冷徹公爵様にお決まりの「君を好きになることはない」と言われたので「以下同文です」と返したら「考え直してくれ」と懇願された件について
只今、私は初夜の真っ最中である。
ランプ一つの薄暗い部屋の中、ネグリジェの上にカーディガンを羽織り、ダブル並な広さのベッドの端にちょこんと腰掛けている私は、目の前に立っている人物をじぃっと見つめた。
青藤色の長い髪を後ろで束ね、同じ色の瞳をした、誰が見てもとんでもない美形だと思うであろうその人物は、不機嫌そうに綺麗な眉を顰め、こちらを鋭い眼光で睨みつけている。
彼こそが、本日私の旦那様になった、ヴァルフレッド・オブラスタ公爵だ。
私はギロリと睨みつけられる圧倒的な眼差しにゾクゾクと背筋を震わせながら、“あの台詞”を今か今かと待ち望んでいた。
ドキドキと高鳴る胸の音が抑えられない。彼にもこの音が聞こえるんじゃないかと心配になるくらいに。
私は興奮して静まらない胸を落ち着かせる為、これまでの経緯を思い返してみることにした。
私の名前は、アディル・ラヴェイン。薄い茶色の腰まで届く髪と翠色の瞳を持つ二十三歳で、しがない伯爵家の一人娘だ。
そしてここだけの話、私は前世の記憶を持っている。
私の前世は、極一般の会社で働きながらネット小説や漫画を暇さえあれば読んでいた、極々普通の日本人の女だった。
恐らく不慮の事故か何かで死んでしまったのだろう。そこら辺の記憶は曖昧だ。
そして気付けば、貴族令嬢のアディル・ラヴェインとして生きていた。
ふとした拍子で前世の記憶が蘇ったのは、社交界に出始めた四年前の十九歳の時だった。
その社交場で初めて旦那様――オブラスタ公爵を見掛け、彼の顔が前世の推しに瓜二つでドンピシャ好みだった私は、彼を見掛ける度に柱の隅から眺め目の保養にしていた。
たまに目が合い、慌てて笑みを返すけどいつもギロッと睨まれてしまっていた。
(あぁ、こりゃ完璧に嫌われてるわ……。そりゃそうよね、得体の知れない女が自分をガン見してるんだもの、気味悪さと嫌悪が最高値に決まってるわよね……。でもごめんなさい! 絶対に話し掛けないから! 決して近付かないから! 私の心と目の潤いの為に、遠くで見るだけでも許して……! ――それにしても、睨むお顔も大好きだった推しに似ていてトキメキがヤバいわ……)
そう心の中で平伏しながら謝罪しつつニヤニヤしつつ、姿を見掛ける度に目で追うのを止めずにいたところ、四年後――つまり現在、何とそのオブラスタ公爵から縁談の申し込みがあったのだ。
勿論、私と両親は大混乱だ。父が公爵家からの通達書を手に掴み、狭い書斎を意味もなく三人でグルグル回り、一斉に頭を抱える。
「何だ何だコレは!? 一体どういうことだっ!? 今まで全く接点の無かったオブラスタ公爵から、どうしてお前に縁談の申し込みがきたんだ!? アディル、お前閣下に何かやらかしたのかっ!?」
「えぇっ!? なっ、何もしてないわお父様!? 本当に何も! ただ閣下が好みのお顔だったから柱の隅からジィーーッと見てただけよ!? 毎回睨まれてたけど!」
「ばっ……!! この大馬鹿娘っ!! 得体の知れない女性に毎回柱の隅からジィーーッと見られたら誰だって気味悪くて不快に思うに決まってるだろうが!! 何してくれたんだお前はっ!?」
「ひえぇっ! ごっ、ごめんなさいぃ〜!!」
「まぁまぁ、ちょっと落ち着いて下さいな。あなた、アディル。気味悪くて不快な女性に縁談なんて申し込むはずがないでしょう? 別に理由があるはずですわ」
「……ふむ、確かにそうだな」
「……えぇ、確かにそうね」
父と私は動きをピタリと止め同時に頷くと、考えられる点を思いつく限り挙げていく。
「娘に一目惚れ……はないか。五年前に御両親を亡くし、齢二十四歳で公爵になったあの方は、この国で王族の次に偉くて、国一番の魔導師様だしな。その上あの整った容姿ときたもんだ。我々にとって高嶺の花の人物が、底辺にいる伯爵の娘に一目惚れは有り得んな」
「えぇ、自分で言うのも悲しいけど無いわね。本当に有り得ないわ。ちょっと見てたらギロリと睨まれるくらいだもの」
「……お前の場合、“ちょっと”じゃないと思うんだよなぁ……。毎回穴が空くほど見つめていただろ……」
「――えっ!? そ、そんなっ!? な、何のことやらサッパリだわっ!?」
「……はぁ……。やれやれ……」
「この子は見た目通りの平凡で目立たない子ですし、一目惚れは一ミリも可能性はありませんわね……。――あっ、勿論、母目線としてはあなたはとっても可愛い娘ですよ? 目に入れても痛くないくらいですもの」
「ふふっ。お母様、必死のフォローありがとう。分かってるから大丈夫よ」
私は全く気にせずクスリと笑うと、別の理由を考えてみる。
前世で読んでいた小説や漫画を参考にすると、可能性があるのは――
……あっ、もしかして……?
