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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

水鏡の砦

作者: 加藤享
掲載日:2025/12/22

その日の朝、私が最初に見た弟は。

ありきたりな日めくりカレンダーを満面の笑みで破っていた。

彼の、あの、本当に嬉しそうな顔を、私は久しぶりに見たような気がする。

そのときは、それはきっと、十歳になったことに対する嬉しさと優しい両親や友人に祝ってもらえる嬉しさからくるものだとばかり思っていた。








学校から帰ったら、家の中がぐちゃぐちゃになっていた。

何事だと思った。靴箱は中身がほとんど出ているし、飾られている造花の花瓶は倒れたままになっている。

背負っていたランドセルを放り出してリビングへ向かう。もしかしたら泥棒かもしれない。もしお母さんやお父さんのものがなくなったりしていたら、間違いなく怒られる。

リビングには誰もいない。

寝室に向かう。誰もいない。

色々な場所を探して、最終的に私の部屋で家中荒らしまくっている犯人を見つけた。

いや、正確には『私たちの部屋』であり、彼もその部屋の正当な所有者であったのだけれど。

幸か不幸かそれは泥棒ではなかった。

ドアに背中を向けている犯人は、私に気付いた様子はなく、おもちゃの箱を盛大にひっくり返している。青の半透明のおもちゃ箱は重力に忠実に従ってその中身を綺麗にぶちまけた。

私よりいくぶん小さい背中。バックプリントがシベリアンハスキーの柄の黒いTシャツを着ている。

見慣れた背中に見慣れた頭。


現在進行形で我が家を荒らしまわっているのは、二歳年下の、私の弟だった。


二年前に弟が両親から買ってもらったミニカーのセットがばらばらばらばらっ、と床に落ちていく。前々から結構おもちゃを乱暴に扱うとは思っていたけど、今日は特にぞんざいに扱っている。

