『嘆きの谷に、青い鳥は舞う』9・10
9
依頼三日目は、前の二日に比べればあっけないほど早く終わった。
「約束の金だ」
ルシアを連れたマグニフィン伯爵が、鞄から封筒に入った札束を差し出した。
中身を確かめる気にはならなかった。
「ご苦労だった」
エベネーザ・アルゲンスはそれだけ言うと、そくささと踵を返して駅の中へと消えた。
ルシアはほんの少しだけおれの顔を見ていたが、何も言わずにエベネーザに続いた。
リチャードが目だけで礼をし、二人に続いた。
すっきりしない幕切れだった。
家に帰り、おれはグランパス、アンドレにそれぞれ礼の電話を入れた。バンビは不在だった。
おれたちが脱出した廃工場は、あのあと謎の爆発事故を起こして焼け落ちた。その前に、おれは二人の遺体を出来得る限り回収しておいた。
戦いを終えた時には、すでにマシーアスの姿はなかった。
伯爵の報酬で、おれは墓を買った。名前のわからない誰かと、キドニー・レインのための。
簡単だが、二人分の葬儀も手続きした。
何もかもが、納得がいかなかった。
「タルボー、いるー?」
四日目。いや正確に言えば新たなる一日。家でやり切れない思いのまま、義腕の修理をしていると、バンビが訪ねてきた。
「頼まれていたルシア・アルゲンスの事だけどね」
聞きたくない名前だ。おれはやめてくれと言いかけて、しかし頼んだのは自分だからと、報告だけは聞く事にした。
「これは……知り合いの記者が撮った写真なんだけど」
そう言って、バンビが見せてきたのは高そうなソファに腰掛けて談笑する三人の男女だった。
どうやらパンデモースでの写真らしい。
写っていたのは、ある種お定まりの三人だった。クライトン・ブレナー。マシーアス・ヴォル・エグモント。
そして、ルシア・アルゲンス。
「その記者の話によると、どうもクライトンとルシアは付き合ってたらしくてね。でもクライトンが殺されて、ルシアも実家に戻っちゃったし。もう価値がないからって……ってタルボ? 聞いてる?」
悪いが聞いちゃいなかった。
「バンビ。この写真、もらってくぞ」
「え? うん、まあ、いいけど。ってタルボ。何か、怖いよ?」
「ああ」
言いながら、おれは武器庫と呼んでいるガンラックを開けた。とはいえ、入っているのは一挺だけだ。おれは中に入っている巨大なシリンダー、銃身を取り出し、点検を始める。
『キャノンボーイ? 何する気、タルボ』
ベンジャミンが咎めるように言った。
「借りをな。返さなくちゃならない」
ニュー・ゴールデンバレー行の汽車は三十分後に出る。急がなければならない。
「あ、タルボ待って!」
出かけようと準備をしているとバンビがおれを呼び止めた。
「何だ、バンビ」
急ぐあまり、おれは少し苛ついた口調になっていたかもしれない。しかし、バンビは怯まなかった。
「あのね、こんな話、タルボはあまり好きじゃないと思うんだけど……」
少し言い淀み、それからバンビは言うべき事を言った。
「タルボは超能力を信じる?」
かつてゴールドラッシュで国中が湧いていた時代、この荒廃した土地で発見された新たな金鉱は、一攫千金を夢見る採掘者を集めていた。
その谷間の町はニュー・ゴールデンバレーと呼ばれ発展を遂げた。莫大な財を築いた採掘者はほんのわずかで、多くの者は夢破れ故郷へ帰り、それさえも出来ない者は荒野の果てに存在する巨大な亀裂へと身を投げた。
夢破れた多くの者たちの命を吸ったその亀裂は、『嘆きの谷』と呼ばれていた。
マグニフィン伯爵の屋敷は、荒野と町を見渡せる一画にある。おれはバスを乗り継ぎ、西部劇のような町を通り抜けた。
門番が胡散臭そうな目でおれを見上げた。サングラスを取り、おれは執事のリチャードを呼ぶように告げた。
五分後に、リチャードが来た。
「ミスター・コール。どのようなご用件で?」
「リチャード。ルシアはいるか?」
「ご用件は?」
「真相だよ」
おれはバンビが持って来た写真を見せてやった。
「おれを三日も振り回した、この一件の真相を聞かせてもらいに来た」
リチャードの目に、迷いが生じたように見えた。
「私はお嬢様に幸せになってもらいたかっただけです……」
