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第十話 祝福された地で

INVITATION: SUCCESS

EARTH NODE: LAURA — MISSING (STATUS: INVITED)

PANMIXIUM DEEP LAYER: “SHIRAKAWA” — ACTIVE (ORIGIN: AMAGI INORI)

JOINT OPERATION: UN-MNF — EXPAND

NEW SWARM: MBK-GF (GRAFIACANE) — APPROACHING

RULE OF ENGAGEMENT: “TODAY” MAINTENANCE — FAILING TREND


パンミクシウム層、深層。

落下ではなかった。

ローラは、扉をくぐった。


礼拝堂へ入るときのように、足を揃え、息を整え、言葉を喉にしまう——その所作だけが自分を守ってくれると知っている人間の入り方だった。


空気が甘い。

砂糖菓子の甘さ。花束の繊維の甘さ。

祝福の匂いに似ていて、似ているからこそ怖い。

祝福は獣になる。

ローラは、もう知ってしまっている。


足元は砂ではなく、白い粉だった。

光を吸う粉。音を吸う粉。

踏むと、きしりと鳴るのに、鳴った音がすぐ薄くなる。


薄くなる。

“未来”が薄くなるのではない。

未来はここでは薄くならない。

むしろ、どこにでも染みている。


遠くに街の輪郭が見えた。

人の気配はないのに、人の生活の匂いだけがある。

洗剤と、炊きたての米と、制服の布と、雨上がりのアスファルト。


ローラは十字を握る。

握る痛みが、今へ戻す。


——主よ。

祈りを立てかけそうになって、止めた。


祈りはここでは危ない。

祈りは神に向けたい。

でもここでは、パンミクシウムが“聞いてしまう”。


ローラは息を短く吐く。

今日だけ。

今日だけを守るために。



街の入口に、看板があった。

白い板に、黒い文字。


白河


古い地方都市の入口にあるような、よくある看板。

よくあるはずなのに、ここではそれが異常だった。

看板の塗料の匂いが新しい。

新しいのに、角が少しだけ欠けている。

欠け方が、誰かが触って確かめた欠け方だ。


通学路がある。

黄色い線。

横断歩道の白。

曲がり角のカーブミラー。

自転車置き場。

商店街のシャッター。


でも窓に明かりはない。

家の中に生活はない。

音がない。

犬の鳴き声も、テレビの雑音も、食器のぶつかる音もない。


あるのは時計だけ。

駅前の時計が、秒針だけ動いている。

それがいちばん怖かった。

時間だけが“提出”されているみたいだから。


ローラは歩く。

足音が舗装に吸われる。

吸われた音の代わりに、遠くで誰かの笑い声がしそうになる。


しない。

笑い声が“来る前”で止まっている。


街の中心へ行くほど、匂いが濃くなる。

濃くなるのは生活の匂いではない。

思い出の匂いだ。


学校の門が見えた。

門の向こうに校舎。

校舎の向こうに運動場。

運動場の端に、遊具。


遊具が、風もないのに揺れた。


ローラの喉が乾く。

誰もいないのに揺れる。

揺れは“遊び”の合図だ。


校庭の片隅に石碑があった。

崩れたモニュメント。

石の割れ目に、赤い線が残っている。

災害の記憶の核。


ローラはそこに近づき、膝を折った。

十字を握り直す。


祈りたい。

祈りで正したい。

祈りで、この街を終わらせたい。


(主よ——)


声に出しそうになって、止めた。

声に出せば、それは“束”になる。

束は未来になる。未来は因果。

因果はここで、すぐ形になる。


ローラは唇を噛み、祈りを折りたたむ。

折りたたんで胸の奥へしまう。

しまうだけでは足りない。


ここは、祈りを試す場所じゃない。

祈りを盗む場所だ。


ローラは立ち上がる。

目を閉じて、祈りを“短く”する。


(主よ、今日をください)


