婚約破棄されました、暗殺(アサシン)令嬢です。
「ヴィオラ! 僕は君との婚約を破棄し、君の妹であり聖女のランカと結婚する!」
「残念だったわね、お姉さま! リク殿下はあたしを選んでくれたのよ!」
そう高らかに笑うのはヴィオラの婚約者、王太子リクに肩を抱かれた妹、ランカだった。
「無能で無力なお姉さまになんて、王太子妃が務まるわけないじゃない! さっさとその辛気臭い顔ごと消えなさいよ!」
妹のランカが生まれてから、ヴィオラの人生は大きく変わった。
わがままなランカに振り回される日々。
それでも、その指示に従うしかないと耐えてきたのに。
リクもそうだ。
彼の命令には全て従った。
どれだけ周りに嫌われようが、自分を持っていないと笑われようとも、そうすることが正しいと思っていたのに。
――これは、なんだ?
そう思った時、必死に封じていたはずの感情のふたに、亀裂が入った。
それは瞬く間に大きく裂け、パキンっと頭の中で音を立てて壊れた。
ふたを失った場所からは、仄暗く冷たいものが溢れてくる。
(――ああ、懐かしい感覚)
ヴィオラはそっと目を閉じて、ゆっくりと開いた。
次の瞬間だ。
「――え」
ヴィオラは髪飾りを抜き取ると、一瞬でランカとの間合いを詰めた。
彼女の喉元にこの髪飾りを突き立てるために。
下から穿つように突き上げたそれは、しかしすんでのところで止められてしまった。
腕を掴まれたのだ。
常人には見えるはずのない速さの動きを止められた。
ヴィオラが後ろを振り返ると、手に持っていたはずの髪飾りが奪われる。
そしてランカが泣きながら叫ぶ。
「今、お姉さまがあたしを殴ろうとしたわ! 殿下! こんな野蛮な人、早く会場から連れ出して!」
えんえんと声をあげ嘘泣きをするランカに頷きつつも、リクはヴィオラの腕を掴む男性を見る。
「――これはクロウ王太子。わざわざ隣国よりお越しいただきましたのに、このような場面をお見せして申し訳ございません」
軽く頭を下げたリクの言葉に、ヴィオラは大きく目を見開いた。
まさか今ヴィオラの腕を掴んでいるのは、隣国の王太子クロウだというのか?
慌てて後ろを振り返れば、クロウの真っ黒な瞳と目があった。
「みなさん落ち着いてください。彼女も突然のことで動転してのことでしょう。落ち着ける場所に連れて行きます」
「そんな。そのような女は兵に言って牢獄にでも入れておけばいいのです」
「そうよ! またあたしを殴ろうとするかもしれないじゃない! 危険よ!」
「殴られるようなことをするからでは?」
「――な!」
思い当たる節があるのか、ランカは顔を赤らめた。
狼狽えたランカを無視して、クロウはヴィオラの腕を掴んだままパーティー会場を後にする。
人通りの少ない庭園まで向かうと、そこでやっとクロウはヴィオラの腕を離した。
「まさかあんなところでまた会うことになるとは思わなかった」
「…………」
そう言うクロウの顔は見覚えがあった。
まさか彼が隣国の王太子だなんて。
ヴィオラは気まずさに視線を逸らした……。
我慢していた。
自分という存在に蓋をして、欲望を奥に隠して蓋をした。
そうあれと願われたからだ。
理想の姿になれと言われた。
ならその通りに動くのが、子のいない貴族に買われた者の宿命だろう。
生みの親を知らないヴィオラは、育ての親に最後の命令をされた。
『これまで教えた暗殺の全てを忘れ、淑女として伯爵夫妻に尽くせ』
命じられればそれに従うだけの人生。
たとえヴィオラが養子としてもらわれた一年後に、伯爵夫婦待望の子どもが生まれたとしても。
しかもその子が国が待ち望んでいた聖女だったのだ。
お払い箱となったヴィオラだったが、それでも命令のため伯爵夫妻に尽くした。
その結果が化け物を生み出すことになったとしても。
「嫌よ! あたしが一番じゃなきゃ嫌!」
それがランカの口癖だった。
両親の愛情だけじゃない。
ありとあらゆる人の注目を求めたランカは、どんな手を使っても一番になりたがった。
「――なにを、しているの……?」
「だってみんなが【コレ】にばっかり構うんですもの!」
ランカに懸想する使用人の男は、お願いされればなんでもやった。
それがたとえ、なにかの命を奪うことだとしても。
その男の手の中には、小さな子猫がいた。
ぐったりとしているそれは、数日前から伯爵家の庭に現れた猫だ。
その愛くるしさに使用人たちのみならず、伯爵夫人も可愛がっていた。
そんな子猫が息絶えた姿で、男の手にいるのだ。
そしてその隣にはランカがいた。
彼女は男から猫を奪うと、その辺の草むらに投げ捨てたのだ。
「こんなものいらないわ」
彼女は無邪気に無責任に奪うのだ。
そして平気で嘘をつく。
自分は国の光とも言うべき聖女なのだ。
悪いのは全て、ヴィオラなのだと――。
「出会いはもう何年前だろうか? 少なくとも君がまだ令嬢なんてやってなかったな」
暗殺者としての技術を学んでいたころ、クロウに出会ったのだ。
あのころのクロウは王太子なんていう立場ではなかったはず。
だからこそ育ての親に命令されて、彼を救ったのだから。
「……あなた、王族だったのね」
「君の育ての親は知っていたはずだ。……とはいえ身分の低い愛人の子どもだったから、王位継承権なんてあってないようなものだったんだけどね」
「……それが今は王太子?」
「――君の育ての親のせいだよ」
育ての親は、どこからともなくヴィオラを連れてきた。
そして幼いころからありとあらゆる暗殺技術を身につけさせた、最強の暗殺者である。
そんな彼の手を借りれば、ほかの王位継承者たちを葬ることも簡単だろう。
「そしてあなたはあの人の操り人形になって、権力を欲しいままにしてるってわけね?」
「――」
あの育ての親のことだ。
きっと今ごろ左うちわで暮らしていることだろう。
その姿を想像し大きめなため息をついているヴィオラのことを、なぜかクロウは驚いたように見つめてくる。
「――なによ?」
「知らなかったのかい? 彼は死んだよ。……君の育ての親は、半年前にね」
