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英雄と同じ訓練をしていたのに

作者: 妙神仕
掲載日:2026/01/15

 様々な土地から集まった訓練生たちは、三日目ともなれば、疲労が蓄積され始めている。


 そして今なお、体力訓練が続いている。


 その中に、焦げ茶色の髪をした、ひとりの新兵がいた。

 同じ日に入隊した新兵の中に、金髪の男がいる。年も背丈も、大きな違いはない。違うとすれば、その男は、時折、"楽しそうなこと"くらいだった。


 運搬の途中、視界の端で何かが動いた。

 大きな音がして、誰かが声を上げた気がする。


 何が起きたのか、すぐには理解できなかった。

 ただ、木材の破片が地面に散らばり、倉庫の壁に大きな穴が開いている。その光景だけが、妙にくっきりと目に入る。


 誰もが言葉を失っていた。


 助かったらしい、という断片的な情報が、遅れて耳に入る。

 荷車のそばにいた、小柄な新兵が無事だったこと。

 金髪の男が、近くにいたこと。

 荷車を突き飛ばしたとか、肩で押したとか、そんな言葉が囁かれる。


 焦げ茶髪の新兵は、その有様に可能性を見出す。


 ――人間の力で、あんなことができるのか。


 考えがまとまりきらないうちに、建物の奥から、規則正しい足音が響いてくる。


 現れた人物を見て、周囲の教官の空気が変わった。背筋が伸び、視線が自然と下がる。王国全土に轟かす名は、新兵たちでさえ知っていた。


 王国最強と謳われる〈盾兵〉にして〈剣聖〉。

 マーヴォ・ファンダム。


 白い制服に、無駄のない体つき。威圧感は、声を発する前から場を支配していた。焦げ茶髪の彼は、胸の奥がわずかに浮き立つのを感じる。こんな場所で、あの人物を目にするとは思っていなかった。


 事故に駆けつけたのだろうか。

 そう思ったが、剣聖の視線は、倉庫の穴を一瞥しただけで、すぐに金髪の男へ向けられた。


 二人の距離は近い。

 何やら話しているようだが、内容までは聞こえない。短いやりとりだったようにも見える。


 やがて、金髪の男が一歩前に出た。

 剣聖が、わずかに頷く。


 どうやら、連れていかれるらしい。


 噂に聞いたことがあった。選ばれた者だけが受ける、特別な教練。羨ましい、という感情が、遅れて湧く。


 金髪の男が、去り際に黒髪の新兵と一言、言葉を交わしている。友人だろうか、とぼんやり思う。

 それにしても、あの結果は何だったのか。

 人間の力は、努力を重ねれば、あそこまで届くものなのか。


 教官の号令が飛び、訓練は再開された。

 彼は、考えをまとめきれないまま、再び荷を担ぐ列に戻る。




 訓練が終わったあとも、彼の頭の中から、あの光景は離れなかった。

 倉庫の壁。荷車の残骸。

 そして、何事もなかったかのように立っていた、金髪の男。


 ――同じ訓練をしていた。 ――同じ号令を聞いていた。


 それなのに、今の自分では真似の出来ない地平に立っていた。


 違いは何なのか。

 それは、純粋な身体能力。

 ならば、ひたすらに鍛え上げることで、同じ地平に立つ。他の奴らと同じことを、なんとなくやっていてはダメだ。


 夜、訓練場から少し離れた場所で、彼は一人、体を動かした。

 人目を避け、声も出さず、ただ動く。昼の訓練で教えられた動きを、何度もなぞる。


 最初のうちは、調子が良かった。

 体は重いが、動けないわけではない。昨日よりは強くなった気がする。

 その「気がする」という感覚を、彼は疑わなかった。


 だが、数日が過ぎるころから、動きに違和感が混じり始めた。

 踏み込んだ足が、一拍遅れる。

 力を入れた瞬間、腰の奥に鈍いものが走る。


 疲れているだけだ。

 訓練が続いているのだから、当然だ。


 そう自分に言い聞かせながら、彼は動きを止めなかった。

 昼の訓練では周囲に合わせ、夜に取り戻す。そう決めていた。


 ある日、跳躍の着地で、膝が抜けた。

 地面に手をつき、体勢を崩しながらも、転倒だけは免れた。痛みはあったが、声を上げるほどではない。


 まだ動ける。

 そう思った瞬間、次の一歩が出なかった。


 命令が出ているわけでもないのに、体が言うことを聞かない。力を入れようとしても、どこに入れればいいのか分からなくなる。

 彼は、その場で立ち尽くした。


 初めて、自分の体が拒否している、という感覚をはっきりと自覚した。

 それでも、その理由をうまく言葉にできなかった。


 壊れた、とは思わなかった。

 思いたくなかった。


 ただ、少し休めば戻るはずだと、根拠もなく信じていた。




 夜の訓練場は静かだった。

 日中の喧騒が嘘のように、足音も声もない。彼は一人、資材置き場の影で体を動かしていた。


 跳ぶ。

 着地する。

 一歩、遅れる。


 それを誤魔化すように、もう一度跳ぼうとしたところで、背後から声がかかった。


「最近、動きがおかしいわよ」


 振り返ると、幼馴染が立っていた。いつから見ていたのか分からない。訓練着のまま、腕を組んでいる。


「別に……疲れてるだけだ」


 そう答えながら、彼は視線を逸らす。

 だが、彼女はそれを許さなかった。言葉を待つこともなく、一歩近づき、訓練着の裾に手を伸ばす。


「ちょっ――」


 制止する間もなく、布がめくられた。


「……ボロボロじゃない」


 思ったより静かな声だった。

 赤くなった皮膚。無理な負荷で硬くなった筋。


「大丈夫だって。まだ動ける」


「そういう問題じゃないでしょ」


 彼女は、着衣を戻しながら言った。責めるでもなく、慰めるでもない。


 彼は、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。


「……あの金髪の男みたいに、強くなりたかった」


 言葉にしてしまうと、思っていたより幼い響きになった。

 彼女は、すぐには返事をしなかった。


「あれは、訓練の結果じゃないわ」


 間を置いて、そう言う。


「気付いてなかったみたいだけど、あの男は、初日からおかしかったのよ」


 彼は何も言えなかった。否定しようとしたが、うまく言葉が出てこない。


「それに――」


 彼女は、彼の足元を一度見てから、視線を戻した。


「あんたは、どう見ても体を痛めてる」


 断定ではあったが、裁くような調子ではなかった。

 ただ、事実を並べただけだ。


 最後に、少しだけ声の調子が変わる。


「体を壊したら、おじさん、おばさんに迷惑かけるわよ」


 その一言で、彼の中に、別の光景が浮かんだ。

 広くはない家。傷んだ家具。無駄遣いをしない生活。

 それらを支えていた、親の背中。


 彼は、何も言わなかった。

 言えなかった。


 翌日も、訓練は続いた。

 金髪の男は通常訓練に戻ってこなくなった。


 号令は変わらず、作業内容も同じだった。


 体は重く、動きは鈍い。だが、それ以上の無理はしない。


 彼は、金髪の男の背中を、もう見ていない。

 代わりに、自分の立っている場所だけを、静かに確かめていた。

※本作は、別サイトにて連載中の長編作品と同一世界観による外伝短編です。


本作単体でも読める構成としていますが、興味を持たれた方は作者ページをご覧ください。

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