その一行だけ。

その一行だけなら、神に届くかもしれないと信じた。


……信じた瞬間、街が答えた。


信号が点滅した。

点滅は規則正しい。規則正しいほど、人は安心する。

安心は未来になる。未来は因果になる。


商店街のシャッターが、ぎ、と少し開いた。

開いた隙間から、人の気配は出ない。

代わりに、紙吹雪の匂いが出た。

祝賀の匂い。

祝賀は獣になる。


校舎の窓が、一枚だけ曇った。

曇りの向こうに、誰かが立っている気がする。

気がするだけで十分だった。

気がする=期待。期待は因果。


ローラは目を開ける。

目を開けた瞬間、路地の奥に影が走った。


走り方が軽い。

犬が駆けるみたいに。

姉がからかうみたいに。


「……だめ」

ローラは声に出す。

だめ、と言った声が、街の壁に柔らかく反響する。

反響は祈りに似る。祈りに似るものは危ない。


影が増えた。


角を曲がった先に、彼女はいた。

白い制服の形。

中学生くらいの輪郭。

横顔が、どこかで見た“今”の形をしている。


ヒナ。


と口が言いそうになる。

でも違う。

似ている。似ているのに、違う。


目が合う直前に、相手が笑った。

笑い方が“姉”だ。

からかう余裕。守るふり。傷を舐める距離。


仮面ではない。

でも仮面みたいに“本当”が見えない。


ファルファレルロ級。


「ローラ」

名前を呼ぶ。

呼び方が親しい。親しいほど危険だ。


「遊ぼう」

言い方が軽い。軽いほど重い。


ローラは一歩下がる。

下がった足が白い粉を鳴らす。

鳴った音がすぐ薄くなる。


ファルファレルロ級が両手を広げ、楽しそうに言った。


「ルール、ね」


指を一本立てる。

「祈ったら負け」


指を二本立てる。

「泣いたら負け」


指を三本立てる。

「でも——」

笑う。姉の笑い。

「名前を呼べたら勝ち」


ローラの喉がきゅっと縮む。

名前。

ヒナの名前。


呼べば負けじゃない。

呼べれば勝ち。

勝ちの定義が“友情”に寄っているのが、いちばん残酷だった。


「……ふざけないで」

ローラは言う。

言った瞬間、涙が来そうになる。

泣いたら負け。

負けたら、遊びは永遠になる。


ファルファレルロ級は肩をすくめた。

「ふざけてない」

「真面目に遊ぶの」

「ここは白河」

「白河は——遊びの街」


ローラの背中に、ぞわりと寒気が走った。

遊びの街。

無人の街。

誰のための遊びか。


天城 祈。

その名が胸の奥で重くなる。


ローラは走った。

ファルファレルロ級は追わない。

追わないのに、いつでも角の先にいる。


追いかけっこ。

かくれんぼ。

勝手に始まる遊び。


ローラが息を整えようとすると、街が整う。

横断歩道の音が鳴り、遠くの踏切がカン、カン、と鳴る。

鳴ってしまう。

鳴ってしまうほど“物語”が完成していく。


完成していくのは、天城の意志だ。

天城の祈りが、この街を守る。

守り方が強すぎて、ローラの祈りが入り込めない。


入り込めないから、ローラは余計に助けたくなる。


助けたい。

戻りたい。

終わらせたい。


その願いが具体的であるほど、白河は鮮明になる。

鮮明になるほど、ファルファレルロ級は嬉しそうになる。


「いいね」

姉の声。

「もっと言って」

「もっと望んで」

「望みは、ここを太らせる」


ローラは歯を食いしばる。

ここで望むのは負けだ。

祈ったら負け。

泣いたら負け。


負けたら、永遠の遊びが始まる。


ローラは立ち止まり、胸に手を当てる。

十字を握る。

握る痛みで今へ戻る。


正攻法は逆効果。

