限界幅(リミッター)
限界幅
時間というものは何もしていないときはこんなに必要なものなのだろうかと思う。
そしてそういう人間は例外なくこうも考えるだろう。
時間というものは何かを集中してやっていると全く足りなくなってくるのだ。
俺が村で過ごしてきた十数年、毎日毎日同じ事の繰り返しだった。
そんな退屈な日常で三週間過ごすとなれば、時間はこんなに必要なのか、さっさと明日になってしまえば良いとすら思えていた。
しかし今となってはどうだろう。
結論から言おう。全く足りない。
ドンクから大会の話を聞いてからまず真っ先にやったことは、己の魔法適性を見直すことだ。
コレには理由がある。
ウィザードに限らず、魔法を扱うものは皆それぞれ得意とする分野がある。当然それは適正に準じてくるのだが、俺にはコレといって得意な分野の魔法が存在しない。
属性魔法はどれを扱っても同じような火力を出せば同じだけの疲労を感じるし、どれかが極めて高い火力を出せるわけでもない。
魔法の練度を決める指針は基本的に<深>というものが使われる。一深から始まり数字が上がるほどに練度が増していく、すなわち数字による視覚的なレベルの基準値だ。判定は火力だけではなく持久力や周囲に及ぼす影響、その他全ての魔法の総合的な評価で下される。
だがこの深の判定も人によりけりなところもある。
結局のところ、見る人間によって判断も変わってくるのだ。
加えて、深の判定を決めるのは基本的に王城の人間。
つまり今の俺が何深なのかも分からない。
得意な魔法も存在しない。
何の魔法を極めて良いのか分からなかった。
この結論に至るまでに一週間を費やした。
得意な魔法が分からない、ならば次に俺がやらなければならないのは基礎体力をつけることだ。
魔法の持久力というのはその人間の魔法の扱い方にもよるが、人間のよく言う体力や持久力に通じるものがある。
古来より持久力を上げると言えば、走り込みや筋トレだ。
俺は魔法の鍛錬に加えて行っていた筋トレやランニングの強度を上げた。その結果、魔法を扱う際の疲労や、連続で長時間魔法を扱い続けても以前よりは疲れにくくなった。
さあ、今度はここで発生した問題だ。
今の己の持久力がどの程度の持久力なのかが分からない。
そもそも、魔法を比べる際に基準となる人間が己の身一つなのだ。
比べようがないのだ。
俺には現在、共にウィザードを目指そうという同胞がいないのだ。
結構メンタルに来る現実を直視することになった。
この悲しすぎる結果にたどり着いたときには二週間が経過していた。
大会まで残り一週間を切った時、俺はさらなる追い打ちを喰らう。
大会の内容が全くもって分からない。
魔法に関する何かをアピールする場所なのだろうが、その大会に出た知り合いもいなければ、大会の情報を仕入れた相手さえウィザードと全く関係の無い人間なのだ。
加えて最後に合格者が出たのは何十年も前。
王都からの選抜試験がある。
それ以外の情報を今の俺は持っていなかった。
だがしかし、コレに関しては他の人間も同じ条件だと信じ込むことによって、それほど心労にはならなかった。
心労にはならない、という境地に至るときにはもう大会前日だったので全く意味は無かったが。
そんなこんなで、ほとんど何の対策も出来ないまま大会当日を迎えてしまった、と言うわけになる。
その日の朝は、街がいつもにまして活気づいていた。
数年規模の大会と言うこともあって、近隣の村や、果ては隣町の人間までもが街に押し寄せ、市場は大盛況であった。
そんな中でも一際目を引く存在達が。
どこからどう見ても魔法を使うだろうというような風貌の人間達が、街の中心部に向けて歩いている。
何人かは近隣の地方魔法学校の制服を着ていることから、俺とためか年下と言うことになるが、そんな若い人間ばかりでもなかった。