「写真を見ろ。十分幸せそうだろう。だが、クライトンは殺され、マシーアスは逃げおおせた。おれはルシアに会って話を聞かなきゃならない。キドニーが何故ああなるまで戦って死んだのか、その理由を聞かなきゃならない!」
リチャードは深く息をついた。
「ここから五キロ行った先に、当家の所有地があります。伯爵はそこで、新商品の検分をなさると……」
「ルシアも連れてか?」
「……ええ」
「そうか。車、借りれるか?」
リチャードは黙ってキーを放って寄越した。
「裏に停めてあるミニカです」
「ありがとよ」
おれは急いだ。
荒野仕様のミニカは軽快に進んだが、おれの心は全く軽くなかった。
――その声に気付いたのは、およそ五キロを進んだ頃だった。
呻き声だった。男のものだ。おそらく、年配の。
車を急停止させ、声のするほうへと進む。
熱い太陽が照り付ける下で、青いドレスを纏ったルシアが老いた伯爵を見下ろしていた。
伯爵は酷い状態だった。両足はへし折られ、高そうな衣服は見る影もなくズタズタで、血まみれだった。
「あら、探偵さん。一日振りね」
ルシアは、まるで目の前の父親などいないかのような調子で言った。
「ちょっと待っててね。今、目の前のゴミを片付けるから」
そう言って、ルシアは伯爵に向けて手をかざす。
信じられない事が起こった。老いた伯爵の体が浮き上がり、そのまま地面にたたきつけられたのだ。
「ぐぁああっ!!」
伯爵は血を吐き、喘鳴を上げた。
「ルシア!」
おれは走った。まだ距離がある。再び眼前で、伯爵が宙へ浮き上がり、
「こんなのが欲しいの? なら――」
まるでゴミでも投げるかのように、伯爵の体がおれに向かって飛んでくる。ギリギリでキャッチしたものの、おれは背中から地面に落ちた。
「ば、化け物め!」
吐き出すように伯爵が叫んだ。
初めて会った時とはまるで違う目で、ルシアは伯爵を睨む。
「そうよ、わたしは化け物。十四ヶ月間母の体に居座り、こんな能力を持って生まれた。あなたは一度だってわたしを人間扱いした事はなかったわね、お父さん?」
「お、お前なぞ、早く殺しておけば良かったのだ! 真っ当に育て上げようとしたわしが間違っていた!」
「爺さん、てめえ何て事言いやがる!」
思わずおれは伯爵の胸倉を掴みかけたが、ルシアの高笑いがそれを思い止まらせた。
「ほら、聞いた? 探偵さん。わたしはいつもこんな扱いだった。大学へ行ったのも、手伝いたくもない救貧院を手伝ったのも、全部この男がわたしを否定したからだった! この男にとってわたしは、檻から出したくない化け物だった!」
老人の体が、まるで首を掴まれたかのように持ち上げられる。おれはバンビに言われた事を思い出し、肩のツマミを左に倒し、モードヒートと化した腕を、老人を掴んでいるであろう〝力〟を断ち切るが如く振り抜いた。
「何!?」
老人が持ち上がる動きが止まり、ルシアが驚いたような目でおれを見た。
「君の能力は不可視の接触可能なエネルギーを操作する力だ。念動力、だろ?」
「この!」
ルシアが手をかざした。空間に『揺らぎ』とでも言うべき目に見えない変化が生じるのを感じる。おれは揺らぎが向かってくるのを感じ取りながら、再び赤く熱された腕を振り払った。
「勉強したよ。念動のエネルギーは別種のエネルギーによって遮られる。たとえば、おれのこのヒートの腕とかでな」
「探偵……ッ!」
獲物を狩り損ねた猛禽のような声を上げるルシアに、おれは言ってやった。
「〈ケルビム潜在能力研究所〉」
ルシアの肩が震えた。
「いわゆる超能力の研究をしている施設だ。十歳まで君はそこにいたな。君のその力をどうにか失くそうとした父親の判断で」
「……そこまで調べたの?」
「おれの優秀な協力者がな。だが結果として君の力は消えず、むしろさらに強まった」
ルシアの瞳がおれを睨む。彼女は文字通り手を触れずにこちらを殺せる人間だ。ヒートがあるとはいえ、油断は出来ない。
「ウリエルシティに来た君は、父親の支配から抜け出すために行動を起こした。おそらくは、バルバロイへ繋がる事が目的だったんだろう。キドニーに接触したのは計画の内だったのか?」
「偶然よ。あの子がバルバロイと関わりがあったのは驚きだったけどね。でも役目を果たせば用はない。クライトンと同じように」
青いドレスの女が冷笑を浮かべる。