祈りで押すほど、白河は固くなる。


なら——


ローラは、違うことをするしかない。


ローラは路地の角で待った。

待つのは怖い。

待つと未来が膨らむ。

でも逃げ続ければ、遊びの中に溶ける。


ファルファレルロ級が現れる。

現れ方が軽い。

軽いほど、捕まえられている。


「待ってた?」

姉の笑み。


ローラは息を整え、声を低くした。

声を低くするのは録音のためではない。

束にしないためだ。


「取引をする」

ローラは言った。

言った瞬間、胸が痛い。

敵と取引。

信心の裏切りみたいで、でも友情を守るためだ。


ファルファレルロ級は目を細めた。

「取引、好き」

「条件は?」


ローラは十字を握ったまま言う。

「白河から出る道を教えて」

「あなたも一緒に来て」

「……わたしは、祈らない」

「泣かない」

「だから、遊びはあなたの勝ちにならない」


ファルファレルロ級が笑う。

笑い方が姉の勝ち誇り。


「じゃあ、こっちの条件」

彼女は指を一本立てる。


「かくれんぼ」

「あなたが勝ったら、出口を教える」

「負けたら——」

笑う。

「負けたら、もう一回」


永遠の匂いがする。

ローラは喉を痛めてでも、短く答える。


「いい」


ファルファレルロ級は嬉しそうに拍手しそうになって、しない。

拍手は束になる。束は餌になる。

彼女は餌の作り方を知っている。


「ルールは同じ」

「祈ったら負け」

「泣いたら負け」

「名前を呼べたら勝ち」


ローラは頷く。

名前。

ヒナ。


呼べるか。

呼べたら勝ち。

勝てば出口。

出口があれば、ヒナへ届く道があるかもしれない。


ローラは祈らない。

祈らない代わりに、心の中で“確かめる”。


——いま、いる。

——今日、いる。



かくれんぼは、通学路で始まった。

白河の通学路は、やけに綺麗だ。

ゴミがない。落ち葉がない。

生活の汚れがない。


汚れがないのは、誰も生きていない証拠だ。


ローラは走らない。

走れば息が乱れ、泣きそうになる。

泣いたら負け。

ローラは歩く速度で、角を曲がる。


背後で、足音が“しそう”になる。

しそうで止まる。

止まるたび、胸が締まる。

締まるのに、祈れない。


祈ったら負け。


代わりに、ローラは名前を口の中で転がす。

声に出さない。

声に出すと束になる。

でも“呼ぶ”のは勝ちの条件だ。


——ヒナ。


呼べない。

まだ呼べない。


通学路の終点に、踏切があった。

踏切は鳴っている。

電車は来ない。

鳴るだけ鳴って、永遠に遮断する。


遮断。

それは検疫の形だ。

ここも檻だ、とローラは思う。


踏切の向こうに、川があった。

川辺に、小さなバス停。

錆びた看板。


ローラの胸がぞわりとした。

ここが“思い出の終点”だ。

天城の妹が、友達と遊びに行った終点。

帰りたくなかった日々の終点。


川面に、誰かの影が揺れる。

揺れる影が、白衣の袖みたいに見える。


天城 祈。


声はない。

でも意志がある。

意志が街を守り、街がローラを囲う。


ファルファレルロ級が背後に現れ、囁く。

「ここ、好き?」

姉の声。


ローラは唇を噛む。

好き、なんて言ったら負けだ。

好きは未来を含む。未来は因果。因果は餌。

餌は街を太らせる。


ローラは代わりに、息だけで言う。

「……嫌い」

嘘だ。

嫌いではない。

でも好きと言えない。


ファルファレルロ級が笑う。

「泣きそう」

「泣いたら負けだよ」


ローラは泣かない。

泣かない代わりに、胸の奥を掴む。


そして、声に出す。


「ヒナ!」


名前を呼んだ瞬間、白河の空気が一拍止まった。

