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第十四話 祝福との開戦

アルファケンタウリの薄い大気が、白い爪で裂かれた。

流星ではない。祈りでもない。

国の数だけ塗り分けられた弾頭が、同じ角度、同じ速度で落ちてくる。


それは、宣戦の聖歌だった。

聖歌に似ているほど冷たい。


かつてセラフの光が走った回廊の上――今は、折れた槍の残骸域が漂っている。

白い破片。焦げた金属。

そして、祝祭の空に舞っていた“卒業写真のカビ”みたいな粉。


粉は、都市の獣――ドラギニャッツォ級の建築装甲に貼り付いていた。

議事堂の柱列の陰に、誰かの笑顔の欠片。

学校の階段に、誰かの制服の襞。

眩しさは消えない。眩しさは腐る。腐ったまま装甲になる。


その装甲の上を、ミサイルの群れが切り裂いて落ちた。



国際連合の決議は待てない。

それが、地球側の結論だった。


「門が完成した」

「セラフが大破した」

「救出は成功しなかった」

その三つが、恐慌に礼拝の衣を着せる。


“保護”

“説明責任”

“共同運用”


言葉は優しい。優しいほど刃になる。

有志連合――国家間の臨時の鎖は、決議より早く締まった。


宣戦は、宣戦と呼ばれなかった。

“治安維持”

“封鎖”

“現地支援”

“回廊清掃”


そして、次の一行が静かに添えられる。


軌道典礼砲シェムハザを共同運用として即時適用。


天使の名を冠した槍。

祈りの言葉を模した砲撃。

地球は、祈りを撃つ準備を整えた。



種子島コロニーの中枢は、今日も“提出物”に囲まれていた。

戦果報告、損耗報告、心理衛生報告。

提出物が増えるほど、心は軽くなる。軽くなるほど、期待が増える。期待は未来だ。未来は餌だ。


主天使は机上の光る端末を見たまま、言葉を選ぶのをやめていた。

チェラァブの電子戦出力が、裏で静かに唸っている。


「……統合作戦仕様に切り替わります」


報告は淡々としている。

淡々としているほど、決定が重い。


JOINT COMMAND OVERRIDE:ACTIVE(常態化)


日本側の署名は、形式としてそこに残っていた。

形式は免罪符に見える。だが形式は鎖だ。

鎖は手首に食い込み、食い込むほど“共同運用”が当たり前になる。


力天使たちは、学園区画の廊下で短く息を吐いた。

救出の匂いではない。

戦争の匂いだ。


「……また、焼くの?」

誰かが言いかけて、飲み込む。

祈れば因果が増える。泣けば束になる。束は餌だ。


主天使は、口の端だけ動かした。

「焼くほど反応が深くなる」

その一文を、誰もが知っている。知っているのに、焼く。


“責任”のために。

“保護”のために。

“説明”のために。



ドラギニャッツォ級は、都市のまま生きていた。

背骨は白河。

骨格は道路。

装甲は建築。

臓器は空洞の商店街や、無人の学校や、空席の礼拝堂。


そこに、カビが貼り付く。

卒業写真の縁から剥がれた粉が、窓枠に、銘板に、柱の継ぎ目に、薄い膜を作る。

膜は“記念”の輪郭になる。

記念は腐る。腐った記念が、怪獣の皮膚になる。


白河の空の奥で、祝祭の拍が続いていた。

マラコーダ級の静けさが、まだ終わらない合図を送っている。

ファルファレルロ級の姉の笑いも、遠くで途切れない。


そしてその上に――地球の聖歌が落ちてくる。


ミサイルの群れは、前奏だった。

本当の“礼拝”は、軌道から始まる。


アルファ上空、散った衛星群が整列する。

整列は戦術ではない。儀礼だ。

国ごとの回線が、共同運用の名で束ねられ、位相が同期され、承認が一つの鎖に連なる。


通信に朗読が流れる。

祈祷文に似ている。

祈祷文に似ているほど、冷たい。


SHEMHAZA // ORBITAL LITANY CANNON

COALITION MULTINATIONAL OPERATION: ACTIVE

PROCEDURE: ACCOUNTABILITY / PROTECTION / JOINT USE

FIRE AUTHORIZATION: GRANTED(連鎖承認)

LITANY: “FOR THEIR SAFETY” / “FOR ORDER” / “FOR EXPLANATION”


“安全のため”

“秩序のため”

“説明のため”