どう見ても俺より年上の人間や亜人族も紛れている。
亜人族自体はこの街にも何人かいるし、近隣を含めこの辺りの国は亜人族の人権が数百年前に確立されているので、その光景自体は珍しいものではない。
問題なのは亜人族の種族的な特徴。
亜人族の多くは魔法を扱えない代わりに強靱な肉体と長寿を獲ている。そんな中でも魔法が扱える、と言うことは余程優れたもので無い限り不可能だ。
この時点で並外れた魔法適性を持ち合わせていると言うことになる。
「どうした?人酔いでもしたか?」
「船に揺られ慣れてるから酔いには強いって。いや、今は酔ってる方がマシかも知れねえ…」
ドンクと共に街の中心に向けて歩いている際に、嫌でも目に入ってくる光景にかなりの緊張感を覚える。
直前までは一人で行くつもりだったのだが、街の比較的外れの方にあるドンクの宿の回りですら、魔法を使うと思われる人間であふれかえっていたのだ。
宿の入り口で固まっていた俺を、見かねたドンクが会場まで送ってくれているのだ。
もはや親だ。
「もうすぐだ。この道を曲がれば会場が見えてくるぜ。」
「…パパは見ていかねえの?」
「おめえ、相当やられてんな。」
…大丈夫だ。
己の体が冗談を言えるくらいには冷静なようで安心した。
軽口を叩きながらドンクと路地を抜けると、街の中心街に到着した。
が、
「なんだこれ…!?」
俺の知っている普段の中心街とは全く異なる光景が目に飛び込んでくる。
普段、中心街はほぼ全ての街の道に通じているという点を生かし、出店、露天商、その他大道芸人などで統率性など一切無い光景が所狭しと広がっている。
だが今はどうだろう。
垂れ幕、旗、登壇用の台座、恐らく審査員が座るであろう席から観客席と思われるものまで、全体的に白を基調とした色合いと上品な装飾に彩られている。
そして、この広さに、これだけの人数が密集していれば嫌でも分かる、練り上げられた魔法の空気感。
それら全てが合わさることで今までに経験したことのない緊張感が漂っている。
思わず立ってしまった鳥肌。しかしコレは緊張に恐れおののいているのではない。そうすぐに分かった。
「…ドンク。もう帰っても大丈夫だ。」
「ああ?何言ってんだ、受付までは…」
送ってやる、そう言いかけたのだろうか。
ドンクの言葉は俺の表情を見て止まった。
「…はっ。なんだシュティム、笑えるくらいには余裕なんじゃねえか。」
余裕?そんな訳あるか。
恐ろしいに決まっている。
ここにいる人間はきっとほとんど皆、己の魔法適性を理解しているだろう。
そんな中に、自分自身の魔法適性も分からない、ただがむしゃらに練習してきただけの人間が割って入るのだ。
どんな目に遭うのか想像できたものじゃない。
けれども、そんな感情を差し置いて、俺の肉体の表に反映された感情、それは
どうしようもないほどの高揚感とそれを覆う闘争心。
考えてみれば、俺はもともと魔法に魅入られたことからこの道へのきっかけを進んでいる。
そんな俺が、これほどたくさんの自分以外の魔法を見れる機会に、興奮しないはずがなかった。
その笑みは、出るべくして表にこぼれたものだったのだ。
「ありがとな。」
「何だよきもちわりい…今日は宿は休みなんだよ。観客席で見てるからな。」
その言葉だけを残してドンクは観客席の方へと消えていった。
受付にはすでに長蛇の列が出来ている。
ざっと見ただけでも百人やそこらは優に超えるであろう人数だ。
俺は最後尾と思わしき場所に並び、遙か前列の受付の人間を見る。
村でもこの街でも見たことのないような服装は、全員が同じものを着ているのを見るにこの学校の制服か何かなのだろうか。
しかし見るからに生徒には見えない。
どう考えたってそんなレベルじゃないほどのオーラが出ている人もいるからだ。