踏切の音が止まる。

川の流れが止まる。

秒針の音が止まる。


止まった一拍に、ローラは今を掴んだ。


ファルファレルロ級が目を見開く。

姉の顔が、一瞬だけ崩れる。

崩れた顔が、ヒナに似る。

似るからこそ怖い。


「……勝ち」

ファルファレルロ級が悔しそうに言った。

悔しさが可愛い、と思いそうになって、ローラは思わない。

思えば未来になる。


ファルファレルロ級は指先で川面をなぞる。

川面が白く裂ける。

裂け目は扉ではなく、抜け道の細い傷だ。


「出口」

彼女が言う。

「白河の外」

「でも——約束して」


ローラは息を短くする。

「なに」


「また遊ぶ」

姉の笑み。


ローラは頷くしかない。

頷くことが、今を守るための代償になる。


ローラは裂け目へ足を入れる。

白い粉が靴にまとわりつく。

まとわりつく粉が、祝福に似て怖い。


背後でファルファレルロ級が囁く。

「祈らなくていい」

「泣かなくていい」

「名前だけ、呼んで」


それは救いの形をしていた。

救いの形は獣になる。


ローラは振り返らない。

振り返れば未来が増える。


——今日、いる。

——ヒナ、今日いる。



種子島コロニー。

種子島の白い街は、戦後の朝でさえ整列していた。

旗は立ち、検疫の札が増え、監査の靴音が通学路の黄色い線を踏んでいく。

整列は安心を生む。

安心は未来になる。未来は因果。因果は餌。


そして“救出”は、最も甘い餌だった。


中枢の会議室には紙の匂いが満ちていた。

紙は武器にならない顔をして、指揮権を奪う。


UN-MNFの代表は、柔らかい声で書類を並べた。

一枚目は「地球市民保護」。

二枚目は「人質救出」。

三枚目は「説明責任」。

四枚目は「共同運用」。

五枚目は——「セラフ運用要領(暫定)」。


主天使の瞳が、五枚目で止まる。


「……セラフまで触る気か」

声が硬い。硬い声は束になりにくい。

だが硬い声ほど、政治は割りやすい。


代表は微笑む。微笑みは布だ。

「触るのではありません。整えるのです」

「救出作戦には“回廊清掃”が不可欠です。統合指揮で最適化します」


“最適化”。

祈りの言葉ではない。

機械の言葉だ。

機械の言葉は、心を置き去りにする。


チェラァブの声が天井から落ちる。

「焼くほど反応が深くなる」

「深くなれば、マレブランケは増える」

「救出名目の火力増強は、因果を肥やす」


代表は聞こえないふりをした。

聞こえないふりが政治だ。


「説明責任があります」

代表が繰り返す。

「地球世論が動いています。ローラ・グレイソンの件は“事件”です」

「事件は“守り”を要求します」

「守りには“執行”が要ります」


執行。

その語は能天使の匂いがした。


代表が次の紙を差し出す。

表題だけで、喉が冷える。


「追加派遣:ENFORCER ANGEL UNITS(能天使)—第一陣」


「多国籍軍の執行者を増援として送ります」

代表は、慈善の話をする口調で言った。

「救出のため。市民のため。共同運用のため」


主天使が言い切る。

「能天使が増えれば、反応が増える」

「彼らの武装は、パンミクシウムを殴る」


代表は柔らかく返す。

「だからこそ、セラフを積極運用します」

「発生源を焼き切る」

「増える前に、刈る」


焼き切る。

刈る。

それは牧歌ではない。

裁きの語彙だ。


チェラァブが低く言う。

「回廊清掃は必要だが、焼くほど反応が深くなる」

その一文が、会議室の底に沈む。

沈んだ一文の上に、政治が紙を積む。


代表は積んだ紙の山を指で揃えた。