「――……………………そう」
それしか言うことができなかった。
育ての親はヴィオラにとって枷であり、呪いでもある。
命令は絶対と教え込まれたせいで、これほど苦しい人生を送ってきたのだから。
だが同時に感謝もしている。
今ヴィオラが生きているのは彼のおかげなのだから。
なので複雑な感情を全てひっくるめて、その言葉だけが口からこぼれた。
「――だがちょうどよかったんじゃないかい?」
「……ちょうどいい?」
なんのことだと問えば、クロウは薄い笑みを浮かべた。
「殺そうとしただろう? あの聖女のこと」
「………………」
「命令に背いたがその命じた人間が死んでいた。なら命令違反にはならないじゃないか」
伯爵夫妻が望む令嬢になれ。
そう命令されてきたからこそ、ランカの汚名という汚名を全て肩代わりしてきた。
そのせいでヴィオラは周りから、意地の悪い悪女だと言われていたのだ。
けれと確かにクロウの言うとおり、育ての親が亡くなったのならその命令に従う必要はない。
解放されたと言えるだろう。
家での不遇も、ランカのわがままも、リクからの罵倒も。
全て、もう、我慢しなくていい。
「――それは…………最高ね」
口角が上がる。
にたりと笑う口元を、抑えることができない。
抑える必要もないのだ。
もう誰も、ヴィオラを縛ることはできないのだから。
「私もう我慢しなくていいのね。……ああ、なんて清々しい気分」
「だろう? ……それで、どうするつもりだ?」
「――どうって?」
「復讐するなら手を貸そう。昔助けてもらったお礼をしたい」
「不要よ」
ヴィオラは首を振る。
「私は一人でやるわ。……暗殺者だもの」
「確かに。俺がいたら邪魔だな。……だが手助けくらいはできる。気軽に言ってくれ」
そう言いながらクロウが手渡してきたのは、真っ黒な鳥を模った仮面だ。
それはヴィオラの育ての親が【仕事】の時につけていたもの。
最強の暗殺者である彼がコレをつける時、必ず人が死ぬ。
ゆえに彼は人々からこう呼ばれていた。
「アズライール……。死の天使」
「彼が死んだことを知っている人は限られている。……ならその名前を有効活用してもいいだろう?」
「……私がアズライールになる、と?」
「ならなくていい。ただ都合よく使うだけだ」
都合よく、なんて育ての親が知ったら怒りそうだ。
だが確かにちょうどいいと、ヴィオラは仮面を見つめる。
ずっと苦しめられていたんだ。
クロウの言うとおり死んだあとくらい、娘孝行してもらおう。
「アズライールの名前、使わせてもらうわ」
仮面をつけたヴィオラは、クロウへと振り返る。
「王太子殿下の元へ向かうわ。……彼には痛い目にあってもらわないと」
思い出すだけで胸の奥が怒りで熱く燃える。
そもそもヴィオラが王太子の婚約者になったのには、理由がある。
ヴィオラが伝説の暗殺者、アズライールの弟子だと知っているのは伯爵夫婦と国王だけだ。
アズライールの力が欲しかった国王は、ヴィオラを王太子の婚約者とした。
しかしそれを王太子リクは納得できなかったのだ。
たかが伯爵令嬢ごときと結婚しなくてはならないなんて、と。
親への反抗なのか、はたまたただの意地なのか。
リクはヴィオラが嫌がることを嬉々としてし始めた。
数多の女性たちに手を出して、結婚をチラつかせる。
その話を聞いたヴィオラが顔を曇らせるのを見たいがために。
たくさんの女性を傷つけた。
ヴィオラのことも傷つけた。
なら、許す必要なんてない。
リクはヴィオラへの最後の嫌がらせとして、妹であり聖女のランカと結婚することにしたのだ。
本当に最後まで――。
「【王太子】を始末してくるわ」
「いってらっしゃい」
クロウに見送られて、ヴィオラは一人闇に紛れた。
リクはその日、人生最高の気持ちであった。
目の上のたんこぶだった父王に刃向かい、可愛らしい女と婚約を結ぶことができた。
今までの婚約者は頭がいいことを鼻にかけて、自分を見下してきたのだ。
だから次の婚約者はバカな女にした。
そのほうが操りやすいからだ。
それにコロコロと変わる表情も飽きない。
前の婚約者は仮面のように表情を変えないから、つまらなかった。
それにバカな女が婚約者なら、どれほど浮気をしてもきっとバレないはず。
王太子の妻になれると嘘をつけば、釣れる女は山ほどいる。
これからも楽しみだと細く笑みながら、リクはトイレへと向かう。
飲みすぎたせいか、足元が若干おぼつかない。
このままどこぞの女を捕まえて、己の部屋に篭ろうか。
それとも今日くらいはあのバカな婚約者と過ごそうか?
体だけは元婚約者のほうが好みだったのだが……。
そんな下世話を考えながら用を足そうとした時だ。
――ひたり……。
「――!?」
後ろから足音のようなものが聞こえたのだ。
誰かきたのかと振り返ったが人はおらず、気のせいかとリクは正面を向く。
だがその時だ。
――ひたっ……。
「――! 誰かいるのか!?」
また聞こえた。
今度こそ気のせいじゃないはずだ。
そう思って振り返ったのに、やはりそこには誰もいない。
一体なんなのだと顔を歪めた時だ。
窓も開いていないトイレの中の、蝋燭の灯りがふっと消えた。
「お、おい! 誰かいるんだろう!?」
あたりを暗闇が覆い、リクは慌てた。
なにも見えない室内から出ようと、なんとか壁に手をつく。
ひとまず外に出て人を呼び、中を調べなくては。
壁伝いになんとか歩き、やっと扉を見つけることができた。
そのことに安堵のため息をつきつつドアノブに手をかけた時。
――ひたり。
その音は真後ろで鳴った。
「――っ!」
上がりそうになる悲鳴。
それを止めたのは自らの力ではない。
暗闇の中現れた手は、リクの口を押さえたのだ。
そして耳元で囁かれた言葉。
それはそこに【人】がいる証だった。
この暗闇で、まるで目が見えているかのように。
「ごきげんよウ、王太子殿下。素晴らしい夜をお過ごしですカ?」
その声は男とも女とも聞き分けがつけられないものだった。
いや、それよりも本当に人なのだろうか?
