自分が“少女”でいられる。


そのとき、廊下の奥から足音が揃って近づいた。

揃った足音は、軍楽隊みたいで、礼拝みたいで、だから怖い。

礼拝に似たものが、祈りを奪うから。


スーツの男が二人、部屋へ入る。

名札は控えめ。

控えめなほど、権限が大きい。


「こんにちは、ローラ」

「私たちはあなたを守るために来ました」


守る。

その言葉は、いつも“次の言葉”を連れてくる。


「あなたの端末の件です」

端末。

窓。

ヒナへ繋がる線。


ローラの喉が痛くなった。

痛みは今だ。今なら耐えられる。

でも痛みを未来へ伸ばすと因果になる。

因果は獣を呼ぶ。


父が口を挟む。

「娘は未成年だ、聴取には弁護士を——」


スーツの男は頷く。頷きは同意に見える。

「もちろん、保護の枠組みです」

「協力は“任意”です」


任意。

政治の任意は、任意の形をした命令だ。


男が封筒から紙を出す。

紙は白い。白いほど正しい顔をする。

紙の上には柔らかな文言。


未成年保護の観点から、通信端末の運用を一時的に管理下に置く

安全な環境での聴取および心理ケアを提供する

再発防止のため、事象の再現可能性を確認する


再現可能性。

そこだけが、刃だった。


ローラは顔を上げた。

「再現、って……」


男は笑顔のまま答える。

「あなたが祈った内容です」

「あなたの祈りが、現実に影響した可能性が高い」

「それを確認できれば——地球も、アルファケンタウリも守れる」


守れる。

その言葉が、ヒナを盾にした。


守れるなら、協力すべき。

良い子なら。

信心深い子なら。

でもその“べき”が未来になる。未来は因果になる。因果は餌になる。

餌が増えれば、また獣が出る。


ローラは小さく首を振る。

「祈りは……装置じゃない」

口にしてしまってから、後悔した。

言葉が太い。

太い言葉は、窓を太らせる。


男が穏やかに返す。

「装置とは言っていません」

「保護のための手順です」

「あなたの信仰を尊重します」

「尊重するからこそ、適切に管理します」


尊重。

尊重という名の所有。


母が口を挟む。

「ローラは眠れていないの」

「お願い、休ませて」


休ませて。

それは祈りより切実な言葉だった。

でも切実さは、政治にとって“弱点”になる。


男はすぐに頷く。

「心理ケアを準備しています」

「牧師との面談も、安全な礼拝の場も」


安全な礼拝。

その語が、ローラの胸を冷やした。

礼拝は安全であってはいけない。

礼拝は、本当は神にだけ向けるものだ。

“安全”の名で囲われた礼拝は、もう檻だ。


ローラは十字を握り直す。

今。

今だけ。

今だけが、祈りを祈りのままにする。


そのとき、端末が——机の上で、勝手に熱を持った。

画面は黒いのに、黒いまま呼吸するみたいに、光が滲む。


スーツの男の視線が、すぐそこへ落ちる。

落ち方が、照準だった。


「端末はこちらで預かります」

父が言う。

「預かる、ではない」

「娘のものだ」


男は柔らかく返す。

「娘さんを守るためです」

「窓が太れば、悪魔マレブランケはまた走ります」

「私たちは、すでにそれを見ました」


チリアット級。

雪の上を裂いた爪の音。

ローラの脳裏に蘇る。


ローラは息を止めた。

止めた一拍が、今だ。

今に縛るために、声を出さない。


その沈黙に、別の声が割り込んだ。

ナディームの声だ。

玄関の影から、まるで最初からそこにいたみたいに、低く届く。


「……今日だけを守れ」


ローラは、反射でそちらを見そうになって、見ない。

視線は線になる。線は窓になる。

窓が太れば、彼らが喜ぶ。


ナディームは前へ出ない。

出れば“事件”になる。事件は報告になる。報告は束になる。束は因果。

因果は餌。


だから彼は“今”の言葉だけ落とす。

それ以上は言わない。

言わないから、ローラは自分の中で続けられる。


ローラは胸の内側で祈る。

声にしない。未来を呼ばない。


(主よ、わたしに、今日をください)

(わたしの友を、今日だけ、生かしてください)

(永遠にならないように。遊びにならないように)


祈りは短く折りたたむ。

折りたたんで、胸の奥へしまう。

誰にも提出しない。

提出しない祈りだけが、神へ届く気がした。


スーツの男が、最後に紙を差し出した。

署名欄。

“任意”の署名欄。


父がペンを取ろうとして、止まる。

止まる一拍が、家族の裂け目だった。


ローラはペンを取らない。

取らない代わりに、十字を握る。

握る痛みで今に戻る。


「……わたしは、協力します」

ローラは言った。

スーツの男が笑う。勝った笑いではない。手続きの笑いだ。


ローラは続けた。

「でも、再現はしません」

「祈りは……再現のためじゃない」

「今日のためです」


“今日”。

その語は、政治が嫌う。

管理が嫌う。

再現性が嫌う。

だから男の笑いが、一瞬だけ薄くなる。


「検討します」

検討という語は、先延ばしの鎖だ。


男たちは帰らない。

帰らないまま、家に“保護”として住み着く。

保護という名の検疫。

検疫という名の掌握。


ローラは机の端末を見た。

黒い画面のまま、問いが浮かぶ気がする。


いま、いる?