「君、もしかしてこの試験の事よく知らない感じ?」
突如として前の人間が振り返り話しかけてきた。
金髪長髪、見るからに遊び人、と言った風貌だ。失礼だが。
「あ、ああ。そうだ。」
試験の列に並んでいると言うことはこの人も受験者、なめられてはいけないと平静を装って応答する。
「そんなに堅くならないでよ。俺だって受けるのは今年が初めてなんだからさ。」
「そ、そっか…」
「そ。こんな王都から遠く離れた街でエンタリアの選抜試験があるなんて聞いてさ。ここに来るまで半信半疑だったけど、今、それは確信に変わったところだよ。」
君が今見ていた人を見てごらん、そう言われるがままに先ほどのオーラ全開の女性を見る。
「あの人を見て、どう思う?」
「えっと、すごいキレイな人…?あ、オーラがすごい…?」
俺のこの率直な感想を聞いて、前列の男、前男は一瞬きょとんとして失笑したかと思うと、すぐに補足説明をしてくれた。
「あの人はこの学園卒業のウィザード、治癒騎士のヴァイラ様だ。魔法適性が治癒、つまり回復に特化しているにもかかわらず、戦闘職のウィザードとして前線に赴く、天からの才能を与えられたお方だ。」
「騎士って!?ホントか?」
「そう。エンタリアがこんな結界もない街で、素人が何人いるかも分からないような連中に魔法を扱わせる、なんて無茶なことが出来るのも、あの方が居られるからだ。最悪怪我人が現れても、あの方ならばたちどころに治してしまうことが出来る。うわさだけど、生命機能が停止した生き物でも、数秒以内なら蘇生も出来るとか。」
そんなにすごい人なのか。
椅子に座っているが、その体は大人の女性と平均しても相当に低いはずだ。黒い長髪を後ろに束ね、少し垂れ目気味なその表情は常ににこやかに笑っている。
まさに聖母。適性が治癒というのも納得がいく。
彼と話している間も列は滞りなく前進している。どれだけ迅速な手続きなんだ。
列の移動中も、俺は彼女を見ていた。
俺が出会った二人目の騎士。それがまさか女性だなんて思いもしなかった。
そして、
俺が彼女をまじまじと見ていると、前男が小刻みに震えだした。
表情を確認しなくても分かる。
前男は、笑っていた
「…どうしたんだよ。」
「え?いやさぁ、ずいぶんと熱心にヴァイラ様見てるなって。ミーハー丸出し、ウケるなって。」
ずいぶんと引っかかる言い方じゃないか。
彼の軽率な声色が腹立たしさを助長しているのもあるが、それにしたってひどいだろう。
初対面だぞ?
「良かったよ。正直人数に圧倒されてたとこあってさ。君みたいな素人丸出しの人間も何人かいるって思ったら、急に肩の力抜けちまった。」
「なんだよ、その言い方…」
「どんな試験なのかは知らないけどさ、少なくとも、君には勝てそうだ。俺より下がいるって認識できただけでこの試験は大きな収穫になったよ。」
まるで勝負がもう決まったかのような言い方じゃないか。
むかつくな。
何か一言言い換えしてやろうかと、依然として前を向いて笑い続けているその男の肩を掴んだ瞬間だった。
掴んだ左手に電流が走る。
それは静電気なんてレベルのものじゃないし、周囲の反応を見るに周りの人も視認できているようだ。
コレは、明らかな魔法による攻撃、いや、自己防衛か?
「ごめんごめん、びっくりしちゃった?オーラ型の魔法くらい纏ってると思ってさ。がっつり反撃しちゃったんだよね。」
「…いてぇじゃねえか。」
「そんなにビビるなよ。一深相当の雑魚魔法、ちょっと勉強すりゃ赤子でも使えるだろ?」
突如として発動された魔法に周辺の人達は俺と前男を避けるようにして見守っている。
あるものはうろたえ、そしてあるものは自分の身を守ろうとしているのか、恐らく魔法を構えている。
電流を受けた左手のしびれはもうほとんど感じない。どうやら本当に一深相当の魔法だったようだ。
オーラ型の魔法?