口元の手からは革の香りがした。
「我が名はアズライール。……死の天使として、あなたを裁きにきましタ」
アズライール。
その名は聞いたことがある。
天才的な暗殺者の名前だ。
どうして彼がここに、そして自分の元にきたのだ。
わけがわからないと体が震え始める。
そしてそれは、アズライールにも伝わった。
「震えていますネ。怖いですカ?」
「――っ! ぅぅ!」
当たり前だろう。
そう叫んでやりたかった。
なのに口元を覆われているせいでそれもできない。
なんて情けない姿だろうか。
次会ったらタダじゃおかないと、リクは心の中で決めた。
必ず命を奪ってやる。
「あなたは恨みを買いすぎタ。あなたに騙された女性たちの泣き声、聞こえませんカ?」
「んー! んんーっ!」
そんなもの聞こえるわけがない。
恨まれることなんてないはずだ。
女たちにはひとときとはいえ、甘い夢をみせてやったんだから、むしろ感謝してほしいくらいだ。
逆恨みでこんなことをされてはたまったものではない。
するとそんなリクの心を読んだかのように、アズライールは笑う。
「あなたに謝罪を期待するなど、無意味なことでしたネ」
なぜ謝罪なんてしなくてはならない。
眉間に皺を寄せたリクの顔が見えてでもいるのか、アズライールはそっと耳元に口を寄せてきた。
甘い花の香りが漂う。
「なのであなたに期待するのはやめますネ」
口を押さえてくるアズライールの手とは反対側が、ゆっくりと下へと降りてくる。
その時ふと思った。
どうして自分は抵抗しなかったのだろうか?
ただ口を押さえられていただけなのに……。
「彼女たちの恨み、晴らさていただきまス」
そうか、わかった。
理由は簡単だ。
アズライールに背後を取られた時から、ずっと恐怖していたのだ。
恐れを抱いたこの体は、動くことができなかった。
本能的にわかっていたのだ。
――動いたら、殺されると。
だから動けない。
たとえこの先、なにをされようとも……。
「………………っ!」
「動カないでくださいね。手元から狂ってしまいまス」
アズライールの手が降りた先、そこに触れられた時リクの体は大きく震えた。
だってまさかそんなところに触れられるなんて思わなかったのだ。
明らかに動揺した様子のリクに、アズライールは静かに告げる。
「コレがなくなれば、泣く娘が減ると思いませんカ?」
「………………っ!? んー! んんんっ!」
そんなことされてたまるか。
ここまできてやっと、アズライールがなにをしようとしているかわかったのだ。
リクは必死に震えるように首を振るが、アズライールは手を緩めることはしない。
本気なのだと理解したら、どんどん血の気が引いていった。
体はガタガタと震え、涙が頰を伝う。
「子孫を残せないあなたは、それでも王太子でいられるのでしょうカ?」
「――っ! ぅぅ!」
「あの時あなたが謝罪したのなら、未来は変わったかもしれないのニ」
残念でスと言うアズライールに、リクは必死に考える。
どうにか助かる方法はないだろうか?
必死に頭を巡らせ、一つの答えに辿り着いた。
彼は暗殺者。
なら雇い主がいるはずだ。
そいつよりも高い金を払ってやればいい。
どうせ金にがめつい汚れ仕事をしているやつなのだから。
リクは己の口を塞ぐアズライールの手を必死に叩いた。
「……叫んだらどうなるかわかりますネ?」
その言葉とともに手が離されたため、リクは必死に小さな声で言い繕った。
「か、金ならやる。地位もくれてやる。ほしいなら女も……! だから……!」
「なるほど。無駄な時間だったようですネ」
「ま、待ってくれ! 僕は――」
アズライールはリクの耳元で告げた。
「己の行動を後悔しなさい」
その時だけは、なんだか聞き覚えのある声だった気がした。
――そして悲痛な悲鳴がこだました。
何度目かわからない手洗いを済ませたヴィオラが出ると、廊下にはクロウが待っていた。
彼は楽しそうな笑みを浮かべると近づいてくる。
「てっきり始末するのかと思ってた」
「始末したわ。【王太子】としてはお終いだもの。……それにあんなに大好きな女に、もう触れることもできないんだから、彼にとっては死んだも同然では?」
それに子孫を残せないとなれば、王太子でもいられないだろう。
なんて愚かで可哀想なのだと片方の口角を上げた。
「とんでもない騒ぎになっている。犯人探しが始まる前に出たほうがいい」
「……そうさせてもらうわ」
王太子の婚約者になったのに、その王太子が使い物にならなくなった。
ランカの顔が見てみたいが、確かにクロウの言うとおりだろう。
今のヴィオラでは下手をすると容疑者になってしまう可能性がある。
婚約破棄に対する逆恨みだと。
「君はずいぶん前に家に帰したと伝えておこう」
「ありがたいわ。どうせ伯爵家の誰も私のことなんて気にしてないもの。バレないように部屋に戻るのなんて簡単よ」
「役に立つだろう? やはり手を貸そうか?」
「……考えておくわ」
早くここから離れないと。
すぐにでも去ろうとするヴィオラの腕を、急にクロウが掴んだ。
「――赤くなっている。なにかあったのか?」
「…………分厚い手袋越しでも気持ち悪かっただけよ」
とはいえ手を洗いすぎた。
帰って保湿しなくてはと、ヴィオラはクロウの手を振り払った。
「それじゃあ後のことは任せたわ」
「もちろん。……必要になったらいつでも手紙を送ってくれ。君のためなら駆けつける」
「…………どうも」
手紙なんて送ることはないだろう。
なので振り返ることなくそう告げて、ヴィオラは帰路に急ぐ。
次のターゲットはもう決まっている。
「ランカ。……どうしてくれようかしら」
本当に楽しみだと、細く笑んだ。
家には無事帰れた。
誰一人としてヴィオラのことを気にしていない証拠だ。
屋根裏の薄汚れた部屋とも呼べないところで一人、ギシギシと音が鳴るベッドで寝ているふりをしていた。
すると下が騒がしくなり、ランカが帰ってきたことを知る。
なにかが割れるような音と、ドタバタとうるさい足音。
ランカが騒いでいるのがわかる。
きっとリクの件を知り、泣き叫んで暴れているのだ。
「……バカな子」
もうこれで、王太子妃になる夢は潰えたはずだ。