他にも赤やら青やら黄色やら白やら、いろんな色のブロックが無秩序に散らばっている。慎重にそれを拾い集めながら、私は弟のそばに歩み寄った。


「何してるの」


そこで私にようやく気付いたらしい。そこまで夢中になるほど、泥棒もどきの行為が楽しいのだろうか。


「おかえり」


私の質問には答えず、そのままへにゃっと笑って言った。とりあえず、私も一応「ただいま」と言ってから、もう一度尋ねてみた。


「何してるの」

「探し物してんだ」

「…」


とりあえず、ぺちんと弟のおでこを叩いた。イテ、と呟いた弟を無視して、落ちているミニカーを拾い集める。

おもちゃ箱でなく、部屋はすさまじい有様だった。

洋服ダンスからは服が出されて畳まれもせずに出しっぱなしになっているし、クローゼットの中はここだけ台風がきたのかと思うほどだ。

そして家中見てきた私は知っている。どの部屋も皆、似たり寄ったりの状態であると。

片付けなくては、と思った。

じんわりと手に汗が浮く。

こんな家の状態では絶対に両親に怒られる。例え弟が犯人が自分であると正直に言ったとしても私は絶対に怒られる。

何故なら私は、()()()()()であるからだ。


()では・・・、()()ではないから。


怒られるのは嫌だ。怖い。絶対嫌だ。

多少乱暴におもちゃ箱の中にミニカーを投げ入れる。他の部屋もあるのだから、あまり時間は掛けられない。

しかしそんな私の行動を全く意に介さず、弟は部屋を荒らすのを止めなかった。

唯一まともだった本棚に手を突っ込むと、ばさばさばさばさと乱暴に本を出し始める。


「お父さんとお母さんに怒られるからやめて」


そう言いながら弟のほうを見て気付く。彼は手にリュックサックを持っていた。

青と赤のおそろいのリュックサック。青が弟ので、赤が私のだ。

青色のリュックからは何故か、紫色のどうみても風呂敷らしい布がのぞいている。

どちらのリュックも何を入れたのだろう、適度に膨らんでいる。


「何探してるの。あたしも一緒に探すから、やめて」

「あった」


そう言って弟が取り出したのは、見たことがないぶ厚くて古そうな黒い本だった。

彼はそれを大事そうに自分のリュックに入れると、赤いリュックを私に渡した。


「片付けなくていいから」

「怒られるよ」

「大丈夫だから」


何が大丈夫なのだ。一体何が。

でも、へらっと無防備に笑われると怒る気が失せる。不安感だけが漠然として残る。


「でも」

「大丈夫。姉ちゃん。――――…絶対大丈夫だから」


あ、と。

そこでようやく気付いた。

弟の瞳が、金色になっている。


「父さんと母さんは、今日は帰ってくるのが遅いから」

「…」


嘘ではない。多分。

私も一応、小六だから普段黒い人間の目が突然金色には変化しないことを知っている。・・・知識としては。

でも小さい頃から弟の目は色が変わるのだ。突如として。

そしてそんな時に言う言葉は、間違いなく本当に起きる。

私にとっては日常(というほど頻繁に起こることでもないけれど)だから、あまり動じない。とりあえず、ため息ひとつ盛大についてリュックを背負った。


「姉ちゃん、協力して?」


金色の綺麗な瞳を細めて、にっこり笑って言う。

気は進まないが、断れない。しかたがないので弟の言葉を信じることにした。


その後の弟の行動ははっきりいって意味不明だった。

弟の言うとおり、探しているものを二人で調達するが、弟の言う探し物とは『役に立つもの』らしい。


例えば、箪笥に入っていた風呂敷。

例えば、デパートで買ってもらった竜の人形。

例えば、台所にあった鍋のふた。

例えば、二人で買い置きしてるお菓子。

例えば、お父さんがいつも使ってる古いベルト。

例えば、おもちゃ箱に入ってた犬のぬいぐるみ。

例えば、縁日で買ってもらった水鉄砲。

例えば、バザーで買ったピコピコハンマー。

例えば、もうぼろぼろになっていた軍手。


例えば、今朝私が弟にプレゼントしたおもちゃの剣。


例えば、弟から貰った気に入っているピンクのネックレス。


他にも色々あったが、しかしそれが何の役に立つのかは分からないし、どうも私には役には立ちそうもない様に映る。