もちろん纏っていた。
ただ、それを纏っていたのがこの痛みにつながっている。
本で見た水流系のオーラ魔法、一深相当。
別に何かを警戒していたとかではない。こんな事態になるなんて想定なんかするはずもなかった。
ただ、オーラ系の魔法は便利なんだ。
だって今日、
暑かったじゃん。
「…良いのかよ。試験前に手札減らすような事。」
「はぁ?あっはは!やっぱりお前素人か!一深のオーラ魔法ごときで俺の魔法持久に影響するわけねえだろ。」
そうか。やっぱりすごいな。
前男の格好を見るに制服、つまりは地方かどこかの魔法学校出身の人間なのだろう。
魔法の基礎をちゃんとした教師に数年間教わっているというわけだ。
彼がそこでどんな成績だったにしろ、俺としては人生二度目の自分以外の魔法。
もっとよく観察して研究したいところだが…
「めんどくせえし、ここでお前帰れよ。」
「…は?」
「どうせ試験で良い結果貰えるのは俺の方だ。それが今分かった。これ以上ここにいる意味ねえだろ?」
「そんなの、やってみなくちゃ分からないだろ!」
「いいや、分かるね。何なら、今ここで見とくか?」
彼の周囲に漂う明らかな魔力の気配。
先ほどのオーラ魔法と今現状、彼の周囲の魔力の流れを見るに電流、もしくはそれに準ずる魔法の適正とみるべきか。
いや、この際彼の適正まで考慮している余裕は今の俺にはない。
いずれにせよ、俺に向けられた敵対行為であることには間違いない。
受付の人は、この列の長さでまだこの騒動に気づいていない。あと数十秒はかかるだろうか。
「仕方ない…正当防衛だ。」
「あはははっ!!!とことん笑わせるよな!?防衛できるもんなら…」
来る。
右手に魔力を集中させていると言うことは、彼は右利きと見て良い。
ならば正対している今は、基本的に彼から見て右方向からの攻撃に備えるべきか。
彼が電流系の魔法で攻めた場合、後出しでは他の魔法は対処できない。電流系の強みは発動後の速度と、生物に対してほとんど有効であるという点。
簡単に言ってしまえば、
生き物だけならめちゃくちゃ強い魔法。
「やってみろやぁぁぁああ!!!」
やはり右からの電流。破裂音をまき散らしながら青い光が襲い来る。
だがこの威力なら、防ぎきれない威力ではない。
俺は現状最速で絶縁できるであろう植物魔法を彼の攻撃の一瞬前に発動していた。
俺の周囲を覆う魔法、発動にさほど時間はかからない。
いや待て。
電流の広がりが思ったより大きい?
そもそも俺一人狙うだけなら直線攻撃で十分だろう。
こいつ…!!!
魔法の着弾による落雷のような轟音。植物に電流が衝突し焼け焦げた匂いが辺りに漂う。
攻撃を防ぐだけなら簡単だった。
俺の発動させた植物魔法は彼の攻撃を完全に防ぎきっていた。
しかし、その攻撃は俺にかすってしまった。
かすっただけなのに、左手のしびれが止まらない。
俺の位置は、最初前男が魔法を発動させたところから大きく右側に移動させていた。
「てめぇ…周りごと巻き込みやがったな…!?」
咄嗟の判断。
前男の放った魔法はかなりの広範囲に及んだ。
俺たち二人の周辺は多少の距離があったとはいえ、それでも最前周辺の人間には余裕で魔法の範囲だった。