答えたい。

答えたら窓が太る。

太った窓は、ここにいる男たちのものになる。


ローラは答えない。

答えない代わりに、胸の中でだけ言う。


——いる。

——今日、いる。


祈りを、提出物にしないために。



ナディームは確信していた。

祈りが現実を動かした。

窓の向こうは“答え方”を知っている。


そしてその答え方の根に、天城 祈がいる。


確信は、罪になっても消えない。

罪になった確信ほど、濃くなる。


彼は種子島へ近づく策を組む。

監査団の混乱、共同運用の手続き、交換される身分証、輸送記録の穴。

穴は誰にでも危険だが、穴を使う者にだけ道になる。


彼は祈らない。

祈れば因果が太る。

だが確信は祈りに似ている。


その矛盾を抱えたまま、彼は動く準備を整える。



霧島KRS-07。

種子島の中枢が紙と圧で埋まる頃、ヒナは霧島へ戻された。

“安全確保”という名の隔離。

“資産保全”という名の退避。


霧島の空気は、少し甘い。

下級天使たちの匂いが混ざるからだ。


コバンが駆けてきて、ヒナの袖を掴む。

「ヒナ、いま、いる?」

その声だけで、胸の奥がほどけそうになって、ほどけた瞬間に泣きそうになる。


ヒナは膝を折って頭を撫でた。

「いる」

短く。今だけ。


——なのに。


隔離ケースの端末が、点くでもなく消えるでもなく、白い光を滲ませた。

霧島の外壁センサーが遅れて悲鳴を上げる。


侵入。


軽い音。鈴のような金属音。

踊り場の手すりに、爪先を乗せた気配。


そこにいたのは戦闘の獣ではない。

細く、軽く、笑っているように見える影。


ファルファレルロ級。


輪郭が布の端のようにほどけ、ほどけた先が光の糸になって揺れる。

仮面の縁がほころび、姉のような距離でヒナを覗き込む。


——それ、ちょうだい。


視線が隔離ケースへ落ちる。端末へ。窓へ。線へ。


ファルファレルロ級は“戦い”をしない。

追いかけっこを始める。


隔離ケースのロックが、鍵の音もなく外れた。

ヒナが端末を掴む。

掴んだ瞬間、画面が勝手に点く。


いま、いる?