とはいえ彼女は聖女。
次の王太子にも擦り寄って、結婚まで持って行く可能性もゼロではない。
ランカは計算高いところがある。
「――させないけれどね……」
必ずランカにも報いを受けさせる。
どんな目に合わせてやろうか。
そんな事を考えていた時、不意に下が静かになった。
どうやらランカの怒りが一旦収まったらしい。
果たして使用人たちの何人が怪我を負ったことか。
かわいそうに、なんて同情していた時のことだ。
「――」
なにか気配がする。
普段は屋根裏になんて誰も近づかないのに、足音を潜めてやってくる人がいた。
ヴィオラは音も立てずベッドの下に潜り込むと、やってくるだろう侵入者を待つ。
数秒後に部屋に入ってきたのは、足音的に男だ。
息を潜めてベッドまでやってきた男は、誰もいないベッドを見て舌打ちをした。
「――どこに行った」
「…………」
その声には聞き覚えがあった。
ランカの願いならなんでも聞く、使用人の男だ。
そんな男がヴィオラの元に息を潜めてやってきた。
それも真夜中に。
よからぬ事を考えていたに違いない。
もう我慢する必要もないのなら、ここで見逃してやる義理はないだろう。
音も立てずベッドから出たヴィオラは、男の背後に回ると彼の口を押さえた。
「声を上げたら喉を切ル。……静かにするのが賢明ダ」
声を変え太ももに忍ばせていたナイフを首筋に当てれば、流石の男も自分の置かれた現状を理解したのだろう。
慌てて首を縦に振った。
「質問に頷くか首を振るかで答えロ。……ここに来たのはランカの命令カ?」
「…………」
しばし沈黙したのちにこくりと頷いた。
「次の質問ダ。……ここに来たのはヴィオラを殺すためカ?」
その質問にはすぐに首を振った。
殺すためじゃない。
ならやることは一つだろう。
「――なら、襲いにきたのカ?」
「…………」
こくり。
男は頷いた。
どうやらランカは今日の出来事で大変ご立腹で、その腹いせをヴィオラでやろうとしたのだ。
男に襲わせて、後で様子でも見にくるつもりだったのだろう。
なんて悪趣味で気色の悪いことを思いつくのだろうか?
本当に、腹の立つことだ。
「…………今すぐ去レ。ランカには上手く言いわけしておケ」
こくこくこくと頷く男の首筋に、小さな針を一つ刺す。
間違ってもこの男がこの事をランカに言わないためだ。
「お前の体に毒を打ち込んダ。解毒薬は他の誰にも作れなイ。ランカにちゃんと伝れば、後日解毒薬をやろウ」
それだけ言うと男を部屋から押し出し、すぐに扉を閉める。
ヴィオラの姿を見られるわけにはいかない。
男の目線がこちらに向く前に扉を閉められたから、相手は正体不明の存在に怯えている事だろう。
「毒なんて嘘だけれどネ」
けれどその恐怖があるうちは、この出来事をランカにいうことはないだろう。
それだけの時間があれば、ランカに復讐できる。
「――んんっ! 声を変えるのは久しぶりすぎてまだ変な感じね」
これも暗殺の技術の一つだ。
何度か声の調整をした後、ヴィオラは足音もなく廊下へと出た。
向かう場所はランカのところ。
闇に紛れながら向かえば、ガラスが割れる大きな音が響いていた。
「役立たず! 部屋にいないならどこか探してきなさいよ!」
「で、ですが……」
「無能無能無能! かわいそうなあたしのために少しくらい愉快な事してきなさいよ!」
わあっと泣き出したランカ。
彼女の娯楽のためにヴィオラを穢そうなんて、大した考えだ。
やはりランカには、生半可な復讐では物足りない。
絶望を与えてあげなくては。
「お前なんか死んでしまえ! あたしの役に立たないならいらないわ!」
男は静かに泣いていた。
愛した女にそんな事を言われて、傷つかない人はいないだろう。
本当にバカなやつだ。
ランカに優しさを期待するなんて。
他人に手を汚させて、自分の憂さ晴らしをするやつが優しさなんて持っているわけがない。
「目の前から消えなさい! 役立たず!」
ヴィオラはランカの癇癪声を聞きながらその場を離れた。
あの声を聞くたびに、過去の出来事が頭をよぎる。
ランカが何か問題をするたびに、その責任をヴィオラに押し付けてきた。
育ての親の命令があったから、それすらも大人しく聞いてきたけれど……。
「もうその必要もない」
いまだにヴィオラのことを都合のいい存在と思っているであろうランカに、思い知らせてやらなくては。
「私は無能で無力じゃないのよ」
どうせやるのなら、ランカにもっともダメージのあるやり方がいい。
ランカが一番嫌がるのはなんだろうかと考えて、すぐに答えが出てきた。
彼女は聖女であることに強い誇りを持っている。
なら聖女としての名前を地に落とせばいい。
殺すなんて生ぬるいことはしない。
生き地獄を味合わせてやる。
「……そのためには」
近々聖女として各地を巡礼することになっているはずだ。
その時にはリクもいるはず。
まあ動けるならば、だが。
ふむ、とヴィオラはあごに手を当てた。
巡礼の場所はわかっているが、あの厳重な警備を掻い潜るのは骨が折れる。
できなくはないが、面倒なことはなるべく避けたい。
「……仕方ないわね」
そう言ってヴィオラは手紙を送った。
相手はもちろんクロウだ。
手伝ってくれと願えば、了承する手紙がすぐ戻ってきた。
これで簡単に紛れ込むことができるはずだ。
なぜなら今回の巡礼はクロウの国との国境付近にあるからだ。
そんなところでランカが大失態をしたとして、果たしてリクが庇ってくれるかどうか。
「楽しみね」
そんなわけで向かった巡礼で、ヴィオラは早々にランカのとんでもない姿を目撃することとなった。
それは貧民街と呼ばれる貧しい人たちへの炊き出しの際だ。
聖女としての仮面を大切にしているランカは、率先して貧しいものたちに食事を配っていた。
「どうぞ。たくさん食べてくださいね」
「ああ、聖女さま! 本当に本当にありがとうございます!」
何度も頭を下げて去って行くものたちにパンを配るランカ。
張り付いたような笑みを浮かべるその姿を見つめる。
確かにこれだけ見たら、彼女のことを心優しい聖女だと思うはずだ。
果たしてその本性を見てもまだ、人々はランカを聖女として扱ってくれるだろうか?