「――“政略結婚”、かしら……。うちの資産が目的……とか?」
「うちの資産か……。なるほど、我が伯爵家はこの辺りでは有数の鉱山をいくつか所有している。そこから貴重な鉱物も発見されているし、その可能性は高いな」
「えぇ、確かに……。もうそれしか考えられませんわね」
父と母は納得したように大きく頷いた。
「アディル、お前はどうしたい? この申し込みを受けるようであれば、私達はお前を全力で支える。オブラスタ公爵家と繋がるのは得であって損は無いからな。しかし断るようであれば、私達はお前と伯爵領の我が民を全力で守るよ。うちは他に後ろ盾もあるから心配しなくていい。お前の判断に任せるよ」
「えぇ。自分が幸せになる、望む方を選びなさい。後悔のないようにですよ?」
「お父様、お母様……。ありがとう、大好きよ――」
優しく微笑む父と母に胸が熱くなった私は、泣きそうになるのをぐっと堪え、しっかりと首を縦に振った。
「その縁談、有難く受け入れます」
――そして、嫁ぐ日の前日、私を心配してくれた友人が伯爵家を訪ねてきて、公爵家にまつわる噂を教えてくれたのだ。
私はそういう類は疎いので知らなかったが、結構有名で信憑性のある噂らしい。
「オブラスタ公爵は、一緒に住んでいる継母の娘である義妹と相思相愛な仲で、結婚の約束もしていた」
――と。
私はそれを聞いた時、胸が一層大きく高鳴った。
――ショックの方ではなく、“期待”の方の高鳴りで。
(もしや、あの“伝説の言葉”が聞けるかもっ!?)
――そして迎えた当日。
その日は、身内だけの少人数で簡単な婚姻式が行われた。関係者を集めた正式な結婚式は後日行うらしい。
普段は滅多にしない化粧をしっかりされ、高そうなウェディングドレスを身に纏った私を、正装姿のオブラスタ公爵は相変わらずのドンピシャ好みの顔で睨みつけていた。
睨む顔もとても素敵で全然嫌ではなく、私はニヤける顔を抑えるのに必死だった。
そしてもう一人、私をずーっと憎々しく睨んでくる桃色のウェーブ髪をした可愛らしい女性がいて。彼女がきっとオブラスタ公爵の義妹だろう。
彼女にとって、私は“愛する人の間に割り込んできた極悪女”と言ったところか。
でも政略とは言え、この結婚を望んだのはオブラスタ公爵自身だし、その事情は分かって欲しいものだ……。
式は滞りなく順調に進み、結婚の誓約まできた。
お互い夫婦になることを誓い合い、指輪を交換し、最後に誓いのキスをするのだが――しまった、本当にするのか事前に打ち合わせをしていなかった!
「では、誓いの口付けを」
牧師の厳かな声が式場に響く。
(まぁ、閣下の恋人の前だし、“振り”だけよね? 目を瞑っていれば、あとは閣下がどうにかして誤魔化してくれるでしょ。ベールを被ってるから顔も隠せるしね)
私は相変わらずこちらを睨んでいるオブラスタ公爵に向き直り、見上げる。そしてそっと瞳を閉じた。
すると目の前からコクリと唾を呑む音が聞こえ、ベールがめくられると同時に後ろに下げられる。
(……えぇっ!? ベール取っちゃうの!? ソレ取っちゃうと、“振り”をするのが難しくなるんじゃ――)
私が目を瞑りながら戸惑っていると、腰に手が回されグイッと引き寄せられる。そして左の頬に手を添えられ、唇に吐息が掛かったと思ったら、ふに……と柔らかく温かな感触を感じた。
(……ええぇっ!? 本当にしてるぅっ!?)
ビックリして目を開けると、すぐ目前に青藤色の神秘的な瞳があった。バッチリと目が合ってしまい、慌てて瞼を閉じる。
フッ、とまるで吹き出したかのように息を吐かれたが、唇は離れない。身体も腰を抱かれたまま、互いに密着した状態だ。
(ん……? ちょっと待って? 私の左頬に閣下の手があるってことは……。私達の立ち位置からして、思いっ切り皆にキスを見られてるー!?)
内心アワアワ状態の私にオブラスタ公爵は気付くはずもなく口付けを続ける。時折角度を変えるけど、唇はやはり一ミリも離れない。
チラリと薄目を開くと、やはりオブラスタ公爵の両目はバッチリ開いて私をジッと見つめていた。
睨まれてはいないようだけど……。
はっ、恥ずかしいからせめて目は閉じてーー!?
異様に長い口付けに、式場内に戸惑いの空気が流れ始めた。キスを始めてから数分は経っているからだ。
オブラスタ公爵の顔に鼻息が掛からないように必死に息を止めていた私はもはや窒息寸前だ。
「……あ、あの……? もう……離れて頂いて大丈夫ですよ……?」
牧師の遠慮がちな声が聞こえると、漸く唇から感触が消えた。そして、腰に回されていた手も離れる。
(救世主の牧師様、ありがとう……!!)
私はすぐさま深呼吸をし、オブラスタ公爵と少し離れおずおずと瞼を開くと、彼はいつも以上の鋭い目つきで私を睨んでいた。
……もしかして、懸命に止めていた筈の鼻息が公爵の顔に掛かっちゃってた……? だから不快な気分になって、こんなに怒ってるのかしら……?
そ、そんなの不可抗力ですーー!! 公爵のキスがすごく長かったんだものーー!!
完全完璧に息を止めるなんて、「今すぐに神様の元へ行け」って言ってるようなものですーー!!
心の中で抗議を上げていると、暫く私を睨みつけていた彼は、不意に牧師の方に正面を向けた。私も慌ててそれに倣う。
……しかしまぁ、本当にキスするなんて思ってもみなかったわ……。義妹さんの前だし、絶対にしないと思ってたのに……。
神様の前で誤魔化しは良くないと思ったのかしら? 誠実なお方ね……。
でも神様の前で死にそうになったけどね。私、ファーストキスだったけどね。
……え? どうでもいい紙クズ同然の情報ですって? 悪かったわね!
