第7話 2人だけの、秘密の付箋 side若菜
そわそわしながら時計を確認する私。
もうすぐ15時だ。
今日はお茶入れ当番の日。
15時になったら、営業課に行って、飲み物とお茶菓子を配りに行く必要がある。
「どしたのー、若菜。今日はいやに緊張してない?」
「そ、そ、そうかなー。そんなこと、ないよ」
「怪しいな〜。今度ゆっくり聞き出すつもりだから、覚悟しときなさいッ」
んー。それは困る。
「あっ、そろそろ行かなきゃ!」
「逃げるな若菜〜ッ」
「葵、ごめんね、また今度」
私はそそくさと営業課へと向かう。
ごめん葵。
葵といえど、言えないよ。
昨日まで吉野先輩が大好きだったのに。
それは多分葵も気づいていたはずなのに。
告白された瞬間から、雅貴にも揺れてるなんて、こんな狡い女、絶対他にいないもん。
◇
「お疲れ様です。お茶かコーヒーいかがですか?」
営業課に入るのはいつもちょっと緊張する。
事務室とは違う、張り詰めた空気感があるから。
「あら、今日の当番は星海ちゃんなのね。よろしくね」
「こちらこそです」
私は少し、心がひきつる。
せめて、顔に出さないようにしないと。
涙も、堪えないと。
この女性の先輩は、佐々木先輩。
吉野先輩と同期で、おそらく先輩の、意中の女性。
私とは違って、高身長で、出るとこ出てて、それでいて引き締まっていて。
艶やかな茶色でウェーブがかった髪をシンプルなシュシュでくくっていて。
それに、この距離感でも強すぎない、爽やかな花のような甘い香水の匂いがする。
大人っぽい、色気のある先輩。
ーーだめだぞ、私。
普通に、しなきゃ。
誰も何も、悪くないんだから。
「佐々木先輩は、何にしますか?」
「ホットコーヒーで。ブラックでお願いね」
「かしこまりました」
「ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
ーーうん。多分、普通にできた。
そう。部外者の私はこれが正解なんだから。
それから順番に、飲み物の好みを聞いていく。
次は、雅貴の番だ。
「お疲れ様。雅貴はブラックコーヒーでいいかな?」
「あぁ、いつもありがとう」
今日の雅貴は、いつもより忙しそう。
キーボードを打つ速さが、尋常じゃない。
こういう仕事熱心なところも、人気の理由の1つなんじゃないかな、とふと思う。
そして次は、ウィークリーボードの前にいる、吉野先輩のもとへ。
ーー平常心、平常心よ、若菜。
「吉野先輩は、ミルク多めのコーヒーでいいですか?」
「さすが星海ちゃん、わかってるね。ありがとう」
「恐縮です。今お持ちしますね」
ーー玉砕した以上、どうしようもないのはわかってる。けど、片思いが長かった分、どうしても引きずってしまう。まだ、心の片隅で、『好きだなぁ』っていう気持ちが、居座ってる。
ーー今は雅貴と付き合ってるのに……。
◇
カップの中身をこぼさないように気をつけながら、順番に飲み物とお菓子を配っていく。
営業課の人たちは昼休みの時間を削って仕事に充ててる人もいる。せめて、この時間くらいはゆっくりしてほしい。
「星海さん、ありがとう」
「疲れた身体に沁み渡るよ〜!」
「そう言っていただけると、お飲み物ご用意する意欲が湧きますね」
「「癒しだわ〜」」
「えっ、からかわないでくださいよ〜」
ーー実は、これもここにくるのに緊張してしまう理由の1つ。営業職の人は、その人柄ゆえか職種ゆえか、気立てのいい人が多くって。
男性慣れしていない私には、こういったからかいが緊張でしかない。
漸く雅貴のところまで来られた。
落ち着く、私の仲良しの同期。
そして、私の、『カレシ』さん(仮)。
そういう意味では、緊張しちゃう。
「はい、雅貴の分。お疲れ様」
「ああ、ありがとう。あとこれ、頼んでいいかな?」
雅貴は急に付箋を渡してきた。
それも割と強引に、私の手のひらに包み込ませて。
ーーん? なんだろ。何か書いてある。
『今日終業後迎えに行く。廊下で待ってるからな。今日は俺の家で会議室の続きな? メロメロに甘やかしてやるから。心の準備、して来いよ?』
ーーうわあああああ! ナニコレナニコレ!
そもそも、こんなものどっかに落としたら大変だよ!
