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『嘆きの谷に、青い鳥は舞う』2


      2


実のところ勝算はなかった。だが、金は欲しい。それが大金ともなればなおさらだ。それに、娘のルシア。彼女が無事なのかどうか、確かめたくなった。

 いくつか必要な電話をかけたあと、鉄の愛馬、マンソン社製スチームクルーザー〈ネメシス1300〉を駆り、おれはまず銀行へと向かった。

言われた通り名刺を渡すと、支配人が直々に一万ギルヴィを用意した。マグニフィン伯の名は伊達ではない。とりあえず千五百ギルヴィ受け取り、残りは口座へ預けた。

個室トイレに入り、そこで十枚の百ギルヴィ札を二枚ずつ小さくまとめ、ジャケットの隠しポケットやスラックスにそれぞれ仕込んでおく。札入れに五百ギルヴィ入れ、おれはトイレを出る。

次の目的地へ移動する。ゴシック建築の立ち並ぶルイテン地区へ入り、ビジネス街であるサダルメリク通りへ入る。スチームバスの脇をすり抜け、道なりに進んでいくと目指すビルが見えてくる。

〈ブレンディ・エクスプレス〉社は四階建ての古いビルディングに本社を置く新聞社だ。

新聞社とは言っても、タイムズみたいな上等な奴じゃない。扱うのは、星々からやって来た化け物どもの陰謀だったり、雪男の追跡劇だったり、黒魔術の生贄になった山羊の頭だったりといった、いわばそういう怪しげな物ばかりのタブロイド紙だ。

編集長とはこの街に来た頃からの付き合いで、仕事で困った時にはお互いに頼りにしている。記事は怪しげなものばかりだが、集まる情報は多種多様、ありとあらゆる界隈の出来事がその耳に入ってくる。取っ掛かりを見つけるなら、まずここからだろう。

 慌ただしい編集部の一番大きなデスクに、編集長のジョン・グランパスがいた。

「よう」

「何しに来た、貧乏探偵」

 ゲラに目をやったまま、グランパスは言った。

「さっき電話しただろ。エベネーザ・アルゲンスの件だよ」

「マグニフィン伯爵か。四年連続貴族院の副議長を務め、昨年はついにガルター勲章を受勲。財団を介して鉱山や鉄道の経営し、収益の一部は福祉活動に当てている。この間、ウォルーメン・ハーレムに新しい養護施設と救貧院が出来たろ? あの二つはマグニフィン伯の仕事だ。今度、大陸のほうにも手を出すらしい。新聞を読めよ、タルボ。おれが知っている事とそうは変わらない」

 グランパスの手元をちらと覗いたが、見ていたのは未確認飛行物体の墜落記事だ。頭の中に人名事典があるのだろう。

「新聞ならもう読んできたさ。それ以上の事が知りたいんだ」

 銀縁の丸眼鏡を外して、ようやくグランパスは顔を上げた。

「まあ、かけろ」

 手近な椅子を持ってくると、グランパスはゲラをまとめて脇にやり、潰れかけたラッキーストライクのソフトケースから一本取り出すと、ひしゃげた煙草を伸ばして銜え、その先に火を着けた。

「マグニフィン伯爵とは、また大物が出て来たな。炭鉱夫にでもなるつもりか?」

「馬鹿言うな。ようやく自由になったのに、今さら誰かの下で働くつもりはねえよ。おれはこれでも、今の生活を気に入ってるんだ」

「しょっちゅう右腕が吹っ飛ぶ生活がか? 冒険家らしい台詞だな」

 かつて金も仕事もなかった時期に、おれはグランパスからの依頼で、危険な地域を取材するブレンディの若い記者のボディガードとして雇われた事がある。その頃から、グランパスはおれの事をたまに冒険家と呼ぶ。

「毎回毎回吹っ飛ばしてるわけじゃない。スマートに解決する事がほとんどだ。そんな事より、伯爵について話してくれ」

「ふむ……。まあ、特徴的なエピソードと言えば、マグニフィン伯は結婚がかなり遅かった。五十の時にようやく、二十二のメアリ・アッシャーを娶っている。子どもが出来たのはその五年後だ。一人娘のルシア・アルゲンスだよ」

 ハゲワシみたいな外見からは想像し難いが、伯爵はあれで精力旺盛だったようだ。

「ルシアが七歳の時に、母親は病で亡くなった。以来、伯爵の態度は苛烈になったそうだ。貴族の娘としての英才教育を叩き込み、口答えを一切許さない。たとえ晩餐会の席であろうと、ルシアが食器を使う順番を間違えただけで伯爵の檄が飛ぶ。見かねた周りの貴族たちが止めに入った事もあったそうだ」

「そいつはまた……」

「典型的な〝支配する男〟さ。さっきの大陸進出の話にもルシアは利用されている。向こうの貿易会社の次期社長との結婚話が持ち上がっているんだよ。マグニフィン伯爵がかなり強行に話を進めたんだ。当のルシア本人の意向はまるで無視さ。ま、貴族様の世界ではよくある話だが……」

