英雄と同じ訓練をしていたのに
様々な土地から集まった訓練生たちは、三日目ともなれば、疲労が蓄積され始めている。
そして今なお、体力訓練が続いている。
その中に、焦げ茶色の髪をした、ひとりの新兵がいた。
同じ日に入隊した新兵の中に、金髪の男がいる。年も背丈も、大きな違いはない。違うとすれば、その男は、時折、"楽しそうなこと"くらいだった。
運搬の途中、視界の端で何かが動いた。
大きな音がして、誰かが声を上げた気がする。
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
ただ、木材の破片が地面に散らばり、倉庫の壁に大きな穴が開いている。その光景だけが、妙にくっきりと目に入る。
誰もが言葉を失っていた。
助かったらしい、という断片的な情報が、遅れて耳に入る。
荷車のそばにいた、小柄な新兵が無事だったこと。
金髪の男が、近くにいたこと。
荷車を突き飛ばしたとか、肩で押したとか、そんな言葉が囁かれる。
焦げ茶髪の新兵は、その有様に可能性を見出す。
――人間の力で、あんなことができるのか。
考えがまとまりきらないうちに、建物の奥から、規則正しい足音が響いてくる。
現れた人物を見て、周囲の教官の空気が変わった。背筋が伸び、視線が自然と下がる。王国全土に轟かす名は、新兵たちでさえ知っていた。
王国最強と謳われる〈盾兵〉にして〈剣聖〉。
マーヴォ・ファンダム。
白い制服に、無駄のない体つき。威圧感は、声を発する前から場を支配していた。焦げ茶髪の彼は、胸の奥がわずかに浮き立つのを感じる。こんな場所で、あの人物を目にするとは思っていなかった。
事故に駆けつけたのだろうか。
そう思ったが、剣聖の視線は、倉庫の穴を一瞥しただけで、すぐに金髪の男へ向けられた。
二人の距離は近い。
何やら話しているようだが、内容までは聞こえない。短いやりとりだったようにも見える。
やがて、金髪の男が一歩前に出た。
剣聖が、わずかに頷く。
どうやら、連れていかれるらしい。
噂に聞いたことがあった。選ばれた者だけが受ける、特別な教練。羨ましい、という感情が、遅れて湧く。
金髪の男が、去り際に黒髪の新兵と一言、言葉を交わしている。友人だろうか、とぼんやり思う。
それにしても、あの結果は何だったのか。
人間の力は、努力を重ねれば、あそこまで届くものなのか。
教官の号令が飛び、訓練は再開された。
彼は、考えをまとめきれないまま、再び荷を担ぐ列に戻る。
訓練が終わったあとも、彼の頭の中から、あの光景は離れなかった。
倉庫の壁。荷車の残骸。
そして、何事もなかったかのように立っていた、金髪の男。
――同じ訓練をしていた。 ――同じ号令を聞いていた。
それなのに、今の自分では真似の出来ない地平に立っていた。
違いは何なのか。
それは、純粋な身体能力。
ならば、ひたすらに鍛え上げることで、同じ地平に立つ。他の奴らと同じことを、なんとなくやっていてはダメだ。
夜、訓練場から少し離れた場所で、彼は一人、体を動かした。
人目を避け、声も出さず、ただ動く。昼の訓練で教えられた動きを、何度もなぞる。
最初のうちは、調子が良かった。
体は重いが、動けないわけではない。昨日よりは強くなった気がする。
その「気がする」という感覚を、彼は疑わなかった。
だが、数日が過ぎるころから、動きに違和感が混じり始めた。
踏み込んだ足が、一拍遅れる。
力を入れた瞬間、腰の奥に鈍いものが走る。
疲れているだけだ。
訓練が続いているのだから、当然だ。
そう自分に言い聞かせながら、彼は動きを止めなかった。
昼の訓練では周囲に合わせ、夜に取り戻す。そう決めていた。
ある日、跳躍の着地で、膝が抜けた。
地面に手をつき、体勢を崩しながらも、転倒だけは免れた。痛みはあったが、声を上げるほどではない。
まだ動ける。
そう思った瞬間、次の一歩が出なかった。
命令が出ているわけでもないのに、体が言うことを聞かない。力を入れようとしても、どこに入れればいいのか分からなくなる。
彼は、その場で立ち尽くした。
初めて、自分の体が拒否している、という感覚をはっきりと自覚した。
それでも、その理由をうまく言葉にできなかった。
壊れた、とは思わなかった。
思いたくなかった。
ただ、少し休めば戻るはずだと、根拠もなく信じていた。
夜の訓練場は静かだった。
日中の喧騒が嘘のように、足音も声もない。彼は一人、資材置き場の影で体を動かしていた。
跳ぶ。
着地する。
一歩、遅れる。
それを誤魔化すように、もう一度跳ぼうとしたところで、背後から声がかかった。
「最近、動きがおかしいわよ」
振り返ると、幼馴染が立っていた。いつから見ていたのか分からない。訓練着のまま、腕を組んでいる。
「別に……疲れてるだけだ」
そう答えながら、彼は視線を逸らす。
だが、彼女はそれを許さなかった。言葉を待つこともなく、一歩近づき、訓練着の裾に手を伸ばす。
「ちょっ――」
制止する間もなく、布がめくられた。
「……ボロボロじゃない」
思ったより静かな声だった。
赤くなった皮膚。無理な負荷で硬くなった筋。
「大丈夫だって。まだ動ける」
「そういう問題じゃないでしょ」
彼女は、着衣を戻しながら言った。責めるでもなく、慰めるでもない。
彼は、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「……あの金髪の男みたいに、強くなりたかった」
言葉にしてしまうと、思っていたより幼い響きになった。
彼女は、すぐには返事をしなかった。
「あれは、訓練の結果じゃないわ」
間を置いて、そう言う。
「気付いてなかったみたいだけど、あの男は、初日からおかしかったのよ」
彼は何も言えなかった。否定しようとしたが、うまく言葉が出てこない。
「それに――」
彼女は、彼の足元を一度見てから、視線を戻した。
「あんたは、どう見ても体を痛めてる」
断定ではあったが、裁くような調子ではなかった。
ただ、事実を並べただけだ。
最後に、少しだけ声の調子が変わる。
「体を壊したら、おじさん、おばさんに迷惑かけるわよ」
その一言で、彼の中に、別の光景が浮かんだ。
広くはない家。傷んだ家具。無駄遣いをしない生活。
それらを支えていた、親の背中。
彼は、何も言わなかった。
言えなかった。
翌日も、訓練は続いた。
金髪の男は通常訓練に戻ってこなくなった。
号令は変わらず、作業内容も同じだった。
体は重く、動きは鈍い。だが、それ以上の無理はしない。
彼は、金髪の男の背中を、もう見ていない。
代わりに、自分の立っている場所だけを、静かに確かめていた。
※本作は、別サイトにて連載中の長編作品と同一世界観による外伝短編です。
本作単体でも読める構成としていますが、興味を持たれた方は作者ページをご覧ください。