けれど誓いのキスって、こんなに呼吸困難で天に召されそうになるほど長いものなの? 前世では未婚のまま死んじゃったから分からないわ……。
……あぁ、怖くて義妹さんの方を見られない……。
頭にニョッキリ角生やして般若面で背後から炎が吹き出てなければいいけど……。
その後は滞りなく婚姻式が無事に終わり、あれやこれやという内に初夜がやってきて。
湯浴みやらお肌の手入れやらをされ、オブラスタ公爵の部屋に案内され大人しく待っていると、彼が不機嫌そうな表情で扉を開けて現れて。
――そして冒頭に戻る。
私はニヤつく顔を懸命に抑え込み、オブラスタ公爵が口を開くのを待っていた。
私からは何も言わないのが分かったのか、意を決したように、徐ろに彼の唇が動いた。
「君を好きになることはない」
「……あ……」
…………キタァーーーッ!!
お決まりの“伝説の言葉”が生で聞けました!! しかも予想通りのイケボで!! そこも“推し”に似ているなんて!! んーっ、最高っ!!
私、ちゃんと表情抑えられてる? ニヤけてないよね!?
前世でこういうネット小説を沢山読んで、最初は言った当人に対して、
「まぁーっ! 何てヤな奴!! 言い方ってモンがあるでしょ!」
って憤ってたけど、次第に当事者になって生で聞いてみたいと思うようになって……。
前世越しに夢が叶って感無量です!!
――あっと、しまった! 喜んでる場合じゃない! 急いで返答して彼を安心させなきゃ!
結婚したとはいえ政略結婚だし、オブラスタ公爵と義妹さんの愛し合う二人の邪魔をする気は更々ないもの。
私は彼の顔が拝めれば、それで十分なんだから。
「はい、私も以下同文です」
ニッコリと笑ってそう言うと、オブラスタ公爵は目を見開き、眉尻を下げて明らかに傷付いたような表情を浮かべた。
――え? 傷付いたの? 何故に?? 本来はこっちが傷付く立場よね??
その反応に困惑していると、再び彼が口を開いた。
ショックを受けた表情のまま、懇願するような声音で、
「考え直してくれないか?」
…………と。
「…………へっっ?」
しまった!! 予想外過ぎる言葉に、思わず素っ頓狂な声が出ちゃった!!
私の間抜けな声を聞き、次に私の顔を見たオブラスタ公爵は、自分の口に手を当てるとそっぽを向いた。身体が小刻みに震えているようだ。
えっ? もしかして笑いを堪えてるの? そんなに間抜け面してたの私!?
睨んだり傷付いたり笑ったり……。
本当にさっきから彼の言動の意味が掴めないわ……。
その時、扉からノックの音が響いた。
「失礼します、旦那様。お愉しみのところを申し訳ありません」
扉の外から穏やかな声が聞こえてきた。この優しく低い声は、この公爵家に昔からいるという、執事のローレンさんだ。
――って、“お愉しみ”って何!? まだ何にもしてませんよ!?
二人で愉しくキャッキャウフフとゲームをしていると思ったのかしら?
すると、オブラスタ公爵の口から小さく溜め息が漏れた。
「――いい。用件は何だ」
「王城から遣いが来ました。『町の近くに魔物が現れたから至急討伐して欲しい』と」
「城にいる討伐隊はどうした」
「彼らでは太刀打ち出来ない程の強大な魔物のようです」
「ちっ、情けない……。――分かった、すぐに向かうと伝えろ」
「申し訳ございません。奥様との初めての夜ですのに……」
「お前が謝る必要はない」
「ありがとうございます。では失礼いたします」
そう言うと、ローレンさんは扉から離れ行ってしまったようだった。
オブラスタ公爵は眉間に皺を寄せると、今度は盛大に息をついた。
「はぁ……。――済まない、急用が出来た」
「はい、何やら大変なご様子で……。私に構わず行って下さい。緊急のお仕事お疲れ様です」
私は気にするなの気持ちを込めて、オブラスタ公爵に微笑みを向けた。
前世の仕事でも急な呼び出しはちょこちょこあったので、大変さは分かる。
オブラスタ公爵は私の笑みに驚きの表情を見せたと思ったら、すぐにキツく睨まれてしまった。
え、私何かヘンなこと言った? 言ってないよね? まぁ彼の睨みは私にとってご褒美だから全然いいんだけど。睨み上等っ! だけど。
「……君はこのままここで寝てくれ。明日以降も、毎晩ここで寝て欲しい。俺がいてもいなくても、だ」
「え? 公爵閣下の部屋でですか?」
「…………名前で呼んでくれ」
「へ?」
「これから俺を呼ぶ時は、俺の名前を言ってくれ。俺達はもう『夫婦』なのだから」
……ん? やけに『夫婦』って言葉を強調して言うな……?
「あ……はい。――えーっと、ヴァルフレッド……様?」
「……あぁ。別に呼び捨てでも構わない。――行ってくる」
オブラスタ公爵……もといヴァルフレッド様はそう言いながら踵を返すと、扉を開けて部屋から出て行った。
「いってらっしゃいませ……」
私はポカン顔でヴァルフレッド様の背中を見送る。
え、毎晩ここで寝なきゃいけないの? どうして?
――あ! もしかして、義妹さんとの逢瀬を邪魔されたくなくて、毎夜この部屋に閉じ込めておく気とか?
もう、別にそんなことしなくても邪魔しないのに……。
あと、「考え直してくれないか」ってどういうことだろう?
向こうから「好きになることはない」って言っておいて……。
まさか私に好きになって欲しいの? 自分は相思相愛の恋人がいるのに??
キミね、欲張りじゃないのかねソレは? んんっ??
……駄目だ、考えても全然分からない。
もう寝よう!
