第1話
2025年1月開催の文学フリマ京都9に向けてのサンプルです。
当日は準備号を持って行きます。
『いつかは僕も、恋の味を知ることができるのだろうか』
――冒頭にこう書かれた小説の「僕」は、いつかは恋に落ちることになるのが定石だ。
小説というものは、自分以外の人生を味わえるのが醍醐味だというのに。
この一言によって、俺は一気に現実に引き戻された。
この物語の主人公は、自分とは違う人間なのだと。
「……やっば」
鞄にソレがない、と琴葉が気付いたのは駅だった。ありうるのは。
「わたし、まさか……どっかに落とした!?」
とりあえず来た道を帰ることにする。
駅から繋がる車の多い大通り、オフィスビルの立ち並ぶ中をくぐり抜けると、大きな公園が見える。池を中心にぐるりと道が整備されており、朝にはランニングや犬の散歩をする人が行き交うが、今はもうとっぷりと日が暮れているため、人通りは少ない。その公園を右手にして歩くと、飲食店が立ち並ぶ。カフェ、インドカレー店、やきとり屋、と並んで、角地にイタリアンレストランが現れる。
ベージュ色の壁に掲げられた鉄製の看板には『創作イタリアン ルーナ』と彫られている。
年季の入った取手のついた木製のドア。開くたびにチリンチリンと音が鳴るので、この時間もまだ客の出入りがあることがわかる。大きな窓からは暖色の明かりが漏れ、白いレースカーテンの向こうには談笑する男女がうっすら見えた。
ここが、琴葉のアルバイト先である。
店をいったん通り過ぎると、狭い路地がある。道幅に対して大きすぎるゴミ箱を避けるのに、壁にひっつきそうになりながら路地を少し進むと、鉄製の、事務的なデザインのドアが見える。
ドアに近づくと、チカッと電灯が灯る。人感知式のライトである。ドアには『STAFF ONLY』の文字が手描きされている。
従業員口の鍵を開け、廊下を突き進んでいく。古めの木製の建物であることもあり、踏みしめるとぎしりと音がする箇所がある。
ドアは三つ。突き当たりのひとつは常に開け放たれており、厨房と繫がっている。がちゃがちゃ、と調理器具や食器のぶつかる音が聞こえる。真ん中の部屋が休憩室で、一番手前のドアが女子更衣室。
まずは女子更衣室を覗く。電灯が灯っていないということは、誰もいない。ロッカーが立ち並び、中心には長椅子がひとつ。基本的に片付いている部屋なので一見して何も落ちていないことはわかる。
一応自身のロッカーも開けるが、目当てのものは無さそう。
ということは。
廊下に出て、明かりの漏れている休憩室のドアを開ける。
先客がいた。
休憩室は中心には四人がけのテーブルセットがある。冷蔵庫とその上に電子レンジ、その横には腰くらいの高さの本棚が並び、料理本がぎっしり詰まっている。反対側の壁は薄黄色のカーテンで隠されており、男子更衣スペースとなっている。
そのテーブルセットの椅子に、男性がひとり座っていた。
(……剛志さんか)
いかつく見える、うちのシェフのひとり。
全体的に長めの髪から覗く眼光はいつも鋭め。眉間はいつも少し寄っており、不機嫌そうに見えがち。体格もそれなりに良い方で、高身長。足組んでるとなっがいな、と琴葉は余計なことを考える。
(でもここが一番落ちてる率は高いんですよね。しれっと挨拶して探しますか)
「お疲れ様で、」
言いかけた時だった。
剛志が、例の探し物を持っていたことに気付いたのは。
「どうぇええええええええい!!」
「うわっ何だ」
絶叫しながら、剛志が読みふけっていたそれを奪い取る。
「よ、よっよよよよ、読みました……?」
それこそ、こそこそと探し回っていた目的のブツ。
その名も自分の書いたボーイズラブ小説である。
……推敲のためにコピー用紙に印刷したやつ。
「……読んだけど、お前の?」
「しまったあああああ知らぬ存ぜぬしてたらバレなかったのにいいいいいい」
琴葉はテーブルに伏せった。伏せるしかなかった。ちなみに本文にペンで書き込みしているため、持ち主=作者というのはバレる。
「うううもう恥を承知で訊くんですけど、全部読みました……?」
「読んだ。今二回目」
「もおおおおおお」
つまりクライマックスのBのLなシーン(ライトではあるが)も読まれているということ!!
もはや社会的な死である。
しかしその前に引っかかったことがあった。
「ん? 二回目……?」
「よくできてるなと思って」
琴葉はぽかーんと剛志を見つめたまま黙り込む。そして原稿を見て、再び剛志の顔を見て、というのを三回ほど繰り返してから、一言。
「……これ、ボーイズラブですが、平気でした?」
はは、と剛志は軽く笑った。
「俺にはそういう気はないが」と前置きした上で、「恋愛しているときの切なさ、みたいなのが伝わってきたというか。しかも書き込みによってちゃんと良くなってるように思っ、」
「もっと聞かせてくださいッ!!」
琴葉はずずい、と剛志に顔を近づけて迫る。剛志はそれに対してずずずっと椅子を後ろにして仰け反った。
「な、なんだどうした。前のめりだな?」
焦った剛志の声が聞こえる。
「剛志さん、このあとお時間大丈夫ですかっ!?」