第二話『王都へ』
パチパチと薪が弾ける音がして目が覚めた。
あたりはすっかりと闇が覆い隠しており、少し離れた場所で人間たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「もしかして今なら逃げられるんじゃ……」
「やめときな」
身体を起こした所で隣から声が聞こえてビクリと身体が強張った。
「ずいぶんと無理をしたね、見たところまだ産まれて数日だろうに」
頭を寄せながら俺が起き上がるのを助けてくれた馬を見上げる。
栗毛色の雌馬で歳はヨールと同じくらいだろうか、母馬のサーラやヨールと比べると全体的にスラットした体付きをしているしそもそも一回り以上の小さい。
もしかしたら品種が違うのかもしれないな。
「はじめまして、あのぅ逃してくれませんか?」
「無理だね、諦めな。それにはじめましてじゃないよ?」
どうやら逃亡の手助けは期待できないらしい。
「前にどこかでお会いしましたか?」
「ふふふっ、あぁあんたにご主人様を持っていかれちまったよ」
楽しげに笑う雌馬の様子にあぁ、逆走した時の馬かと思い当たる。
「あたしはアーニャ、あんたの名前は?」
「名前ですか、まだ貰っていませんでした」
そう、サーラ母さんから名前をもらう前に引き離されてしまったのだ。
「そうか、すまなかったね……」
労るようにアーニャが俺の身体をグルーミングしてくれる。
「いえ、アーニャさんが悪いわけではないので」
そう、俺は母さんを助けたかったし、アーニャさんはご主人様だという人間の指示に従う他なかったのだろう。
「元気だしなよ坊や」
「そうだよ、人に飼われるのも悪いことばかりじゃないさ」
四方八方から声を掛けられて見回せば木にロープで繋がれた他の馬達がいた。
体格から雄雌の差はあるものの、アーニャと同じ品種だろう。
「皆さんはじめまして、名前はありませんがよろしくおねがいします」
「あらまぁ随分としっかりした仔だね、産まれて間もないだろうにやはり黒虹馬は違うねぇ」
「こっこうば?」
アーニャ達の話ではどうやら俺は黒虹馬と呼ばれる品種の馬らしい。
黒虹馬とは成長するとその馬体がアーニャ達普通種類の馬の二倍程になる大型種だそうだ。
黒い体毛と、強靭な足腰、力の強さを誇り、まるで虹でも走るかのように険しい山脈を軽々と越えていく姿から黒虹馬と呼ばれている。
「黒虹馬は捕獲が難しい上に大人になれば決して人に従わない。 だから繁殖期を狙ってこうして仔馬狩りをするわけなんだけどこれがまた大人達の守りが硬い硬い」
「そうだね、流通量が少ないから人間たちの間で仔馬一頭で豪邸が建つんだとうちのご主人様がいってたぜ、高値で取引されるんだとよ」
どうやら今回は俺が捕まったことで利益が出ると判断され他の家族達は見逃されたらしい。
「これから俺はどうなるのですか?」
「そうさね、坊やは王都で競りにかけられると思うよ」
「王都ですか?」
そう、人の群れが住むのが村や街でその群れを纏める偉い人がたくさん集まったのが王都だとアーニャが教えてくれた。
その後アーニャのご主人様だという男、俺が引きずった奴が来て怒られるかと覚悟したが、アーニャのブラッシングをしたあとで俺の身体も綺麗にしてくれた。
一生懸命に話しかけてくれているが何を言っているのかわからなくてアーニャに通訳して貰った。
「なんで言っていることがわかるの?」
「うーん、なんとなくかしら? 一緒に居るとなんとなくわかるようになるものよ?」
そういうことらしい……阿吽の呼吸というものだろうか?
翌日から俺はアーニャの馬体に繋がれる形でいくつもの村や街を抜けて王都まで移動させられた。
仔馬なのを考慮されたのか移動速度は遅い、もっと速くていいし休みすぎだと思う今日この頃……
というか、後から気が付いたがどうやらこれが普通らしい。
黒虹馬の群れの移動速度がいかに速いのかわかるというものだ。
たどり着いた王都はその外周をぐるりと人間の身長の3倍ほど高い石壁に囲まれた都市だった。
どうやら外壁から中へ入るためには色々手続きが必要なようで、現在列から離れた場所で他の馬達と待たされている。
人間たちかズラリと並ぶ姿を観察して時間つぶしをしていたけれど、飽きた……
どれほど待たされたかわからないが、足元に生えていた苦味が癖になる野草を喰む。
「あら、お腹すいたのかい?」
「生草なんて腹が痛くなんねぇのか?」
「美味しいですよ?個人的には干し草の飼い葉はどうもモサモサしていて苦手なんですが」
ここまで来る間、用意された飼い葉は個人的には風味が飛んでしまい物足りない。
それに口の中の水分が奪われて喉が渇くことこの上ないのだ。
あっ、たまに貰える人参もどきは甘くて美味かったな。
そうこうしている間にどうやら受付が終了したのか、こちらへと戻ってきた者に従って王都へ入場する。
沢山の人や馬車、荷物を背負ったロバっぽい動物。
見たこともない鳥や小動物に視線を奪われる。
そうしていろいろな物を見ながら大通りを進むと、ある大きな建物の前に連れてこられた。
赤茶けた煉瓦を積み上げて建てられた建物はどこかヨーロッパの街並みに似ている。
「さぁお前とはここでお別れだ
どうやら大きな建物から出てきた男に俺はここで引き渡されるようで、アーニャの主人から俺の綱が渡される。
代わりに男がお金の入っているだろう決して小さくない麻袋を複数個受け取ったようだ。
「これから色々なことがあるだろうが、腐らずに頑張るんだよ?」
「ありがとうアーニャ」
互いに別れの挨拶代わりのグルーミングを済ませると男に首に掛かった縄を引かれたため、素直についていく。
建物の周りをぐるりと回り込むように移動させられた先は、木を組んで作られた納屋のような建物だった。
納屋の入り口を守るように見張りらしき屈強な男性が二人たっており、俺の手綱を引く男性を見るなり深々と頭を下げている。
二言三言話をすると、俺の手綱を持ったまま納屋の扉についた鍵を開ける。
扉を潜り中に入って得心がいった。
扉の内側には前世では見たこともない珍しい生き物で溢れていたのだ。
鳥かごに入れられた空中を泳ぐ魚や背中に羽根が生えたトカゲ、頭が複数ある子犬など本当に多種多様だ。
どうやらその姿が外部から見えないよう安全面に配慮しているのかもしれない。
俺は納屋の管理人らしき人物に引き渡されたあと納屋の最奥に設えられた馬房スペースへと入れられた。
こじんまりとしてはいるが、清潔な藁が床一面に敷き詰められており、清潔そうな水と飼い葉が餌箱に用意されている。
壁で遮られており他の生き物の声はするもののその姿は見えない。
狭いながらもテリトリーが確保できるように配慮がなされているようでホッとする。
俺を馬房に入れ、何やら話しながら去っていった男たちを見送って寝藁の上に座る。
辺りを見渡せば壁の上部に開けられた換気と明り取り用の小窓から降り注ぐ暖かな光にどうやら気疲れしていた俺はいつの間にか眠ってしまっていた。