私は一人では広過ぎるベッドにコロリと寝転び、布団を被った。
するとフワリとヴァルフレッド様の匂いがして、何だか彼に包み込まれているような錯覚に陥り、思わずドギマギしてしまう。
こんな調子でちゃんと眠れるかしら……と不安になりながらも、私は無理矢理目を閉じた。
私の心配をよそに、心と身体は公爵家までの長旅と婚姻式で酷く疲れていたらしく、すぐに眠りの世界へと誘われていった――
**********
あれからヴァルフレッド様とはなかなか会えず、顔を見られたと思ったらすぐに出掛けてしまい、擦れ違いの日々が続いた。
私は私で、公爵夫人としての心得や振る舞い、仕事等教わることが多過ぎて、忙しい毎日を送っていた。
義妹さんとヴァルフレッド様の仲もあって、公爵家の使用人達に邪険にされるかと身構えていたけれど、実際は全くそんなことなく、皆とても優しくしてくれた。
そして何故か全員、温かい眼差しでこちらを見てくるのだ。まるで子供を見守る親のような……。
その謎な眼差しに頭上にハテナマークが付いたけれど、使用人さん達から一斉に蔑ろにされなくて一安心だ。
ヴァルフレッド様の帰りがいつも遅く、最初は一人で夕食を食べていたけれど、広いお部屋でポツンとご飯を戴くのは味気なく……。
なので使用人さん達と一緒に食べたいとお願いしたら、皆さん快諾してくれて。
皆さん気さくで話しやすくて、今では夕食の時間が一日の中で一番の楽しみになっていた。
ヴァルフレッド様のお部屋で寝るのも、最初はいつ彼が帰って来るのか分からず緊張したけれど、三日経ち、一週間経っても全然戻って来ないので、今では布団に入って数分で快眠出来るようになった。
そうして、そんな日々が三ヶ月続いた、夕食後のこと。
いつものように使用人さん達とご飯を楽しく食べて自分の部屋に戻る途中、執事のローレンさんが前から歩いて来た。
年配な彼は様々な知識を持っていて、例え小さなことでも、毎度優しく丁寧に教えてくれる。そんな彼に、私は改めて感謝の言葉を伝えた。
「ローレンさん、右も左も分からない私に呆れることなく、いつも優しくしてくれてありがとうございます。他の皆さんもとても優しく素敵な方達ばかりで……。お蔭で楽しく過ごさせて頂いています。本当に感謝しています」
「そんな……。大変勿体無いお言葉ありがとうございます、奥様。わたくしどもの方こそ、旦那様と結婚して下さり、深い感謝の意を述べさせて頂きます。奥様と一緒になってからの旦那様は、毎日本当に上機嫌で嬉しそうで……」
………………。
…………んん?
……へっ? 上機嫌? 嬉しそう?
私の顔を見る度、ものすごーく睨みつけてきますけどっ??
ローレンさん、とても失礼なことだと承知で申し上げますが、老眼が深刻化していませんか? 老眼鏡を新調された方がよろしいのでは?
「以前、旦那様は数週間屋敷にお戻りにならないことは当たり前だったのですが、奥様が旦那様のお部屋で就寝されるようになってから、遅くなっても毎晩必ず帰って来られるようになりまして。朝はいつも早く出掛けられるので、奥様は旦那様がお部屋にいらっしゃったことはご存じなかったと思いますが……」
「えっ!? 夜、部屋にいたのっ!? しかも毎晩っ!? ちょ、待って!? 全く気付かなかったんだけどっ!?」
衝撃的な情報に思わずタメ口でツッコんでしまったけれど、ローレンさんは気にすることなくニコニコと頷いて返した。
……てことは、私の間抜けな寝顔を毎晩見られていたってこと!? ヒィ……恥ずかし過ぎる!!
……ん? 待てよ? そうなるとヴァルフレッド様、一体どこで寝ていたんだろう?
私、毎朝起きると必ずベッドのど真ん中にいるから、端っこで縮こまって身体丸めて寝てたとか……?
ベッドの真ん中を陣取り、大の字になって涎を垂らしながらイビキかいて寝てる私と、ベッドの隅っこに身体を寄せて、布団も取られガタガタ震えながら丸まって眠るヴァルフレッド様――
……ああぁっ! ここの主様なのに何てことさせてたんだ私っ!
想像するだけで身悶えする程申し訳無さで一杯になる……!!
ヴァルフレッド様も遠慮なく私を叩き起こしてくれれば良かったのに!!
私が頭を抱えて本当に身悶えていると、突然身体に勢い良く何かがぶつかってきた。
バランスを崩し危うく倒れそうになったが、ローレンさんがとっさに支えてくれたので難を逃れる。
「あっらぁー? ごめんなさーい。存在感が薄過ぎて、そこにいるのが全っ然分からなかったわー?」
せせら笑いながらそう言ってきたのは、ヴァルフレッド様の義妹で、彼と相思相愛と噂されているジェニーさんだ。
彼女はヴァルフレッド様の継母様の娘で、彼のお父様と継母様が五年前の馬車の事故で亡くなってからも、この公爵家の屋敷に一緒に住んでいるのだ。
確か彼より四歳年下だったはずだから、私より二歳年上の二十五歳だ。
もう立派な大人なのに、私に対して物を隠すなど地味〜な嫌がらせをしてきて、今もこんな調子だ。
まぁその嫌がらせがホントに子供じみてて、侍女さん達も苦笑するレベルで。
それに、私は前世でそういった内容の小説を沢山読んできたから、「今度はどんな嫌がらせをしてくるんだろう? 私の知らない嫌がらせあるかな?」って、面白さも感じていた部分もあったから、今まで笑って許せてきたんだけどね。
恋人を取られた悔しさからだろうけど、そんな嫌がらせをしても自分が惨めになるだけなのに、そこら辺分からないのかしら……。
……と、憎まれている私が彼女を諭しても、逆に火に油を注ぐだけなので黙っている。
「ジェニー様」
咎めるように、ローレンさんがジェニーさんの名前を口にすると、彼女はキッと私を睨みつけてきた。
兄妹共に睨みつけられる私……。そんな共通点なんていらないわ……。
