私は番に愛されず死んだはずなのに。目覚めたのは、あの日の結婚式だった。
「君は僕の番ではない」
「君を愛することはない」
「いい加減、待つのはやめろ」
そのたび、心は深く抉られ、悲鳴をあげた。
◆
ここは、緑豊かな獣人の国エスラエル。
彼の番として選ばれ、王妃となって三年目の午後。
いつものお茶の時間に、彼の好きなクッキーを焼き、執務室へ向かった。
「スノー王妃、陛下は今、大切なお話を……」
耳のいい猫獣人メイドが制する。
けれど扉の前まで来てしまった私は、否応なく中の会話を聞いてしまった。
「……レイアー嬢が妊娠した。だから彼女を側妃に迎えようと思う」
「レイアー嬢が懐妊とは、おめでとうございます。それで王妃スノー様には? 陛下の“番”ではありませんか」
「違う。――彼女は、僕の番ではない」
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
それ以上聞きたくなくて、私はそっと扉から離れ、自室へ戻る。
――やっぱり、認められていなかった。
(そうよね。三年間ずっと“白い結婚”だったもの)
結婚式の夜、彼は夫婦の寝室に来なかった。
悲しかった。
それでも私は彼が好きだった。
私は、エスラエル国とスーズラン国の協定祝宴で、一目で恋に落ちた。
嬉しいことに、“番印”が浮かひ、番だけが持つ癒やしの力も宿った。私がエスラエル国の民を癒やし続ければ、いつか彼が振り向いてくれると信じていた。
(それでも三年、何も変わらなかった)
あの執務室の話を聞かれたと、執務から去る足音を耳のいい彼が聞いたはずなの。
“弁明にも来ない”
“会いにも来ない”
――それが答えなのだと悟った。
私は“番”となったが、彼にとっては重荷でしかなかった。ならば、生まれてくる子のためにも――離縁しよう。
(一定の距離なら、番の力は維持される……書庫の本にそう書いてあった)
彼と離縁し、慰謝料を受け取り、国の端でひっそり薬屋を開こう。
もう誰かの幸せを願うだけでいい。
そう決めた。
◆
それから一か月後――彼との夕食。
食事が喉を通らない日々が続き、かなり痩せた私を見て、彼が珍しく声をかけた。
「……王妃、痩せたな。どこか、具合が悪いのか?」
私は「いいえ」と首を振る。
あの日から笑えなくて、作り笑いで返した。
その顔を見た彼の目が、一瞬だけ揺れた。
けれど――何も言わない。
彼は食事が終わると、そのまま執務へ戻ろうとした。いま止めなくては、決意が揺らぐ。
「お待ちください、ローレンス陛下。私から、お話があります」
「……話し? 王妃、話とは」
「陛下、レイアー様のご懐妊、おめでとうございます。――それと、私たち離縁いたしましょう」
彼の眉間に皺が寄る。
“番”である私から離縁を切り出されたことが、よほど癪に障るらしい。
「王妃、離縁だと?」
低い声。
私は気付かないふりをして続けた。
「えぇ。三年経っても“白い結婚”のまま。そんな中で他の令嬢との間に子ができたのなら……その方を王妃としてお迎えになった方が、国のためにも良いでしょう」
私は微笑んだ――淑女の仮面で。
三年、あなたがいたから耐えられたのよ。本当に、あなたのことが好きだった。
(それなのに……“番ではない”と否定された。
この胸に浮かんだ番印は、あなたには煩わしいだけだったのね)
「国のため、離縁はできない」
「大丈夫ですわ、ローレンス陛下。私はこの国から出ません。国の端でひっそり暮らします。遠くに離れなければ、この番印も有効に働くでしょう?」
一定距離なら、番の力は消えない――そう、書物には書かれていた。
「そうだが。……王妃は、それでいいのか」
「ええ。結婚して三年経っても、名前すら呼ばれない“王妃”ですもの。ローレンス陛下、食後に書類を整えてください。準備ができ次第、私はここを去ります」
そう言って、私は礼をして食堂を後にした。
話さなくてはと緊張して、食事には一口も手をつけられなかった。
◆
パタン。扉が閉まるまで、僕は私の背中を見ていた。
「離縁……か」
――あの日の足音。きっと、会話を聞かれたのだな。僕は彼女に会いにもいかず、弁明もしていない。
それが原因か。
あれ以来、彼女の笑顔は消えた。
僕に話しかけることも、会話も少なく、見えるのは作り笑いだけ。
三年間、彼女を“番”と認めず、初夜にも行かず、最低限の言葉だけを交わしてきた。
そして、他の令嬢との間に子を作った。
離縁を切り出されて当然だ。
彼女と離縁しても、ある距離なら番いの効力は保たれる。なら、一人になる彼女のために、国の端の別荘を譲り、慰謝料も払おう。
僕は執務室に戻り、離縁の書類を整え、王妃に送った。彼女がやはり嫌だと言ったら、離縁はやめようと思っていたが、王妃の判の押された書類がすぐ返ってきた。
「本気だったのだな」
――この日、僕たちは離縁した。
◆
「もう、持っていくものはないわ」
彼からもらった物はすべて置いていき、私は慰謝料としていただいた、国外れの別荘へ向かう。
その道中、賊に襲われた。
近くに止まっていた馬車の紋章は、レイアー嬢の実家、ヤーバル公爵家のもの。
ローレンス陛下は“王妃は療養に向かった”としか伝えていない。彼女はそれを誤解し、私が“陛下の子”を宿したと考えた。
彼女は自分の子を守るため、事故に見せかけて私を殺そうとした。
馬車の外では、護衛の騎士同士が争い、怪我人が増えていく。私はたまらず馬車から出てしまい……放たれた矢が胸に突き刺さった。
グッ、痛い。
痛いのに、声を張った。
「レイアーさん……大丈夫よ。あなたの子は王になる。私は……陛下と離縁したわ。あなたの敵にはならない……! だから、騎士を止めなさい!」
私の言葉が届き、騎士達の動きが止まった。
だが、怪我を負ったもの、重傷者がいる。
癒しの力を使い、彼らの傷を癒やすか、自分を癒やすか――そんなの、決まっている。
「『――エリアヒール!』」
傷付いた騎士達、全員を癒やし、私は吐血して倒れた。
目が開かず、徐々に体が冷えていく。
あんなに痛かった、矢の痛みが遠のく。
ーーそっか、私は死ぬのね。
認められなかったが、ローレンス陛下の番の片割れが消える――陛下にも激痛が走るはず。
(今頃、苦しんでいるかしら……? ふふ、ざまぁみろ)
ここで、私の生は終わった――はずだった。
◆
……まばゆい光?
まぶたを上げると、純白のタキシードを着た彼と、ウェディングドレスの私。
――これは、三年前の結婚式。
(どうして? 私はいま死んだはず……これは、夢? よりにもよって……こんな夢は見たくない)
◆
「どうした?」
「え、あ……陛下、お気になさらず……」
い、嫌だ。
もう傷つきたくない。
寂しい思いも、泣きたくもない。
陛下が番と認めず。
周囲の冷たい視線、陰口、――白い結婚。
もう、三年も耐えられない。
現実を受け止められず、視界が暗く沈む。
そのとき――
「スノー!」
初めて、彼が私の名前を呼んだ。
その響きに、心が揺れ、胸の奥が熱くなり。
何故か、泣きたくなった。