なんて考えていた時だ。
ランカの元にパンをもらいに小さな子どもがやってきた。
ダボダボの薄汚れたシャツを着た男の子は、差し出されたパンを受け取ることなく、その先のランカの手首を掴む。
土汚れたその手に触れられた時、ランカの顔色が変わった。
「きゃあ!」
ランカは子どもの腕を振り払ったのだ。
子どもはその拍子に倒れ込み、驚きのあまりポカンとしている。
そんな子どもに向かってランカは言い放った。
「汚いわ! そんな手であたしに触れるなんて!」
触れられた手を必死に拭うランカ。
周囲の空気が凍りつく。
なぜならそこに、慈愛の聖女などいないからだ。
そしてその空気に気がついたのだろう。
ランカはハッとすると慌てて子どもに駆け寄った。
「ごめんなさいね。その……そう! 虫がいたのよ。あたし虫が苦手で……!」
必死に言いわけをしているが、駆け寄った割には子どもに触れることはしない。
周りの大人たちもそれに気づいているのだろう。
人々の顔に困惑が浮かぶ。
「……なにもしなくても、そのうち自滅しそうね」
もちろんその程度のことで許すつもりもないが。
ランカは体調が悪いからと、信者たちに連れられて炊き出しをやめた。
追えば簡易テントの中へと入っていったため、隠れて中の様子を確認する。
するとランカは信者の一人、若い女性に向かってコップに入った水を力強く掛けた。
「――きゃ!?」
「お前たちが無能のせいであたしが変な目で見られたじゃない!」
ランカは力強くテーブルを叩くと、地団駄を踏んだ。
「あんな汚いガキをあたしに近寄らせるんじゃないわよ! 病気にでもなったらどうしてくれるの!?」
「も、申し訳ございません……!」
「全く!」
力強く椅子に腰を下ろしたランカは、しかしすぐにニヤリと笑った。
「まあいいわ。アイツらにはあたしの聖女としての名前が大きくなるように、苦しんでもらわないと」
「――本当によろしいのですか? 炊き出しに毒なんて」
「大丈夫よ。死なない程度のものばかりだもの。それに表向きは感染病ってことになるって、リク殿下もおっしゃっていたわ」
ランカは恍惚とした笑みを浮かべると、祈るように両手を組んだ。
「それを治せば、聖女としてたくさんの人があたしを讃えるの。薄汚いやつらを有効活用してあげるんだから、むしろ感謝してほしいくらいよ」
「しかし……子どもは大丈夫なのでしょうか? 毒は子どもの方が効くといいますし」
「なに慌ててるの? 毒を入れたのはあなたじゃない。死んだらあなたの責任。けど病気で子どもが死ぬなんてよくあることだし気にすることないわ」
「わ、私は聖女様からの命令で――!」
「しらなーい! あたし毒なんて手にしてないもの。やったのはあなた。……捕まるのはあなたよ?」
キャハハ!
と笑うランカの声を聞きながら、ヴィオラはその場を後にした。
ランカはどこまでいってもランカらしい。
これだけのことを罪を感じることなくやってくれるのなら、こちらとしても動きやすいというものだ。
ヴィオラは静かに歩みを進め、今回の巡礼についてきているクロウの元へと向かう。
彼の周りに誰もいないことを確認して、そのそばに立つ。
「少しいいかしら」
「――……さすがはアズライールの弟子。足音も気配もなにもなかった」
「子どもの時から散々教え込まれたから。それより話いいかしら?」
「どうしたんだ? 君が俺を頼るなんて」
そんなことを言いながらもなんだか嬉しそうだ。
変な男、と心の中で思いつつ、ヴィオラは先ほどのことをクロウに報告した。
ランカとリクが裏でやっていることだ。
少なくとも許せることではないだろう。
実際それを聞いたクロウの顔が歪む。
「とんでもない聖女もいたものだ。ここには俺の国の民もいるというのに」
あと少し行けばクロウの国になるため、商人などは出入りしているはずだ。
そんなところで感染症だなんて言われては、商人はもちろんのこと近くの村にも迷惑がかかるはず。
そんなことも考えず、己の私利私欲のために動くなんて。
「――許せないな」
よかった。
クロウはまともなようだ。
なら彼と手を組んでも、ヴィオラにとってマイナスはないはず。
「使われた毒を入手できるかしら?」
「毒? できるだろうが……なにに使うんだ?」
炊き出しから時間が経ってしまっている。
お腹を空かせたものたちは、もらった食べ物をすぐに食べてしまうはず。
ならもう、彼らの体には毒が入ってしまっている。
未然に防ぐことができないのなら、次に気にするべきは死者を出さないようにすることだ。
「解毒薬を作るわ」
「――できるのか?」
「天才暗殺者の弟子だもの。……毒薬を熟知するなら、解毒薬も熟知すべきよ」
「さすがだな……」
ランカやリクが使うようなものなら、そこまで複雑でもないはずだ。
なら解毒薬を作るのにもそう時間はかからないはず。
「ランカにいい思いなんてさせたくないもの。それなら、あなたを救世主に仕立て上げる方がよほどマシよ」
「君が表に立てばいい」
クロウの言葉を鼻で笑う。
「馬鹿ね。暗殺者は裏で潜んでこそよ。……表になんて立ちたくないわ」
「そうか……。炊き出しの食事ならすぐに手に入ると思うが?」
「じゅうぶんだわ」
薬の内容次第だが、即効性というわけでもないのだろう。
ならタイムリミットは夜明けまで。
それまでにランカの悪事を全て暴いてみせる。
「ならまず最初は……あの子ね。手伝ってくれる?」
「もちろん、喜んで。……で? どうすれば?」
「ランカにバレないようにランカ付きの信者の女を呼んでほしいの。……【交渉】は私がやるから」
「そんな事ならお安い御用だ」
その言葉のとおりクロウは外に出ると使用人に言いつけ、あっという間に信者の女を呼びつけた。
彼女は隣国の王太子に呼ばれたと言うこともあり、若干青ざめた顔でやってきた。
「あ、あの……。なぜ私は呼ばれたのでしょうか……?」
「君を呼んだのは俺じゃない。……彼だ」
紹介されたら出ないわけにはいかないだろう。
ヴィオラは仮面と真っ黒なマントを身にまとい、彼女の前に姿を現した。
「ひ――!?」
「大丈夫。君がおかしなことをしない限り、身に危険が及ぶことはない」
「…………はい」