 政略結婚を嫌がった令嬢が、自由を求めて家を飛び出す。確かに、失踪の理由としてはよくある話だ。

「親子仲は相当良くないらしいな」

「最悪だよ。伯爵は十九年間、自分の娘を理想のバービー人形にしようとしてきたんだ。ルシアは元々気が弱い性格で、外出する時はいつも父親に連れられていた。ま、もっともこれは亡くなった伯爵夫人に対しても同様だったようだがね」

「言わずもがな、ってか。よく結婚出来たな……」

「相手方の家が抱えていた多額の借金を肩代わりする代わりに結婚を迫ったって話らしい。その借金に関しても、伯爵があちらこちらに手を回して背負わせたっていうのが、当時から噂になっていた。全てが自分の所有物に見える人間で、自分の思う通りでなければ我慢ならない。マグニフィン伯爵とはそういう人物だ」

 おれはルシア・アルゲンスの写真を思い返していた。これが普通の家庭なら、あるいはもっと早くに逃げ出せたのかもしれないが、伯爵という絶対的支配者が常に存在する環境では不可能だっただろう。あるいは、今回の失踪はルシアにとって最後のチャンスだったのかもしれない。

「ほかに何か知っている事はあるか?」

「ぱっと思いつくのはこれくらいだが、ここ数年の会社業績、アルゲンス財団の動向、福祉活動についてなら追って調べてやれる。あとは、噂話程度ならまとめといてやるが」

「全て頼む。いつまでにわかる?」

「おれも忙しいんでな。だが、そうだな。三時に一度電話してくれ。用意出来てりゃその時に渡してやる」

「わかった」

 おれは札入れから二百ギルヴィ取り出して机に置いた。

 グランパスが意外そうな顔をした。

「何だ、ずいぶん太っ腹だな」

「急ぎの仕事だからな」

 と、おれは言った。



 それなりに空いた昼時の道路を、スチームクルーザーに白煙を吐き出させながら軽やかに駆け抜ける。ブレンディをあとにしたおれは、ルシアの下宿先へ向かっていた。

資料によれば、彼女が住んでいるのは大学近くにある格安の学生用アパートメントだった。写真に写っているツタの生えた白い壁の木造住宅は、貴族の娘の住まいにはそぐわないように思える。

意外な事に、エベネーザ・アルゲンスは娘に護衛役をつけていなかった。監視役とも言うが、いずれにせよ存在していない。ウリエルシティで一人暮らしをする事が決まった際に、珍しくルシアから強く断られたらしい。代わりに、毎日朝八時と夜七時に必ず連絡を入れるという取り決めがなされた。入学してから連絡が取れなくなった日までの間、ルシアがこの取り決めを破った事はなかったという。ちなみにこの連絡係に任命されていたのは、執事のリチャードだ。

エベネーザは十六歳と十七歳の夏、ルシアに自らが運営する救貧院の仕事を手伝わせていた。それを踏まえ、以前ルシアに救貧院で世話になった男という設定で、おれは大家から話を聞いた。結果は空振りだった。一週間前、学校へ出かけていくのを見送ってから、姿を見ていないと言う。

「いい子なんですよ。お金持ちの子だっていうのに、全然嫌味なところがなくて。この間なんか私の誕生日に、お花をくれたんです」

 そう言う大家の家の玄関には、花瓶に入った美しい花が飾られている。

「最後に会った時、学校のほかにどこへ行くとか言っていませんでしたか?」

「さあ、特には……。でも、そうね。よく遠くへ行きたいと言っていたわ。大学の事も家の事も忘れて遠くへ行きたいって。若い頃は、誰でもそうかもしれないけれど」

 年齢の話で言えば、おれもまだ二十八の若造だ。だが現状から飛び出したくなる気持ちはわかる。かつて軍に入隊した時がそうだった。

出来ればルシアの部屋の中を調べたいが、それは難しそうだった。

 ピィピィ、と鳴き声が部屋の中からした。大家の後ろに吊られた鳥籠からだった。中にいるのは、ツバメだ。翼を二枚とも怪我しているらしく、治療した痕跡が見られる。

「その子は?」

「え……? ああ、この子ね。そうね、ちょうどルシアちゃんが帰って来なかった日だったかしら。彼女の部屋の中からね、鳴き声がしたの」

 鳥が迷い込んでしまった。そう思った大家は、悪いと思いつつも彼女の部屋に入った。窓際で、一匹のツバメが苦しそうな声を上げていた。

「たぶんね。部屋に入った時に、窓枠か何かにぶつかったんじゃないかって。でも幸い、根気よく治療すれば治るらしいからね。今は一緒に暮らしているのよ。ルシアちゃんが帰ってきたら、見せてあげようと思って。ほら、ツバメは幸運の印って言うじゃない?」