「何よ、この泥棒猫がいけないのよ! アタシとお義兄様はお互いに好き合ってるのよ!! アタシが訊く度、いつもお義兄様は『好きだよ』って言ってくれるもの! それをこの女が横から割り込んできて! アンタとは早々に別れて、アタシ達は近い内に結婚するんだから! あの婚姻式のキスだって、お義兄様はホンットに仕方なく、嫌々ながらしたに決まってるわ!! 意地汚い泥棒猫は引っ込んでて!!」
「っ!? ジェニー様、何てことを仰るのですか……!!」
泥棒猫……。猫、かぁ……。
実家にいた頃、よく家に来ていた人懐っこい猫ちゃんと遊んでたなぁ。あの猫ちゃん元気かしら? 毛並みが艷やかで綺麗だったから、どこかの飼い猫だと思うけど……。
頭の良い猫ちゃんで、来る度に私の膝の上に乗って丸まって、話し相手になってくれてたのよね。私が話す度「にゃあ」って相槌を打って。
他の猫ちゃんと違って抱っこが好きで、胸の中に抱きしめると目を瞑って喉をゴロゴロ鳴らして可愛かったなぁ。
私の結婚が決まった時から、何故かパッタリと来なくなってしまったけれど……。
あの猫ちゃん、また会いたいなぁ……。
――っと、今は目の前のジェニーさんを何とかしなきゃ。私があーだこーだ言われるのは別にいいんだけど、私達の間に立っているローレンさんが可哀想だもの。
興奮状態の彼女に、政略結婚の説明をしても聞く耳持たずだろうし、ここは私の気持ちを正直に話しますか……。
「……この結婚の前に、お二人の仲の噂は聞いていました。政略結婚とはいえ、あなたの恋人を奪ってしまったことは申し訳なく思っております。愛し合うお二人の邪魔をする気は毛頭ありませんし、すぐに離婚出来るかどうか、公爵閣下にお伺いしてみますね」
先日、ヴァルフレッド様とジェニーさんが並んで歩いているところを見掛けたのだけれど、彼は優しい表情で彼女を見ていた。時折微笑みながら。
私と全く正反対の態度に、改めて思ったのだ。
――あぁ、この婚姻は間違っていたのだ、と。
私の私利私欲で受け入れた結婚の所為で、二人に苦しく切ない思いをさせてしまっている、と。
「お、奥様……。そんな……そのように思って……!?」
ローレンさんが何故か大きくショックを受けてよろめいている隣で、ジェニーさんは勝ち誇ったように口の端を大きく持ち上げる。
「何よ、ちゃんと分かってるじゃない。お義兄様に訊く必要はないわ。アンタと別れるって絶対言うはずだもの。だからさっさと離婚して――」
「“離婚”? 一体何の話をしているんだ?」
その時、後ろからよく知った声が飛んできた。
振り向くと、ヴァルフレッド様が眉間に皺を作り、腕を組んでそこに立っていた。
「お義兄様ぁ!」
「坊ちゃま!! 奥様に今回の婚姻のことをどのようにご説明されたのですかっ!?」
ジェニーさんがヴァルフレッド様に抱きつこうとするより早く、ローレンさんが珍しく声を荒らげて彼に言葉を勢い良く投げつけた。
いつも冷静で穏やかな彼の、見たことのない剣幕に、ヴァルフレッド様とジェニーさんの動きがビクリと固まってしまう。
「……い、いや……。まだ何も言っていない――」
「はあぁっ!? まだ何もっ!? 何も仰っていない、ですとぉっ!? では坊ちゃまのお気持ちも奥様にお伝えしていない、とっ!?」
「う……あ、あぁ……。その、忙しくて……話すタイミングがなかなか……」
「はあぁぁっっ!? こんなに月日が経っているというのにっ!? ――あぁっ、何ということでしょう……!! 大馬鹿者にも愚か者にも程がありますぞ坊ちゃま!! その所為で奥様があの噂を信じ、有らぬ誤解をされているのですよ!? 心優しい奥様は、坊ちゃま達の為にと自ら離縁をされようとしているのです! 坊ちゃまが奥様に何もお伝えしなかった所為で! 坊ちゃまの所為で!! 大切なことは言葉に出さないと伝わらないとあれほど申し上げましたのに!!」
「っ!!」
ローレンさんの言葉に、ヴァルフレッド様の青藤色の瞳が驚愕に大きく見開く。
ローレンさん、ヴァルフレッド様を“坊ちゃま”呼びしてる……。昔の呼び名かな? 何か可愛い。
その上彼はローレンさんに逆らえないと見た。きっと彼のおじいちゃん的存在なんだろうな。
「ふふん、いい心意気じゃないの。さっさと離婚して、アタシ達の仲を祝福すればいいわ。アタシはお義兄様と結婚して、晴れて仲睦まじい夫婦に――」
「……何を訳の分からないことを言ってるんだ。俺はお前をそんな目で見たことは、今まで一度だって微塵も無い。“家族”としか見ていない」
「――へぁ?」
ジェニーさんの間抜けな問い返しが廊下に響く。
「な、何を言ってるのお義兄様……? アタシのこと、あれほど『好き』だって言って――」
「“家族”として、“妹”として『好き』だと伝えただけだ。俺の妻は、今までもこれからも生涯アディルしか考えられない。アディルしかいらない」
「んなぁっ!?」
……あ、初めて名前を呼んでくれたわ。しかもサラリととんでもないことを言われたような? 空耳かしら?
ヴァルフレッド様は再び眉間に皺を寄せ、大きく溜息を吐いた。
「継母上が事故で亡くなられて、お前は酷く落ち込んでいたから、俺達は“家族”として、お前に元気になって貰おうとずっと甘やかしてきた。お前の我儘も目を瞑ってきた。それがお前の我儘を助長していたとは……。やけに俺にくっついてくるのは、継母上を亡くした寂しさからだと思い、好きなようにさせていた。お前の結婚相手も、心の傷が癒えるまで何も言わないでおこうと思っていたのだが……それは間違った判断だったようだ……」
「……坊ちゃま。これは奥様に固く口止めされていたので申し上げなかったのですが、ジェニー様は奥様がこの屋敷に住まわれてから、奥様に嫌がらせを続けてきました。坊ちゃまを取られたという悔しさと嫉妬から」
「……っ!!」
あぁっ!? ローレンさん言っちゃった!! あんなにヴァルフレッド様には言わないでって念押ししたのにー!!