私は急いでポケットに付箋をしまい、
そして、「は、はい!」なんて裏返った声(奇声?)を上げながら、急いで事務室に戻る。
ーー雅貴の家ってナニ? ベランダ飲みじゃなくって? それに、心の準備ってナニ〜⁉︎
頭の中は大混乱。
なんだか焦りすぎて緊張しすぎて訳わかんなくなってきた。
ーーとりあえずもう少し落ち着いてから事務室に戻らないと。葵にまた、なにか言われちゃうな。
混乱してるけど、ほんの少し。
ちょっとだけね?
期待している自分もいることに、自分自身が驚いてる。
「――はぁ。私ってほんとに、自分勝手な女……」
◇
「よっ、お疲れ様。帰ろうぜ、若菜」
「う、うん……」
就業のチャイムとほぼ同時に待ってたんじゃないかって思うくらい、当たり前のように雅貴は廊下で待っていてくれていた。
雅貴はよっぽどのことがない限り、定時に上がり、私と一緒に帰ってくれる。
それに、もし私が残業になったら、どこかで時間潰して、絶対待っててくれる。
「お前一応女なんだから、帰り1人じゃ危ねえだろ?」
とかなんとか言って。
口調はアレだけど、いつもいつも雅貴の優しさに感謝してた。
仕事上がりの人たちに声をかけつつ、私たちは2人並んで駅に向かう。付き合う前も、今も。これは昔から変わらない。
違うのは、雅貴がめちゃくちゃドSだってこと!
「若菜、さっきの付箋のこと、覚えてるよな?」
「うっ、うん……」
「ベランダ飲みじゃ、ダメ?」
「ダーメ! 先輩とまた話してただろ?」
「でもあれは、業務上仕方なかったことでっ……」
私は不満たっぷりに抗議する。
だってお茶汲みは事務職の仕事で、輪番制で。回避しようがないもの。雅貴だって本当はわかってるくせに、ひどいよぉ。
それにしても。
なんで雅貴、ニヤニヤしてるんだろ?
「会議室で言っただろ? 先輩と話したら、お仕置き、するって」
ーーそのことを考えてたのかぁ!
「本当にするの? お、お仕置き……」
雅貴は両手をポケットに手を入れて、少ししゃがんで私と目を合わせた。
視線を同じ高さに合わせるって、なんか、逃げ場をなくされたような気がして、狡い。
「もちろん。するからな? 今日帰宅したら俺の部屋に来ること。いいな?」
ーーに、に、逃げ出したいっっっ。
でも『カレカノ』ってこういうものなの?
私が慣れてないだけで、普通なの?
圧倒的に経験値が足りない私には解析困難だ。
雅貴の家に観念して行くとしても、せめて。
「え、えっt……なこと、……ごにょごにょ……しないでね? さっきみたいな、ああいうの」
「それはどうかな?」
「えええええ⁉︎」
「若菜次第かな」
「私次第っ⁉︎」
ーー私が何かやらかしたら、ナニカされちゃうってこと⁉︎
「とりあえずご飯できたら呼ぶから。それまでに支度してこいよ?」
「う、うん、わかった」
ーーひいぃぃ。食材まであるなんて準備万端だよぉ。
私はどうしよ。
とりあえず、汗流すためにお風呂入って……、って! 深い意味は全然ないけどッ、人様の家に行くのに、汗臭いまま行けるはずがなくって。そういう意味でのお風呂っ。
自分自身に弁明してる私。
ーー私これから、どうしよう。
もうドキドキが、止まらない。
◇
最寄駅に着いた私たち。
私は大事なことを言わなきゃいけないのを思い出した。
「そうだ!」
「びっくりした! どうした? 若菜」
私は、雅貴のワイシャツの裾をキュッと掴む。
恥ずかしくて、顔を見たくてもなかなか見られない。
「今日のお弁当、おいしかったよ。ありがとう」
照れくさいけど、なんとか顔を上げて、ちゃんとお礼は言えた。良かった。
「(我慢)……できっかなぁ」
「ん?」
「いや、こっちの話」
「変な雅貴」
と言ったら、朝みたいに、私の手を取り、指を絡めてきた。
「ひゃっ! 恥ずかしいよ」
ーーんん〜! なんか変な声出しちゃったよ。
「そのほうが、俺のことで頭いっぱいになるだろ?」
「そ、だけど……」
「せいぜい俺のことで頭いっぱいにしてください。『カノジョ』さん?」
「う……ハイ……」
本当は言いたい。
雅貴のドS〜って。
でもお返しに「若菜のドM〜」とか言われたら立ち直れないから、この言葉はグッと飲み込む。
ーーあぁ、もう、本当に。
今日をどうやって乗り切ろう。
それに、どんな服着てけばいいんだろう。
雅貴に色々言われたりされたりしなくても、私の今の頭の中は、すでに雅貴でいっぱいだった。
次回はお仕置き回です。
若菜のことを、雅貴にしっかりお仕置きしてもらいましょう(`・ω・´)!