見るも恐ろしいこの姿に、怯えない方が無理だろう。
ヴィオラは特に気にすることなく、声を変えて話しかけた。
「単刀直入に言おウ。聖女と同じ船で沈みたくなければ、大勢の民の前で証言しロ」
「それは……いったい……」
「民に毒を盛ったナ? 食事はこちらで可能なかぎり回収しタ。……これが知られればどうなるかわかるナ?」
「――!」
自体を理解したのだろう。
一瞬にして信者は顔を青を通り越して白くした。
「それは……!」
「聖女は罰せられル。……聖女と同じ運命を辿りたくなければ、お前がやるべきことは一つだけダ」
「………………わ、わたしは」
まだ迷っているらしい。
優秀な暗殺者は人の心すら操ると言う。
ならここは、ヴィオラの腕の見せ所だ。
「あなたは苦しくないのカ? 罪のない子どもが死ぬかもしれないんだゾ。そんなことをした女を、聖女と崇めるのカ?」
「――そんなことっ!」
「今のままではそうなル。また犠牲者を出すつもりカ?」
「……っ!」
悔しそうな顔をする信者。
その顔を見てあと少しだと察する。
鞭を与えたのなら、あとは飴をあげればいい。
「大丈夫。……お前はただ頷けばいいだけダ。私の言葉に頷けば、それで全てが終わル」
「………………頷くだけ?」
「簡単だろウ? それだけで救われる人がいるんダ」
なにも言わなくていい。
ただ頷けばいいだけ。
簡単な方法で罪悪感を拭えるのだと伝えれば、信者の顔が明るくなる。
頰に赤みが増して、しばしの沈黙ののち頷いた。
「……いい子ダ」
なら次にやるべきことをやらなくては。
期限は夜明け前。
時間に余裕はない。
「私はいク。女は広場に連れて行ってくレ。それと村人を可能な限り中央広場へと集めてくレ」
「了解」
ヴィオラは闇に紛れてランカの元へ向かう。
一人楽しそうにワインを飲んでいるランカを確認し、そっと部屋の明かりを消す。
「――なに!? ちょっと、もう! 誰かいないの!?」
窓から差し込む月明かりだけになった部屋の中で、ランカが立ち上がり人を呼ぼうとする。
扉へと歩き出したランカの背後に立つと、その首に優しくナイフを押し当てた。
「騒いだら……わかるナ?」
「――な、なに!? 誰なの!? ちょっと誰か――!」
わからなかったらしい。
ヴィオラはランカの口を塞ぐと、薄くナイフをひいた。
薄皮が一枚裂け、赤く一本の線が首につく。
首筋にたらりと血が垂れて、そこでランカははじめて己の状況を理解できたようだ。
「もう一度言ウ。……騒いだら次は、この首を落とス」
ランカは慌てて何度も首を縦に振った。
とはいえ相手はランカだ。
恐怖にギャーギャー騒がれても困る。
なので口元を押さえたまま、耳元で囁いた。
「お前の悪行はもうバレていル。……民に毒を盛ったナ」
「!?」
ピクリと肩が動いタ。
わかりやすい女だ。
「今からお前には民たちの前で、罪を洗いざらい話してもらウ。言い淀んだり嘘をついたらその時は……わかるナ?」
「――っ!」
冗談じゃないと顔に書いてあったが、もう一度先ほど傷つけた傷にピッタリとナイフを這わせる。
首の小さな痛みを思い出したのか、ランカはカタカタと震え出した。
「自分の罪くらい自分で背負エ。……いいナ?」
ヴィオラは素早くランカの腕を後ろでに縛る。
ついでに暴れられたら困ると、縄で腰のあたりをぐるりと巻くと犬の散歩のようにランカを引っ張った。
もちろん口元には布を噛ませている。
人のいないルートを確保することは簡単だった。
ザルな警備すぎるので、きっとリクの命令だろう。
同行できるくらいには回復できたようだ。
だがいまだに王太子ということは、もしかしたらアソコを切り落とされたことを必死に隠しているのかもしれない。
だがいつまでも隠せるものではないはずだ。
リクの王太子としての人生は終わったも同然だ。
「――ついたゾ」
「――んっ! んんんっ!」
広場の中央には見張り用の塔がある。
そこの一番上へとランカを連れてきたヴィオラは、事前にお願いしていたとおり集まっている住民たちを見下ろした。
その中には慌てた顔のリクも見える。
面白いことになったと仮面の下で微笑んだ。
「――ランカ! ランカをどうするつもりだ! この世界を救う聖女なんだぞ!?」
「そうだそうだ! 聖女様を離せ!」
リクの言葉に鼻を鳴らしてしまった。
なにが世界を救う聖女だ。
そしてそれに同調する村人も愚かではある。
まだ現状がわかっていないらしい村人たちのためにも、目を覚まさせなくては。
「――この女がなにをしたのか、知っても同じことが言えるかナ?」
「――っ! そ、その声……!」
リクが慌て出した。
声を聞いてやっと、ランカを捕らえているのがアズライールだと気づいたのだ。
己の大切なところを奪った相手。
真っ青になった顔を、高いところから見下ろすのは気分が良かった。
ずっとずっと、見下されていたから。
「聖女。……約束を破ったらどうなるか、わかっているナ」
そこらへんの家よりも高いこの見晴らしのいい場所で、ランカを足場の悪い端に立たせる。
石煉瓦造りのそこは劣化して、ランカの足元から小さな瓦礫が落ちていった。
後ろからヴィオラが背中を軽く押しただけで、彼女の体は簡単に地面へと落ちる。
これだけの高さでは無事ではすまないだろう。
「さア……。君の選択はどうかナ?」
聖女としての未来をとるか、自分の命を取るか。
ランカの選択は果たして。
彼女の口から布を外した。
「――リク殿下! あたしを助けてよ!」
どうやらバカな選択をしたらしい。
「この男を今すぐに殺し――」
黙らせるためにもランカの背中にナイフを押し当てた。
「死にたいらしいナ」
「ひっ――! どうしてこんなこと……!」
「お前の罪を言エ」
「なにもしてないわよ!」
あくまでシラを切るらしい。
まあこうなるだろうなと察していたので、ヴィオラは早速次の手に移ることにした。
「――女、前に出ロ」
ヴィオラの言葉に、ランカ付きの信者が一人前に出た。
たくさんの人の前で緊張しているのだろうが、その目に不安や迷いはない。
きっとランカの不正を暴けるという、正義感に酔っているのだ。
扱いやすいなと、集まった人々に聞こえるよう声を張った。