祈りの語彙が、照射手順になっていく。

そして、一本の白い槍が落ちた。


落ちた光は、門縁を焼く。回廊を焼く。パンミクシウム層の表皮を焼く。

封鎖のつもりだった。

無力化のつもりだった。

通信遮断のつもりだった。


だが焼却は、反応を深くする。


白河ゲートが、光に濡れた。

濡れた境界が、さらに“成立”を強める。

門は閉じない。門は太くなる。


悪魔たちは喜ぶ。

祝祭の拍が、熱狂へ移る。

ドラギニャッツォ級は、落ちてきた光を――吸う。

防御ではない。摂食だ。

喰って学び、学んで反撃の形を整える。


天の槍は折れた。

代わりの槍は、悪魔の胃袋を満たした。



軌道照射の直後、別の“降下儀礼”が始まった。


カプセルが落ちる。

落下は、落下ではない。叙勲式のパロディだった。

殻が割れると、そこから“天使”が出てくる。


——整っている。

整っているのに、どこかおかしい。


肩のラインが不自然に角張り、胸部は勲章の集合体のように光る。

皮膚の代わりに徽章と略綬が貼り重なり、関節は肩章の房が束ねられたように揺れる。

顔は制式の微笑を模した無表情。

眼はレンズのようで、祈りではなく採点をする。


人造マレブランケ――エグリゴリ。


彼らは悪魔を狩るために作られた。

だが“狩り”の名で、戦場の規格を上書きする。


EGRIGORI // EXECUTION LITANY

OBJECTIVE: DEMON PURGE(駆除)

OBJECTIVE: GATE SEAL ASSIST(封鎖支援)

OBJECTIVE: ANGEL EFFICIENCY CORRECTION(戦法是正)

NOTICE: ORIGINAL-STYLE COMBAT = INEFFICIENT(原初戦闘は非効率)


原初戦闘は非効率。

その一行が、力天使たちの背筋を冷やした。


彼女たちの忠実は、効率のためではない。

願わないための忠実。

未来を増やさないための実直。

天城 祈の最初の願いの“形”――

地球人の友人たちのために、ただ押し返す、あの形。


それを“是正”する。

是正という言葉は、祝福に似ている。

祝福に似ているほど怖い。



能天使の荘厳さ。

エグリゴリの荘厳さ。

二つは似ていた。似ているほど混線する。


能天使は命令に忠実だ。

エグリゴリは手続きに忠実だ。

忠実と忠実が重なると、現場は“余白”を失う。


余白が失われれば、心が詰まる。

詰まれば泣きたくなる。泣けば束になる。束は因果になる。因果は餌だ。


力天使たちは叫ばない。

叫ばないために、刃を握り直す。

だがエグリゴリはそれを見て、採点する。


EGRIGORI NOTE: VOCAL SUPPRESSION = ACCEPTABLE

EGRIGORI NOTE: CLOSE-QUARTERS RISK = EXCESSIVE

EGRIGORI ORDER: FORMATION UPDATE(隊列更新)

EGRIGORI ORDER: NAME-CONFIRM PROTOCOL(名確認)