とはいえ、彼らもこの試験を受けに来ている人間。つまり魔法が使える人間だろう。
自分の身を守る魔法くらい、持ち得ているはずだ。
杞憂の可能性の方が大きかった。
けれど、
杞憂ではないわずかな最悪の可能性が、俺の体を移動させた。
俺の魔力全つっぱの結界防衛魔法。
距離があった分、俺には掛けられなかったが、無関係の人間だけは守り切ることが出来た。
かろうじて俺に掛けることが出来たのはわずかな身体能力を上げる魔法。
運動能力でよけた。
筋トレとかしてて良かった。
いや、かすったんだけどね。
「はっ!邪魔な奴消すのに、一人消しても二人消しても関係ないだろ?」
この野郎、根っからのクソじゃねえか。訂正だ。
前クソ男に改名してやる。
「お前こそなんで周りの人間かばって自分が当たっちゃってんの?敵が消えて得するのは俺もお前も同じはずなんだけど?」
コレに関してはその通りだろう。
現に、植物魔法だけなら俺の魔力は大して消費はしなかっただろう。
しかしそこに結界魔法を慣れていない中距離に発動、さらに消耗した残りで身体に直接魔法をかけた。
この組み合わせのせいでほとんど魔力が残っていない。
周りからすれば極度のお人好しに映ったであろう。
けれども、こんな状況でも、
どうやら俺の根底が変わっていないようで安心した。
俺の魔法は、手の届く存在全てを守るためにあるんだ。
「きもちわりぃな。お人好しはウィザード界じゃ早死にするぜ?!」
前クソ男の連続の魔法発動。
クソ…
あいつの魔力が切れていれば、このままドローに持って行けたのに。
いや、勝負的には俺が一発もらってるから、得失点差でアウトか。
どっちにしたってこの一撃はもろに入る。
魔力が尽きているのは言わずもがな、身体能力向上ももうとっくに効果切れ。
終わりだ———
「<ヒーラー・ガーデニング>」
突如として響いた女性の声と同時に辺り一帯、いや、もはや視界全てを覆う満開の花畑。
俺も前クソ男も、果てには周囲の人たちでさえ何が起こったのか理解できないでいた。
「魔法を扱う者は原則としてその発動を縛る法律はありません———」
前クソ男の後方、受付待機列の前方からその声は聞こえてくる。
聞いているだけで、ふわふわと浮かれてしまうような、軽く、けれども穏やかな声だ。
「ですが、周囲の人間を無差別に傷つけ、ましてやそれが同胞だとすればそれはもう法以前に———」
その声の主は、長い黒髪を揺らしながら、優雅にしなやかに、
景色も相まって、それは庭園を散歩する一国の姫のように見えた。
「人として、ダメダメです。」
治癒騎士ヴァイラの魔法に、その姿に、
その場の全員が魅了され、しばし言葉を失っていた。
「なんっだよッ!?魔法がッ、発動しねえ!?きもちわりぃ!!!」
俺に止めを刺そうと魔法を発動していた前クソ男の周囲からは、彼の魔法の気配が完全に消えている。
いや、違うな…
かすかに彼の魔力は感じる。
だが、そのわずかな流れを、まるで巨大な海流のように莫大な魔力が上書きしている?
「ごめんなさいね。こんな町中で、しかも私がいる中で、まさか魔力の発動はないだろうと検知を怠っていたの。」
暴れる前クソ男を意に介せず、彼女は俺の方へと歩いてくる。
いや、小走りしている?
