落語「水屋の富」から学べる事
現代の宝くじに該当する富くじを主題にした落語って、色々とありますよね。
江戸落語では「御慶」や「富久」、上方落語では「高津の富」が有名ですね。
このエッセイでは、富くじを扱った落語でも「水屋の富」について考えていきたいと思います。
扱うテーマが古典落語なので、ネタバレ全開の内容となっておりますが、ネタバレが苦手な方は回れ右をして頂けたらと思います。
でも、もし御興味が御座いましたら、落語「水屋の富」をお聴きになった上で御一読頂けたら幸いです。
水道のなかった江戸時代は、井戸水が生活用水や飲料水として重要な役割を果たしておりました。
しかし、井戸を掘っても水が出なかったり、或いは水の質が悪かったりする地域の住民は、「水屋」という商人から水を買っていたんです。
そのため、水屋はインフラを司る重要な職業なのでした。
しかし、水は重いし冬場は辛いため、主人公の水屋は転職したがってました。
ある年に買った富くじが当選したので、水屋は当選金を元手に転職しようと計画しました。
しかし、いきなり水屋を辞めたら困る人が出てくるので、後継者が見つかるまで水屋を続ける事にしました。
そうなると、厄介なのは富くじの当選金。
今と違って銀行はなく、水屋をしながら当選金を持ち歩くのは現実的でない。
そこで水屋は、畳の下の丸太に当選金を結びつけて隠したんですね。
ところが仕事中は、「当選金が盗まれてはいないだろうか?」と不安で仕方ありません。
やがて水屋は、家にいるうちは当選金の無事を確認しないと落ち着かなくなり、今で言うノイローゼになってしまいました。
この様子を目撃した近所の人が、水屋の仕事中に当選金を持ち逃げしてしまったのです。
ところが当の水屋は、心配の種である当選金が手元から消えた事で、かえってホッとするのでした…
これが「水屋の富」の粗筋です。
あって嬉しいはずの大金が不安の種となり、盗まれた事で不安から解放される皮肉なオチが、何とも味わい深いですね。
外出する度に、「ストーブの消し忘れが無いか?」とか、「鍵のかけ忘れは無いか?」とか心配になってしまう私としては、何度も当選金を確認する水屋の気持ちが、実によく分かるんです。
ところで、富くじの当選金の引き換えには、現在の宝くじとは異なるルールがあるんですね。
当選番号が発表されたその場で引き換えようとすると、当選金が千両の場合は、手数料として二百両差し引かれた八百両しか貰えないようなんです。
千両の当選金を満額貰いたいなら、二カ月待たなければならないんですね。
この辺りの経緯は、「御慶」や「富久」にも描かれています。
ところが「水屋の富」の水屋は、その場で引き換えちゃったんですよ。
そのため、千両貰えるはずが八百両しか貰えなくなったんですね。
そればかりか、日頃持ち慣れない八百両の大金をいきなり手にする事になって、「盗まれるのではないか?」という不安でノイローゼになり、とうとう本当に当選金を盗まれてしまったんですよ。
それでは、水屋はどのような行動を取れば良かったのでしょうか。
答えは、一旦落ち着いて考える事です。
水屋は当選番号が発表された時に一旦落ち着き、満額で引き換えられる二カ月まで待てば良かったんですよ。
さっさと当選金を持って帰らなければ奥さんに離縁されてしまう「御慶」の場合とは違い、急いで現金が必要な理由なんて水屋には無かったんですから。
その二カ月の間に勘当された道楽息子なり遊び人なりを見繕い、水屋の後継者に仕立て上げれば、心置きなく引退出来ますね。
勘当者された若旦那が風呂屋の番台に座って妄想を逞しくする「湯屋番」や、江戸でしくじったヤクザ者が御寺の和尚さんにおさまって放蕩無頼の生活を送る「蒟蒻問答」など、暇を持て余している人に仕事を斡旋してあげる噺は沢山御座いますから、水屋の後継者も上手く見つかると思うんですよ。
そして晴れて満額の千両を引き換えて、人生の再スタートを切るというルートも有り得たんですなぁ。
当選金が二百両も目減りする事も、徒に神経をすり減らす事も、そして当選金を盗まれる事もなく。
この「水屋の富」から学べる教訓は、「望外の幸運が舞い込んできても、一旦落ち着いて考えよう。」って事ですね。
冷静になって考える時間があれば、割と道は開けそうですから。
もっとも、「計算高く冷静に対処した水屋は、当選金を元手に大成しました。」では、落語になりませんからね。
一時の感情で冷静さを欠く所も、理屈抜きに動いて非合理的な選択をする所も、人間らしくて親しみがあると思うんですよ。
この「水屋の富」という落語は、水屋の失敗談を通して、冷静になる事の大切さを説いてくれる。
それで良いじゃないですか。
成功する噺が聞きたいなら、過ちを悔い改めた主人公が一途な努力で大成する「幸助餅」や「芝浜」といった名作の人情噺がキチンとあるのですからね。
きっと当時の江戸っ子達も、「俺が水屋なら、もっと上手くやるのになぁ…」と考えつつも、失敗した水屋の人間臭さに共感していたのかも。
そうして市井の人々の感情や思いに寄り添えた事が、落語という文化が今日に至るまで受け継がれてきた由縁の一つなのかも知れませんね。
※ こちらの素敵なFAは、黒森 冬炎様より頂きました。