「汚らわしい子よ。生活のために男と寝るなんてね。でもそんな子でもわたしの役には立った。最後の最後までね」
「君はキドニーの事を――」
少女の目が暗い炎に燃えた。
「くだらないロマンチシズムなんてわたしには不要よ。あの子は自分で選んで醜く死んだ。あの子の人生はその程度のものだったのよ。わたしの役に立つだけのね!」
「君に、キドニーは荷が重かったようだな」
「戯言は終わりよ」
ルシアが手を振り上げる。駆動音がした。スチームカーの音じゃない。もっと大きい……これは……
大地を踏みしめる巨大な機械の影。まるで蜘蛛のように飛び上がり、地響きを立てて着地する。
「くっ……」
弾け飛ぶ小石や埃。おれは背を向け伯爵を庇った。
「ルシアめ……あれは……」
目の前の機械は、異形の戦車だった。
八本の脚が放射状に並び、その上にヤドカリの貝のように機械のタンクが載っている。スチームドロイドと同じく思考球を搭載した自律戦闘可能な多脚型戦車。
「最新型だな」
「ええ。人を殺すには大き過ぎる代物よ。あなたの腕はこれの銃弾も防げるのかしら?」
「さてな」
義腕をノーマルに戻す。おれは持って来たガンケースを開き、中から銃器を取り出す。
一見すれば、それは巨大なリボルバーだった。ただし、こいつは生身じゃ使えない。45×51専用弾を使用する対戦車兵器。通称〈キャノンボーイ〉。おれよりデカい奴が出て来た時のために一応持って来ておいたが、どうやら出番のようだ。
ふわりとルシアが浮かび上がり、後方の岩場へ着地する。彼
女が戦車に手を向けると、タンク内の思考球が打ち合い始める。
「思考球にわたしの念を込めたわ。肉片一つ残さずに消し飛ばしてあげる。そこの爺を残して逃げてもいいわよ」
「おれの経験から言えば――その手の事を言って撃たなかった奴はいないんだ」
多脚戦車が蒸気を噴き、装着されたチェインガンが動き出す。おれは伯爵の首根っこを掴み、直近の岩場の影へ走った。猛然とチェインガンの掃射が始まる。
――我、能うを悟る(悟能)――
肉体の能力を引き出し、おれは銃弾の嵐から逃れて、岩場の影に駆け込んだ。伯爵はまだ息がある。服を裂いて傷口に巻き、止血する。あと少しは持つだろう。だが、それ以上は……。
多脚戦車が動き出す。岩場の影から影へと移動し、おれは狙いを定める。タンクを狙い――引き金を引く!
義腕に衝撃が走る。45×51対戦車専用弾が多脚戦車のタンクに直撃する。
轟音が荒野に響く。駄目だ。最新型戦車の装甲は伊達ではない。おれの位置に気付いた戦車が、多脚を稼働させて横跳びした。砂埃を立てて着地する戦車。空中で姿勢を変えていたらしく、チェインガンの銃口はおれの隠れている岩場を狙っている。
チェインガンの銃撃。25mm砲が岩場をチーズのように削り取っていく。安易に逃げる事も出来ない。下手に身を晒せばおれは一瞬で肉片だ。
予備の弾は二発。無駄撃ちは出来ない。
銃声が止んだ。ブラフか? いや、駆動音を聞くに再び跳躍した。おれは急いで次の岩場へ移動する。着地間際を狙い、岩場と岩場の間から狙いをつけ、撃った。体勢が中途半端だったせいで、全身がガタつく。半回転しつつ着地した脚が、対戦車弾を弾き、逸れた弾が地面を抉り爆発した。
「無駄よ。これの装甲はミサイルだって耐え切るの」
ルシアの勝ち誇った声が聞こえる。そうだろうな。おれは内心頷く。だが、付け入る隙がないという意味ではない。
再び戦車が跳躍する。さっきよりも距離が長い。ガシン! 着地――ではなかった。奴は岩場に組み付いていた。おれの隠れている岩場に。
「くそっ!」
蜘蛛のように素早く岩場を登り、おれのいる影の側まで下りてくる。同時にチェインガンがおれを狙っていた。撃ち合う余裕はない。咄嗟に予備の弾をガンベルトから地面に落とす。
〝悟能〟を使い、全速力で逃げる。一発当たったら終わりだ。
新たな岩場の影に逃げ込む。だがその時、おれの体は突如として固まった。
「遊びは終わりよ。探偵さん」
岩場の上にからおれに掌を向けて、ルシアが念動力を使っていた。強力な拘束力だ。逃れられない。
「ぐう……っ」
右手からキャノンボーイが滑り落ちる。モードをヒートに。駄目だ。左腕が動かない!