ヴァルフレッド様はそれを聞くと、身体を小刻みに震わせジェニーさんをギッと鋭い目つきで睨みつけた。
その凍えるような視線に、彼女の身体がビクリと跳ねたのが分かった。
「……お前が俺に関して、『相思相愛で結婚の約束をしている』と有り得ない噂を周囲に流していた調べは付いている。俺は社交界の噂など一切興味が無かったからな。その所為で気付くのが遅れ、分かったのは婚姻式を挙げた後の仕事仲間との会話でだった。急いで噂の発生源の特定をローレンに頼み、火消しもした」
えぇっ!? あの噂を流したのって、ジェニーさん本人だったの!?
「縁談の申込みを受けてくれたから、その噂を知ってるなんて思わなかったんだ……。心配を掛けたくなかったし、噂については何も言わないでおいたんだが、まさか君が最初から知ってたなんて……」
驚きの顔つきをしている私に、ヴァルフレッド様は酷く苦しげな表情を向けた。
「……ジェニー、お前は後で説教だ。今後またそんな噂を少しでも流したら、いくら家族と言えど、この屋敷にいられないと思え。アディルへの嫌がらせも今後一切するな。使用人全員がお前を監視しているからな。ホンの些細な嫌がらせでも、すぐにここから追い出す。これは『警告』だ」
「おっ、お義兄様っ!?」
「アディル、俺の部屋へ」
「へ……? ひゃっ!?」
ヴァルフレッド様が私に声を掛けたと思ったら、突然お姫様抱っこをされてしまった。
ガッシリと押さえられ、降りることも身動きすることも出来ない。
そして、微笑みながら温かい眼差しを向けるローレンさんと、同じく温かい眼差しを送っている、騒ぎを聞きつけたのかいつの間にかこの場に集まっていた使用人さん達と、あんぐりと目と口を開けているジェニーさんを残して、ヴァルフレッド様はツカツカと早足で歩き出した。
見上げると、同じくこちらを見ていた彼と至近距離で目が合う。
今度は睨んでなどなく、悲しそうに眉尻を下げていた。
「すまない……アディル」
一言そう呟くと、自分の部屋に着くなり私をベッドの端にそっと降ろす。
そして上着を脱いでラフな格好になると、私のすぐ隣に座り、間も置かずギュッと強く抱きしめてきた。
「!?」
突然の彼の行動に驚く私は、この温もりの異様な既視感……いや既触感? にも驚きが隠せない。
そして毎晩眠っている時に、これと同じ温もりを感じていたことに気が付いた。
布団の温もりじゃなく、人の体温の温もり――
(ま、まさかヴァルフレッド様……帰って来てから私を抱きしめて寝てたの!?)
「本当に済まない、アディル。俺は多忙にかまけて、君との時間を疎かにしてしまった……。『夫婦』になったのだから、いつでも君との時間を作れると仕事を優先してしまった……。今優先するべきなのは、仕事より君との時間だったのに……。ジェニーの件も含めて、俺の無知と愚かさの所為で君を酷く深く傷付けてしまった……。本当に……どのように詫びたらいいのか……」
「い、いえ、大丈夫ですよ。どうかお気になさらずに」
傷付いてなどなく、寧ろ使用人さん達と楽しく過ごしていましたよ? ジェニーさんの悪戯や意地悪は笑い話にしてたし。
公爵夫人の勉強は大変だけど、沢山の新しいことを覚えられて達成感と充実感もあったし。
たまにヴァルフレッド様を忘れる時があったりもして……なーんて、この雰囲気では絶対に言えないわ!?
私は安心させるようにニコリと笑うと、それを見たヴァルフレッド様はどうしてか泣きそうな顔になった。
「……君は、本当に……。――アディル、最後まで聴いて欲しいことがある。俺が言い終わるまで、何も言わずに聴いていてくれないか? 頼む……」
「え? あ、はい……」
真剣な顔つきで、ヴァルフレッド様は震える唇を開いた。
「君を好きになることはない」
あ、それ初夜に聞きましたけど。
義妹さんがお相手じゃなかったみたいだし、他に別のお相手がいるのかしら?
くぅっ……。ツッコみたいけど、約束したし我慢我慢……。
「君を好きではなく、――あ」
……“あ”?
「ああああ」
ちょっ!? どうしたっ!?
RPGのゲームで主人公の名前を適当に付ける人になってるけどっ!?
「い」
……“い”?
「いいいい」
今度は仲間の名前を適当に付け始めたっ!?
きっと戦士ね!?
次の仲間の名前は「うううう」かしら!?
きっと僧侶だわ!
「し」
あっ、違った!
一文字だけだと何か怖い言葉!
「てる」
“てる”? てるてる坊主? この世界にもあったの? 作って欲しいの?
「……んだ」
“んだ”? 日本の方言!? “そうだ”、って!? てるてる坊主作れって!? 明日は楽しい遠足の日かな!? 先生! バナナはオヤツに含まれますか!?
――って、さっきから一体何なのっっ!?
……ん? ちょっと待って?
今言った言葉を続けて読むと……?