「お前たちが崇める聖女は、自らの名声のためにお前たちに毒を盛っタ。……もう症状が出ているものもいるのではないカ?」
ヴィオラの言葉に村人たちがざわつき始める。
その様子を見るに、やはり症状が出ている者がいるのだろう。
なんて都合がいい。
「この者たちはそれを聖女が治すことで、名声を手に入れようとしタ。下にいるのはそれを私に教えてくれた、聖女付きの信者ダ。……そうだナ?」
「――は、はい! そうです!」
気分が良くなったのか、信者は頷くだけではすまなかった。
「聖女様の命令で毒を盛るのはこれがはじめてではありません……。やめるよう、子どもが死んでしまうかもと進言しましたが、聖女様はそんなこと知ったことではないと。……悪魔のような女です!」
信者はランカを指差す。
人々の鋭い視線を向けられて、ランカは奥歯を強く噛み締めた。
「ふざけんじゃないわよ! お前が毒を盛ったんじゃない! あたしは関係な――」
「聖女様に命令されて私がやりました! ……だからこそ、罪を償うためにここにいます! 私は、真実しか話していません!」
「お前――っ!」
ランカの顔が赤く染まる。
怒りに叫ぼうとするその首筋に、もう一度ナイフを押し当てた。
「お前の言い訳は聞いていなイ」
「っ――!」
人々の疑心が増している今こそ、本当の救世主を出すべきだろう。
「クロウ王太子殿下が迅速に動いてくださり、解毒薬を調合してくださル。聖女が配った炊き出しを手に入れ、解毒に必要なものを用意してくださっタ。……苦しんでいるものを連れてクロウ王太子殿下の元へ向かエ」
バタバタと走っていくものたちの姿を見つめていると、ランカが悲鳴のような声を上げた。
「あたしじゃないわ! こいつらがやったのよ!」
「――どうやら死ぬことが怖くないらしい」
「あたしは聖女よ! あたしの言うことを聞きなさいよ!」
これはダメだ。
きっとなにをしようともランカが改心することはないのだろう。
彼女の世界では、ランカは正義なのだ。
――ならやるべきは一つ。
「お前はもう、ダメだナ。なにをしても罪を認めないのなラ……」
「あたしは――!」
「――死して悔い改めなさい」
トンっ……とランカの背中を押した。
足場の脆い高所から落とされたランカは、大きな悲鳴を上げた。
「――ぎゃぁぁぁぁあっ!」
みっともない悲鳴を上げながら落ちたランカを、人々は息を呑んで見つめていた。
その時間わずか数秒。
しかしランカには永遠の時に感じたはずだ。
絶望の時間。
己の命が奪われようとしているわずか数秒。
地面へと叩きつけられるその瞬間が、頭の中で思い浮かぶ暇もない。
衝撃に耐えるため体に力を入れたランカは、勢いよくぶつかった。
だが残念ながらそこは地面ではない。
塔の横の壁に、まるで振り子のようにして顔面をぶつけたのだ。
「――ブゲッ!」
なかなかの情けない声を上げたランカを、ヴィオラは静かに見下ろした。
「――死んだ気分はどうダ?」
ランカの体は、見張り台の横でぶらぶらと揺れている。
彼女の体を拘束する縄。
その端っこが、塔の取手に縛られていることに気づく余裕もなかったのだろう。
自慢の可愛らしい顔は歯が欠け、瞼は青く腫れ上がり、見る影もなくなっている。
「……ぁ、」
しかしそれでも生きていた。
そのことに安堵したランカは、ポロポロと泣き出すと大声で叫んだ。
「あ、あだじがやりまじだ! 炊き出しに毒を盛るよう命令じまじたぁ!」
鼻血が出ているからか、はたまた恐怖からか。
言葉が少し聞き取りづらい。
「他にもあるだろウ。お前がやったこと、全て話すと誓うカ?」
「ぢがう!! ぢがうがらぁ! だがらお願い! 殺さないでえぇぇぇ!」
えぐえぐと泣き始めたランカ。
その姿を呆れながら見ていると、なにやら下が騒がしいことに気がついた。
何事だと下を見れば、村人たちが慌てて逃げている。
一体なにが……と見ていると、すぐに答えがわかった。
「あらあラ。……まるで子どもだナ」
泣き続けるランカは、恐怖からか漏らしてしまったらしい。
それに気づいた村人たちが悲鳴を上げながら逃げているのだ。
これだけの醜態を晒せば、もう聖女として崇められることはないだろう。
いい加減戻してあげようかとランカの紐に触れた時、下にいた兵士たちが上がってきているのが見えた。
ランカを助けるためか、はたまたヴィオラを捕まえるためか。
どちらにしても長いは無用だと、紐から手を離した。
「我が名はアズライール。……二度と会わないことを願っていロ」
「――待て!」
待てと言われて待つ馬鹿はいない。
ヴィオラはやってきた騎士たちに背を向けると、屋根を伝ってその場を離れる。
捕まるわけにはいない。
これから解毒剤を作ったりと大忙しなのだから。
それにこの後のランカの様子も見ておきたい。
だからこそと追っ手の騎士たちを交わし、暗闇に紛れようとしていた時だ。
突然空いた窓から手が伸ばされ、そのまま部屋の中に引きずり込まれた。
「――!?」
何事かわからないが、対象せねばならぬだろう。
手に持っていたナイフで、相手の腕を切りつけようとした時だ。
「俺だ。――落ち着け」
聞き覚えのある声に、今にも腕を切り裂こうとしていたナイフを止めた。
暗闇にも目が慣れてきて、目の前にいるのがクロウだと気がつく。
「なにをしているの!?」
「君の手助けをしようと思って」
「必要ないわ。私なら逃げ出せ――」
なんて言っていた時だ。
扉を乱暴に叩く音が聞こえた。
するとクロウはヴィオラからマスクとマントを奪うと、上に覆い被さってくる。
「な――!?」
あまりの近さに驚きの声を上げたが、それは扉を乱暴に開ける音でかき消された。
ドタバタと足音が聞こえたと思えば、数人の騎士を連れたリクがやってくる。
「ここにアズライールがきたはずだ!」
「…………なんの騒ぎだ?」
灯りが部屋に灯されれば、部屋の中にいたであろうクロウの横顔が明確に見える。
思ったよりも近くにあって、ギクリとヴィオラは動きを止めた。
「――クロウ王太子? それに……ヴィオラ!?」
「野暮なことをしないでくれないか? 恋人との大切な逢瀬なんだが」
なにを言っているんだ?