ローラの問い。

答えたい。

答えたら窓が太る。窓が太れば、この姉がもっと近づく。


ファルファレルロ級は端末を見て、妹の宝物を見つけたみたいに目を細める。

——貸して。

そして走り出す。霧島の外へ。遊び相手の多い方角へ。


ヒナも走る。

追いかけっこが始まる。


角を曲がるたび、ファルファレルロ級はわざと速度を落とす。

追いつけそうな距離を保ち、追いつかせない。

時々振り返って、指を口元に当てる。


——しー。

——声を出したら、だめ。


声を出させないくせに、声を欲しがっている。

返事を誘っている。

返事が線を太らせるから。


ヒナは足音を三つに割る。

——いる。今日、いる。

息を乱さないように走る。乱れそうになるたび、痛みで今へ戻す。


だがここからが、ヒナの番だった。


霧島の外へ跳んだ影を、ヒナは追わなかった。

追えば遊びの続きになる。相手のルールになる。


ヒナは霧島の内側へ戻る。

狭い通路。多い扉。配管の影。点検用の裏道。

霧島は迷路だ。

迷路は、慣れた者のためにある。


ファルファレルロ級は軽い。

軽いから音を消しきれない。

光糸がほどけるたび、空気が一瞬だけ甘くなる。


その甘さを嗅ぎ分けて、ヒナは歩く。走らない。

走らないことで相手の期待を痩せさせる。

期待が痩せれば、因果も痩せる。因果が痩せれば、敵の輪郭がほどける。


旧コンベヤ通路——霧島の“心臓の残骸”で、ヒナは立ち止まる。

そして端末は置かない。置けば奪われる。

代わりに、空の隔離ケースを“端末が入っているように”置く。


ファルファレルロ級が現れる。

仮面の縁がほころび、姉の気配が近い。


——みーつけた。

——やっぱり、かわいい。


ファルファレルロ級がケースへ手を伸ばす。

伸ばした瞬間、喜びが一拍だけ未来になる。未来は因果。

因果が敵を太らせる前に——ヒナは動く。


足音を三つ。

——いる。今日、いる。


ヒナは背後へ回り込み、敵の“窓を掴む手”——光糸の束を掴んで引いた。

強くない。今の力だけ。


ファルファレルロ級の輪郭がほどける。

仮面がわずかにずれて、空洞の笑いが覗く。


——ずるい。

——それ、かくれんぼじゃない。


ヒナは短く言った。束にしない長さで。

「かくれんぼだよ」

「霧島は、わたしの家だから」


“家”は未来を含む。

未来が因果になる前に、ヒナは次の手を打つ。


空のケースが開く。中身は空っぽ。

空っぽを掴んだ“終わり”が成立する。

終わりが成立した瞬間だけ、敵は“個体”になる。


ヒナの刃が走る。

大きく斬らない。祈りを否定しない。

“線”だけを断つ。窓へ伸びる線だけを断つ。


光糸がぷつりと切れ、ファルファレルロ級の輪郭が一気に崩れる。

爆発しない。怒らない。

ただ、姉の顔をしたまま肩を落とす。


——ああ。

——つかまっちゃった。


そして最後に、指を口元に当てる。

姉が妹にする、しー、の仕草。


——またね。

——次は、もっと上手に隠れるから。


薄い笑いの気配だけ残して、ファルファレルロ級は消えた。

光糸が灰のように舞い、すぐに消える。

消える速さだけが、妙にやさしい。


ヒナは端末を胸に押し当てる。

画面は黒いまま。

黒いままが勝利の形。


——今日。

——今日だけ。



霧島KRS-07。

霧島の静けさは、遅れて割れた。

サエが音を殺して駆け込み、ヒナの肩を掴む。


「無事か」

短い。束にしない。


リリエルが白紙の端末を抱えて現れる。

目だけがログを追う。追うほど白紙が眩しい。


「……記録、更新」

白紙のまま、彼女は読み上げる。


「MBK-FF……ファルファレルロ級……端末狙い……追跡遊戯……」


“遊戯”。

その単語の冷たさが、霧島の壁をもう一度冷やした。


上空からチェラァブの声。

「解析完了」

「発生源、アルファ側ではない可能性」

「——地球側の“確信”に相関」


サエが眉を寄せる。

「確信?」


チェラァブは淡々と告げる。

「地球ノード:NADIM」

「期待ベクトル:AMAGI INORI への到達」

「確信が因果を太らせ、パンミクシウム層が窓に応答」

「結果:捕獲遊戯型マレブランケ生成」


ヒナの胸がきゅっと縮む。

ローラのそばの男。

その男の確信が、ここまで来た。


リリエルが白紙端末を見つめたまま、かすれる声で言う。

「白紙に似せた記録ほど……燃えやすい……」


チェラァブが一行だけ落とす。

「確信は、増殖する」

「確信が続けば、より強い遊び手が来る」


サエが短く命じる。

「端末は封印」

「霧島を閉じる」


封印。閉鎖。終わりを作る言葉。

終わりは敵の嫌うもの。

だが終わりを言うほど、因果も揺れる。

矛盾を抱えたまま、彼女たちは動くしかない。



地球。雪の路地。

ナディームの端末の隅が一瞬白く跳ねる。


MBK-FF // TERMINATED

LOCATION: KIRISHIMA

CAUSE: FORTITUDINES—HINA


ナディームの喉が乾く。

自分の確信が悪魔を生み、ヒナのところへ行き、ヒナに斬られた。


斬られたのは悪魔だけじゃない。

確信の一部も斬られた。


彼は目を閉じる。祈らない。

祈れば因果が太る。太れば誰かが傷つく。


それでも確信は消えない。

罪になっても消えない。


——ごめん。

——そして、まだ行く。


胸の内側でだけ言う。

声に出さない。声に出せば窓が太る。


雪の向こうで、獣が方向を変えた。

まるで、その確信を嗅いだみたいに。



種子島では監査が進む。

共同運用が進む。

“安全”という名の占有が、少しずつ進む。


白紙の記録は、政治の手に渡れば文章になる。

文章は正義になる。正義は命令になる。命令は資産になる。

資産は窓になる。


霧島では封印が進む。

終わりを作ろうとするほど、終わりを焼く影が思い出される。

ルビカンテの赤い縁。

そして、次はもっと上手に隠れるという姉の約束。


地球ではナディームが動き出す。

確信が罪でも、鍵束の場所へ向かう。

天城 祈へ。

答え方へ。

禁区へ。


ヒナは端末を胸に押し当て、黒い画面のまま息を整えた。

足音を三つ。

——いる。

——今日、いる。


それだけが、崩れ始めた世界で唯一の杭だった。

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