「あ、ああ……あ――『愛してるんだ』……!!」
私が口にするより早く、ヴァルフレッド様が先に言葉を繋げてくれた。
「え……? あ、あい……?」
「い……言えた! やっと……やっと君に言えた……!!」
ヴァルフレッド様は何故か感無量といった感じで、私を強く抱きしめてくる。
「そうだ、君を好きになることはないんだ。“好き”ではなく、もう“愛して”しまっているのだから。君を本当に心から愛しているんだ!!」
「え……ええぇっ!?」
私はヴァルフレッド様の世紀の大告白にビックリ仰天だ。
「あぁ……。やっと君に言えた……。『愛している』、と……。君に言いたくても言えなかった言葉を、やっと……やっと……」
「……? それは……どういうことですか……?」
「……。実、は――」
ヴァルフレッド様は、ポツポツと理由を説明してくれた。
彼のお父様は浮気性で、実のお母様以外の女性に簡単に「愛している」と言っていたそうだ。
そんなお父様の姿を目撃する度、お母様は悲嘆に暮れ、ヴァルフレッド様は母親に辛い思いをさせる「愛している」という言葉を次第に嫌い、憎んでいった。
結局、お母様は耐え切れず離婚し家を出て行ってしまい、ヴァルフレッド様はいつの間にか「愛している」の言葉が言えなくなっていて、言おうとすると身体が拒絶し、口が固まってしまっていたそうだ。
初夜の時に自分の気持ちを伝えようと決意していたのに、いざとなるとやっぱりその言葉が出なくて、固まっていたところに私からの「以下同文」の台詞を貰ってショックを受けた……ということだった。
「ご、ごめんなさい! その台詞に続きがあるなんて知らなくて……」
「いや、いいんだ。君はあの噂を信じて、俺を想ってそう言ってくれたんだろう? 最初に誤解を招く言い方をした俺が悪かった」
ウン、ホントニネ!!
「俺は何としてでも君に『愛してる』を言いたくて、毎晩寝ている君を抱きしめながら言葉にしようとしたけど、どうしても口から出てこなくて……。しかし、寝惚けている君はこの上なく可愛かったな……。俺に擦り寄って抱きしめ返してきて、『ヴァルフレッド様好きー』と言いながら、俺の頬にキスしてきて……。本当に毎晩が至福の時間で……。あぁ、思い出しただけでも幸せだ……」
やっぱり抱きしめられてたー! しかも何てことをしてるの私!? いくらその顔が好きだからって、き、キスとな!? 寝惚けるにも程があるわ!! 恥ずかしくて今すぐに死ねるッ!!
「け、けど、どうして私を……あ、愛しているのですか? ヴァルフレッド様とは、婚姻式まで面識が無かったと思うのですが……」
「アディル……君、社交場の時俺をずっと見ていただろう? 柱の陰から、遠くから」
ヒェッ、やっぱりバレてたー! 睨まれた時点で分かってたけど!!
「あ、あはは……。あれだけ見てちゃ、やっぱり気付かれちゃいますよね……?」
「あぁ。俺を見てくる奴は、大抵打算的な奴らか、好奇心の目か、色目を使った女性達なんだが、君だけは違った。純粋な“好意”の視線だった」
“好意”という名の“欲望の塊”な視線ですけどね!?
「目が合えばすぐに逸らしたりその場から逃げる奴らが殆どの中、君は目が合うといつも可愛らしく微笑んでくれた」
あんなに怖い目つきで睨まれたら、普通の人は誰でも目を逸らしたり逃げ出したくなりますって!
――って、んんっ? 可愛らしくは分かりませんが、誤魔化し笑いはしていましたね、はい。
「けれどいくら目が合っても、君は微笑むだけで決してこちらには来ようとしない。いつも遠くから俺を見つめているだけ。周りの奴らは、公爵になった俺と繋がりを持とうと必死な者達が殆どなのに。――俺は君に興味を持った。何を考えているのか知りたいと思った。けれどこちらから声を掛けると逃げられると思った俺は、別の方法で素の君を知ろうと思った」
「別の方法……?」
「『変身魔法』で動物に変化して、君に近付いた」
……っ! もしかしてあの猫ちゃんが!?
「猫になって近付いた俺を、君は想像以上にすごく可愛がってくれた。君のことを知ったらすぐに止めようと思っていたのに、君の傍は居心地がとても良くて、気付けば三年もそれを続けていた」
……あの猫ちゃんがヴァルフレッド様だったなんて……。
確かに珍しい青藤の毛の色だったし、こちらの言葉を分かっているような仕草もしてたしな……。
……待って? 私が転生者ってこと、猫ちゃん姿のヴァルフレッド様に話してないよね……?
まぁでも、もし話してたとしても信じられない話だし、作り話だと思うだろうから大丈夫かな。
――あ! 私、猫ちゃん姿のヴァルフレッド様のお腹に思いっ切り顔を埋めて匂い嗅いだりしちゃってた!
猫好きなら、猫ちゃんが目の前にいたら絶対やっちゃうって! 猫吸いを我慢するの無理だって!
それについてはどう思っていたのかしら……。うぅっ、訊くの怖いから無かったことにしよう……。
「君は猫の俺に沢山の話を聞かせてくれたな。そして、君は本当に純粋な気持ちで俺の顔が好きだということが分かった。ただ見ているだけで幸せだと。近付いて俺を困らせたくないと。――俺は、初めて俺の顔に感謝をした」
「え?」
「君と離れたくなかったんだ。君の人となりに触れ、その時にはもう“好き”から“愛している”に気持ちが変わっていた」
「え……えぇっ!?」
「“猫”ではなく、“人”として君の傍にいたいという欲が出た俺は、どうしたらいいかローレンに相談した。彼は、『相手から好意を持たれているのなら、結婚の申し込みをしてみてはどうか』と提案してくれ、俺は早速君に縁談の申し込みをした」
「……! あれは政略結婚の申し込みではなかったのですか?」
「政略……?」
ヴァルフレッド様は、私の言葉にポカンとした表情を浮かべた。
「違う! それは断じて違うっ! 純粋に君と結婚して、ずっといつまでも一緒にいたかったんだ! そんな誤解をさせてしまったのなら、前以て君に会って文章でもいいから気持ちを伝えれば良かったな……。その前に、あの有り得ない噂の火消しが先か……。色々と順番が間違っていたようだ。気持ちが急っついてしまって……。本当に済まない……」
ウン、ホントノホントニネ!!