揃える仕草が、祈りではなく“提出”だった。


「セラフの運用を、共同の鍵で管理します」

「射撃判断を統合します」

「誤射の防止、そして——“迅速な救出”のために」


迅速、という語は未来を急かす。

急かされた未来は、パンミクシウムを喜ばせる。


主天使は沈黙した。

沈黙は同意ではない。

だが政治は沈黙を押印に変えるのが上手い。


会議室の外、回廊の空に小さな光がいくつも増え始める。

流星ではない。

降下する能天使の降着灯だ。


儀礼のように、規律のように、点が揃って落ちてくる。

あの“執行者”たちが、また増える。


セラフの光も変わる。

遠くで点灯が増える。

いつでも撃てる光。

いつでも焼ける光。


主天使が、わずかに目を伏せた。

「……救出の名で、舞台を広げる気か」


代表は微笑みを崩さずに答えた。

「舞台ではありません。秩序です」

「秩序がなければ、救出はできない」


秩序。

秩序は規律になる。

規律は手続きになる。

手続きは吠える獣になる。


それを知っているのは、天使の側だった。

でも紙の山は、知っている者の口を塞ぐ。


会議室の壁の外で、旗が風に鳴った。

鳴り方が、鐘に似てしまう。

鐘に似ると祈りたくなる。


祈りは束になる。束は餌になる。

餌が増えれば、次が来る。


次が来ると分かっているのに、

救出の名が、すべてを“前へ”押し出していく。



種子島コロニー、最外縁。

空の端が、黒く縁取られた。

雲ではない。

群れだ。


最初は犬だった。

紙束の骨格に、検疫テープの筋肉。

条文の切れ端が毛になって、議事録の角が牙になっている。

犬というより“手続きの形”をした獣。


次は狼。

旗の裂片を背に、束ねたケーブルを尻尾に、

咽喉にはマイクの穴みたいな空洞があって、吠えると声が整いすぎる。


けれどそれで終わらない。

群れは一種類ではなかった。

群れは増えるたびに“正当化”され、正当化されるほど形態を増やす。

理由が増えれば、獣は増える。


蹄の音が混ざった。

鹿。角はアンテナで、先端に赤い注意灯が点る。

角が揃って揺れると、回廊の光が一拍遅れる。


低い影が地面を這った。

猪。背に背負ったのは黒いファイル。

ファイルは開いて刃になり、閉じて盾になる。

突進のたびに紙が舞い、舞った紙がまた別の獣になる。


翼が擦れる音がした。

鳥。羽根は通達の紙、報告書の写し、署名欄の抜粋。

羽ばたくたびに白い紙が降り、落ちる途中で獣へ変わる。


そして最後に、“津波”が来た。

獣の層。獣の面。獣の海。

回廊の上から落ちてくるのではない。

水平線から押し寄せる。

黒い帯が街へ触れるまでの距離を、ゆっくり消していく。


見ているだけで胸が重くなる。

重くなるのは空気ではない。

未来が圧縮されてくる感覚だ。


―― グラフィアカーネ級悪魔マレブランケ

群れが吠えた。


「保護」

別の喉が吠える。

「説明責任」

さらに別の口が吠える。

「共同運用」


吠え声は獣の声ではない。

議場のマイクのように整っている。

整った声が津波の潮騒みたいに重なり、

言葉が言葉のまま泡立って、街へ押し寄せる。


その瞬間、前線が“線”になった。


能天使が展開する。

規律の足音が揃い、銃口が揃い、照準が揃う。

揃うほど、世界が冷たくなる。


《ENFORCER ANGEL // ROE》


TARGET: MBK-GF SWARM

MODE: AREA DENIAL

PRIORITY: PROTECT CIVILIAN ZONES

SECONDARY: SECURE “JOINT OPERATION ASSETS”


