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じゃけぇ  作者: 転生新語
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アニメイトの某企画に投稿するつもりで、字数が収まらなくて断念した話。なので所々、アニメイト推し。

1万字近くの短編です。社会人百合? バイデン大統領が来日した今の時期にピッタリかも。

 広島に原爆が落ちた。それが七十七年前で、以来、私の感覚では十一年ごとに大きなイベントが起きている気がする。と、偉そうな事をコメントしたけれど、過去の歴史に私は詳しくない。


 私が生まれたのが西暦二〇〇〇年で、つまり原爆が落ちた年の五十五年後。そして私が十一才の時、両親が事故で亡くなった。そんな事もあって、十一年ごとというのは私の中で、一つのリズムとして感じられている。


 私が生まれたのは東京で、下には七つ年下の弟が居る。姉と弟の、二人(きょう)(だい)だ。その私達は両親の死で、広島に居た意地悪な親戚に引き取られた。


 両親の遺産というものも少しはあったはずだが、親戚のクソ(じじい)が使い込んだ。良い思い出は無くて、だから私が高校を卒業する頃、その爺が脳溢血(のういっけつ)とかで亡くなった時は解放されたとすら思った。私は就職して、弟と二人暮らしを始めた。




 ところで私は、いわゆる同性愛者だ。生まれてこの方、男性を好きになった事が無い。


 長らく周囲には、その事を話さなかった。両親にも親戚にも、気づかれなかったと思う。


 知っていたのは弟だけだ。秘密を(かか)え続けるというのは苦しいもので、弟だけには、私は中二病(ちゅうにびょう)と呼ばれる十四才特有(とくゆう)のポエムめいた夢を語っていた。


「じゃけぇ(だから)、(うち)ゃ、ハーレムを作りたいんよ。そこには美人の女性しか()らんの」


 当時の弟は小学校の一年生だったと思う。話を理解できる訳も無くて、だから私には、ありがたかった。私は理解されたかったのではなく、話を聞いてほしかったのだ。ただ、それだけだった。


 あとは、弟へのポエム語りは、広島弁の練習も()ねていた。元から広島に住んでいる方々と違って、私の広島弁はアクセントが怪しい。正直、今でも完全にはマスターできていないと思う。声優さんが広島弁のキャラクターを演じる際には、どうか温かく見守ってほしいというのが私の願いだ。私は昔からアニメが大好きだった。


「アニメで見たんよ。ハーレムというなぁ(のは)、金持ちや王様が作るの。そこには意地悪な親戚も()らんし、お金の心配も無い。美人のお姉さん達が、私達(うちら)(やさ)しゅうしてくれる。そが(そう)いな(いう)場所よ、あんたも一緒に行きたいじゃろう?」


「うん」


 弟が、ただ頷く。話を理解した訳ではなくて、ただ弟は、私を否定したくなかったのだろう。


「いつか、必ず、そういう場所を作る。私達(うちら)の事を大切に(あつこ)うてくれる、お姉さんが待ってる部屋じゃ。だから、(つろ)うても(かな)しゅうても、泣いてはいけんよ」


 こう言うからには、私が泣く訳には行かない。私は弟の前でだけは、決して泣かないように育っていった。




 ところで私は同性愛者だ。だからマンガも、いわゆる百合が好きだった。


 広島は人口が百万人を()えている大きな都市なのだけど、やはり東京と比べると、百合マンガを買える店が少ない。広島に来てからの私は、親戚の家で本当に良い思い出が無くて、当時は隔月誌(かくげつし)だったコミック百合姫が唯一の娯楽だった。私に取っての聖書(バイブル)と言っていい。


 時期的には二〇一二年の十一月に、コミック百合姫の二〇一三年一月号が発売されて、マンガ『citrus(シトラス)』の新連載が始まった。(のち)にアニメ化される大ヒット作で、サブロウタ先生は私の神となった。単行本も買い(そろ)えたかったが、当時は親戚の目が気になったので断念した。


 隔月誌であるコミック百合姫は、家の中で隠し場所を確保していて、弟にも協力させて親戚の目を(のが)れた。少数派(マイノリティー)の私を親戚が温かく受け入れるとは思えない。むしろ(あつか)いが更に酷くなって、弟にまで被害が(およ)ぶかも知れない。それは絶対に()けたかった。


 二〇一三年の三月、広島にアニメイトビルが出来(でき)た。アニメイトいいよ、アニメイト。そこは私の心のオアシスとなった。私は広島で、アニメイトと共に大きくなっていった気がする。


 アニメイトビルで雑誌を買った帰り道は、近くの平和公園に立ち寄って、ベンチに座って読んだものである。晴れた日には原爆ドームの芝生(しばふ)で、野良(のら)(ねこ)が気持ちよさそうに日向(ひなた)ぼっこをしていた。いかにも平和の象徴といった光景で、よく外国人の観光客が、そういう猫を写真に()っていたのを覚えている。

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