そういっても弟は役に立つんだの一点張りで私には何も説明してくれなかった。




*****




夜になった。

時計はもう短針も長針も10の文字に越している。二人で夕飯はもう済ませてある。残り物を温めて食べた。

両親は、まだ帰って来ない。共働きとはいえ、いつもなら6時を過ぎたらどちらも帰ってくる。急な仕事で遅れているのだとしても、それなりの連絡は来るはずだ。

どうしてかは、…分からない。

眠くて早くベッドに入りたいと思ったが、弟が寝るなという。なんでだろう。

そしてその当人は時計を見上げると呟いた。


「そろそろいいかな」

「何が?」


眠たい。

目を擦ろうとする私の左手を取ると、弟は玄関に向かって歩き出した。


「何?」

「外に出るんだ」

「ええ?なんで?」

「いいからいいから」


何がいいんだとは思ったが、何も言わないでおく。

玄関は帰ってきた時の状態のままだ。弟は床に転がっている色々なものを慎重に避けながら歩いていく。

私も一緒に歩いた。もちろん二人でリュックを背負って。

玄関に着くと、弟はリュックを下ろし、中の物を身に着け始めた。

古いベルトを締め、水鉄砲をそこに挟む。プラスチックの剣も同じように腰から下げた。

風呂敷はくるりとマントの様に背中にたらし、軍手をはめ、鍋の蓋を左手に持つ。

その姿はまるっきり御伽噺の騎士を真似た、可笑しな姿だったけれど、本人は至って真剣な顔をしていたから、私は噴出しそうに成るのを懸命にこらえた。

着替え終わった弟は無言で私をみつめた。暗に私も同じ真似をしろということらしい。

恥ずかしかったけれど、どうせこんな夜中だ。人通りも少ないだろうし、見られても暗闇で見えにくいだろう。

私はとりあえずネックレスをつけ、フードつきのパーカーを羽織った。そのフードに竜の人形を入れ、右手にピコピコハンマー、左手に犬のぬいぐるみを持つ。

そのまま、私たちは外へ出た。


「わぁ」


玄関から外に出て夜空を見上げた私は、思わず呟いてしまった。

満天の星空、その中で一番強い光を放つ星があった。


それは、月。まあ、当たり前だけど。


その満月は弟の瞳と同じ色で光っていた。

夜だけど、満月だから結構明るい。

しぃんとした空気の中で、主張するようにひたすら輝いている。

私がその月に見惚れている間に、弟は私から手を離して玄関に備え付けられた水道に近づいていった。

蛇口を捻ってホースを私からも弟からも離れた地面に向ける。


水は綺麗な弧を描いてアスファルトに着水した。

あっという間に水溜りが広がる。


「今日、十歳になったんだ」


二人で水溜りに近づくと、弟が突然、呟いた。

朝におめでとうといい、プレゼントを渡したが、一応今も「うん、おめでとう」と言った。


「ようやく十歳になれたんだ」

「…?うん」


「すっと待ってたんだ。これで――――…、これでようやく、帰れる」

「…え?」


そこまで言うと、弟はいつの間にか取り出した、あの古い本を開いた。本はそれ自体がぼんやりと燐光を放っていて、日本語でもなく英語でもない文字を浮かび上がらせていた。

何か呟く。

小さな声だったけれど、明らかに日本語の発音じゃない。


「…え?」


ぼうっと水溜りが光り、波紋が立つ。

風も吹いていない。勿論誰かが触ったわけでもない。

波紋はゆっくりと広がりながら、水溜りに映る世界を揺らめかせながら変えていった。

そこに映る景色は、明らかにさっきまでの夜の風景じゃない。

空の満月は金色なのに、映る満月は紅色だ。


何より、覗き込む私と弟の姿が映って、いない。


びっくりして弟を見ると、にっと笑い、その表情のまま水溜りに片足を突っ込んだ。


ぱちゃん。

ちゃぷん。


水溜りの光は伝染するように片足から全身に伝わって光り、その光が触れたところから弟の身に着けたものは変化していった。

履いていたゴム長靴は革のブーツに、古臭いベルトはホルダーが沢山付いた真新しい物に、ベルトに挟まれていた水鉄砲は、ベルトのホルダーに収まって重厚そうな色の銃座をのぞかせている。