いずれにしても、歩くたびにパタパタとせわしない感じだ。
長いスカートの裾を今にも踏んでしまいそうで少しハラハラもする。
「ギリギリでした。この場所は受付からだと、私のヒーラー・ガーデニングの範囲に少しだけ届かなかった。私の過失になってしまうところでした。いいえ、問題というものは発生した時点で責任者の過失ですね…」
彼女が俺の前につき、そっと手を差し伸べる。
思わずその手に触れた瞬間、ゆっくりと、温かな感覚に包まれる。
「私もまだまだ、未熟です。今回はあなたに助けられました。先の結界魔法、咄嗟のことでコントロールが出来ていなかったのでしょう。とはいえ、二深は優に、見る人によっては三深に届きうると判断する人もいるでしょう。」
彼女の手を借りてぐっと体勢を立て直す。遠くの方では前クソ男が未だに魔法を発動しようともがいている。
そして、触れた手に視線を落とす。
「これは…?」
「あら、疲弊していても気づくなんて、余程繊細なコントロール適性があるのでしょうか。私は今回の審査に公平を求めます。ですので、私の魔力をあなたに分け与えましょう。遠慮はいりません。今回のお礼です。」
俺の発動した魔法は全部で三種類。
しかもそれを全部合計すれば俺の一日の魔力を全てつぎ込んだものだ。
その魔力は、もうすでにほとんど、彼女の魔力から返還されてきた。
ものの数秒だ。
加えて彼女は先ほどからこの周囲の空間に魔法を発動し続けている。
それも前クソ男の魔法が発動できないように上書きするほどの強力さの魔法。
それを見渡す限り、この広場一帯の全ての範囲に発動しているのだ。
「…もう大丈夫そうですね。」
「あ、えっと、その、ありがとうございます…」
「いえいえ、先ほどの魔法と加えて、試験では完全にあなたの支配下に置いた魔法にも期待していますね。」
「は、はい…!」
微笑んだ彼女の顔はまさしく花が咲いたような笑み。
失礼かも知れないが、そのサイズ感もあって本当に花の精霊のようだった。
「さて…」
そして彼女は前クソ男の前に立った。
前クソ男も騎士相手ではあの軽口を叩くわけにいかないのだろう。
ばつが悪そうに足下を眺めていた。
「なぜ、あなたは彼に手を上げたのですか?」
和やかな尋問という混沌空間が始まった。周囲の花畑とこの尋問。
訳の分からない状態に全員困惑している。
「そ、それは、どんな試験内容か分からない手前、自分の障害となり得る者は全力で排除する。戦闘職のウィザードとして前線に立つヴァイラ様ならお分かりいただけるかと…」
「ええ。たしかに私の肩書きはウィザード。治癒魔法が適正なこともあって、たまに後方の魔術師と思われることもありますね。ウィザードは戦闘職、だからそれを目指すあなたも準じて邪魔を排除しようとしたと。」
「そ、その通りです。」
「では、聞き方を変えましょう。」
ヴァイラは前クソ男に一歩詰め寄った。
歩幅的には彼女の一歩は彼の半歩くらいだろう。
真剣な尋問のはずなのに、どうしても和やかさが抜けきらない。
「なぜあなたは、仲間になり得るかも知れない存在を手に掛けたのです?」
「な、仲間ぁ!?」
彼はそう言うと二三度こちらを見た。
さも信じられないとでも言うような顔で、だ。
ホントに腹が立つなこいつ。
「お言葉ですがヴァイラ様、彼にはウィザードとしての適性があるとは思えません!俺と対峙した際も、関係のない野次馬を守ることを優先して自らが手傷を負って…!」
「なんですか、答えは出ているじゃありませんか。」
「はぁ!?」
「彼は『自分より周りの人間を守ること』を優先したんです。それは本来、皆を守ることに己の身と魔力を費やすウィザードの根に必要不可欠の信念。」
同じ騎士でも、ヨシュアさんとは大きく違う。
彼は常に冷静に、必要な情報のみを伝えていた印象だったが、彼女は相手に考えさせ、理解させた上で自分の考えを保管している。
もし、学園で教鞭を持つことがあったとしたらきっと生徒に慕われているであろう。
「…納得できません!俺は自分の持ちうる全てを標的であるあいつにぶつけようとしました!それで俺が負かされたのであれば理解もいったのでしょうが!?」
しかしこれだけ言われても、やつは納得していない様子だった。
両の手を振り回し、煽りともとれるようなモーションでヴァイラさんに訴えかけている。
もう逆に感心する。
周りの人間は騎士に対する無礼な態度にすこしピリッとしているようにも見えた。
「…では、力の差で理解させられたら、あの少年を認めていたと?」
「ええ!もっとも、この地方では一番の魔法学園で主席をキープし続けていた俺に、あんな魔法の制御も出来ない素人が勝てるはずなどありませんが。」
魔法学園の主席。
やはり俺よりずっと格上だったんだ。
今回防げたのも、あいつが油断していたから。俺を取るに足らない雑魚としてみていたから。
まともに対峙していたら恐らく俺は、やつの全力に手も足も出なかったかも知れない。
「…いいでしょう。私の監視の下、彼と再戦を認めます、と言いたいですが…あいにく彼は魔力は戻ったとはいえ疲弊しています。公平な勝負とは言えませんよ?」
「これだから魔法をちょっと覚えた馬鹿な素人は…じゃあこうしましょう。ヴァイラ様、あなたが彼の代わりに戦ってください。」
前クソ男のこの一言に、周囲はひどくざわついた。
この男、頭に相当血が上っているんだろうか。
それとも勝てる算段があるのか?