 それは確か幸運ではなくて安全の印だし、その場合必要なのはツバメ自体ではなくツバメの巣だ。しかし、もちろんおれはそんな無粋な指摘をするつもりはさらさらなかった。

ルシアの話をしていたら、また心配そうな顔を見せ始めた大家を何とかなだめ、おれはアパートを出た。

 ルシアが在籍している聖ヤコブ大学までは五分とかからない。

ほどなくおれは大学の駐車場にクルーザーを止めていた。

セキュリティにうるさくなっていく時流に反して、聖ヤコブ大学は近隣住民にも食堂や図書館を開放している。比較的裕福な区域ならではの対応だろう。一般人が学内に入っていても不審がられないのがいい。

ルシアが学んでいた国際関係学部の校舎へ行き、十九歳のルシアと年齢が近そうな学生を探す。外見だけで年齢におおよその当たりをつけるにはコツがいる。表情、身振り、言葉遣い、服装などをつぶさに観察し、見分けていく。

「ルシア・アルゲンス? ああ、あのお嬢様の」

 最初に目をつけたグループが当たりだった。

「知ってますけど、おじさん誰?」

 その若い学生は、若者そのものといった感じの言葉遣いで問い返して来た。まあ、十九歳ならこんなものだろう。おれは名刺入れから、一枚の名刺を取り出した。

「やあ失礼。私、フリッツ&フロイド弁護士事務所の者です」

 以前、この弁護士事務所のとある問題に関わった際、おれは代表であるフリッツに、臨時コンサルタントとして登録してもらえるよう頼んでおいた。あれから一年以上呼び出しのかからないコンサルタントとはいえ、弁護士事務所の正式な名刺はこういう時に役に立つ。

「実はミス・アルゲンスがうちの事務所でアルバイトを希望していましてね。こちらの時間の都合で、仕方なく学校の食堂で説明を行う予定だったのですが、約束の時間を過ぎても見えられないので……」

 こういう馬鹿丁寧な口調は、本来おれの性格にはまったく向かないものだ。だが、探偵を続けていると演技にも慣れてくる。

「あんた、ホントに弁護士さん? 何かそんな感じに見えないけど」

 学生は、案外疑り深かった。おれは努めて愛想良くしながら答える。

「いやあ、昔はこれでも軍人でしてね。粗野な気風が合わなくてやめちゃったんですよ。見た目はこんなですけどねー。はっはっはっは」

 口調は演技だが、言っている内容に嘘はない。

――軍の気風が合わなかったのは、確かだ。

 学生はまだ疑っているような目つきだったが、質問には答えてくれた。

「ルシアなら、もう一週間くらい見てませんよ。元々そんなに喋った事ないけど」

「誰かほかに、彼女と親しかった人はいませんか?」

「親しかったって言っても……なあ?」

 若者は話をグループのほかの奴らにも振った。学生らはほぼ同時に頷いた。

「特に誰かと仲良さそうにしてるの見た事ないし」

「いつも授業終わるとさっさと帰っちゃうしなー」

「ていうかあの子って、ほら、アレじゃん……?」

 そう言って声をひそめたのは、今風な大学生といった格好の女子生徒だ。

「ああ、アレね」

「駆け落ちしちゃったんじゃないのー? マジでさ」

「……駆け落ち?」

 声が僅かに素に戻る。学生は気まずそうな顔をした。

「詳しく聞かせてくれないか」

「あ、あー……っと、ルシアって実は結構遊んでるって噂があったんですよ。週末の夜に見たって奴がいるんです」

「何をだ?」

「エズラ地区の〈サウザンドヘッズ〉って店で、女のウェイトレスと仲良くしてるのを」

「仲良く、な」

 男の一人が下卑た笑みを浮かべる。おれはそいつに顔を寄せて聞いた。

「デキてたって事か?」

「あ、ああ……。それでここ一週間、知ってる奴の間じゃ噂になってたんスよ。ルシアお嬢様は女と駆け落ちしたって」

「その女の外見と名前は?」

 馬鹿丁寧な口調はとっくの昔に剥がれていたが、そんな事はどうでもいい。男子学生は戸惑いと怯えを見せながらも、口を開いた。

「えっと……確か、三つ編みの女で、名前は……キドニー、だったかな。あの辺りじゃ結構有名で……その、わかるだろ?」

「髪の色と身長は?」

 おれは取り合わなかった。

「それほど高くない……明るい色の髪をした女だよ。な、なあ、何でそこまで……」

「ありがとよ」

 学生の手から弁護士事務所の名刺を摘み取り、おれは素早く校舎を出た。エズラ地区はここからだとクルーザーで三十分ほどかかるだろう。

ルシアの事を考える。大家の誕生日に贈り物をし、学校では努めて周りと関わりを持とうとしなかった娘。父親に半生を支配され、何もかもを忘れて飛び立つ事を望んでいた、籠の中の小鳥。

 そんな娘がエズラ地区へ行った。一緒に逃げたかもしれないというキドニーという女。手掛かりとしては上等だった。


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