足音がする。機械戦車が背後から近付いて来る。おれは必死に念動力に抗う。考えろ。何かある。おれは左腕を動かす。機械戦車はすぐそこまで迫ってくる。
目の前に小石が浮遊している。キャノンボーイでさえ、地面ぎりぎりで留まっている。彼女の念動力はおれの立っている周辺に及んでいるようだ。
……ならば。
爆音がした。戦車の前で土煙が舞う。落とした対戦車弾を多脚の一本が踏んだのだ。
「何事!?」
ルシアが驚愕の声を上げる。わずかに、拘束力が弱まる。
渾身の力を振り絞り、おれはキャノンボーイを蹴り上げた。緩やかに、だが勢いをつけてせり上がるキャノンボーイの銃把をおれは掴む。引き金に引っ掛かる指。左腕を動かし、銃身を回転させ、引き金を引く。
爆発がおれの体を吹き飛ばした。弾け飛んだゴムのように念動力の拘束からおれは解かれる。同時に襲ってくる脱力感。五能を使い過ぎた。だが、まだ倒れるわけにはいかない。
震える腕を支え、おれはキャノンボーイの引き金を引いた。戦車がこちらを向いた瞬間だった。発射された弾が二門あるチェインガンの片方に命中する。戦車のカメラを狙い、さらにもう一発撃つ。爆音が谷間に木霊する。
再び、おれの体が拘束される。ルシアが地面に降り立ち、おれに接近しつつあった。
「ここまで来ればもう関係ない。その首をへし折ってやる!」
おれもまたキャノンボーイの銃口をルシアへと向ける。とはいえ、こんな状態だ。引き金を引く瞬間、腕を逸らすくらいわけないだろう。
「さて……首狙いだったな?」
「撃ってみなさい。その瞬間にへし折ってやる」
睨み合いのも束の間――
暴走した戦車がこちらへ向かって猛然と突っ込んできた。足音に気付き、咄嗟にルシアはその軌道から逃れる。拘束が解けたおれはツマミを右に倒し、同時に引き金を引いた。
普通なら重すぎる引き金でさえ、マッスルを起動すれば話は別だ。三連射された対戦車弾が向かってくる戦車のチェインガンを折り、前脚の一部を爆破し、タンクをへこませる。バランスを崩し、地面に倒れ込む戦車。へこんだ箇所めがけて、おれは最後の一発を撃った。弾は真っ直ぐに伸びていき、そして。
爆音。戦車のタンクの上部が爆発し、中から思考球が一つ飛び出す。それだけで、戦車の挙動はおかしくなり、もがき苦しむように動き、やがて沈黙した。
昂り、研ぎ澄まされた神経が、おれに〝悟空〟を可能にさせた。念動力の揺らぎが接近するのを感じ取り、時間の流れが緩やかになったような錯覚を覚える。ツマミを左に倒し、ヒートを起動して、おれは揺らぎを赤い拳で貫いた。
ルシアの念動力が霧散していくのがわかった。
「ち!」
逃げようとするルシアの足に、おれは懐から取り出したある物を投げつける。それは真っ直ぐとルシアの足めがけて伸びていき、突き刺さる。
「っう……!」
それは青い液体で満たされた、注射針つきの小瓶だった。
「い、いやあ!!」
慌てて足から小瓶を弾き飛ばすルシア。だが、その時にはすでに、おれはルシアへ接近していた。
赤く燃える腕を突きつけて、おれは言った。
「終わりだ、ルシア・アルゲンス。それと……」
そう言って、おれは彼女が弾き飛ばした小瓶を拾い上げ、手の中で砕く。
「こいつはただのシロップだ」
「嫌よ、嫌……また檻の中に戻るっていうの? そんなの絶対に……」
「何もかもが間違いだっただろうよ。お前を取り巻く何もかもが。キドニーでさえもな」
おれは最後に聞いた彼女の話を思い出す。青い液体が滴るおれの手を、ルシアはじっと見ていたが、やがて忌々しげに顔を歪めた。
「歩みを間違えても、愛せればよかった。どうしてそうはならなかったんだ?」
ルシアは皮肉げに笑うだけだった。
「決まってるでしょ。愛された事なんてなかったからよ。このわたしはね」
ルシアはそう言って笑った。自分で言った事があまりにも可笑しいとでも言うようにいつまでも笑い続けていた。
10
雨期が来て、雨が二週間続いた頃、葬儀はしめやかに執り行われた。
三人分の葬儀だった。名前も知らない男。キドニー。そしてメイソンの三人。
葬儀の参加者は少なかった。
三人分の墓の前に立ち、おれはしばらく何も言えないでいた。
もっと彼女の事を知っていれば。もっと彼女の事をわかってやれていれば。だがしかし、そんな後悔は何の意味もない。誰も、何も救われやしない。
「雨が止んだら飛んでいけ。君が目指した幸せになれる場所へ」
そう言って、おれは花束を置いた。
「それまでは休むんだ。今までの分、ゆっくりな」
雨はまだ降り続いている。
雨期の終わりは一週間後の見込みだ。彼女の眠りには短すぎるが、次に彼女が見る空は、きっと旅立ちに相応しい。
了