名を呼ぶな――と能天使のROEが言う。

名で確認しろ――とエグリゴリが言う。

矛盾が、礼拝の文体で落ちてくる。


矛盾は、門を太くする。

現場の迷いが、パンミクシウムを深くする。

深くなれば悪魔が増える。

増えれば戦争が正当化される。

正当化されれば、さらに焼く。

焼けば、さらに深い。


悪夢の回路が、開戦で完成していく。



門は完成している。

完成しているのに、ローラは抜けない。

完成しているから、距離が固定される。


ヒナの指が伸び、ローラの指が伸びる。

触れそうで触れない。

その“触れない”が、戦争の衝撃で揺れる。


外側からの砲撃が門の縁を震わせるたび、二人の距離は一瞬だけ縮む。

縮んだと思った瞬間に、また戻る。

まるで、誰かが手で“正確”に押し戻しているみたいに。


門が揺れるたび、距離が一瞬だけ縮む。

縮んだと錯覚した瞬間、完成した境界が“正確”に二人を押し戻す。


その“正確さ”の端で、姉が指先を遊ばせていた。

ファルファレルロ級は笑いながら、門縁の見えない刻み目を撫でる。

撫で方が、リボンを結び直すみたいに丁寧で、怖い。


「ねえ、ローラ」

声は甘い。

甘い声で、檻の寸法を測る。


「地球の火は、すぐ飽きるよ」

「でも、あなたたちは飽きない」

「飽きないように、近づけすぎないのがコツなの」


彼女は門の隙間を覗き込む。

覗き込む視線の先には、ヒナの横顔。

あまりに似ている“妹の形”。


姉は、笑いながら少しだけ眉を寄せた。

喜びではない。心配でもない。

“失いたくない”という焦りに似た歪み。


「門が太くなるの、嫌だなあ」

「だって、太くなると――大勢が来る」

「大勢は、いらないのに」


言い切らずに、姉はまた笑って誤魔化す。

笑いで蓋をする。

蓋の下にある本音は、子どもみたいに単純だった。


二人でいい。

妹と、友だちだけ。


姉が笑う。ファルファレルロ級。

笑いながら、真実の匂いを残す。


「地球なんて、いらないのに」

「妹と、友だちがいれば」


その囁きは反逆ではない。偏りだ。

白河の底の願いの、歪んだ残り香。


ローラは祈りを封じたい。

祈れば門が太くなるのを、もう知っている。

でも戦争は、祈れと迫る。

“救出のために”

“保護のために”

“説明責任のために”


国家の祈りが、個人の喉へ押し込まれてくる。


ローラは泣かない。

泣けば負けだ。

だが、泣かなくても世界は泣かせにくる。


《シェムハザ》の白い槍が門縁を舐めた瞬間、白河の空気は一度だけ“伸びた”。

境界が伸びる。伸びた境界は戻る。

戻るとき、余剰が生まれる。余剰は“折り目”になる。


ファルファレルロ級は、その折り目を見逃さない。

彼女は戦わない。

彼女がやるのは、遊びの規則で世界を折り曲げることだ。


「ねえ、ローラ」

姉は、端末の角を指で叩く。

叩くリズムが、祝祭の拍と一致している。


「祈っちゃだめ」

「泣いちゃだめ」

「名前を呼べたら勝ち」


いつもの規則。

でも今日は、規則の“目的”が違う。


「でもね」

姉は声を低くする。

低くすると、優しさが刃に変わる。


「もし、あなたが祈りそうになったら」

「わたし、門を“やさしく”閉じるよ」


ローラの背筋が凍る。

閉じる、という言葉は救いに聞こえる。

救いに聞こえるほど恐ろしい。


「閉じたら……ヒナは?」


姉は笑う。

笑いながら、答えを選ぶ。

選び方が、献げ物を並べる所作に似ている。


「外は戦争になるでしょ」

「外は焼けるでしょ」

「だから――ここにいればいいの」


白河の中。

無人の街。

祈りの再現。

妹と友だちが遊ぶための箱庭。


「地球の人たち、いっぱい来るよ」

「いっぱい来たら、遊びが変わる」

姉は、ほとんど拗ねた声で言う。

「変えたくないんだ」


そして彼女は、門縁の“距離固定”に指を差し込む。

完成した門の寸法を、ほんの髪の毛一本分だけ調整する。

調整は誰にも見えない。

見えないほど残酷。


触れない距離を、さらに“触れない”へ。

二人の合流を遅らせる。

遅らせて、遅らせて、永遠の直前を保つ。

それが姉の“保護”だ。


「ね」

姉はローラに囁く。

「あなたが勝てば、また会える」

「あなたが負けたら――ここにいて」

「ここなら、二人だけ」


マラコーダ級が地球を求めて踊るのとは違う。

姉は地球を要らないと言う。

要るのは――妹そっくりの子と、その親友だけ。


けれど、その小さな欲望もまた、門を太くする。

小さな箱庭を守るために、彼女は戦争の揺れを利用する。

利用した結果、門の裏側に落ちる“誰か”のための穴も、同じ拍で増えていく。


その揺れの隙間で、姉は笑いのまま小さく囁いた――「……祈りそうなら、門を“やさしく”閉じるよ」。



地球の夜。

監視の中の作業。

ナディームは祈らない。祈れば未来が生まれる。未来は餌だ。


彼は、穴を作る。


開戦で、種子島の監査網は完全に“統合作戦仕様”へ切り替わった。

暫定権限が重なり、同期が一拍遅れ、命名規則が乱れ、例外が増殖する。

例外はログを増やす。ログが増えるほど、整合性は数字で保たれる。

数字で保たれた整合性は、呼吸を止めた聖歌隊に似ている。

止まったまま形だけ整い――穴が増える。


ナディームは、増えた穴を“鍵穴”として撫でた。


(都合がいい)