マントの様に結ばれていた風呂敷は広がって厚みを増し、暖かそうなマントになり、手にあった鍋の蓋は大きくなって紅い満月と翼を広げた鴉の意匠の盾になった。

長く伸びて銀色の光を放つ剣になったおもちゃはそれに合わせて、剣の鍔に同じ色の紅い宝石が付いていた。


あっけにとられてみていると、弟はマントを翻し、くるりと振り向いた。

今度は真似事じゃない。

本当に、御伽噺の騎士だ。

私の目の前に立っているのは、小さな、異世界の住人だった。


「姉ちゃん、行こう?」


ゆっくりと差し出された手には純白のほっそりした手袋がはめてあった。


「…どこ、へ?」

「この世界じゃないところへ」


言うと、弟は悔しそうな表情で、唇をかんだ。


「ごめん。おれは、今まで、姉ちゃんを護れなかった」

「…」

「むこうでなら護れる。おれは十歳になったから、もうここにいなくてもいいんだ。姉ちゃんもいっしょに、帰ろう」


なんとは、なしに。

弟がこの世のものではないことには、気付いていた。

彼は父さんと母さんから生まれたのは間違いない。…私と違って。

だけど。

多分、彼は間違ってこちらに生まれたのであって、本当は違う世界の人なのだと、弟といるとぼんやり分かっていた。

一応、血がつながっているのに、両親は気付いていなかったけど。


「…だめだよ」

「なんで?」


途端に、金色に光る目が潤んで泣きそうな表情になる。


「あたしだけならともかく…。父さんたちが、怒るよ?」

「…」


父さんと、母さんは。

とても。

とてもとても、厳しい人だ。


四日前に、夕飯前にチョコレートを食べた。母さんは怒って夕飯と、次の日の朝食をくれなかった。

三日前に、転んで制服を汚したら、父さんに頬を10回くらい打たれた。

二日前に、抜き打ちテストで94点だったので、何で満点を取れないんだと父さんに火の付いたタバコを押し付けられた。

昨日には、ご近所さんに陰気臭い顔で挨拶をして、父さんと母さんに恥ずかしい思いをさせてしまったので、母さんに灰皿で殴られて父さんに物置に閉じ込められた。

私はどうも上手くいかなくて、弟みたいに二人を笑顔にすることが出来ない。


「…だめだよ…」


多分両親が私を嫌うのは、私が本当に彼らの子供ではないからなのだということも知っている。

子供が生まれない体だから、私を養子に引き取ったのだ。

だけど二年後、弟が生まれたので、二人のしたことは無駄になってしまった。それが残念なのだろう、と思う。多分。

いつも頑張っては見るのだけど、やっぱり私には怒った顔しか見せてくれなくて、私の努力が足りないんだなといつも悲しくなる。


「姉ちゃん」


俯いていたが、呼ばれて顔を上げる。弟は諦めずに、その手を伸ばしていた。


「ごめん」

「何で謝るの」


謝りたいのはこっちのほうだ。

確かに弟は腕白坊主ではあったけれど、いつも私を庇ってくれた。だからいつも、ちゃんとケガは軽いものですんでいる。

だけど、弟は謝った。

その手を、伸ばしたまま。


「ごめん。

姉ちゃんのことが大好きなのに。

姉ちゃんのこといじめる父さんも母さんも嫌いだ。

おれのことを分かってくれるの、姉ちゃんだけだった。


おれは、姉ちゃんを残しては帰れない。帰らない。


――――…だから、行こう?」


ちゃぷん。


水溜りが波打った。

弟の金色の瞳は、真っ直ぐに私を見ていた。


「………」


躊躇う。

躊躇う。

私はこちら側の人間だ。


だけれども、



「姉ちゃん、約束する」



弟は言う。


「おれが、護るよ」


私は、こちらの人間だ。


だけど。




私は、ゆっくりと、その手を取った。


触れた指先から、光が私の身体に伝わっていく。

暖かい。


光が当たって、私の身に着けたものも変化していく。

パーカーは赤色の暖かいローブになった。フードに入っていた竜の人形は飛び上がって膨らみ、黒く翼を生やした龍になって私の隣に着地した。同じように犬のぬいぐるみも大きくなって白い狼になり、反対側に鎮座した。

二匹とも澄んだ瞳で私の顔を見上げている。ピコピコハンマーは伸びて私の背丈ほどの杖になった。赤い部分が様々な色のきらきら輝く装飾になっている。

ネックレスは、ピンク色の宝石が真ん中にはまった、長い鎖の首飾りに変化した。


「姉ちゃんは魔物使いかな」


くすっと笑って、弟が私に言う。

私も笑い返す。もう躊躇いはなかった。


「じゃああんたは騎士ね」

「うん。姉ちゃんを護る騎士だ」


私の左右にいた黒龍と白狼が、殊勝そうに小さく鳴いた。

私は弟に手を預けたまま、目を閉じる。



「さよなら」


恐らく、もう訪れることのない世界に、私は小さく別れを告げた。








…そして。


二人と、二匹は水溜りの中に落ちるように姿を消した。




ちゃぷん、と水が音を立てて、金色の満月を映し出していた。




END


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