「……あ! けど、私をずーっと睨んでいましたよね? だからてっきり嫌われているとばかり……」
「……っ! そ、それも断じて違う!! その、暇さえあれば書物ばかり読んでいたら、視力が急激に落ちてしまって……。遠くのものが、目を細めないとボヤけてよく見えなくなってしまったんだ。君のその可愛い顔をしっかりと見たいばかりに、君を見る時はずっと目を細めていた。婚姻式の君は、いつも以上に素敵で綺麗だった……」
……あぁ、近視かぁ!
それがいつも私にだけ睨んでくる理由だったのね……。紛らわし過ぎるわ!!
……ん? “可愛い”? “綺麗”? 近くても視力が悪くなっちゃったのかな? それは危険レベルでは……!
「あの、眼鏡は買われないのですか?」
「買いに行く時間が無かった。あと、眼鏡なんて買ったことないから、どれを選んだらいいか分からない……」
「……ヴァルフレッド様の時間が出来たら、一緒に買いに行きましょう?」
「……あぁ、是非ともだ! 勿論二人だけで、一日中だよな? 君とデートが出来るなんて夢のようだ! 仕事も漸く落ち着いたし、近い内に必ず時間を作るからな。約束だぞ?」
うわっ、めちゃくちゃ良い笑顔戴きましたー!!
煌めいて眩し過ぎてこっちまで目が細くなっちゃうわ。
「あぁ、色々と誤解が解けて本当に良かった。――アディル」
「はい?」
「君は俺の顔が大好きなんだろ?」
「え? ――あ、はい。ドンピシャ好みですね」
「……そうだな、俺は君のことをよく分かっているが、君はまだ俺のことを顔だけしか知らない。けど、今はそれで十分だ。結婚して、君は俺だけのものになったんだ。今までは多忙で一緒にいられる時間が無かったが、これからはある。君の気持ちは今から変えていけばいい。きっと近い内に、君は俺の全てを『愛してる』と言うようになるだろう」
……んんっ? かなり自信満々ですねヴァルフレッド様? その自信は一体どこからくるのですか?
「そういうわけで、アディル」
「はい?」
何が『そういうわけ』なんだ?
「今から“初夜のやり直し”を行う。今夜は何が来ても天変地異が起きても絶対に中断はしない。覚悟してくれ」
「え、えぇ? あの――あっ」
言われると同時にベッドに押し倒され、私は切実な理由で何とかソレを阻止しようとアレコレもがいたのだけれど、結局敗北してしまい――
一晩が過ぎ、朝が過ぎ、その日のお昼頃まで、休む間も無く泣かされ続けたのだった……。
**********
その後のジェニーさんなのだが、ヴァルフレッド様とローレンさんにこってりと絞られたようで、私に頭を下げて謝ってきた。
勿論私はそれを許した。嫌がらせは受けたけど、「次はどんな意地悪をしてくるのかな?」って密かな楽しみになっていたし、それで使用人さん達と更に仲良くなれたから、嫌な思いはしていないしね。
ジェニーさんに、ヴァルフレッド様のどこを好きになったのか聞いたら、即座に
「顔よ」
と、答えた。
……うん、彼女とは良い友人になれそうだわ。
そんな彼女は、遅ればせながら、旦那様捜しの為に社交場に出るようになった。
けれど、嘘の噂を流した張本人なので、皆の目と態度はとても冷たくて……。
社交場から帰る度、涙を流す彼女を慰めることしか出来ないのが歯痒かった。
私とヴァルフレッド様も社交場に出る時、彼女はとても反省していること、私とは仲良くやっていることを真剣に周囲に伝えているけれど、信じてくれるかはその人次第だから……。
それでも彼女は、折れずに社交界に立ち向かっていく。
きっと、皆からの信用を取り戻すには、沢山の努力と時間が必要になるだろう。
けれど、彼女なら乗り越えていけると私は信じている。
そして、ヴァルフレッド様だけれど。
やり直した初夜の翌日から、私と顔を合わせる度に、どこにいても誰といても抱きしめられ、
「愛してる」
とイケボで囁いて頬や額にキスをし、顔を真っ赤にする私の反応を楽しんで、嬉しそうに笑うのだ。
ローレンさんと使用人さん達は、そんな私達に温かい眼差しを送って。
……あ、ローレンさん達は、私がオブラスタ公爵家に嫁ぐ前から、ヴァルフレッド様が私を好きなことを分かっていたらしい。
仕事がお休みの時、毎回いそいそと浮足立って私の家に向かう彼をいつも見送っていたって。
だからあんなに温かく迎え入れてくれたのね……。今もこんな温かい視線を――っていやいや!? 全員顔文字にありそうなニヤニヤーッな視線だぞ!?
「ヴァ……ヴァルフレッド様、も、離して……」
「まだ君の唇にキスをしていないが?」
「ヒェッ!? そこは皆の前では止めて下さい!?」
「なるほど、皆の前以外ならいいんだな? では早速俺の部屋に行くか」
「〜〜〜っ!?」
「フフッ。そんなに顔を赤くさせて……。本当に可愛いな、君は」
――私が彼に身も心も陥落する日は、結構近いのかもしれない……。
数多の小説の中選んで頂き、そしてここまで読んで下さり本当にありがとうございました!
もし宜しければ、広告の下にあります☆マークで評価を戴けたら嬉しいです。
貴重なお時間を戴きありがとうございました!
ムーンライト様の方に【初夜やり直し編】を掲載しました!
18歳以上の方で興味のあるお方は、そちらでタイトルを検索すれば出てくると思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。短いのでサクッと読めるかと。
本編に引き続きコメディー路線を突っ走っておりますので、再び生温かい目で読んで頂けたら幸いです。。