白河ゲートは揺れている。

外からの《シェムハザ》、内からの祝祭。

揺れは境界に“未記録の位相”を作る。

未記録は、通路だ。


彼は地球側から仕込んでいた“空白の鍵”を起動する。

改竄ではない。改竄は目立つ。

彼がやるのは、白紙を差し込むこと。


監査ログの連続性に、一拍だけ欠落を作る。

欠落が整合性チェックを通るように、統合作戦仕様の混線を利用する。

そして、その欠落に一致するタグを差し込む。


AUDIT GAP: ESTABLISHED

JOINT TEMPLATE MISALIGNMENT: CONFIRMED

PHASE NOISE SYNC: WHITE RIVER GATE

BLACK ZONE ACCESS: OPEN(瞬間)


開いたのは、門ではない。

禁区だ。


ナディームは“落ちる”。

白河の外縁へではなく、種子島コロニーの中枢禁区の内側へ。

船でもない、便でもない。

ただ、境界の裏側へ――祈りの裏側へ。


落下の途中、耳に聞こえたのは祝祭の拍だった。

遠いのに、同じ速度で迫ってくる。

まるで、門が地球の鼓動を覚えたみたいに。


種子島コロニー、禁区。

空気が乾いている。

礼拝堂に似ている。

だが神がいない。


あるのは端末。

白紙の端末。

焼けた記録の穴。

封印された製造ライン。

そして、誰かの“善性”だけが残したような、動物の小さな置物の痕跡――犬、猫、鳥、天使のストラップの欠片。


ナディームの胸が、久しぶりに痛んだ。

痛みは未来になりかける。未来は危ない。

彼は痛みを冷やし、目だけで祈を探す。


天城 祈。

最初の解明者。

最初に身を投げた者。

妹と友だちと故郷を、ここで取り戻そうとした者。


(ここにいる)


確信が、喉の奥で小さく鳴る。

鳴るな。祈りになる。

彼は息を切って止める。


禁区の奥で、別の“整列”の気配がした。

地球側の共同運用が、禁区の扱いまで上書きしに来る。

エグリゴリの規格が、ここへ伸びる。


戦争は、門を太くする。

太くなった門は、監査の穴も太くする。

ナディームは急ぐ。

祈を見つけるために。

そして、地球の掌握より先に――真実へ手を伸ばすために。



焼却が反応を深くする。

反応が悪魔を増やす。

悪魔が祝祭を濃くする。

祝祭が門を成立させる。

門が地球の恐慌を呼ぶ。

恐慌が《シェムハザ》を撃つ。

撃てば深い。


誰も止められない。

止めるには、“祈らない”では足りない。

“撃たない”が必要だ。

だが地球は撃つ。撃てば安心する。安心は期待だ。期待は未来だ。未来は餌だ。


ドラギニャッツォ級は吸う。

吸って、学ぶ。

学んで、装甲に刻む。


刻むのは傷ではない。

銘板だ。

都市名だ。

国章の意匠だ。


地球が怪獣の皮膚になる。



種子島の空は、砲撃の白で明るい。

明るいほど、入学式に似ている。

似ているほど地獄だ。


力天使たちは歯を食いしばる。

原初の忠実で、今日の“今”を押し返す。

だが背後から、規格が迫る。

エグリゴリの採点する目。

共同運用の署名の鎖。

《シェムハザ》の朗読。


ローラは白河の内側で、祈りを喉に封じたまま立つ。

ヒナは白河の外側で、名を叫ばずに刃を握る。

二人の距離は固定され、戦争の衝撃で揺れても、触れないまま戻る。


そして禁区では、ナディームが白紙の端末の群れを見つめている。

門の裏側に落ちた侵入者は、祈の痕跡に触れかけている。


世界は、同時に進む。

封鎖。救出。開戦。祝祭。侵入。


同時進行は、必ず穴を増やす。

穴は門になる。



軌道上で《シェムハザ》が再同期する。

朗読がまた始まる。

祈りの語彙が、砲撃の手続きとして繰り返される。


SHEMHAZA // LITANY

“FOR THEIR SAFETY”

“FOR ORDER”

“FOR EXPLANATION”


白河ゲートが、その朗読に“応答”するように、もう一段太くなる気配がした。

太くなるのは扉ではない。

距離だ。

触れない距離が、永遠に固定されていく。


ドラギニャッツォ級の装甲に、新しい銘板が浮かぶ。

地球の都市名。

地球の国章の意匠。

“保護”の看板。

“説明責任”の銘。

“共同運用”の刻印。


地球は遊び相手ではない。

地球は素材になる。


その瞬間、遠い祝祭の中心で、マラコーダ級が仮面を傾けた。

祈るように踊るように、静けさで宣告する。


——戦争は、門になる。


そして門は、もう「アルファケンタウリのもの」でも「地球のもの」でもなくなり始めていた。

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