銃声が連続する。

だが銃声は束になりきらない。

能天使は“束になる前”に撃ち、撃つ音を切り刻む。

切り刻んでも、津波は沈まない。


沈む個体があっても、後ろの層が前へ詰める。

詰めると紙が舞い、舞った紙が獣になる。

“正当化”が、弾痕を埋めていく。


そこで、刃の列が前へ出た。


ヒナたちではない。

学園区画で正規の訓練を受け、隊として整列した力天使たち。

同じ女性型の身体。

同じ制服の匂い。

同じ“今を守る”ように調整された心。


けれど彼女たちは、ヒナよりも規律に慣れていた。

規律に慣れているほど、恐怖を束にしない。

束にしないほど、餌を増やさない。


先頭の隊が叫ばないまま突入する。

声は出さない。

出すのは刃の光だけ。


紙の犬が跳ぶ。

力天使の刃がそれを“裂く”。

裂かれた紙が紙吹雪になる。

紙吹雪は祝賀の匂いを撒く。

匂いが甘いほど危ないのに、隊は眉ひとつ動かさない。


狼が群れて噛みつく。

噛みつく先は肉ではなく“手順”だ。

腕に絡む条文。脚に絡む検疫テープ。

絡まれた瞬間、動きが遅れる。

遅れは未来を呼ぶ。


後衛の力天使が前衛を引き剥がす。

引き剥がす動きが速すぎて、まるで舞踏だ。

舞踏のような戦闘。

けれど祈りにはならない。祈りにしたら負けるから。


鹿の角がアンテナのように揺れ、光が点る。

点った瞬間、通信が乱れる。

乱れは“誤解”を生む。誤解は恐怖を生む。恐怖は束になる。


力天使の一体が角へ飛びつき、根元から折る。

折る音が短く鳴る。

鳴った音が束になりかける前に、能天使の銃声が上書きする。

上書きの規律。

規律が、戦場の感情を押し潰す。


猪が突進する。

背の黒いファイルが開き、刃のページが扇のように回る。

前衛の力天使が一歩遅れた。

遅れた瞬間、ページの刃が肩口を切る。

切られたのに、彼女は声を出さない。

声を出したら束になる。束になったら餌になる。


代わりに、別の力天使が体を入れて受け止める。

受け止める衝撃で床が鳴る。

鳴りが胸を揺らす。

揺らすほど、吠え声が濃くなる。


「保護」

「説明責任」

「共同運用」


吠え声が、戦場の上に“正しさ”として覆いかぶさる。

正しさは盾になる。

盾になると、獣は止まらない。


ヒナは少し離れた区画で、その波を見ていた。

胸元は空だ。端末がない。

空なのに、問いだけが残る。


いま、いる?


答えれば束になる。

束は餌になる。

餌を増やせば、津波はさらに増える。


ヒナは息を三つに割る。

——いる。

——今日、いる。


サエが短く言う。

「線、維持」

線は崩れる。崩れるのが波だから。

でも線が崩れた瞬間、学校区画の門が噛まれる。

噛まれた門は“救出”の舞台になる。

舞台になれば、地球は来る。


リリエルは白紙端末を抱え、白い画面を見ないようにしている。

白紙は“書ける余地”だ。

余地が増えれば、吠える語彙が増える。

語彙が増えれば、獣が増える。


前線では、力天使たちが激しく斬り結ぶ。

能天使が規律で面を削る。

それでも、津波は止まらない。


止まらないまま、群れが吠える。

吠え声が、地球へ向けて叫んでいる。


——来い。

——もっと来い。

——保護しろ。説明しろ。共同で運用しろ。


その声が届いたとき、

白河の裂け目の向こうで、ローラの足元の風が一度だけ冷たくなった。

それは宇宙の風ではない。

回廊の風。

誰かが戦っている風。


遠くで、吠える声がする気がした。

政治の言葉が、獣になって吠える声。


ローラは祈らない。

祈ったら負け。

泣いたら負け。


代わりに、名前を小さく呼ぶ。

声にならないくらい小さく。


「ヒナ」


届かなくても、今へ戻るために。


一方、種子島では群れがさらに増えていた。

吠えるたび、空が低くなる。

低くなるほど、地球は来やすくなる。


地球が来れば、遊び相手が増える。

それが彼らの目的だ。


主天使が机上へ戻り、代表が紙を並べ、チェラァブが数字を並べる。

並べるほど、白紙が埋まっていく。

埋まるほど、正義ができる。

正義ができるほど、火力が上がる。


火力が上がるほど、深くなる。


ヒナは空を見上げ、歯を噛む。

泣けない。

泣けば束になる。束は餌になる。


それでも胸の奥でだけ、言う。


——ローラ。

——今日、いる。

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