呆然とクロウを見るが、彼は絶対にこちらを見ない。
代わりにもっと近寄られて、彼の香りが濃くなった。
「恋人……? ヴィオラが……?」
「子どものころに出会ったことがあるんだ。その時からずっと片想いしててね。君との婚約が解消されたのでやっと想いを遂げることができたよ。――ありがとう」
嫌味たっぷりに言えば、リクの顔がさっと赤らんだ。
唇を噛み締めしばし沈黙したのち、不貞腐れたように言い放つ。
「アズライールを見ていないのか!?」
「アズライール? ああ、君のあそこを切ったやつか。見ていないが……またなにかされたのか?」
「――違うっ! 見てないならいい! 必ず捕まえてやる……! あいつのせいで俺は王太子の座を……!」
なにかを言おうとしたリクだったが、ハッとしたようにクロウとヴィオラを見ると、足早に騎士を引き連れ部屋を出て行った。
今のつぶやきを聞く限り、もしかしたらリクは王太子の座を降ろされることが決まったのかもしれない。
今回が最後の王太子としての仕事になるのだろう。
ざまあないと笑いつつも、完全に足音が聞こえなくなるまで待ち、ヴィオラはクロウを押して離れる。
「……どういうつもり? ……変なうわさになるわよ?」
「ちょうどいい。いい加減結婚しろと周りがうるさいんだ」
「結婚て……」
「最強の暗殺者が王太子妃なんて、最高だろう?」
わけがわからない。
大きめなため息をついたヴィオラはその場を去ろうとしたが、その前にクロウが口を開いた。
「手を貸したんだから、俺の願いも叶えて欲しいものだが?」
「それで結婚? あなたなら他にもたくさん選択肢あるでしょう?」
「俺は君がいい。……ちなみに君の育ての親の遺言があるのを知っているか?」
「――は?」
遺言とは一体なんのことだ。
クロウの手に握られている紙を見て、ヴィオラは慌てて駆け寄った。
そこに書かれていたのは確かに育ての親の字だった。
「………………なに、これ」
「死ぬ前にな、君の主人を俺にしてくれたんだ。だから今日から君は俺の言うことを聞くしかない」
思わず遺言状をぐしゃりと握りつぶしてしまった。
信じられない。
なんてことをしてくれたのだと、死んだ育ての親に心の中で罵詈雑言ぶつけた。
「――だから結婚しろと? あなた最低よ!?」
「リクとも命令で婚約したのに、どうして俺とは嫌なんだ?」
「――そ、それは……」
確かにその通りだ。
リクとは命令で婚約したのだから、クロウと結婚することもなに一つ変わらない。
なのになんで、心がこんなに痛いのだろうか?
「――一度自由になったのに、また命令されるなんて嫌なだけよ!」
「なるほど? そういうことにしておくか」
「そうなのよ!」
きっとそうだ。
そうに決まっている。
だから嫌なのだと伝えるがクロウは諦めない。
「とはいえその遺言状がある限り、君はもう俺から逃れられない。……大丈夫。しあわせにしてみせるさ」
「そんなこと望んでない!」
ヴィオラは暗殺者らしからぬ大きな足音を立てて部屋を出ようとする。
「どこに行くんだ?」
「――解毒剤作るのよ! 苦しんでる人たちを助けるの!」
バタンっと大きな音を立てて閉められた扉。
それを見ながらクロウはくつくつと笑う。
「本当に変わらないな、君は」
クロウの頭の中には過去の出来事が過ぎる。
いくら愛人の子とはいえ、王位継承権を持っているクロウという存在は、他の王子たちからすると目障りだったのだろう。
幾度となく命を狙われた。
毒を盛られたこともあった。
そんな時に救ってくれたのが、アズライールとその弟子ヴィオラだった。
特にヴィオラは文句を言いつつも、つきっきりで世話してくれたのだ。
食事の準備もしてくれ、食べさせてくれたこともある。
濡れたタオルで体を拭いてくれたことも。
その優しさに惹かれてしまうくらいには、幼少期のクロウは愛情に飢えていた。
「……馬鹿な男だ。俺は」
そしてその時の気持ちを、今も捨てられないでいる。
初恋とは、厄介な感情なのだ。
「――ちょっと! あなたがいないと毒を渡してくれないらしいわ! 今も苦しんでる人がいるんだから早くきて!」
扉を蹴破らん勢いできたヴィオラに、クロウは思わず笑ってしまう。
今はこんな関係でも、いつか必ず変えられるはずだ。
昔のヴィオラがしてくれたように、今度はクロウが彼女を救うのだ。
「――よろこんで。我が愛しの暗殺者殿」
そうして、結局ヴィオラはクロウという新しい主人を得てしまったのだった――。
完