地方とはいえ、魔法学園の主席ともなれば、多少なりとも対抗は出来るかも知れないが。
「良いでしょう。」
彼女も彼女で即答だった。
「では、公平な勝負に乗っ取り、私も治癒騎士として、手加減抜きの全力でいかせていただきます。が、前途ある若人との戦いです。私はあなたの体に傷がつく魔法は一切使わないと約束しましょう。」
その条件が提示された瞬間、誰もが彼女の圧倒的不利を悟った。
ウィザードの職は攻撃に特化した魔法を扱うことが専門だ。
扱う魔法はほとんどが殺傷能力のあるものばかり。
これでは彼女はほぼ全ての魔法を封じられたも同然だ。
その条件は前クソ男も理解していたようだ。
戦闘態勢に入る彼女は、周囲の花畑の魔法を解除した。
その瞬間、
「傷つけねえとか、やれるもんならやってみろやぁぁああああ!!!」
ほとんど不意打ちに近い速度だ。
彼の手が一瞬にして魔法発動の準備を始め、魔法が放たれ…
ることはなかった。
「…何でだよ!?おいっ!あの花畑は解除したんじゃねえのよ!?確かに一瞬魔法は戻ったけどな、また封じられたんじゃ勝負にならねえだろうが!!!」
彼から怒号を浴びせられても、ヴァイラさんは凜として、ただ彼を見ているだけだった。
その顔からは、先ほどまでの笑顔が消えていた。
「ええ確かに。勝負になりませんでした。心は痛みますが、傷つける魔法を使ってでも、あなたに魔法を打たせた方が、まだ勝機はあったかも知れない。」
何が起きたのか分からなかった。
思わず魔力感知に神経を集中させた。
そして、
愕然とした。
恐らく、魔力を感知出来る人間は、どれだけその精度が悪くても気づけたであろう。
そして、感知できない人間がもしいたとしても、その圧倒的な魔力に気づかないはずがないだろう。
前クソ男が魔法を判断できなかったのは至極単純な理由。
彼女の、治癒騎士ヴァイラの圧倒的暴力にも近い魔法の封殺だ。
「クッソ…まだ魔法が出せねえ!!!」
「ええ。もう『今後一生』出せませんから。」
彼女は彼が魔法を発動しようとしたとき、つまり花畑の魔法を解除したときに、同時に次の魔法も発動させていた。
彼の周辺に咲く、不気味なほどに真っ赤な花弁を放射状に広げた華を目視したとき、
俺たちが彼女の魔力に気づいたのも恐らくそこだ。そこから魔力感知を始めたのだから。
「<彼岸花>今私の出せる最大の魔法です。今日は任務もありませんし、優秀なウィザード達もたくさん審査員で来ていますから。コレを使えばその日はもうほとんど魔法は使えません。効果は———」
告げられる彼にとってあまりに残酷な現実。
同時にその場にいた全てのウィザード候補生達が感じた、
圧倒的な力の幅。
高火力の魔法二発と身体付与の魔法一発で空になってしまった俺の魔力。
その魔力分を分け与えても、魔法発動の様子を解いても顕現し続けるこの魔法。
俺にも見せつけられた
「効果は、『対象の魔力を対象が死ぬそのときまで吸引し続ける』と言うものです。」
今俺の目の前で再び花のように笑う彼女は、
圧倒的な強者、ウィザードとしての次元が違う者だと言う事実を。




